□ 弾けて消える - In the case of him - □
はじめ、何を言われたのかわからなかった。目の前にいる幸村の顔が悲しげに微笑んでいて、ただの心が押しつぶされたように息ができないだけ。高校の卒業式の日に彼の口から発せられた言葉は門出を祝う言葉でも愛の言葉でもなかった。
「え、なん、て…?」
「一旦別れようっていったんだ」
「何で…?」
試しにもう一度聞いてみたが聞き間違いではなかったらしい。別れる、そう言われては全身の血が引いてくのがわかった。持っていた荷物がぼとりと落ち、の手がカタカタと震えている。
無意識に幸村に手を伸ばしたが彼に届くことはなかった。もどかしい距離には震える口で小さく息を吐く。
「も、しかして、私、何かした?だったら謝るよ。直せるとこは直すし、ちゃんと言ってくれなかったら私もわかんないし、」
「…多分、いっても今のじゃわからないと思う。直そうと思ってすぐに直せるものでもないし…」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃん!!」
「わかるよ。だって何が原因かわかってないだろ?」
「……っ」
だからそれを教えてくれといってるのに、そう思ったが幸村の目を見て何も言えなかった。悲しい色に混じって怒ってる表情にぐっと唇を噛む。
私は一体何をしたんだろう。いつ彼の逆鱗に触れたのだろう。教えてもらえないほど幸村を怒らせた原因を考えてみたがいくら思考を巡らせても思いつかなかった。
「…ごめん…」
「……、」
「ごめん…ごめん!」
「謝っても、ダメなんだ」
彼に嫌われたという言葉が胸に刺さり、理由がわからないまま頭は混乱して、でもとにかくどうにかしたくて謝り叫んでみたが大好きな声が冷たくを突き放した。
ただ静かに落とされた言葉に声を飲み込むと彼は静かに目を閉じ、ゆっくりと息を吐くと再びを映した。
「多分このまま付き合ってたらそう遠くないうちに俺達は最悪の形で別れると思う」
「……」
「きっとも俺もお互いが嫌いになってもう2度と会わなくなるくらい…」
「そんなこと、な」
「ないとはいいきれない。少なくとも俺は今と付き合ってて辛いんだ」
「…っ?!」
「これ以上、を嫌いになりたくない」
刺さった傷を更に抉るような言葉に息ができなくなった。息ができなくて目の前にいる幸村の姿が霞んでいく。消えてしまう彼には引つるような声で「やだ!」と叫んだ。
「やだ!やだよ!」
「……」
「やだぁ…っ!」
まるで子供が駄々をこねるかのように叫んで泣き出した。本当は冷静に幸村に言い返したかったのに彼の真剣な目を見たら何も思いつかなくて泣いて縋るしかわからなかった。
受け入れたくない言葉に頭を振って拒めば「、」と微かに幸村の声が聞こえ更に声をあげた。喉がひりつきそうだった。
「、聞いて」
「…っお願い、精市…行かないで…!」
掴まれた手に乱れた髪のまま顔を上げればすぐ近くに幸村がいてほんの一瞬だけホッとしたが彼の「、」という真剣な声にまた涙が込上がった。
「俺は、"一旦"別れようっていったんだ。別に一生付き合わないっていったわけじゃない。ただ、時間が欲しいだけで…俺もまだ子供だから」
「…?」
「大人になったら、もしかしたらお前のことを許せるのかもしれない、受け入れられるのかもしれない。そう思ってること自体が絵空事なのかもしれないけど…」
の手を握りながら幸村が一言一言選ぶように視線を動かしては言葉を紡いでいく。それは彼もまだ迷っているような素振りだった。
「やだよ…別れたくない…」
「ごめん。それは無理なんだ」
何本もの頬を伝っては落ちていく涙を見つめながら、幸村は彼自身も苦しそうに眉を寄せの手をきつく握り締めた。
無理なんて言わないで。だってここで別れたらきっと終わっちゃう。そう思ったら余計に怖くなっては幸村に縋りつこうとした。けれどきつく掴まれた手が邪魔でそれ以上近づくことができなかった。
「なぁ。もし…もしも俺達が大人になっても出会うことができたら。就職して、ある程度お金が貯まって自立できたら…その時、俺にもにも恋人がいなかったら……結婚しよう」
彼の言葉を受け入れたくなくて頭を振り続けていたが最後の言葉に大きく目を見開く。幸村は悲しそうな顔のまま「約束だ」といって微笑んだ。
卒業式も終わり、別れを惜しむ声も最後の別れの告白も粗方終わって静かになった頃、はまだ幸村と対峙した校舎裏の非常階段口に立っていた。
何組かは近くで告白をしていたようだったが幸運なことにが見つかることはなかった。
幸村は既に去っていてここにはいない。ただ呆然と地面を見つめたままつったっていた。脳裏では幸村の言葉がショックで帰る気も動く気にもならない。
