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とりあえずお互い情報を持って帰って話し合うのと、黒尾の方には予算要確認の話をして腰を上げた。そして反省をこめて頭痛がする額を軽く叩く。

また話し込んでしまった。
黒尾の話はどうしても最後まで無視できないんだよな…。我慢が足りないのか、乗せるのが上手いのか。というか、何でこの人が私に話しかけてくるのか未だに謎なんだけど。

キュ、とリノリウムの音がして振り返ると黒尾も自分の端末を見ながら立ち上がったところだった。


「あの、いつ」
「そういや、さっき今にも飛び降りそうなくらい沈んでたけど、なんかあった?」

いつまで私に話しかけてくるんですか?と彼が下を向いていることをいいことに適当に話かけたが、それを遮って黒尾が質問してきた。

なんかも何もアンタのせいですが。
あ、いや今回は自業自得か。

一瞬でも忘れてたのに急に戻ってきた現実が重く重くの肩にのしかかり、というか押し潰す勢いで重くなって長い嘆息を漏らした。


「孤爪に嫌われました」
「…は?」
「なので"孤爪をひっそり応援する会"は閉店することになりました。今迄ありがとうございましたマル」

安心してください。もう野次という睨みを利かせた呪詛を唱えることも試合観戦に行くこともないでしょう。
お疲れさまでした。と脱力しきった身体でゾンビのように歩き出すとワンテンポ遅れて黒尾が口を開いた。

「うーん、とな。それって勘違いじゃないかなぁって思いますよ」
「……」
「研磨、嫌なことは顔に出やすいから。さんのこと話題にしても平常運転だし」

私の話題?!驚愕して勢いよく黒尾を見れば「うおっ」とビビられた。目力が怖かったらしい。クマもあるから尚のことだろう…嬉しくないが。

研磨が私の話してくれてるのか!とムズムズソワソワとしたが、それが修学旅行前だと知って一気に消沈した。そのわかりやすい落ち込みように黒尾もちょっと心配した素振りを見せてくる。


「私はその…修学旅行の時にやらかしてしまったので…恐らくもう、試合終りょ」

諦めたらそこで試合終了だよ、という言葉にたまらず涙が滲んだがなとか耐え抜いた。鼻が恐ろしく痛くなったが指で摘まんでおいた。


「あー…それってもしかしてチビちゃん…日向絡みだったりする?」

目をぎゅっと固く閉じていると予想外の名前が黒尾の口から出てきて思わず目を見開いた。
もしかしてその話を研磨は話したのか?と黒尾を見れば、降参するように手を上げ「話は聞いてないが、」と付け加えた。

「今の研磨は日向リスペクト中で、日向関連のことだと何にでも反応すんのよ。お互い春高で戦おうってマジで考えてるのもあって研磨にしてはテンション高いんだわ」
「……」
「だからもしさんが日向の名前を出して怒らせた、と思ってるならそれは間違いだから」


研磨は嫌ってないよ。
その言葉にスウッと肩の力が抜けた気がした。そしたら耐えていた涙がじわりと滲んで慌てて彼に背を向けた。一気に気が緩んでしまったみたいで涙が込み上がってきて言葉が出ない。

「それと、さんにひとつ提案があるんだけど。その名も"手っ取り早く研磨と仲良くなる方法"」
「……な、に?」

どう考えても胡散臭いタイトルですがそれは。涙声にならないように必死になって言葉を紡げばその場に立ったまま体勢を変えたのか布が擦れる音が聞こえた。


「多分さ…まぁほぼ確定なんだけど。俺達が仲良くすれば研磨とも仲良くなれると思うんですよ」
「………………は?」
「…うわ。どっから出たのそのドス声…ていうか、背中越しからでもわかるから、怖いから」

絶対目つき悪い顔してるでしょ、と指摘されムスッとした。正解です。『クラスの人と仲良くしましょう』みたいな標語を思い出し、それを黒尾にするのかと思ったらとてつもない拒否反応が口から出た。ストレスの権化と仲良くしろと?私の胃に穴が開くわ。


