Sonatine - 01


「お、なんだ。俺達と一緒に帰るか?」
「はい。いいですか?」

後ろについてきたを見止めた伊月先輩にお伺いをたてると、彼は笑って「んなの当たり前だろ」と頭を撫でた。その感触に自然と口許を緩ませると「の顔、ゆるゆるだな」と小金井先輩に笑われた。


「コガ、お前だって似たようなもんだろ」
「俺はもう引き締まってるぜ!」
「何いってんの。小金井君はいつもゆるゆるじゃない」

しまりないわよ、とリコ先輩につっこまれた小金井先輩はショックを受けた顔で水戸部先輩に慰めてもらっていた。

「嬉しいのはみんな一緒だ。今日ぐらいゆるゆるでもいいんじゃないか?」
「お前がいうのかよ木吉」

お前こそいつもゆるっゆるじゃねーか!と日吉先輩につっこまれつつ火神のマンションを後にすると「そうか?」と木吉先輩がにこやかにゆるく返していた。
そんな楽しい先輩の後を追いかけているとふと右手に温かさを感じて視線をずらした。


「テツヤ君?」


横を見れば黒子君がの手を握って立ち止まる。それにつられるように足を止めれば「少し、時間を貰えませんか?」と真剣な眼差しで黒子君がを見やった。

「いいけど。じゃあ先輩達に」
「それならもうカントクに伝えました。行きましょう」
「え、ちょっと、テツヤ君?」

いうが早いか、黒子君はの手を引くとリコ先輩達が歩いてる方とは別の方向へと歩き出してしまう。
は振り返り先輩に何か言おうとしたが、口を開いたところで塀に遮られてしまった。



*



どこから話せばいいだろうか。黒子は暫し悩んだ。

さんを先輩達から引き離し、近くの小さな公園に辿り着いた黒子は植えられている桜の木の近くで立ち止まった。
公園といっても遊具は殆どなく、広場といった方が正しいかもしれないその場所には2人以外人気はなかった。冬のこの遅い時間だ。部屋の明かりはついていても外を出歩く人はいないのだろう。

桜の木の近くには外灯もあって暗いけれどさんの表情は見てとれた。手は繋いだまま向かい合うと彼女は不思議そうに黒子を見上げていて、話し出すのを待っているようだった。


さん。今日はお疲れ様でした」
「うん。テツヤ君もお疲れ様」

長い1日だったね、と労うように微笑むさんに黒子の胸がトクリと高鳴る。
さんの表情は本当に柔らかくなった。去年と今では雲泥の差があり、もしかしたら出会った中学1年の時よりも好ましいかもしれない。


いつからだろう。彼女に想いを抱くようになったのは。
中学1年の時は友人だと思っていた。
中学3年の後半は大切な人になっていた。
けれどその時はまだ恋愛ではなかったと思う。

はっきりと自覚したのは火神君がアメリカに戻った時だ。
自分の与り知らぬところでさんと火神君が留学の相談をして手続き申請をしていた。

さんが火神君の手伝いをすること自体は特に感情はわかなかったけれど自分に内緒にされたことが思った以上にショックだった。
以前ならこんな駆られるような焦燥や不安に苛まれることはなかったと思う。

けれどあの時は無性にこのままではいけないと思ってしまい『放課後デート』なんてかこつけてさんを独り占めしようとしたのはいうまでもない。



黒子だって嫉妬をする。バスケでも人間関係でも。その表現が他よりも薄く見えてしまうだけで熱も炎も人並だ。

それが謙虚に表れたのは火神君がさんのことを名前で呼んだ時だ。

以前、高尾君がさんを名前で呼んでいることに対して『火神君も呼べばいいじゃないですか』と進言したことがあるが、いざ現実に起こってみると予想以上に狼狽し突飛な行動をとってしまった。
さんにも動揺させてしまったことだろう。


