□ Typhoon - In the case of him - □
「それでね〜息子ったらお気に入りの靴下が泥で汚れて大泣きしちゃって!」
「あはは…可愛いですね…」
フフフ!と上品に笑う奥様にはなんとか笑みを浮かべた。
何故こうなったんだろう、そう思わずにはいらない。目の前の席ではと同じように顔を引きつらせ笑ってる織田くんがいる。そんな彼になんとなく申し訳なくなった。
跡部さんとお付き合いするようになり、以前にも増してべったりとくっつく時間が増えた。いやまあ、跡部さんにも仕事とか予定があるし自分にも試験という最大関門があるからべったりしてるといっても限られているんだけど。
その余韻が1人になった時に思い出したりするものだから、妙に心細いというか寂しい気分になってしまって。
それで(跡部さんに連絡するのは恥ずかしいから)幸村とか仁王とか弦一郎とかに話し相手になってもらったりしてるんだけど、さすがに手塚くんに連絡しようとした時我に返って、というかその時間を試験勉強にあてるべきじゃないかと気づいて慌てて勉強しだしたのだ。
しかし、そういう時に限ってジローくんや岳人くんから遊ぼうメールが来たり、亜子の相談に乗ったりして殆ど時間が取れない状態だったりする。そんな状況にイライラとしてきて気分転換に外に出てみたのだ。
そしたらたまたま織田くんと遭遇して、「今度引越ししようと思って」という彼のお誘いで一緒に物件を漁る旅に出たのだが(といっても駅周辺の近場だけだけど)、先にネットで探した方がよくないか?といいうことになり、寒いのと小腹が減ったのもあって喫茶店に入ることになったのである。
最初はお互い物件を探しては見せあっていたのだが(何を隠そう織田くんは物件探しのスペシャリストだった)、ふと窓を見てみるとこっちを見つめる窓側の席の女の人と目が合い、そのまま刮目した。
何故ここにいる?!と驚いていれば彼女はにっこり微笑み席を立つと達のテーブルまでやってきて「偶然ね!」といっての隣に座ったのだった。
ちなみにこの間、自分は一切了解はしていない。
勿論織田くんもにこやかに笑顔で押し切られ自己紹介も特にないままこの前のお礼と世間話をしていたらあっという間に彼女のペースに巻き込まれていた。
「新しいのを買ってあげるっていったのに、これじゃなきゃやだってきかないのよ〜だから私が一生懸命に洗ってあげたのよ」
「じゃあお子さんも喜んだでしょうね…」
「勿論よ〜!でもアヒルの長靴履いたら靴下見えなくなるからそれでも泣いてたけどね」
「ぶっ……か、可愛いですね」
アヒルの長靴、だと…?!可愛いじゃねーの…!しかも靴下も可愛いライオンなんでしょ?!お母様それ狙って履かせたんでしょ?狙ったんでしょ?!だ、ダメだ…っ耐えられなくて吹き出してしまった。
バレないようにすぐに咳き込んだフリをしたが織田くんにはダメそうな顔で見られた。
「泣きボクロって迷信だと思っていたけど、本当だったのね〜!ってしみじみ思ったわ」
「(そして親バカ…)」
初めはこの状況に冷や汗しか出なかったが話を聞いてる内にどうでも良くなってしまった。本人が聞いていたら赤面ものでブチ切れること間違いなしの赤裸々な話だが隣の彼女は至極楽しそうに息子との思い出をつらつら話し続けている。
ちなみにかれこれ3時間経っても彼女の勢いは止まらず。紅茶のおかわりもこれで何杯目だろうか。流石に水分を取り過ぎてトイレに立った彼女に、と織田くんは見えなくなったことを確認するとベッタリとテーブルに突っ伏した。
「……さん。あの人と知り合い…なんですよね?」
「うん、まあ。会ったのこれで2回目だけど」
「2…?!……さんって、変な人間に好かれるんですね」
「やめてよ…地味にへこむ」
というか、それ君も混じってるんだよ?といってやれば「少しだけ自覚してます」と返された。そうなのか。
「それにしても、息子さんのことが本当に大好きなんですね…正直この場で自分の母親が同じことをしていたら口を塞いでタクシーに押し込んで家に帰しますよ」
