□ ダリヤ・イ・ヌール □
いつの頃からか海を見ていると不思議と心が落ち着くようになった。
生まれたところが海に近かったせいかもしれないが自然と足を向けることが多い。それは遊ぶ為だったり、落ち込んで途方に暮れた時だったり、学ぶ場所だったりと色々世話になったものだ。
波音を聞く度、水平線を見る度、塩の匂いを嗅ぐ度、自分はとてもちっぽけな存在だと思い知らされ、けれど優しく諭される場所でもあった。
そんな風に考えてしまうのも友達と遊ぶよりも1人で海を見ていたことが多かったせいかもしれない。
それだけ、自分にとって海は特別な場所だった。
手で目元に影を作り、前を見やると1人の少女が足に海水をつけて遊んでいる。その姿はとても楽しそうで仁王の目も優しく細められる。
海開きはもう少し先だが日差しは殺人的に強い。頭の上に乗せられた彼女のハンドタオルでは補えられないくらい熱さを感じる。衣替えをして夏服になったがいっそ脱いでしまいたい程度には暑かった。
「おーい!雅治くんもおいでよー気持ちいいよー」
「そーじゃのー」
仁王の視線に気付いたのかは手招きをしながらおいでおいでと呼んでくる。しかし、いればいる程暑さしか感じない仁王は既に動く気が失せていた。
「海が好きっていったくせに、嘘だったのかー?」
「嘘じゃなか。ただ夏の海が嫌なだけじゃ」
元々暑いのが苦手な仁王だ。炎天下の中、砂浜で焼かれているこの状況は苦行でしかない。辛うじてここに来る時アイスとジュースを買ったが、今はどちらも空っぽになっていた。
「海っていったら夏なのに嫌いなのー?」
「夜だったらそうでもなか」
「そうなると季節あんま関係なくない?」
「そうでもないぜよ。日の入りと月の見え方が若干違う」
「へー…って。どんだけ研究してんのさ」
友達いないのかよ!と笑うに「友達らしい友達はいなかったの」と肩を竦めれば不憫そうな顔をしてきて、「よし、今日は夕焼けを見よう!!」と何故か彼女が意気込んだ。
別に好きで1人だったのだがには寂しい奴と思われたらしい。まあ、構わんが。
「いいのか?夜までいたら帰りが遅くなるぜよ?」
「うん。大丈夫。今日は夕飯食べてくるっていってあるし」
「暗がりでエッチなことするかもしれんぜよ?」
「またまたー」
「あ、パンツ見えた」
ニヤリと笑うとちょうどタイミングよく波で足を取られたが慌てふためきスカートが揺れた。その辺のヤル気満々な女達よりは心持ち丈が長いがヒラヒラと揺れる布は重力に逆らって舞い上がる。
チラリと見える太腿に内心ドキリとしながらも「ピンク」と当てずっぽうに言ってやれば、は顔を真っ赤にしてスカートを押さえた。どうやら当たったらしい。
「…クソ、スパッツ穿いてくるんだった」
「そんな色気がないものは穿かんでよか。むしろ見せんしゃい」
「…っばーかばーか!」
他に言葉が思いつかなかったのか、子供じみた暴言を吐いたが真っ赤な顔を見てると怒る気どころか笑いが漏れて益々の顔が赤く染まった。茹で蛸じゃな。
「今にちゅーしたら俺の唇が火傷しそうじゃの」
「っしません!そんなわけ無いでしょ!!」
「…なら、試してみるか?」
ニヤッと腰を浮かせると「来るなー!」とが足で海水をこっちに飛ばしてくる。あ、本当にピンクだ。
意図せぬタイミングで見てしまったのと思ったよりも可愛い色の下着に面映いやら特した気分やら悶々としてしまって口元を緩めると「そこーっエロい顔すんなー!」と怒られた。お前のことを考えてたのに酷い話じゃの。
「というか、こんなに暑いのにお前さんは元気じゃのー」
「えー?だって楽しくない?水着あったら泳ぎたいくらいだよ」
「…あーええの。水着」
「そこ!想像禁止!大したことないんだから!!」
「そうか?」
別にそこまで卑下するような体型じゃなかったぞ、との身体のラインを見つめると彼女は赤い顔でバッと胸を隠し「雅治くんとは海行かないから!」と怒られた。
「えー俺も行きたいナリ」
「だって夏の海嫌いなんでしょ?!」
「それとこれとは別じゃ」
泳ぐのは嫌いじゃないし、の水着も拝んでおきたい。ぼんやりそんなことを思いながら呟けば「最悪だ!エロ魔人め!」と変な称号を与えられた。
というか彼女がいてエロくない男がいるというなら是非ともお目にかかりたいものだ。
「お子様じゃのー」
「う、うっさいな!エロい雅治くんにいわれたくない!!」
名前を呼んだりスキンシップは然程感じなかったがキスをしたり匂わす話を持ち出すとは途端に過剰な反応を示してくる。キスも慣れてるとは思わなかったが意外と動揺しないな、と思ったのは最初だけで、今はキスをする度ガチガチに固まってることが多い。
まぁ、俺が警戒をさせるような悪戯をしてたのも原因のひとつだろうが。
バシャバシャと海水を飛ばしてくるに「届かんのー」と返しながら胡座をかいた膝の上に頬杖をついていると、彼女も躍起になって今度は手で海水を飛ばしてくる。量は増えたが飛距離は小さい。
反射して光る水飛沫の中にいるが可愛くて綺麗で目を細めると、仁王はおもむろについた砂を払って立ち上がった。「お、来るか?」と構えるに笑ってスラックスを捲くりあげると靴と靴下を脱いで砂浜に足を下ろした。ああやっぱり熱いの。
そそくさと海に入ればが海水をかけようと構えてきたので間合いを詰めて阻止した。入った直後にずぶ濡れは勘弁だ。
「え、ちょっと、何スカートに手ぇ伸ばしてんのよ!」
「ちょっとパンツを拝んでおこうかと」
「拝むな!ええい、やめろ!!」
ぎゃーっと逃げるを追いかけると海水を吸った柔らかい砂に足を取られバランスが崩れそうになる。倒れないように細い手首を掴めばビクッと肩が揺れ、が石のように固まった。
「最近気づいたんだがの」
「え、何?」
ビクビクと見上げるの顔は期待と不安を綯交ぜにした表情になっていて、深く考えなくても嫌じゃないってのはわかった。顔を赤くしてるところを見ても一目瞭然だ。
その上で仁王はに顔を近づけるとこめかみから流れ落ちる汗をぺろりと舐めた。
以前甘いように思えた汗は少しだけしょっぱい。ビクッと緊張するに仁王は悪戯げに笑って自分の腕の中に閉じ込めた。最初、ガチガチな彼女に不安を感じたが、最近はトロトロになる程キスをするということに楽しみを見出している。
「の匂いは甘いんじゃよ」
「へ?」
「だから、食べてもよか?」
更に固まるにニンマリ笑った仁王はそのまま不意打ちのように彼女の唇に噛み付いた。好きな人に触れれば触れる程甘いと思えるから不思議だ。
そして勿論は抵抗したがそのうち手は肩に添えられるだけになって、うっすら目を開ければ真っ赤な頬と震える瞼が見えてと同じくらい身体が熱くなる。
足首を撫でる海水の冷たさと、嗅覚と触覚を刺激する心地いい感覚にこういう夏なら毎日来てもいいかもしれない、そんなことを思った。
仁王の幸せ日記。
2013.08.08