そこまできてやっと黒子は自分の感情を認める気になり、腹を括った。


恋愛で異性に告白する、というのは初めての経験だ。片思いまではあるけれど、大体は気づかれずに終わる恋が多かった。
この性格故か相手からの相談には事欠かず、友達のままの方が彼女にとってもいいのでは?と下がることを覚えてしまえば、踏み出す1歩がやたらと重くなってしまった。

それも今日で乗り越えられるだろうか。そんなことを思いつつやんわりと握った細く柔らかい手に、マネージャー仕事で少し荒れてしまっている小さな手を見つめ親指で撫でた。


「大変な1日でしたね」
「うん。勝てて良かった」
「はい」
「…話はそのこと?」

さっき火神君も含めて話したこともあり、さんは首を傾げる。
違います、とやんわり首を横に振り顔をあげると次の言葉を待つように彼女の目が黒子を映した。

真っ直ぐ見据える瞳に表情に出ないまでも緊張して短く深呼吸をする。
手の震えがさんに伝わらないことを祈りながら彼女の瞳を見つめ返した。



「ボクはバスケで"誠凛を日本一にしたい"という目標と同じように密かに掲げた目標があります。それは本当に日本一になれたらその人に伝えよう、そう思っていました」
「……うん、」

高校に入学しても彼女が大切な存在なのは変わらなかった。
進学先はどこでもいいんだ、と零していたとはいえさんを己の一存で誠凛に入学させたのだから彼女の学校生活はボクが支え見守ろう、そう考えてもいた。でも実際は自分が見守られ支えられていた。

決勝戦の瀬戸際、彼女が見せた姿と言葉を思い出し胸が熱くなる。
あそこでさんが作戦を打ち出してくれなかったら、あの言葉がなかったら、ボクはここでちゃんと立っていることもできなかった。


さん。最後までボクの我儘に付き合ってくださり、ありがとうございました」
「え、………あ、はい」
「バスケ部に誘った時、嫌われる覚悟だったんですがさんに嫌われなくて良かったです」
「……大丈夫だよ、まあ少しは恨んだけど」

嫌われなくて良かった、本当にそう思っていた。
勝算は少なからずあったけど、それ以上にさんは黄瀬君や紫原君、ひいてはバスケットに畏怖の念を抱いていたから。

多分、何度も吐いたり体調を崩したりしたのだろう。顔に出ればわかるけれどさんは逐一報告してくるような人じゃなかったから。見えないところで、もっと苦しんでいたのだと思う。



そう考えると胸が苦しくて泣きそうになるが、それと同時にとても嬉しかった。悪戯っぽく笑うさんと共にいれることが、喜びを分かち合えることが本当に嬉しかった。

「これからもよろしくお願いします」
「…うん。頑張るよ」

学生生活は長いようで短い。できることならあと2年も一緒にいてほしい、そう思い言葉にすればさんから了承の言葉が返ってきて黒子ははにかむように微笑んだ。
つられて微笑むさんだったが妙にホッとした表情に見えて、あれ?と思う。


「ビックリした〜!てっきりもうお役御免、ていわれるのかと思った」
「え、何でですか?」
「え?だってテツヤ君"最後"なんていうから、」

もうマネージャーやらなくていいよ、ていわれるのかと思った、と笑うさんに黒子は少なからずショックを受けた。

むしろ黒子は3年間一緒にやっていきたいと思っていたから余計に困惑する。困惑したけれど自分の手の中にあるさんの手が離れそうだったのですかさず握り直した。


「ん?あれ?話、まだあるの?」
「はい。まだあります」
「…………聞かなきゃ、ダメ?」
「むしろこれからが本番です」

自分でいうのもどうかと思うが、へらりと笑うさんの態度が目に見えて逃げ腰になっていて、黒子は少し眉を寄せた。
逃げないようにもう片方の手も掴み、向き合うようにすれば、さんは困った表情で視線を下げた。