何でこんなことになったんだろう。つい昨日まで普通にメールをして電話をしてちゃんと会えてたのに。何がいけなかったんだろう。何が幸村を怒らせたんだろう。いくら考えても答えは出なかった。
そのうちまた涙が込み上がってボロリと雫を落とすと、それがきっかけでまた涙がボロボロ零れ落ちた。何で?どうして?その言葉から続く声はなく途方に暮れていると指先に硬いものが当たり、触れた。
ポケットの中に入っていたのは携帯でそれを取り出すと電話帳を出し見つけた名前の電話番号をかけた。しかしコールはかかったが相手は出なくて留守番電話に切り替わってしまう。
それを切ってはかけ直し、留守電になってはまたかけて…を繰り返したが、何度目かのところで手から携帯が滑り落ち硬いコンクリートの上に落ちた。
打ちどころが悪かった携帯はそのままカバーが外れてバッテリーが飛び出しカシャカシャンと乾いた音を立てて転がっていった。
「ふぇ…っ…」
漏れ出た声を押し殺すように手で覆う。水浸しになった頬の感触が余計に辛くて泣けた。視界は涙で歪んでよく見えない。携帯も拾えぬままはその場に崩れ落ちた。
「ど…して、どうして出てくれないのぉ…っ」
言葉にして、そんなのわかりきってることじゃないか、ともう1人の自分が答えた。そうなるように仕向けたのは自分自身だ。彼の優しさを無下にして遠ざけて、無視をした。そんな奴が今更連絡を持とうとしたって取り次いでもらえないに決まってる。
自分から離れたのに今更縋ろうという方が間違っているんだ。わかってる。私の行動は間違ってる。
でも、
それでも、
助けてくれると思ったのは、
助けてほしいと願ったのは、
あの人しかいないと思ったのだ。
「跡部さん…っ」
言葉にして余計に苦しくて悲しくて喉が痛いのに声が止まらない。涙が止まらない。うまく呼吸ができなくて嗚咽に混じって咳もするから余計に喉が痛いのに、胸が苦しいのに治める方法がわからない。
幸村に突然別れを切り出され、助けてほしいあの人に電話をかけても出てもらえなくて、は世界にたった1人捨てられたような孤独を感じて声を上げて泣いた。
どうしてあの人に縋ろうとしたのかはわからない。
こんなことを話しても解決できるかはわからない。
幸村との関係を修復してもらおうと思ったのかもわからない。
ただわかってることといえばあの人はのヒーローだった。
苦しみの中で答えをくれる先導者だった。
今こそ助けてほしいのに、何度かけてもあの人が出ることはなかった。
捨てられたのだ、私は。
幸村にも、跡部さんにも。
もう誰も助けてはくれないんだ。
「…、」
ふと、顔をあげれば目の前に銀色の髪を揺らした仁王が立っていて、彼は「こんなところにおったんか」というと断りもなくの隣に座り込んだ。鼻をすすりながらは顔を膝の中に隠すと「なんじゃ、フラれたんか」と心無い言葉をぶつけられた。その言葉に鼻がつんと痛くなり涙を滲ませた。
「実は俺もフラれたんじゃ」
「……」
「お揃いじゃの」
「……」
「俺もここで泣いてもよか?」
仁王の言葉に『絶対嘘だ』と思ったが言い返す気も顔をあげる気もなくて「勝手にすれば」と吐き捨てると彼は「勝手にするき」と小さく笑ったように聞こえた。
それからしばらくお互い黙りこんだままが鼻をすする音だけを聞いているとおもむろに隣に座ってる彼がを呼んだ。涙が少しだけ治まったはチラリと顔を上げると目の前に真っ白いタオルを出され「使いんしゃい」と額に押し付けられた。冷たい。
「本当は俺の為に使おうかと思っちょったんじゃが、どう見てもお前さんの顔の方が重症のようじゃ。そのまま帰ったら間違いなくいい笑いもんじゃろうな」
「…るさい」
「どうせ真田も待っとるやろ。それで冷やして落ち着いたら帰りんしゃい」
「……」
「お前さんを心配しとる奴が待っちょるぜよ」
くしゃりと撫でられた手には涙がまた零れ、受け取った濡れたタオルに目を押し付けむせび泣いた。
後で気がついたが仁王があそこに来たのは偶然じゃなかった。を心配して見に来てくれたんだ。そのお礼を未だにいえてないけれど、恐らく彼はこの先もそのことを話題にすることはないだろう。そう思えるくらいの頭を撫でる彼の手がとても優しかった。
ある程度目の腫れが引き校門に行けば、弦一郎が驚いた顔でを見つけ駆け寄ってくる。
心配する従兄の後ろには丸井達も待っていてくれてて、の泣き腫らした顔をからかい混じりに笑って弦一郎に怒られていた。
そこに幸村の姿はなかったけど、跡部さんの姿なんてどこにも見当たらなかったけど、でも同じくらい大切な仲間がいてくれて、は嬉しいような悲しいような気持ちのまままた涙を零したのだった。
2016.01.29