蜂蜜中毒
『バスケ、辞めないでくださいね』
何の気なしにいわれた一言だったが、それが妙に心に残ってしまった。いった本人は大して意図も意味もなかったと思うが黛にとってはある意味呪いの足枷になったのはいうまでもない。
「クソ。やっぱ来るんじゃなかった…」
無事高校を卒業し、大学に進学した黛はバスケとはなんら関係のない生活をしていたのだが、気づけばインターハイの全国大会会場に来ていた。
たまたま情報で見て、たまたまその日空いていて、たまたま通りがかっただけだ。
それなのになんだろう、この敗北感は。
バスケも高校も卒業しても尚、全国大会を観に来るとかどんだけだよ。別に後輩達に慕われてたわけでもないし、そこまでバスケが好きだったわけでもないのに。
母校の洛山高校が全国大会にいることだって当たり前なのに…つか、初戦を見届けて今日最後の試合まで居座るとかどんだけだよ毎年甲子園球場に行ってる親父共と一緒かよ。
もしくはジャンプを卒業できない自堕落な子供大人か。どれをとっても自分を蔑むワードにしかならなくて黛はひっそり溜息を吐いた。
もうさっさと帰ろう、そう思ったがバス停も駅に向かう道程も人でごった返していてうんざりした。
この中を掻い潜って帰ることはできるが存在感の薄い彼にとって密室空間は足を踏まれたり肘鉄を食らったりと死を覚悟するレベルで危険なので、もう少し人が引いてから帰るか、と踵を返した。
会場内もまだ人で溢れていたが観客席以外で人が座れる場所を探すと丁度空いているスペースを見つけどかりと座った。
「(疲れた…)」
と息を吐き、暇つぶしに小説でも読もうか、と持っていた小説を取り出すと「あれ?黛さん?」と声をかけられた。
ここはそれなりに人は通っているが地元というわけでもなく、洛山の試合も既に終わっている。それでなくとも忘れられることが多い黛をしっかり見つけた人物に少なからず驚いた。しかも女の声で更に驚く。
誰だよ、とおもむろに顔を上げればそこには西日に照らされた真っ白いセーラー服を身に纏った見覚えのある顔が黛の前に立っていた。
「やっぱり黛さんだ。お久しぶりです」
「お、おお…」
上下白のセーラー服もあるんだな。なんて考えてしまっていたから反応が遅れてしまった。コイツの顔は知っている。俺に呪いをかけていった張本人だ。名前は確か。
「、だったか?誠凛の」
「はい。マネージャーのです」
は礼儀正しく一礼して挨拶すると黛との距離を詰めてきて「黛さんも観戦ですか?」と当たり前なことを聞いてきた。
「…俺が観戦に来ちゃいけないのかよ」
「い、いえ!…ただ、ちょっといいなあって思って」
「は?」
「先輩に観戦に来てもらえるって羨ましいなって」
嫌味かよ、と視線をくれてやると、案の定は慌てて手を振ったが次に出た言葉に黛の目が丸くなった。
コイツ何いってんだ?と思ったがそれ以上にわざわざ全国大会に観戦に来ていることを後悔したいくらいには恥ずかしくなった。
「赤司君達には会われたんですか?」
「会ってねーよ。会ったところで話すことなんてねーだろ」
勝つことしか決まってないのに激励も何もねぇだろ、という意味で返せば彼女は目を何度か瞬かせた後、苦笑して肩を竦めた。
「お前は?今日は試合前半だったろ」
「はい。なので偵察です」
キセキの世代以外にも今年めぼしいチームがいるので、と重そうなバッグを肩にかけ直す彼女にその中にカメラが入っているのかと納得して視線を手元の小説に戻した。
「あの、黛さんってよく小説を読まれてますけど、今は何を読んでるんですか?」
「ラノベ」
会話を打ち止めにした黛だったが傍らから動こうとしない気配をずっと気にしていた。
邪魔、とまではいわないがこちらを伺っている視線はわかったのでページを捲れないまま同じところを何度も往復しているとそんな声がかかり、やや冷たく簡潔に返してやった。
話を打ち切ってやったんだからそのまま帰るなりすればいいのに何でこの女はここに留まるんだ。
顔を再び上げれば屈んでこちらを覗き込む目とかち合いドキリと心臓が跳ねた。
思ったよりもちけーっつーか、前見た時よりも。
「どうしました?」
「いや、なんでもねぇ」
なんとなく、限りなくなんとなく熱が集まる頬に顔を逸らして本を閉じれば「あ、そのイラストレーターさんいいですよね」と返され思わず視線を戻した。
「知ってんのか?」
「はい。私がやってるゲームのコラボでイラスト描いてたので」
凄く格好いいモンスター描いてたので覚えていたんですけど、仕事絵みたら可愛い女の子しか描いてなかったので驚きました、と笑ったは屈託なく少し幼く見えた。
思ったよりもクルクル回る表情にやはり少し驚いて見せてもらったゲーム画面に『ああ、これは確かに驚くか』と納得した。絵柄が真逆だなこりゃ。
なんとなく流れで空いてる隣に座らせ、がプレイするゲームを見ていると真剣な目と横顔に『ああ、俺はコイツに去年負かされたのか』と思った。
他の奴ら程ショックはなかったものの、負ける切欠をこいつに作られたのかと思ったらそれなりに苛立ちを感じていた。
それをし返すことはもうできないし、かといって今更吐き出すなんてことは出来なくてただじっと真剣に画面を見つめる彼女を見つめていれば頬に赤みが差し、瞬きが増えた。
あ、コイツ俺の視線に気がついてる?と考えていると結んでいた口を緩め、ゆっくり息を吐くと「スミマセン、」と申し訳なさそうに眉尻を下げた顔がこっちを見た。