さん、」
「……」

名前を呼べばゆるりとぎこちない動きで黒子を見上げる。まるで叱られる前の2号のようだ。

「テツヤ君、聞かなきゃダメ?」
「ダメです」

出来れば聞きたくない、という態度を見せるさんに黒子は表情を硬くしたまま「そっか」と諦めたように視線を下げる彼女をじっと見つめた。


もしかして、さんは既に誰か好きな人がいるだろうか。そんなことが過ぎり、繋いだ手の指先が震えた。

体育館用具室で火神君と本音で話して以来、さんは目に見えて打ち解けたように思う。
それと同時に火神君の態度も軟化していって、ここ数日は黒子が嫉妬したくなるくらい、いい雰囲気で話しているように見えた。


多分、火神君もまたさんに惹かれているんだと思う。
それが恋愛感情なのか仲間意識なのかはわからないけど。

でも恐らくこのままいけば、そう遠くない日に2人が付き合うのかもしれない。そんなことが過る程度には2人の空気は好ましく、黒子の感情がかき乱されるほど波打ったのはいうまでもない。



さん、」


手の震えを誤魔化すように少し強めに、彼女が痛がらないように手を握る。

友人のまま身を引くことをやめにしたのだ。
もしさんが誰かを好きでも、この想いは告げようと。
できれば自分以外の人を好きだと、心を許していてほしくないけど。

そんな切羽詰まった表情が表に出てしまっていたのか、さんの顔も笑みを仕舞い神妙な顔つきで黒子を見つめた。


「大丈夫だよ。私、ちゃんと応援するから」
「…?はい、」

黒子が口を開いたところで突然さんが手を握り返し、引きつるような笑みを作った。
本人に告白するというのに応援されてしまうボクはどうなのだろう、と自分が少し情けなく感じて挫けそうになったが気を引き締め直した。


「応援していただけるのは嬉しいのですが、伝えて望んでいない結果にならないか、少し心配です」
「だ、大丈夫じゃないかな。伝えたらきっと喜ぶと思うよ?」
「そうでしょうか。ボクの一方通行な気持ちを押し付けることにならないでしょうか」
「それはないよ。大丈夫、大丈夫」

心なしか、さんの笑顔がどんどん引きつっていってるような気がする。手の温度も自分より低くなっているような。

「寒いですか?」と今更冬真っ只中であり夜で気温がそれなりに低いということを思いだした黒子は、気遣うようにさんに声をかけたが「大丈夫、大丈夫」と引きつった笑みを浮かべ壊れた機械のように同じ言葉を繰り返した。



息は白くないがやはり長居はしない方がいいと思った黒子は短く深呼吸をするとさんを再び見据えた。

心のどこかで告白してダメだったらこの関係も終わってしまうのではないかと思っているのかもしれない。先延ばしにしてこの関係のままズレた話をしようとしている自分を叱咤した。


さん、」
「…あ、はい」
「ボクは、さんのことが好きです」
「……」
「………」
「………………え、…はい?」

一世一代の告白に体温が上がる。呼吸が苦しい。心臓も痛くてかなわない。

まるで試合終盤のようだと沸騰した頭でさんを見つめると、彼女は驚き目を丸くしたまま固まった。そしてたっぷり時間をかけた後首を傾げた。何か、聞き取れなかった言葉があっただろうか。

夜とあって公園はとても静かだ。それにここは交通量も殆どない。聞き取れないはずはないのだけど、と彼女を伺うと視線を巡らせ、そしてぼっと頬を染めた。やっと伝わったのだろうか。


「あ、ありがとう…えと、私もテツヤ君が…ううん、みんな好きだよ。来年もよろしくね」


眉尻を下げ、困った顔で微笑むさんに終わった、と思った。
みんなと同じ扱いになってしまったことに少なからず、いやとてもショックを受けてしまい、持ち前の諦めの悪さすら引っ込んでしまった。

どうしよう。思った以上にショックが大きい。ちょっと本気で泣きそうだ。




2019/09/14