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夏の体育館は蒸し風呂で頭が茹ってすぐ気持ち悪くなる。
大きく深呼吸しても肺に入ってくるのは生温い篭った空気だ。頭が全然スッキリしない。短く息を吐き、汗を吸って湿った髪を振って纏わりつく暑い空気を振り払った。

「?どうした黒尾」
「ん〜いや?」

顔に貼りつく重くなった髪にうんざりしながらチラリと視線を向けると夜久くんがクロに話しかけているところだった。
彼らの視線は斜め上を向いていてそれに気づいた虎が「あ、アイツいねぇ」と零した。

「アイツって?」
「んーなんつーか"研磨の保護者"?みたいな?」
「…何で自信なさげにこっち見てくんの?」

というか保護者って何、と眉をひそめたが研磨以外は「あーあの子ね」と納得したみたいだった。


彼らが見上げたのは2階のギャラリーだ。そこには音駒の応援団がいるんだけど1番見知っている姿はそこになかった。
普通に考えればトイレに行ったとか飲み物を買いに行ったとかと思うんだけど、今丁度試合が終わったところで人でごった返している。自分だったらあそこに紛れるのもしんどい、と思う。

はどんくさくはないけど、友達と来てたみたいだし選手が移動するまでは見送ってくれるのが常だ。だから終わった直後に姿が消えるというのは多分ない。


「移動すんぞ〜」

クロの掛け声で荷物を持った研磨達はぞろぞろと移動を始めた。何人かは2階の応援団に挨拶したり返していたが研磨はそれに混ざらず疲れた顔でまっすぐ出口へと向かった。

「前の試合にはいたけど、さっきの試合にはいなかったんじゃね?」

後ろではまだの話が続いてるようで夜久くんがそんな風に虎に返していた。確かにコート入れ替えの時に見たらの姿はなかった。友達もいなかったから帰ったかもしれない。


「つかマネージャー欲しいならあの子に言ってみれば?」
「うげっ!か、勘弁してくださいよ!さすがにアイツは無理っス!!」
「何で?タメだし1年から応援に来てくれてんじゃん」
「いやいやいや!絶対無理ですって!アイツ、マジ怖いんスよ!」
「そんなに怖いのか?」
「そうなんスよ海さん!1年の頃からアイツ俺のことばっか目の敵にしてて!研磨のパスミスったり、ブロックされて研磨がフォローに入った時とか背中向けてんのに突き刺すような冷た〜い視線で睨みつけてくるんスから!
ある意味オフクロより怖いっつーか!…確実に何年か寿命縮まったくらいにはマジ怖くて…!初めてあの睨み見た時は夜夢に出たくらい怖かったんスよ…!!」
「そうか?俺はねーけど」
「俺もないな」
「それは先輩達だからっスよ!」

さすがに先輩を睨むわけないですって!と叫ぶ虎に研磨はチラッと前を歩く後ろ姿を見たがまだ騒がしい虎に耳を傾けた。


数少ない研磨の友人の中ではダントツに多く観戦に来ていた。
そんな彼女はずっと研磨のバレーを見てきたからか、自分なりに勉強したり研究したりしたのか、ただの観客よりは肥えた見方をしていた。

最初こそあてずっぽうに虎を睨んでいる節があったけど、が虎を睨む時は大概が研磨に負担がかかってたり焦りや読み間違いで暴走して失点に繋がった時だ。
行動はちょっと感情的だけどの指摘は理論上の話ならほぼ的確だったりする。

その為、同じく感情をむき出しにしやすいが何気にちゃんと考えている虎も強くは言えないのだと思う。


「背中向けてても視線がわかるって目力強いんだなぁ」
「つーか研磨!お前からもアイツに睨むなっていっとけよな!」
「…だって何でもかんでも睨んでるわけじゃないと思うよ」
「けどよぉ!」
「全試合MAX値で動ける人はいないけど"いつもの虎ならできる"のに頭に血が昇ったり集中できなくて"できることを疎かにした"からそこを指摘してるんだと思う。それに睨まれる回数も減ってきてると思うけど」

