□ 一滴のシミ - In the case of him - □
それはまだ幸村と付き合う前、高校1年目の夏が終わった後だった。
新学期が始まってダルい、と思いながら次の授業が始まるまで教室でダレていると廊下に珍しく友達が顔を出した。
「あれ?早百合どうしたの?」
クラスが別々になって会えるのがお昼か跡部さん達と遊ぶ時ぐらいしか会えなくなった彼女に目を瞬かせると興奮気味の彼女が手招きするのでなんだろう、と近づいた。
忘れ物?と思ったら手を引っ張りあまり人が来ない廊下の隅まで連れてこられた。
「聞いてよ!実はさ…私、跡部くんとキスしちゃった」
何事かと思って待っていると彼女は赤らめた頬でそうのたまった。それを「はい?」と聞き返せば早百合は待ってましたといわんばかりに事の詳細を話し始めた。
どうやらこの前の日曜日に跡部さんにあまり馴染みのない手持ち花火をしたらしく、その時に少しだけ2人きりになってそういう雰囲気になって"した"らしい。
ちなみにその日は部活の練習試合で遠征に行っていた為は参加しなかった。
夢心地のようにうっとりした顔でそんなことをいう彼女には「へぇ、」と返した。
「跡部くんってやっぱ凄いね。一緒に川辺を歩いてね、キスしたいなーって思ってたらすぐにしてくれたんだもん。それにキスもうまいし…あんなキス初めてしたかも」
「…はぁ」
「そのキスもさ!」
「ちょっと待って。もしかしてその話、亜子達にもした?」
妙に出来上がってる内容に手で制すと早百合は「し、してないよ〜」と笑った。してるな。し過ぎて今度はこっちにきたのか。
「でねでね。彼女いる?って跡部くんに聞いたら"いない"っていってたの。本当かな?」
「いや、私に聞かれても困るし」
ノロケかよ、と内心思いながらも早百合の質問に「忍足くん辺りなら知ってんじゃない?」といってやれば彼女は「そっか!」と素直に目を輝かせていた。早くチャイムよ鳴れ。
「に話して良かったよ。今度また何かあったら話聞いてね?」
「えーノロケはちょっと…」
「何言ってんの!アンタのノロケ聞いてあげたじゃん!」
…ノロケるような事件一切なかったんですけど。なにそれ、と顔を引きつらせれば早百合が何か気がついたようにハッとした顔になってこっちを見てきた。
「もしかして、も跡部くんのこと好きだったりするの?」
「…………好きじゃないよ」
一瞬言い淀んだが律する理性が打ち勝って言葉を返すと、彼女は不安げな顔を綻ばせ「よかった」と安堵の息を漏らした。
「これでも好きだったら3角関係になっちゃうとこだったよ」
「はは…」
「じゃあさ!私の恋が成就するように協力して!」
「え、えー」
「どっちも友達なんだからいいじゃん!」
何がいいんだ、何が。そう思って言い返そうとしたらタイミングよく予鈴が鳴り早百合は「じゃ、よろしくね〜」と手を振って軽快に走り去っていった。
高校に上がって部活で忙しいだろうと思われた跡部さん達は意外にもよく遊んでくれていた。勿論大会前とか大会中は無理だけどその時はみんなで応援していたらしい。自分はマネージャーやっててわからなかった。私には会いに来てくれない薄情な女の友情である。
今年の全国で初めて跡部さんのプレイを見た早百合がときめいていたのを聞かされたが、よもや恋に発展するとは少しだけ思ってなかった。考えればすぐわかるはずなのにもうボケたかな。
放課後になり、いつもの如くマネージャー業に精を出していると後ろからボールをぶつけられ、なんだよ!と睨んだ。
「痛いんですけど、」
「んー今日は元気がないのー」
ギロリと睨んだはずなのに相手は飄々としていて持ってるボールを上に投げながらこちらに近づいてくる。また投げてくるな、と思って構えると奴はフェイクを加えて投げてきてボコッと頭にぶつかった。
