□ 微かに、静かに、確実に - In the case of him - □
最初のきっかけは友美さんの一言だった。
「あ、ちゃんだ」
休み時間、いつものように友美さんのクラスに顔を出し、廊下で話をしていると彼女が意外そうな顔をして隣のクラスを覗きこんだ。隣は真田くんのクラスで、柳生の角度から丁度彼の後ろ姿がよく見えた。それからその隣にさんがいて珍しい、と目を丸くした。
「やっぱりここか」
「おや、仁王くんじゃないですか」
椅子を並べて寄り添う後ろ姿に彼女があんな風に甘えることもあるんですね、と感心しているとのっそりと溜め息混じりに聞こえた声に振り向いた。
そこには考えた通りに仁王くんがいて、彼は頭を掻きながらもう1度溜め息を吐いた。
「どうせ寄りかかるなら俺にしておけばいいものを」
「その本音を本人に伝えたらいかがですか?」
「…プリ」
「ちゃん何かあったの?」
素直じゃないパートナーにやや呆れれば、様子を見ていた友美さんが心配そうな顔で仁王くんを見やる。しかし聞かれた本人は眉を寄せ、言いにくそうにするので柳生も少しばかり心配になった。
「あったといえばあったしなかったといえばないの」
「どういうことですか?」
「つまりはが何もいってくれんということじゃ」
そこまでいうと仁王くんは真田くんのクラスにズカズカと入っていきさんの元へと向かった。「げげっもう見つかった!」と顔をしかめる彼女に仁王くんは「お前さんのいる場所など全てお見通しじゃ」といって首に腕を回しそのまま教室を出ていく。
女性にそんなことをしては、と見ていると真田くんも同じようなことをいって仁王くんを引き留めたが彼は聞き入れず、嘆くさんを引き摺って去っていってしまった。
「何かいつも見る光景とは逆だね」
「そうですね」
ズルズルとくっつき遠ざかっていく姿を見送りながら珍しい、と思った。仁王くん自ら女性に世話を焼く姿も、さんが戸惑いながらも連れていかれる姿もぎこちない程稀な光景だった。
廊下に来た真田くんを見やれば腕を組み不機嫌な顔で見送っていたが追いかけるつもりはないようだ。
「よろしいのですか?」
「ム、…ああ」
あのままでよろしいのですか?と伺えば真田くんは難しそうに眉をひそめ、「誰かが近くにいるのなら大丈夫だろう」そういって教室に戻って行き、私は友美さんと顔を見合わせることしかできなかった。
******
「まーるいくーん!」
放課後、部活に勤しんでいると思わぬ来客が現れ一斉にそちらを見やった。
声がした方角にはフワフワとした色素の薄い髪を揺らし全身を使って大きく手を振る芥川くんがフェンスの向こうに立っている。
彼の近くでは「おわっ芥川じゃん!」と声をかける丸井くんが駆け寄り、何やら話始めたが真田くんに怒られ、すごすごとコートに戻っていった。
そんな丸井くんの姿ですらニコニコしながら満足するまで眺めていた芥川くんはフェンスを離れると、どこかに行ってしまった。
「何だったんですかね?」
「さあ、ブン太と打ちに来たんじゃねぇのか?」
違うのか?丁度近くにいたジャッカルくんに聞いてみたが彼も首を傾げていた。
しばらく激しい練習に打ち込み、芥川くんのことを忘れかけた頃、今度はさんと一緒にコートに戻ってきた。楽しげに話す2人の姿にチラリと仁王くんに視線を向けると、無表情を維持しているがどことなく面白くなさそうにさん達を見ている。
「芥川、どうせなら打っていけよ」
「えっマジマジ?!いいの?」
あははっと声に出して笑うさんにどんな話をしているんだろう、と考えていたらそこへ幸村くんが割って入ってきて芥川くんをコートに促した。あ、さんの顔色が。
「あーあ、ドジじゃのー。幸村をわざと怒らせおった」
「わざとではないでしょう?それに今は部活中ですから」
幸村くんの声に手を止め眺めていると、仁王くんがやって来て背を丸めながら溜め息を吐いた。ただ単に部活中に私語を話していたから幸村くんの機嫌を損ねたのでは?そう思ったが彼には違うように見えるらしい。
というか、最近溜め息が多くないですか?と聞いてみたら「のせいじゃ」とラケットで凝りを解すように肩を叩いている。
「アイツ、泣き顔を見せんのじゃ」
「…苛めはよくありませんよ」
何の話ですか?とメガネのブリッジをあげると仁王くんは眉を上げ「そういうんじゃなか」と首を横に振った。
「こんな寒い中わざわざ誰に会いに来たと思う?」
「芥川くんですか?…単純に考えれば丸井くんだと思いますが」
「多分、じゃよ」
丸井はついでじゃ、そういって仁王くんは肩を竦めた。コートでは幸村くんに指名された丸井くんがコートに立っていて、芥川くんが楽しげに話しかけている。
その奔放で朗らかな表情に周りは呆れながらも笑っていて彼の性格の良さを伺えた。
そんな彼がさんにわざわざ会いに来たというのだろうか。東京から神奈川は隣接しているがいざ来ようと思えば時間もお金もかかる。そうしてまで会いに来る理由があるというのだろうか。
「ーっちゃんと見ててねー!」
「はいはい。見てますよー」
「おい芥川!試合に集中しろよぃ!」
後ろを振り返り元気よく手を振る芥川くんにさんも笑顔で返している。目に映る光景に、それほど深刻ではないように思えたが仁王くんはやはり無表情のままだ。
「これで少しは元気になるとええんじゃがの」
そう呟いた声がどこか切なく響いて、柳生の心を揺さぶり、秋空のカラ風に攫われ消えていった。
2013.11.11
2016.01.02 加筆修正