1年の時はウマが合わなかったりタイミングが互いに読めないところが多かったけど、レギュラー入りしてからかなり連携が出来上がったと思う。

今回の予選だって前よりはマシなんじゃない?と聞くと腕を組んだ虎はしばし考えて「そう、かも?」と首を捻った。
の睨みが怖すぎて回数が吹っ飛んでいるみたいだ。



「まぁ…確かに怖いとこあるけど、」

でもアイツがマネージャーとか絶対無理!と降参する虎の悲痛な叫びを聞いていると、何の前触れもなくクロが立ち止まり肩越しに振り返った。


「笑った顔結構可愛いのよ?さん」


笑みは作っているが真意が見えないようなそんな表情で研磨達の話に割って入ってきたが、こちらがポカンと見返すと今度はしてやったりな顔でニヤリと笑って再び歩き出した。
その背中を見ながら研磨は目元の辺りが引きつった気がした。

「(えええー…それクロがいっちゃう…?)」

正直な気持ちを隠さず、研磨はドン引きな顔を歪ませ、幼馴染の背中を見送ったのはいうまでもない。



*



夏のインターハイは東京ベスト8で終わった。
その帰り道、隣を歩くクロを盗み見ると気怠い表情でぼんやりと歩いている。

結局あの後も最後までの姿を応援席で見ることはなかった。でもおめでとうメールをくれたことを考えると試合は見ていたみたい。
ありがと、と淡白に返したメールにもう少し文章を連ねた方がいいだろうか、でも話すことないし、と思いつつスマホからゲームに持ち替えた。


「研磨〜歩きながらゲームすっと転ぶぞ〜」
「うん。知ってる」
「…いくらいっても聞かないねぇ、お前は」
「ねぇ、クロ」

前を向いていてこっちをちらりとも見ていないのにズバリ指摘してくるクロだったが研磨はいつものように適当に返した。
音消してるのに…と思いつつクロにそういえばと話を切り出すと、彼の視線がこっちに向いた気がした。

「今日、あんま調子よくなかったね」
「そうか?」
「うん…見張りがいなかったから?」

視線を上げて目を合わせればクロの目が少し見開く。驚いたようなそうでもないような表情をじっと見ていれば「…まぁ、かもな」といって視線が逸れた。


さんに睨まれ続けて"それが普通"になっちまったからなぁ。いきなりなくなればそりゃ落ち着かなくなるっつーか、」

肩とか背中は物凄く軽くなったんだけど、と笑うクロに研磨は目を細め、ゲーム画面に視線を戻した。

「クロってちょっと変態気質だよね」
「んな!そういうことさらっと指摘するのやめてくんない?!」
「クロがの笑顔が可愛いとか思ってるの、初めて聞いたんだけど」
「そりゃ初めていったし」

虎は自分だけって嘆いていたけど隣を歩く幼馴染は中高とずっとに睨まれ続けてきた男だ。
ミスをすれば前後関係なく睨まれるし、負ければコートを去るまで視線を外さない。今年は主将だからもっと冷ややかな目で睨まれるんじゃないだろうか。

なので本当は同い年も先輩も関係ない。
虎達の話を聞きながら否定しようか迷ったけど結局言わなかった。

多分クロが変なことをいったせいだと思う。そのせいで研磨の調子も狂った。


「おーい研磨くん。そのクソデカ溜息やめてくれませんかね。挑発してるように聞こえますよ」
「茨道」
「はぁ?そうとは決まってないでしょ?!つーか、そういうんじゃないですぅ!全っ然違いますから!そういう意味これっぽっちもありませんから〜!」
「ハァー…」

わざとにも見えるような過剰反応にやっぱり本心は見えてこないけど、面倒そうなことだけはわかって長々と嘆息を吐いた。