「今日はキレがないのー」
「うっさいわ!つーかテニスボール痛いんだから投げんな!」
お返しに投げてみたが当たらず舌打ちをすると「おおこわ、」と奴は震えたフリをした。腹立たしい。
「何があったんじゃ」
「なんもないよ」
「嘘じゃな」
「……嘘じゃないよ」
そうは言ったものの詐欺師にはバレバレな気がして肩を落として奴を見ればポケットに手を突っ込んだまま隣に並んできた。ちなみに今はドリンク作りをしていて話しながらも手は絶えず動かしている。というか少しは手伝ってくれてもいいんじゃないだろうか。
「お前さんの友達に呼び出された後辺りからかの?元気がないのは」
「……ストーカーですか」
早百合の顔が浮かんで思わず手が止まったが何事もないようにシェイクをすると出来上がった方にドリンクを置く。
亜子達とクラスが離れてしまったが、代わりというか神様のイタズラというか仁王と初めて同じクラスになった。それを知った最初はかなり緊張していたが奴の態度はいつもどおりだった。そのお陰で大分平和に過ごしてるけど、その分以前程高揚したり情緒不安定になることもなくなった。
勿論顔を近づけられすぎたり過剰なスキンシップをとられたら赤面してしまうだろうが、ただの悪戯でちょっかいを出すだけなので、仁王とはもうそういう雰囲気になることはないのだろう。
「ストーカーとは心外じゃ。同じクラスのよしみで優しい仁王さんが聞いてやっとるのに」
「自分で言うかな?そういうこと」
自信満々にいう詐欺師に半目で見やったがこういうところは迷惑でもあり有難くもあった。まあ大体は迷惑なのだけど。作業の邪魔ばっかりするし。
「……なんかさー友達のノロケってちょっと重いよね」
「んーウザイな」
「幸せな気分なのはわかるけどさー」
「……羨ましいのか?」
でも私に話さなくたっていいじゃん、と思ったところに、ふと疑問を投げかけられは目を瞬かせた。仁王を見ると彼はコートをダルそうに見たまま動かない。
「…どうだろ。私、彼氏欲しいのかな?」
「俺に聞かれても困るナリ」
「そりゃそうだ」
「…俺がなっちゃろか?彼氏」
「謹んでお断りいたします」
こんだけ忙しく部活に出ていてそんな余裕ないだろう、と内心自分につっこんだがニヤリと笑ってこっちを見た仁王に不覚にもドキリとしてしまった。それをバレないように顔を歪めると彼は残念そうに肩を竦めて「は硬いのー」と歩き出しコートへと入っていく。先輩に呼ばれたようだ。
「ならサービスしてやるき。寂しくなったらいつでもいいんしゃい」
「ならねぇよ!」
モテチャラ男はあっちいけ!と手を振れば仁王はニヤついた顔のまま前を向いた。まったく、ろくなことを言わないなあいつは。
「…また仁王にからかわれたのか?」
ムスっとしていると入れ替わるように幸村がやってきた。振り返り、仁王の背中を見て「何言われたんだ?」とこっちを見てくる。別になんでもないよ。
「ああそうだ。ひとつ聞きたいんだけどさ」
「何?」
「男の人って好きじゃなくても雰囲気があればキスしちゃうもんなの?」
「…どうかな。人それぞれだと思うけど…普通は好意がある人にするんじゃないの?」
これで最後、と思いつつドリンクに水を注ぎながら聞くと幸村が微妙な顔をしながらも答えてくれた。その顔のまま「何?、そんな奴とキスしたの?」と弦一郎みたいなことを聞いてきたので吹き出すように笑った。
「私じゃないよ。一応モテ男の幸村にも聞いておこうって思っただけ」
「……別にモテてないけど」
「またまた〜」
夏の全国でどんだけ女の子が応援しに来たと思ってんだよ。
でもそうか。雰囲気があっても興味がなかったらキスしないよね。
そう思ったら苦しかった胸がキリキリと締め付けられて自嘲気味に笑うしかなかった。
2016.01.02