「ぶはっ織田くんでもそう思うんだ!…まあ私もされたら穴掘って自分で自分を埋めるだろうけどね」
「…穴があったら入りたい状況というのはこのことですかね」
思春期の子供でもないから怒ることはないけど照れくさく恥ずかしいことには変わりない。親に悪意がないから余計にだ。これで少しでも茶化せたら笑いにもなるだろうけど純粋すぎる愛にはただただ恥ずかしくなるしかないのだと今日初めて知った。恐るべし、母親の愛。
「それにしれも、泣きボクロがある息子さんっておいくつなんでしょうね…」
「……」
テーブルから身を起こし、残っていたお冷を口にした織田くんがぼそりと呟くとは視線を右上に上げてぼんやりある人物を浮かべたがそのまま無言で返した。言わない方が彼の名誉の為だろう、多分。
赤の他人に自分がおねしょしたこととか置いてきぼりにされて号泣しながら親を探してるところをしっかりビデオに撮られてたとか聞かされたらキレはしないだろうがヘソは曲げてしまいそうだ。
いくら3、4歳児の頃の話でもあのプライドじゃ何が起こるかわからない。そう考えブルっと震えたは自分もトイレ、と席を立った。
トイレからスッキリして戻ると自分が座っていたテーブルに1人しか残っていなかった。もしかしてトイレかな?と思ったがさっきまで彼が座ってた席に例のお母様が座っていてを見てにっこり微笑んでいる。
「彼なら用事があるとかでお帰りになりましたわよ」
「え…っ」
織田くん、まさかの逃亡ですか…っ?!思わず携帯に連絡しようと思ったがそういえばまだメアドすら知らないやと気づき、は仕方なく席に着いた。織田くんめ…全然関係なから帰りたかったんだろうけど、私1人だけ置いてくなんて酷いじゃないか。どうやって切り抜けろって言うんだよ。
「ところで、""さん」
「は、はい!」
「実は折り入ってご相談があるのだけれど…聞いてくださる?」
また過去の赤裸々事情を聞かされるのかな、とビクビクしていると目の前の彼女は切なそうに眉尻を下げこちらを伺ってくる。その顔は本当に困ってるようでは思わず「はい。私でよければ」と返してしまった。
あ、すごく嬉しそうな顔になってる。あまりにもコロッと変わった表情に、あれ?私騙されてる?と思ってしまったのですが…。
「実はね。貴女と同じ年頃の息子がいるのだけど、最近めっきり反抗期でどうしたらいいのかわからないのよ」
「は、はぁ…(反抗期…)」
「コックの料理にケチをつけてみたり、出迎えたメイドに溜め息をついたり。そのことを叱っても全然聞いてくれないし。今迄こんなことなかったのに」
「……」
「仕事も…滅多に私が口を出すことはないのだけど、まとまった休みが欲しいとかいって笹原を困らせているらしいの。
与えられた仕事は全てこなしてるみたいなのだけど休みの為に根をつめたり食事をとらなかったりしてるらしくて…それをいっても聞いてくれなくて。身体に負担がかかっているんじゃないかって不安で不安で」
「………」
「きっと外で変なことを覚えてきたのね」
冷や汗が流れた。間違いなく跡部さんが勝手にやってることだから気にしなくてもいいことなんだろうけど、でも、多分それ私のせいも入ってる気がする。特に仕事。
2人きりの時間を作ってデートしたいとかいってたから、跡部さんならやりかねない、そう思ったのだ。というか、食事はしてくれってあれだけいったのに何で抜いちゃうのかなあの人は!!
じっと見つめてくる青い瞳には何もかも見透かされてる気がして気が気でなかった。すごい嫌な汗が出てるんですけど。
「ねぇ、さん」
「は、はい」
「うちの可愛い息子は彼女に誑かされてるのかしら?」
「ぶほっ」
ここは冷静に対処しなくては、と緊張でカタカタカップを揺らしながらも何とか紅茶を飲もうとしたら、確信としか思えないような言葉を投げられ思わず咽た。も、もしかして、既に知ってらっしゃるのでしょうか…?
