残痕 - 2
見回りの先生も来るだろうし帰ろうか、と火神より先に動き部室の電気を消すと「お前はさ、」とさっきよりも暗がりの中で火神の声が聞こえた。
「悔しくねーの?」
「…悔しくないわけないでしょ」
何を当たり前なことを、と言葉数の少ない彼に察して答えると、少し間をあけて「…何で、俺を責めないんだよ」と自虐にもとれるようなことをいわれ振り返った。
火神はさっきと同じようにベンチに座ったまま俯いている。今度はこちらを向いているから少し違うけどそれでも落ち込んでいるのは見てとれて、は踵を返し彼の目の前へと足を進めた。
「負けたのは、俺の責任だ」
「……」
「俺があの時、躊躇せず手を伸ばせば取れたボールだった。そうじゃなくても、外すことだってできたはずだ」
「……」
「誰でもない。エースの俺がやらなきゃならなかったんだ」
座っている火神が俯いていて表情は見ることもできない。でもきつく握りしめる両手が見えては目を細めた。
何が正解かなんて実のところわからない。
入部早々にテーピング技術とマッサージは覚えなくては、とわかって今もリコ先輩の指導を受けているけど、スポーツ心理学も勉強した方が途方に暮れずに済むのだろうか?と考えてしまう程度にはも混乱している。
勉強したからといって時間を戻すことも、誠凛を勝たせることもできないのに、藁にも縋りたい気持ちになる。
「それ、テツヤ君や主将にいった?」
「………いってねぇ」
いってないだろうな、と思いつつ聞いてみると予想通りの言葉が返ってきた。
だってそんなこと言おうものなら日向先輩からはクラッチタイム入るだろうし、黒子君にだって溜息を吐かれるだろう。リコ先輩なんて考えるまでもないくらいだ。
まったく、とも溜息を吐きたい気持ちを押し込めうっすらとしか見えない火神を見やった。
「いっとくけど、私も責めないからね」
「……!」
「火神君が手を抜いたなんてこれっぽっちも思ってないし、むしろ調子は良かったでしょ」
「っ…ああ、」
「でも負けた」
インターハイを終えて家に帰ってきた時、少し泣いたけどいつも以上には泣けなかった。
負けて悔しかったけど火神達の方がもっと悔しい気持ちなんだろうなって思ったら涙よりももっと頑張らなきゃって気持ちの方が強く出てきて気づいたら涙が止まってた。
応援でも何でもやれることをもっと極めてみんなを支えなきゃって強く願った。
「反省会はあれだけで十分だし、できれば当分見直したくないし……でもそれよりも、」
「……」
「それよりも、火神君達が大きな怪我をしなくて良かったって思ってる」
思い出すのは木吉先輩だ。今もまだリハビリに勤しんでいる。定期的に連絡をとりあっているけど日向先輩達と同じ舞台に立つことは恐らく無理だろう、ていわれていてそれが未だにの心を締め付ける。
火神も今年のインターハイ前に足の不調がバレて大変だったけどリコ先輩の機転で事前に治すことが出来た。
治すといっても軸足の負担を減らし、負担がかかっていた足の動きを補正するというものだったけど、それだけでも火神の足は元の動きに戻った。
あのまま気づかなかったら腰を痛めて飛ぶこともできなくなっていたかもしれない、といわれたから心底安堵したのはいうまでもない。
「戦う相手が強敵ばかりだし、身体に負担がかかって痛めることは覚悟してても火神君やみんなが試合に出れなくなるのはやっぱり辛いからさ」
「……」
「負けるのも辛いけど、まだ次があるから…私は、それだけで十分だよ」
ウインターカップへの参加権も手に入ってるしね。と、おどけたように笑ってみせたが俯いている火神が見ていないのでただ自分が無理して笑っただけになってしまった。
尚も沈黙する火神にどうしたものか、と彼の頭を見ていると廊下から足音が聞こえ、パチンと電気がついた。
「何をしてるんだ。早く帰りなさい」
「はい。すみません、すぐ帰ります」
顔を出したのは宿直の先生ではすぐに謝ったが動かない火神を見て「ちょっと彼を手当てをしてから帰ります」と付け加えた。
先生は何かあったのか?と心配してくれたが部活で少し痛めただけだから大したことはない、と返し先生に立ち去ってもらった。
「火神君。帰ろう?」
それとも脚痛い?電気がついて今度はよく見えるようになった色の濃い赤頭を見下ろし聞いてみたがうんともすんとも返してもらえず、仕方なくしゃがみこんだ。
これなら会話もできるだろうと思いつつ見上げるとボロリと水が落ちてきてぎょっとする。え、ウソ。と目を見開いた。
「え、あの、か、火神君…?」
何も言ってくれないからてっきり怒り心頭、な感じで無言なのかと思ったのに。しかも「見んじゃ、ねぇよ…」と涙目で視線を逸らす火神にの方が狼狽した。
火神君、押さえるとこ鼻じゃない。すすってるのわかってるけど隠すとこそっちじゃない。ボロボロ落ちてるから!涙が!ちょっと可愛いから!いや、自分も何考えてんだと内心つっこんだ。
慌てて周りを見回したが今持っているのは使用済みのタオルしかない。
えーと、えーと、と右往左往してる間に火神が涙を掌で拭っていた。まあ、そうですよね…と思ったがじわりを滲んでは潤ませる瞳に場違いにも程があるがちょっとキュンとしてしまった。
ああもうどうにでもなれ、と手を伸ばし火神を引き寄せ抱きしめた。視界にビクッと跳ねた肩と火神の首が見える。体温の熱さに火神の感情が全部入ってる気がした。
「な、にすんだよ…」
「うん。ごめん」
さっき頭を撫でられて怒られたから大きな背中を届く範囲で撫でてみる。くぐもった声はやっぱり不機嫌だったが突っぱねられることはなかった。
その代わり「放せ」「うぜぇ」「余計なお世話だ」という低い声が聞こえて冷や汗が流れる。これはこれで辛いな。
「俺のこと怖いくせに、慰めてるつもりかよ。怖いなら触んじゃねぇよ」
震えてるくせによ、と悪態をつく火神にこの子は…と思った。
これ多分八つ当たりだ。
確証はないけど、いつもの火神ならこんなこといわないし、多少口は悪くなってもこんな風に突っぱねる言葉はいわれたことがない。
というか、火神は今迄どうやってこの感情と向き合ってきたんだろう。ずっと1人で耐えてきたのだろうか。そう思ったら腕の中の彼を放す気にはなれなかった。
「お前ウゼーよ。俺のことはほっといてさっさと帰れよ」
そしてこの子供っぽい言い回しだ。言葉自体はきついけどやっぱりこの手を放さなくていいのだとわかって、火神をしっかりと抱きしめてやった。
それからも「ウゼーし」「バカじゃねぇの」「ふざけんな」等子供染みた罵りを受けたが全部黙って聞いていると途中でぱったりと言葉が途切れた。
八つ当たりはこれで終わりだろうか。というか終わってくれるといいなぁ、と口の中が酸っぱくなっているのを顔を歪めて耐えていると腕の中の大きな身体が熱を持って震え出した。
「……うん?何?」
「……っ」
「……」
「…それでも、勝ちたかったんだよ、俺は。エースなんだからよ…」
「うん、」
「……みんなを、勝たせてやりたかっ…た」
背に回った手がの制服をきつく掴む。抱きしめる力もとは比べ物にならないくらい強く、少し痛い。
その痛みに知らないフリをしたは目を閉じ、熱くて震える背中を優しく撫でるのだった。
2019/10/08
※よろしければ→元気注入拍手