温泉旅行
「湯冶、ですか?」
「左様。お舘様と薬師から出歩いてもいいとお許しが出た。幸いにもこの近くに傷に効くという温泉がある。1度そちらで羽根を伸ばすのはいかがでござろうか」
信濃の上田で療養していたは城主である幸村を部屋に迎え入れるとそう切り出された。羽根も何も随分と好き勝手に過ごさせてもらっているがそれ以上に何ができるというんだろうか。そんなこと思ったが温泉という響きに「温泉かぁ」と漏らしてしまう。
元の世界でも数えるくらいしか行けていなかった場所だ。揺れてしまうのは仕方ないだろう。
「でも、温泉って山…にあるんですよね?雪とか大丈夫なんですか?」
確か温泉って山の中によくあった気がする。理由はマグマが近いからとかなんとかじゃなかっただろうか。元の世界だったらパイプと機械で遠くまで通せそうだけど。温泉を掘り当てる、なんてことはないだろうから平地に温泉、というのは考えにくい。
「なに、甲斐の馬は足腰が強いし冬慣れもしている。時間はかかるかも知れぬが問題はござらんよ」
「そ、そうですか。じゃあ」
行ってみようかな。期待を隠し切れない顔で幸村を伺い見れば、なんとも嬉しそうな顔で頷いてくれた。
そこまでは良かったのだが。
「…なんでこんな大所帯なんですかね?」
「Ah?そりゃ決まってんだろうが。俺も怪我人だからだよ」
「俺は政宗様とお前の面倒を見なければならん」
「甲斐の温泉ってまだ入ったことがなくってさ。夢吉も入れてやりたいし。やあ!楽しみだねぇ」
「某はお舘様より殿の身の安全と道案内を兼ねてでござる。甲斐の者が1人もおらなんだら屋敷の者も不安になるかもしれぬのでな」
「待てよ真田。アンタ自分の城はいいのかよ。城主がいない間に攻め落とされても知らないぜ?」
「それをいうなら政宗殿とて同じこと。そっくりそのままお返しいたす」
「俺んとこはいいんだよ。雪深くて誰も来やしねぇし、城は信頼できる奴に任せてあるからな」
「ならば某も同じとお答えいたそう。それにこの雪の時期に躍起になっている者は冬の恐ろしさを知らぬ命知らずだけでござる」
にこやかに返す幸村の下では白い息を吐きながらぶるりと震えた。今日は朝から上機嫌な幸村はこの寒空の中更に上機嫌だ。こんな強気な幸村見たことないよ。佐助にも見せてあげたかったわ。
その佐助といえば先に行って色々準備をしてくると昨夜出て行ったままだ。保護者がいないから途端に元気になったのだろうか。幸村は捨てられた子犬みたいに弱気になってるか暴走してる方が彼らしいって思ってたんだけど。
はあ、と溜息と一緒に白い息を吐き出せばねめつけるような政宗の視線が飛んでくる。きっとなんでそっちの馬に乗ってるんだよ、と文句をいいたいんだろう。
と政宗が手負いだということで馬に乗せてもらっている。そして手綱を振るえないの代わりに幸村が同乗してるのだが政宗はそれが気に食わないらしい。出かける前も乗るならこっちだろ、と駄々こねてたもんなぁ。
実際馬を引いてるのは小十郎だしそっちでも良かったんだけど政宗と一緒だとどうにも緊張するというかあっちが必ずといっていいほど悪戯をしてくるから油断が出来ないので辞退したのが正直な話だ。
現に小十郎は文句をいわなかった。最近よく聞くようになった「お前は奥州の子だから安易に奴らに心を開くなよ」というフレーズも出なかったことだし、きっと大丈夫だろう。
そう考えて尚も刺すように飛んでくる視線を無視した。
*
山を抜け小さな村に着く頃には日も傾き空も赤く染まっていた。幸村の案内で坂道を登っていくとその村の中でも殊更に大きな屋敷が見えてくる。どうやらここが目的の宿らしい。到着すると佐助と品のよさそうな老人が出迎えてくれた。
老人は源三といい、この村を仕切る長でもあるようだ。
にんまり顔の佐助が手を伸ばしてきたのでそのまま身体を傾けるとはすっぽりと胸の中に収まった。そのまま下ろしてくれるのかと思いきや、佐助はを抱えたままさっさと歩き出してしまう。
「佐助さん?私歩きますよ」
「ダーメ。雪を掃いたっていっても足場悪いからね。ちゃんは中に入るまで大人しくしててよ」
「Hey.猿飛!Don't move!」
「旦那達は適当に中に入って寛いでてね〜」
「ええっ?!」
佐助はを抱えたまま政宗をスルーすると、源三に「後は任せたよ」といって空へと跳んだ。いきなりかかる重力と浮遊感に思わず目を閉じたが刺すような冷たさは一瞬で、着地したと同時に温かく湿った空気と硫黄のような独特の匂いがの鼻腔をくすぐった。
「ちゃん。目を開けても大丈夫だよ」
「…!わあっ温泉だ!」
