[ 17 ]
「〜いい加減起きて顔洗いなさい。あと新学期始まるんだからそのぐーたらもほどほどにしておきなさいよ」
いつまでも正月休み気分でいないように、と母親にチクリと嫌味をいわれ炬燵にどっぷり浸かっていた身体を引っ張り出した。
あれから感覚が戻らない。
未だに声援とボールの響く音が頭の中でこだましている。
聞こえるものも見える世界もどこか遠くで、外から見てる感じ。
洗面所の鏡を見れば眠たげな顔が映る。さすがに腫れた目は戻ったが表情は情けないままだ。
「んー…」
不細工な顔だ、と睨んで顔を洗ってみたが残念ながら顔を洗っても不細工は不細工のままだった。部屋に戻ると充電器に繋いだ携帯端末が点滅していてなんだろ、と拾い上げた。
「っ?!」
友達か迷惑メールか、と考えていたら研磨からで、一気に目が覚めた。どうした?とメールを開けば『用事がなければ今から家に来てほしい』とあって思わず口から変な声が出た。
慌てて服を引っ張り出し外を見やる。天気は大丈夫そうだ。雪は降ってないけどしっかり防寒して行こう。
最後にマフラーを巻いて母親に「行ってきます!」とだけ告げて外へと飛び出した。
逸る気持ちを抑えられなくて思わず全力疾走で走ったら5分もせずに到着した。
いつもなら交通量の多い車に阻まれ赤信号で渡れなかったりするのだが、ろくに左右確認せず勢いだけで来てしまった。
あそこ事故多いから帰りは気をつけないと、と騒がしくなった心臓を抑えるように大きく深呼吸をする。
冷えた空気が身体を一気に冷やすのでぶるりと身震いした。
そしたら研磨の家の方からガラリと引き戸が開く音がしてドキリとしたついでに何センチか飛びあがる。研磨か?と脳裏をよぎったが身体は何故か塀の陰に隠れていた。
塀から伺えば研磨とは似ても似つかない、縦に長すぎて梁に頭をぶつけそうなツンツン頭が研磨の家から出てきたところだった。
「お邪魔しましたー」と声をかけた相手は研磨のお母さんだろうか。
こちらに振り返る黒尾から逃げるように頭を引っ込めると足音がこっちに向かってきた。
「おや。お早いお着きで」
「…クソ。メールが来た時点で気づくべきだった」
しかし黒尾にはバレていたようで小さくしゃがみこんでいたのにも関わらずピタリと横で立ち止まった。
そしていつものいけ好かないニヤついた顔で屈んできたので、睨みと一緒に暴言で返してやった。
よく考えたら研磨があんなメール出すわけないのだ。許可をとったかはわからないけど(どうせ無断だろう)、研磨のスマホでメールしてきたのは黒尾だとわかり大いに落ち込んだ。
「まぁ外じゃ寒いし、うちにおいでよ」
「………」
「…うん。まあ、危機感持つのは悪くないけど俺も傷つかないわけじゃないからね?あと女の子なんだしあんまそういう顔しちゃダメよ」
うち近いし、というか隣だし。と自分の家を指す黒尾に侮蔑を含んだ眼差しで見ればちょっと悲しそうな顔をされた。
「研磨のことで話がある」といわれてしまい、渋々ついていくと本当に黒尾家に通された。
マジか…と緊張した面持ちで足を踏み入れたが靴を脱ごうという気持ちにはならなかった。
誰もいないんじゃない?ていうくらい静かなんですけど。
というかろくに仲良くもない人の家にあがれるほど無神経じゃないんですけど。
上がり框に足をかけこちらを伺う黒尾に「それで話って?」と振れば案の定上がれば?といわれ首を横に振った。
「静かだけどじいちゃんもばあちゃんもいるし。飲み物と茶菓子くらいは出すぞ」
「そういうんじゃなくて。今は先輩とあんま一緒にいたくないんです」
チラッと顔を見たけどすぐ視線を落とした。口をもごもごとさせ言い難そうにへの字に曲げたが碌な言葉は出てこなかった。こんなことも黒尾に言いたくなかったのに。
眉をひそめるに黒尾は静かに「そこで座って待ってて」というと、1人奥へと入っていく。ぽつんと残されたは落ち着かずそわそわと周りを見渡したが余計にそわそわするだけだった。
このまま帰ってしまいたい衝動に駆られていると、器用に足でドアを開けた黒尾が湯気をあげたマグカップを2つと煎餅らしき袋を持って戻ってきた。
「取っ手ある方がいいかと思って…中はただのお茶だけど」
「…ありがとう、ございます」
「あと、とりあえずこれもね」
脇に抱えていたものを受け取ればブランケットで、座布団替わりでも掛けるでも好きにしてといわれた。優しいな。お言葉に甘えて座った膝の上にかけると黒尾も少し空けて同じように腰掛けた。
「研磨な。久しぶりに熱出した」
「あーやっぱり」
バテバテだったもんなぁ。研磨が倒れた時は本気で死んだんじゃ、てヒヤリとしたくらいだし。
「体力ついて熱出る回数減ってたんだけど、"ご褒美タイム"で限界超えちまったみたい」
「あの試合を"ご褒美"っていえちゃう神経が凄いですね。ちょっと引きます」
見てるこっちはご褒美どころか精も根も尽き果てて抜け殻だっていうのに。化け物ですか。と呆れた顔をすると湯気をくゆらせお茶を飲んだ黒尾がフッと笑みを作った。
「実際、俺も限界突破もいいとこで手足の感覚やっと戻ってきたって感じだけどな。動くには動くけど試合終わってからずっと別の生き物みたいに思ってた」
「…寝れてるんですか?」
「寝るしかないっしょ。目はギンギンでも横になってればいつかは…まぁ、朝まで起きてたけど」
「……」
「"ゴミ捨て場の決戦"は全部出しきれた、から。気持ちは満足してるよ」
黒尾の目は疲れているのかいつもよりしょぼしょぼしてるみたいで細く一気に老けたようにも見える。でも表情は思ってたよりはスッキリしてる感じだった。