豊臣大脱走・1




夜明けと同時に座敷牢を抜け出したは官兵衛と共に城を出た。豪語した通り官兵衛は城を熟知していて、よくわからかない抜け道を突き進み城を出た時も誰にも会うことはなかった。
ちなみに昨夜官兵衛が壊した鍵は申し訳程度に繋ぎ直し誤魔化した。門番が確認しに来た時かなり緊張したが、暗いのと酔っ払っていたので気づかれることはなかったようだ。

「これからどうするんですか?」

官兵衛の背中から覗き込めば「そうさなあ」と思案げに返される。
もし、この光景を誰かが見ていたらどう思うだろうか。何を思ったのか官兵衛はをおんぶするといって背負っているのだが格好はあまりいただけない。

「お前さんは体力がなさそうだ」という優しさは有り難いが、が冷えないようにと半纏や布団をに巻きつけ、官兵衛の身体に紐を括りつけた姿はさながら赤ん坊か怪しげな荷物のどちらかだ。
しかもがっちり括りつけられてるようで逃げるどころか身動きすら難しい。


「そろそろ時間か。この間に突っ切るぞ」

そういった官兵衛は東側を見る。城じゃなくてなんで太陽?と不思議に思ったが質問する前に彼が歩みだした。

ざくざくと霜を踏みつける音がより一層冬らしさを告げている。の吐き出す息も官兵衛が吐き出す息も白く色づき呼吸をする度鼻頭がツンと痛くなった。
官兵衛のいうことは最もだ。蓑虫のように巻かれた布団は保温性が高い。吸い込む空気が冷たくて頭を引っ込めると本当の蓑虫になった。


「……(あ、やば)」

ゆらゆらと揺られてるうちに瞼が重くなってきた。気を張ってた身体も布団の暖かさと規則正しい官兵衛の歩きに本能が頭をもたげてしまったらしい。うつらうつらしながら、欠伸を噛み殺した。

「眠いか?」
「…ううん。大丈夫」
「小生の背が気に入ったならそのまま寝ちまいな。お前さんが寝てる間に外に連れ出してやるよ」
「うん…でも…」

「小生が信じられないか?」
「ううん。そうじゃなくて…こんな緊急事態に寝るのってどうかなって…」
「そりゃまあこの状況で寝ちまうのは相当な肝の持ち主だとは思うが、お前さんずっと1人で気を張ってたんだろう?そんなちっさな身体にしちゃあ十分持った方だと思うがな」
「そう、なんですかね…?」
「ああ。何かあったら起こしてやる。だから今は身体を休ませるといい」


優しい言葉につい甘えてしまいそうになる。でもこの人は自分を嫁さんにほしいとかいいだした男だ。奥州に帰るにはどこかで逃げなきゃいけない。それに佐助達も助けに来てくれるかもしれないのだ。
だから頑張らなきゃ、頭ではそういってるのに瞼はどんどん重くなっていく。今迄溜めた疲労がどっと押し寄せてきて身体が鉛のように沈んでいく。そして包まれるような温かさと大きな背中にいつしかの呼吸は規則正しく寝息を立てていた。



*



の瞼が再び開けられたのは大きな揺れとつんざくような音が鳴り響いた頃だった。冬が明け、穴蔵から這い出るように布団から顔を出すと土煙が舞い上がり、わあわあと叫ぶ声と金属音が聞こえてきた。
「どういう、こと…?」
「ああ、起こしちまったか」

達がいる林の向こうには具足に身を包んだ男達が刀や槍を使って奮闘してる姿が見える。はじめ、なんの予行演習かと思ったがはためく旗印に目を見開いた。片方は豊臣が掲げる五七の桐の旗印で、もう片方は…幸村が掲げる六連銭の旗印だった。

「官兵衛さん。これって一体…」
「見てわからねぇか?戦だよ」
「それは、わかります。でもなんで真田軍が…」
「そりゃ勿論、お前さんを奪い返す為さ」
「え…っ」
「何度か書状でお前さんを返せと来たんだ。半兵衛は知らぬ存ぜぬと突っ返したんだがあちらさんの忍が嗅ぎつけたんだろうぜ。そんでそのまま戦に突入って訳だ」

それにしても随分早いご到着だ。とあちらから見えない位置に隠れながら官兵衛は鼻で笑った。


「なんで戦なんか」
「そりゃ半兵衛がお前さんの持つ力を手放したくなかったからに決まってんだろうよ」
「私の、力…?でも、」
「ああ。蓋を開けてみりゃじゃじゃ馬な上に威力だけは馬鹿でかい。刑部なんぞは殺してしまえとさえいっていたな」
「……」
「だが半兵衛はそれを良しとしなかった。手懐ければ確実に決め手になる力だとわかってるんだろうな…そしてその逆も然りって訳だ」