佐助の声に目を開ければいかにも風流な岩に囲まれた温泉が現れ、は抱えられたまま感慨の声を漏らした。温泉の湯からは温かそうな蒸気がもこもこと上っていて突っ張るように痛かった頬や鼻が温まってく。
近くには簡易的な脱衣所の小屋があり、温泉まで道を作るように板が張られていた。周りは露天風呂に相応しく全て雪化粧した木々に囲まれている。空を見上げれば白い雲が悠々を流れていて夕焼けの太陽とのコントラストがとても綺麗だった。
大自然のパノラマというのはこういうのをいうんだろうか。と感心しながらはキョロキョロと周りを見回した。その反応に気を良くしたのか佐助が嬉しそうに顔を近づけてくる。
「ここが、傷に効くっていう温泉ね。屋敷からちょっと離れてるけどこの時期にウロウロする獣はいないから大丈夫」
「そうなんですか?お猿さんとか温泉入ったりしないんですか?」
「うーん。そういう話は聞かなかったから来ないんじゃない?ちゃんは猿に会いたかったの?」
「…そこまで、ではないですけど」
でも山の中の温泉っていったら猿、とか森の動物が温まってるってイメージがあったからなぁ。でも、自分が入ってる時に急に来たら怖いかも。そう笑うと佐助も一緒に微笑んだ。
視線を上げれば少し登ったところに大きな屋根が見える。きっとさっき見た大きな屋敷だろう。距離は200メートルくらいだろうか。
「気に入らなかった?」
「ううん。ただ夜は入るの怖いかなって思って」
「その点は大丈夫。明かりも色々用意してるし湯冷めしないように防寒着もあるから。あとちゃんと俺様もついてくし」
「えー…女の人いないんですか?」
「いるにはいるんだけど今足を怪我してて動けなくてさ。代わりに俺様が寝ずの番ってことになりました」
後から聞けばあの品のいい老人・源三の奥さんが屋敷で唯一の女性だったのだけどちょっと前に足を挫いて身動きが取れないらしい。でも佐助には幸村という主がいるのにいいのかな。
「実はさーこの温泉、ここまで整ってなかったんだよね〜枯葉だらけだったし脱衣所はお粗末な木枠だけだったし」
「え、でも綺麗ですよ?……あ、もしかして」
「ぜーんぶ俺様が整えました」
偉いでしょ、と得意げに笑う佐助には噴出し大きく頷いた。
「ちゃんの為に頑張ったんだよー」
「ありがとうございます。さすがですね」
「うん。だからご褒美くださいな」
足場の枯葉も岩の苔も綺麗に取り払われていたし、小屋もそこそこ凝った作りになっている。新しい木の色の驚き佐助を見やるとこてんと小首を傾げておねだりしてきたのでは笑って彼の頭を撫でてあげた。
寒空の中にいたのか佐助の髪はいつもより冷たくて抱きしめると頬も冷たかった。温めるように頬を擦り付ければ「うはっくすぐったい」という笑う佐助の声が聞こえる。
「あ、そうだ!どうせだから佐助さん温泉に入ったらどうですか?」
「ええ?いや無理でしょ。さすがに真田の旦那やちゃん達を差し置いて入れないって」
「えーでも1番働いたの佐助さんですよ?」
「それとこれとは別。でも気持ちだけは有難く受けておくよ」
温泉に浸かれば温まるんじゃ、と進言してみたが呆気なく断られた。いい考えだと思ったんだけどなぁ。でも佐助もそういうの重んじる人だしこれ以上つついても意味ないか、と早々に諦めた。
頭をそう切り替えたところでにんまり顔の佐助が持ち方を変えてに顔を寄せてくる。気がつけば鼻先がくっつくくらい近づいていた。
「気になるっていうならさ。もう1個俺様にご褒美くれない?」
「もう1個…?いいですけど、」
何するの?と佐助を伺えば肩に回っていた手に力が入り鼻先が当たってはハッと彼の方に手を置いたが回された手に逃げることなどできない。
「さーすーけー!!!!」
「……」
「……」
額をくっつけ見詰め合う2人を引き裂くように聞こえた声はこれでもかと大きかった。視線を上げれば屋敷の辺りに赤と黄色が見える。多分青と茶色もいるんだろうけどここからだとちょっと見えない。
「…あんな声出したら冬眠してる熊とかが起きちまうでしょうが」
「熊、いるの?」
熊が起きたら間違いなく不機嫌だ、そう思って不安げな顔で佐助を伺えば、さっき幸村の方を見上げて舌打ちしたとは思えない顔で笑って耳元で囁いた。
「そういうこと。だから温泉に入る時は俺様のことを呼んでね」
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2012.02.02
英語は残念使用です。ご了承ください。
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