「仕事一筋で恋人も出来ない人生なんてしてほしくないから恋愛についてとやかくいわないけれど、今の状態で会社のトップに立てても社内外にいる曲者達と渡り合っていけるのかどうか、正直不安なのよね」
「そ、それは多分、大丈夫なんじゃないでしょうか」
どうやら跡部さんのお母さんは恋愛にかまけて仕事を疎かにし、彼の立場が危うくならないか、体調を崩さないか心配してるらしい。その原因が私じゃないか?と思われてるのが恐ろしいことだけど。
「え?」と聞き返してくるお母さんには慌てて「多分、ですけど」と付け加えた。いけないいけない。跡部さんと(仮)で付き合ってるとしてもお母さんが知ってるとは限らないし。私を彼女だって知らないかもしれないし。
というか、こんな一般庶民が恋人ってバレたらどこかに拉致されて存在を抹殺されるんじゃないだろうか。それぐらい彼のお母さんは息子を溺愛してるように見えて怖くてあわせた視線を下に向けた。
「凄く頭とか体力使うだろうから…せめて食事はちゃんと食べてほしいですけど、でも、会社のトップに立とうって考えてる人が何も考えずに行動しないと思うんです。出来る人だからこそいろんなことに挑戦してるんじゃないかなって。
その、きっと、元々要領がいいと思うんです。多分、ですけど……だから、もう少しだけ、見守ってもらえたら息子さんも喜ぶんじゃないかなって」
「……」
「ああ、その、すみません。何も知らないくせに」
普通のカップルだったらお弁当でも作ろうか、と考えるけど跡部さんに関してはどこまで口出ししていいのか正直わからない。
だって、お弁当よりも確実に栄養があって美味しいものを食べれるし。ああでもご飯食べれないくらい忙しいなら軽食くらい用意してみてもいいのだろうか?……いやいやいや、それだって跡部さんが一言いえばプロが作った見栄えが美しくて美味しいものが出てくるよ。羨ましい。
仕事のことは全然何もわかってないけど、デートの時間を作りたいっていう不純な動機であっても仕事を疎かにしてないのは聞かなくてもわかって。
多分全部一生懸命こなしてるんだろうなって思ったら『格好いいなぁ。さすがだなぁ』と素直に思えてポロリと跡部さんのお母さんに意見してしまった。
意見して血の気が引いていくのがわかる。
しまった。この人のご機嫌を損ねるような発言はしないようにしないと、と結構本気で考えていたのに。
チラリと視線を上げればじっと見つめてくるお母さんと目が合って、心臓がぎくりと跳ねた。その眼力の強さはお母様譲りだったんですね。
「そ、その!息子さんも、もしかしたら今が"そういう時期"で、もう少ししたら落ち着くかもしれませんし!だから、きっと大丈夫ですよ!!」
何がそういう時期かは自身もよくわかってなかったが、見つめられた青い瞳があまりにも強くて思いついたことを口走った。
ああいや、口にして理解した。
私、跡部さんと別れるって思ってるんだ…。
初めてできた恋人でもあるまいし、浮かれてる跡部さんなんて想像できないが(どちらかといえばが浮かれるべきだろう)、だとしてもそれもきっと一時的なものですぐにいつもの跡部さんに戻るに違いない、そう思った。
あーそうか。私、跡部さんとつり合わない思ってるもんな。大人になったからってナイスバディになったわけでも仕事も家事もなんでもこなせる出来る女になったわけでもなかったしな。むしろ氷帝組や青学と遊ぶようになって感覚が学生時代まで戻ってることもあるし。
見た目も中身もたいして成長してない、たまたま運良く榊さんに拾ってもらえて跡部さんの隠れ家の隣に住ませてもらっただけで、個人を見ればただの一般庶民だったわ。
自分が残念な人間だったことを今更思い出したわ…とカラ笑いを浮かべれば、跡部さんのお母さんも同意するようににっこり微笑んだ。
「フフフッ息子をそんな風に年相応にいう人初めて見たわ」
「そうなんで……へ?」
「あの子は何事にも勤勉で負けず嫌いだから、人に弱味を見せるのを嫌がるのよね。そのせいでみんな息子のことを勘違いして『達観してる』だの『大人びてる』なんていうのよね。学生時代も本当は、同い年の子達ともっとたくさん遊びたかったでしょうに」
「……」
「だからね。息子を"同じライン"で見てくれたことが嬉しかったの」
恋人に夢中になるっていうのも若い証拠ですもんね!まだまだ可愛いところがあるじゃない、と喜ぶお母さんにはどう返したらいいのか、なんといえば正しいのかわからなくて何度か口をぱくつかせたが結局うまい言葉が出てこなかった。
何かこれ、話が噛みあってないというか、食い違ってない…?あれ?
考えれば考えるほど嫌な汗しか出なくて頭がグルグルしての中で『?』マークが何個も浮かんだ。
「さん」
「っは、はぃ!」
どうしよう。言い訳をすべきか?別に誑かしてませんって?それは傲慢じゃないか?だって振り回されてるの私だし。もしかして跡部さんが倒れるようなことがあれば別れろっていわれたりするのかな?それはそれで、なんか違う気がするけど…でも、不釣合いなのは確かだし。
ていうか、跡部さんお母さんに言っちゃったの?!とりあえずその真否が気になって悶々としていたら名前を呼ばれ思わず上擦った声で答えた。
「そろそろ時間だからこれでお暇するわね」
「あ、はい。お気をつけて」
「ええ。じゃあここの会計は私が払うわね」
「ぅえ?!そんな!悪いですよ!!」
「いいのよ。たくさんお喋りしてもらったお礼よ」
「えええ…でも、」
「また今度一緒にお茶しましょうね」
とても楽しかったわ、と席を立った跡部さんのお母さんは自然な流れで伝票を手に持つと、爆弾発言と共ににこやかに去って行ったのだった。
茶飲み仲間ゲット。
2016.01.10