奪われる




「誰?」

自分を抱きしめようと手を伸ばしたの手が止まった。未来の自分だとわからないのだろうか、と見ていたがどうやら違うらしい。高校生のは目の前の自分とは違うところ見ていた。
それに促されるように視線を流せばの身体が硬直した。

そこには以前、幸村とはぐれた時に見た下げ髪の、上品な打掛を羽織った女の人が立っている。
真っ暗だというのにスポットライトが当たってるみたいに顔がよく見えては息を呑む。だが女の人の方はこちらを気にした素振りもなくまっすぐ高校生のを見つめた。

『寂しいか?』
「え…っ」
『自分を蔑むこの世が憎いか?』
「そんな、ことは」
『己が生きていても無意味だと、価値を見出せないか?』
「…っ!?」
「やめて!」

この女の人が何をいいたいのかわかったは、高校生の自分を遮るように立ちはだかった。


「私の"過去"に何をするつもり?他人が勝手に土足で踏み込まないで」
『そなたには"過去"であってもこの者にとっては"現在"じゃ。その傷を癒してやろうというのに何を拒む?』
「別にそんなの望んじゃいないわ。他人に言われたからってすぐにどうにかなるものじゃなかったもの。これは私の問題よ」
『"なかった"か……それもよかろう。そなたはな』
「?」
『そなたにはもう用はない。のう""』

名を呼ばれ身体が石のように固まった。何が起こったというのだろうか。薄く笑う女の人は再度高校生のに問いかける。

『生きることが苦痛ならば私にくれまいか?』
「やめ、て」
『さすればそなたの苦しみも悲しみも全て私が受け止めよう』
「…それって、死ぬこと?」


辛うじて動く口で言葉を紡いでも2人の会話の邪魔にもなれない。まっすぐ女の人を見据える高校生の自分には唇を噛んだ。
この頃の自分は自己を壊すことも欲していた。けれどそれも他力本願で自分じゃ何もしなかった。今ではそれで良かったんだと思えるけど、それはあの時後押しする人物もいなかったからだ。

『死ぬことが怖いか?』
「そんなの、怖くないわ」
『そうか。…ただ眠りにつくだけじゃ。深く何者にも邪魔されず温かい場所で』

そんな話に耳を傾けてほしくないのに、は聞き入ってしまっていた。
「何が、望みなの?」
『私は、そなたの肉体がほしい』
「……」
『そなたの健全な身体で自由に生きてみたい』

「まさ、か…」

彼女の言葉に雷が落ちたような衝撃を受けた。覚えてる。初めてこの世界に来た時の言葉を。声色を。



"違う世界に行くならどこがいい?"


そう聞いた。



「呼んだのは、あなたなの?」

私をBASARAの世界に落としたのは。目を見開き言葉にすれば彼女は冷たい微笑を浮かべた。

「嘘だ…」
『嘘だと思いたいなら勝手に思えばいい。最初に呼んだのはお前の方なのだからな』
「…っ!」
『お前に呼ばれこの世を見聞したが、なかなかどうして、人というものは変わらぬものだな。他者に無関心で、狡猾。上辺だけの言葉を並べたてあたかもお前の為だとうそぶき平気な面で裏切る。それはただの利己主義で信用たるものなど微塵もない』
「……」
『人を無闇に殺さず法で慣らし作る知恵をつけても、結局学んだものは精神の堕落とは…お前がこの世に嫌気を差すのも頷けるというもの』

「…わかってくれるの?」
「…っ聞いちゃダメ!」
「あなたも生きてることが嫌なの?」
『ああ。私も今の世に飽き飽きしていたところだ。つまらぬ思想も身体も地位も、うんざりだ』
「私は、親が嫌い。妹も大嫌い。みんな自分のことばかりなんだもの。学校だってそう。誰も助けてくれない。助けてくれてた人はもういないもの」
『それでも、友人は大切なのだな』
「…うん。でもこんな嫌なことばかり考えてる自分を知ったらきっと嫌いになると思う」


信用してない、と言葉にしては眉を寄せた。違う。そう思ってるんじゃなくて思いたかっただけ。だってあんなに話して楽しかったのに。

『それも美しい記憶のまま閉じ込めてしまえばいい』
「……!」
『いつか壊れてしまうものなら、今ここで終わらせてしまえば、その友人との友情も輝いたままでいられる』
「ダメっお願い…これ以上、」