「先輩と話してるのにゲームしてるとか、ないですよね」
「…別に、俺は構わねぇけど」
赤い顔で本当に申し訳なさそうに頭を垂れるに、なんとなくムラッというかドキリというか黛の体温が上がるような反応にポーカーフェイスの顔が強張った。
まあ、色々溜まってるっちゃ溜まってるから安易に反応しちまったんだろうけど、やっぱ前に会った時よりもコイツ可愛くなってる気がする。
どの辺が、といわれるとはっきり答えられないが雰囲気というか空気というか。見た目もなんか可愛いというか。制服だから、かもしれねぇけど。
そういえば、コイツは帰らなくていいんだろうか。
俺と一緒にいる理由はないはずなのに、ゲーム機を仕舞っても動こうとしない彼女をチラリと見やればもこっちを見ていてかち合った目にドキリと心臓が跳ねた。
一瞬、俺といたいからここに残ってるのでは?なんて過ってしまった。
「黛さんは、もうバスケされてないんですか?」
「ああ。前よりはやってねぇな」
バスケ部じゃねぇし、というとの顔が目に見えてしょんぼりしたように見え、慌てて「ま、まあ空いてる時間にボールぐらいは触ってるけど」と見え見えな嘘をついた。
いや待て。何で俺が他校の、しかも去年俺達を負かした相手校のマネージャーに言い訳してんだよ。別に嘘つく必要もねぇだろ。
何かやりづれーな、と自分に自分でつっこんだが「そうですか、」とパッと明るくした表情を見て別にこのくらいの嘘ならいいか、と思い直した。
というかバスケやってないのよくわかったな、と聞いてみると腕の太さが均等になってるのを見てそう思ったらしい。
旧型の黒子同様黛もパスを重視した練習をしていたため利き腕の太さがひと回りくらい違うのだという。そういやそうだったかも、と自分の腕を見比べ確かに鈍った腕になったな、と思った。
「あ、そうだ。話が関東、というか東京になっちゃうんですけど、笠松さん…元海常の主将さんなんですが、大学が別になった人達と定期的に集まってストバスやってるみたいですよ」
「……」
「身体を動かしくなったらそういうのもありかなって…」
「……」
「……あ!…や、でも、京都からじゃ遠いですよね。すみません…」
もう少し情報収集すべきでした、と申し訳なさそうに眉を寄せるに黛はなんともいえない顔で頬を掻いた。
同学年でも他校の全国区の奴らとバスケをしたいとは思わない。そこまでの情熱はないし技術面でかなり劣るのも知ってる。
そんな中で自分が受け入れられるなんて到底思ってないから興味なんてなかったのだが「京都方面で何か…」と考え込んだを見ていたら呆れて、諦めたように溜息を吐いた。
「いや、今通ってんの東京の大学だから」
「え?」
驚き顔を上げたは大きく目を見開き黛を映した。思ってもみない返しだったのだろう。
数秒しっかり固まり黛を見つめていたが、言葉を噛み砕いたらしいはふわりと、花が咲くように微笑んだので今度は黛の方が固まってしまった。
何つー笑顔をこっちに向けてくんだよ。
そんなに嬉しいことか?俺が東京にいるだけで?「なら気軽に会えますね」なんて言葉、社交辞令だってわかってるのに顔が熱くなる。
コイツ自覚無しでいってないか?
ラノベかよ、と内心焦っていると「!」という声が聞こえと一緒に声のする方を見やった。
視界の先にいたのは去年洛山を負かした誠凛の光と影で、黛をいち早く見つけた黒子がこちらを見て軽く頭を下げた。
なんだ。こいつらの為にここにいたのか、とわかってなんとなくがっかりした。
「なんだよ。お迎えに選手をこき使うとかいいご身分だな」
「ち、違いますよ!」
腰を浮かしたに皮肉交じりに声をかければ彼女は大いに焦って「地元じゃないからロードワークついでに迎えに来てやるとかいわれて!別にそこまで方向音痴じゃないのに、」と不満そうに口を尖らせる。
多分あいつらはそういう意味で迎えに来たんじゃないんだろうなっていうのはこっちに寄越してくる視線でわかってしまった。
地味に突き刺さる視線に黛は「ふーん」と適当に返すとにさっさと行けよ、と追い払うように手を振った。
小説を取り出しながら視界の端で彼女らを伺っていると火神が何か話しかけやや乱暴にの頭を撫で自分の胸に押し付けていた。
「うご、」とか女子とは思えない声が聞こえたぞ。大丈夫なのか?と顔をそちらに向ければケンカ売る気満々のデカい赤頭がムスッとした顔で軽く頭を下げ踵を返した。
それに続くように黒子も背を向け、は火神に振り回されるように強制的に反転させられていた。
「あの、黛さん!また東京で!」
慌てて振り返ったがこちらを見てきたがその視線は火神の手で遮られてしまった。
去っていく3人を見ていれば、火神の脇腹に黒子の手刀が入りそれが思ったよりも深かったようで短い悲鳴とその後の文句が会場に響く。
残っていた観客も驚き彼らを見やるくらいには火神の声が響き、視線に気づいたが奴のTシャツを引っ張り黙らせた。
不満たらたらな火神と黒子の間に入ったは男共の手を掴むと足早に歩き会場を後にする。
見えなくなる寸前、チラリとこっちを見た気がしたが何かを返す間もなくいなくなったので黛は嘆息を吐き、また開いた小説に目を落とすのだった。
2019/10/03
黛の進路は模造です。IH開催場所はとりあえず東京大阪以外のイメージ。
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