まあ、お前さんは嬉しくないだろうがな。と官兵衛は少しだけ振り返り口元を吊り上げる。決め手になる力?人を殺す為の?冗談じゃない。そりゃ1度は政宗と一緒に戦える力があればいつでも傍にいれるって思ったけど。

脳裏に黒焦げの姿を思い出し、胃の中のものが出そうになったがなんとか堪えた。焼けるように喉が痛い。でも吐く訳にはいかない。
胃の中には腹を満たした飯がある。それは農家の人達が丹精込めて作ってくれたものだ。その作った人達は今この戦場にいるかもしれない。傷つき息絶えてるかもしれない。彼らが食べれなかったものを口にした者が簡単に吐きだしてはならない。
初めて出会った頃に政宗がいった言葉だ。

ヒリヒリする感覚に眉を潜めながらはまっすぐ戦場を見つめた。指先はすでに冷たくなっている。唇を噛んでいないとこの狂気に飲まれてしまいそうだ。


「いい目だ。この戦場を見て悲鳴のひとつもあげねぇとはな…籠の中の姫さんにしちゃあ上出来だ」


肩越しに振り返る官兵衛はニヤリと笑って元気付けるようにぽんぽんと叩いてくる。そこが丁度お尻だということをこの人わかっているんだろうか。わかってそうだな。というか姫じゃないし。
悲鳴をあげないんじゃなくて、あげれないんだと思いますよこれ。普通のお姫様こんなの見たら悲鳴の前に卒倒するっての。

仕舞いには「小生の嫁さんに相応しいな!」とか言い出して何か言い返そうと口を開いたが声にする元気がなくて代わりに彼の髪を引っ張った。

「官兵衛さん下ろして」
「この状況で下ろせって…お前さん死ぬ気か?」
馬鹿いうな。と呆れられたがは掴んでる髪の毛をぐっと引っ張った。

「いてーって。あんな乱戦の中に行ったらお前さんなんかすぐに死んじまう」
「だったらなんでこんなところにいるのよ。見つかったらどうするつもり?」
「そりゃまあ、を取り返そうとしてる野郎がどんなものかと見物に…」


「黒田。何故主らがここにいる」


こんな戦場の近くにいたら幸村や佐助に見つかるよりも半兵衛達に見つかる確率の方が高い。だったら下ろして欲しい。
そう警戒しだしたところで案の定達に気づいた者がいた。その人は後ろではなく上空から輿と一緒にふわりと降り立つ。あの目とか頭の蝶の羽とか包帯グルグル巻とか近くで見るとかなり怖い。それで不幸大好きって…三成凄い人友達にしてるなあ…。

「ゲッ…刑部…」
「暗は別の命が下っていたと聞いておったが…よもや使えぬ童子を手下に動いているとは…竹中の采配もなかなかなものよ」

類は友を呼ぶとはこういうことをいうのだな、と歯に着せぬ物言いで包帯男、刑部はチラリとを一瞥して開きもしない口で笑った。初対面から腹立たしいな。三成以外どうでもいいんだろうな。1度あの包帯を引っ張って締め付けてやりたい。


「小生も聞きたいんだが、お前さんこそ何故ここにいる?この区域に布陣の配備はなかったはずだ」
「事情が変わったのよ。ほれ、見るがいい」

陣が変わったわ、と刑部に促され戦場を見ると赤い旗印・真田軍が後退している。始め、押されてるのかと心配になったが舌打ちした官兵衛に違うのだとわかった。

「動いてるのは武田だけだと思っていたが…」
「わかったなら暗の持ち場に戻れ。不幸がうつっては我もたまらぬ」
「なら、あっちには三成がいるのか。やれんのか?」
「不幸で目でも濁ったか?我から見れば、どこの馬の骨ともいえぬ小娘や、己の立てた布陣を自ら台無しにするどこぞの者より三成の方が余程使えるわ」
「「……っ」」


不幸大好き男にもいわれたくないわ!

ギリギリと歯軋りが聞こえそうなくらい睨みつけたと官兵衛だったが、ひと言も言い返さずその場を離れた。言い返して誰かに通報されたらそれこそたまったもんじゃない。

振り返ると退陣した真田軍とは別の声が近づいてくる。その声が妙に懐かしいと思ったのは気のせいだろうか。刑部が手を挙げ臨戦態勢を取る豊臣兵を尻目にはなんともいえない気持ちで背を向けた。




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2011.12.17
イメージとしては引いた真田軍の代わりに入ってきた軍を刑部と三成の軍で挟み撃ちする感じ。

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