さんが俺のこと嫌いなのは薄々…てか何年も前から知ってるし無理にとはいわないけど、でもそのせいで研磨が寄ってこないのかもよ?」
「……?」
「研磨にとってはさんも友達って思ってるけど今はバレーやってるし、バレーやってると俺もいるでしょ?俺らに挟まれて気を遣うのが面倒くさいって思ってんじゃねーかな」
「……(それはわかる)」
「かといって俺も研磨にバレーを辞めてほしくないし、どっちか片方を選べっていうのも残された方は酷でしょ?…まぁあとできればさんとも友好な関係でいたんですよね」
「……」
さんが1歩妥協してくれれば研磨との距離を縮めるお手伝いをするんですが、いかがでしょうか」


おにぎりの代案をしてくれたお礼に、と詐欺師の常套句のような言葉を並べられたけど、不思議と声はいつもよりすんなり耳に入った。いつも聞いていた声よりも低くて心地よい。かもしれない。


「…少し、考えさせてください」


確かに今更"また"どっちか選べと研磨に迫るのは愚策だ。確実に私が負ける。もう既にゼロかもしれないし、下手をしたらマイナスかもしれないけどこれ以上研磨に嫌われることは避けたい。

鵜呑みにするのは危険だけど黒尾の言葉を信じるなら、というか藁にも縋る気持ちで信じたい。
そんな考えがグルグルと回ってしばし考え込んだが特に否定する言葉も出てこなかった。でもすんなり承諾するには拗らせていて、素直になりきれない言葉を述べた。

黒尾はというと怒るでも揶揄することもなく淡々と「そうですか」と返しただけだった。


「…"黒尾先輩"、」
このまま帰ろうと踏み出した足を踏みとどまらせ、声を振り絞る。

おだてられたような、乗せられただけのような気がしてきたけど思ったよりも軽くなった心に"まぁ、いっか"という気持ちで少しだけ振り返った。
こっちを見る黒尾の顔を確認して、やっぱり落ち着かなくて少しだけ視線を下げた。

「正直、今迄何で話しかけてくるのかわかんなくて、ずっと嫌だったんですけど…でも、」
「……」
「今日は話せてよかったです。ありがとう、ございます」

小さく、か細い声で礼をいうとそのまま背を向け階段を下って行く。
いい逃げになったみたいで思ったよりも恥ずかしいことをしたような気がしたけど、気にしたら負けだ。そう言い聞かせて一気に階段を駆け下りた。



*



1人ポツンと残された黒尾は、が駆け下りて行った階段の方を見ながらぼんやりとしていた。その近くを通る者はいなかったが文化祭準備の声や音ががやがやと聞こえてくる。
それを聞きながら「ん〜〜っんん〜〜」と唸るように黒尾が頭をガシガシと掻いた。


「そこで"先輩"呼びとか…不覚にもときめいてしまったのですが」


話しかけてみたこと十数回。
大体が黒尾の独り言で、返される言葉は「はぁ、」「はい。そうですね」という笑って〇いとものタモさんの返し並に感情もへったくれもないものばかりだった。
皮肉を言う分ツッキーの方が口数が多いかもしれない。

黒尾のことだって「あの、」で済んでしまう為名前を呼ばれたことがなかった。そこへあの勝気というか好戦的な睨みを仕舞った、いつもとは違う表情で。

気まずそうで気恥ずかしそうな顔でお礼を言われてしまい、さすがの黒尾も思わず固まってしまった。


「いやあ、まだまだ修行が足りませんなぁ」

相手はただ純粋に研磨と仲良くしたいという子なのに。そして自分を親の仇といわんばかりに敵視する子なのに。
うーん、と唸った黒尾は頭を掻きつつ階段に足をかけ、教室へと戻るのだった。