私を惑わせないで。

『心根の優しいよ。私にお前の肉体を、自由をくれたならお前の為になんでもしてやろう』
「本当に?」
『ああ、』
「じゃあ、家族を殺して」

辛辣な言葉には唇を強く噛み締めた。自分はなんていうことを考えていたんだろう。見返すではなく死を望むなんて。自分の手ではなく他人の手に委ねるなんて。なんて無知で愚かな考えだろう。
は震える拳で腕に力を込めた。このままではこの女に過去の自分が囚われてしまう。歯を食いしばりを縛り付ける何かを必死に引き千切ろうとすれば女の人の視線がこちらに向いた。


『なんだ。赤裸々な過去の自分に羞恥に震えたか』
「ええそうよ!本当、この頃の私はどうしようもない程臆病なくせに傲慢で何もわかっていない」

顔を覆って全部見なかったことにしたかった時なんて腐るほどある。


「でも、そんな自分がなかったら今の私はないのよ」

今の自分に納得することなんてない。穴だらけで欠けてるところばかりだもの。


「それを否定したらそれこそ終わりだもの。どんなに恥ずかしくて嫌だと思っても蓋をしても、結局それも自分なのよ」
『……』
「だからあなたに過去の私をあげる気はないわ!」


高校生のが初めて私を真っ直ぐ見た気がした。その視線を感じながらは幼い自分を守るように目の前の侵入者を睨みつける。睨みつけられた彼女の顔は不機嫌に歪んでいたが私だって必死だ。

『なら、元の世界に戻るか?』
「え…、」
『元のくだらない、疲弊するだけの生活に戻れるのか?と聞いている』

ギクッと心臓が跳ねた。戻る?そう思った途端の身体が急激に冷えていった。それと同時に動かそうと思っていた張り詰めた筋肉が収縮し固まっていくのがわかる。言い返そうと思っていた気迫が一気に萎んでしまった。


「あ…っ」
『そうであろうな。お前が望む世界に来たのだ。それを捨ててなど出来る訳がない』
「ち、ちが…っ」
『人間、素直が1番可愛いというぞ』

お前も素直になれ、と微笑を浮かべる女の人は嘲笑ってるように見えた。悔しい。ぐっと唇を噛み締めれば鉄の味が口内に広がる。泣くに泣けない心境に歯を食いしばっているとの横を誰かが通り過ぎる。
高校生の自分だとわかったはハッと引きとめようと口を開いた。

「ま、」
「ねぇ。なんでも望みを叶えてくれるっていったよね?」
『……ああ』


がいうよりも先に高校生の自分は女の人の前まで行くと淡々と話し出す。侵入者であるはずの彼女もなどいないかのように嬉しそうに目の前の少女を見下ろした。

「家族を殺さなくていいから、友達を…ゆうちゃんを悲しませないで」

あの子、私よりずっと優しい子なの。そういって高校生のはこちらをチラリと振り返る。まるで"これでいいんでしょ?"と聞くみたいに小さく微笑んだように見えた。



*



再び目を開くと木目の天井が見え、は飛び起き障子を開け放った。外はバケツをひっくり返したような雨での身体がぶるりと震える。心なしか息も白い。は朦朧とした思考のままその雨の中へと飛び出した。
そこに自分が住んでいたアパートが見えたのだ。しかしそれはただの幻覚で現実に引き戻すように冷たい雨がを濡らしていく。

「ふぇ…っ」

盗られた。私を、私の人生を。そうわかった途端涙が溢れんばかりに零れ落ちる。言いようのない空虚感に胸が押しつぶされそうだった。

あの女の人が高校生の自分の願いを聞き入れるかはわからない。
本当はただの悪夢だったのかもしれない。
けれど口内に広がる血の味が、あの夢は現実なのだと変な実感だけが広がっている。

それが余計にを追い立てた。



冷たい雨は強く、全ての音も視界も消してしまうかのように降り続き、の体温を奪っていく。だから近づく足音に気がつかなかった。


「この時期に突然の雨。やはり君だったんだね」


視界の悪い世界で顔を上げてみたが朦朧とするの意識は視界も濁らせ、見下ろす彼が誰かすらわからないまま意識を手放した。




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2011.12.05

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