Alea jacta est・1


俺が『ちゃん』を知ったのは5月に入った夏並に日差しが強い日だった。熱中症でバテたクラスの女子を連れて保健室に向かうと保険医の三浦先生が俺の顔を見るなりてきぱきと用意していく。
俺はといえば空いてるベッドに彼女を寝かせ、不安そうに見上げる視線に「もう大丈夫やで」と声をかけてあげるくらしかできなかった。

「ありがとうね。白石くん」
「俺は委員の仕事全うしてるだけですから。でも、こないに暑いと具合悪い人増えそうで心配ですね」
「せやね。ベッドも満杯やし…"ちゃん"もそういっとったわ」
「…"ちゃん"ですか?」

首を傾げる俺に三浦先生は嬉しそうに微笑んで隣のベッドで寝てる子はその"ちゃん"が連れてきてくれたんだと教えてくれた。


ちゃんはえらいんよ〜至るところから具合悪い人見つけては保健室に連れてきてくれるんよ」
「…へぇ、そうなんですか」
「しかも学年問わず連れてくるから。いつも驚かされるわ」

ホンマおもろい子やわ。と零す先生に白石は、まるで昔見たアンパ○マンみたいだなと思った。それから困った人を見つけて助けてくれるのはありがたい話だけどその子はちゃんと授業に出てるのか?と他人事ながらに考えてしまって。

さすが四天宝寺やな、と感心しながら「保健委員の鑑みたいな人ですね」というまでにとどめた。



*****



それからことあるごとにちょくちょく『ちゃん』の名前を聞くようになった。勿論保健室限定だが今年は猛暑というのもあって『ちゃん』の出動は多い。その為三浦先生も大いに喜んでいた。

「んでな。ちゃんったらうっかり転んでもうてな」
「ははっそら相手もビックリですわ」

部活がオフで委員会の日、白石は保健室に残って三浦先生と世間話をしていた。1年の頃からお世話になってるとあって気心が知れていている2人に笑いは絶えない。

その頃になると三浦先生も隠すことなく『ちゃん』の話を出すようになり、自分も耳に馴染んで知らないのに知ってるような友達のように聞いていた。


ふらりと保健室に現れては病人を連れてきて去っていく。そんな飄々とした態度に想像はつきない。"ちゃん"というからには女子のことなんだろう、とは思ったが白石はそれ以上『ちゃん』を追求しなかった。

もし自分が知りたい、といえばこの人のいい三浦先生は嬉々として『ちゃん』を紹介してくれるだろう。
けれどそれは面白くないと思った。会えないなら会えない方がいいと思ったのだ。

別に卑屈な考えで遠ざけているのではない。ただなんとなく想像のままの『ちゃん』が妙に居心地良くなっていたのだ。


三浦先生の話は面白い。人助けが好きな『ちゃん』が実は照れ屋で、助けた男子生徒に告白されてタコのように真っ赤になったこと。
動揺して転んでしまったこと、飴ちゃんが好きでいつも持ち歩いてること、知ってか知らずか白石にまでその飴ちゃんが渡っていることを彼女は知っているのだろうか。


「そういえば先生が言ってた助言、役に立ちましたよ」
「あらホンマに?なんや今時の女の子は一途さが足りひんな」
「何いうてんですか。オススメしたの先生やないですか」

ちゃん』から貰ったという飴ちゃんをひとつ貰って口に入れた白石に、三浦先生は「せやかて、白石くんは白石くんなのになー」とぼやく。


実は2年に入った辺りに白石は三浦先生に相談したことがあった。

『どうやったら女の子に嫌われますか?』

意を決して相談した時の三浦先生の驚いた顔と言ったらなかったと思う。自分が相談されても鳩が豆鉄砲ものやと思うし。けれどその時の白石は必死だった。

女姉妹に挟まれて育ってきた白石は自然と必然と女の子に好かれることに長けていた。重いものは持ってあげるとか、話は聞き手に回るとか、困っていたら声をかけて泣いてたら優しくしてあげるとか。そうしなければ姉と妹と十数年間やっていけなかった。

けれど最近それがあらぬ方向へ行き着くのだと気づいたのだ。
小学校の後半からおかしいと思っていたが中学校に上がって確信に至る。


自分で言うのもなんだが顔の作りはそこそこいい方だ。自分が自覚する前から近所のおばあちゃんや本屋のおばちゃん、薬剤師のお姉さんとかも自分を見る度に褒めちぎっていた。

褒められて悪い気分になる奴はおらんし、告白の回数が多いというのも納得してる部分があった。


しかしだ。年齢が上がる度にその告白が自分のせいでもあるんじゃないかと思ったのだ。告白してくる彼女達の言い分は『格好いい』とか、『優しくしてもらったから』、『いつも助けてくれるから』、『白石くんも同じ気持ちなんじゃないかと思って』などだ。

自分はあくまで植えつけられた記憶で対処してるだけであってそれ以上もそれ以下もなかった。彼女達が期待するような展開は自分の思考になかったのだ。

そうなるとただ見た目だけで声をかけてきたミーハーな子を断るよりもそっちを断る方が難しくなってくる。なんせ、勘違いさせるようなことを自分がしてるからだ。
最初はどうにかして信じてもらえるまで話してみたが彼女達は信用するどころかもっと迫って来て、最後は泣きだす始末で。

2年から部長という大役を任された白石にとって彼女達の想いはより一層重く感じてしまったのはいうまでもない。


「俺も下ネタいうだけでこないに引かれるとは思ってもみなかったですわ」

困り果ててある日なんの気なしに三浦先生に相談したのはある意味自然の流れだった。その時は先生も答えを濁したけれど、数日間を置いて『白石くん。同じクラスに松本って子がおるやろ?その子のマネするとええで』と返してくれて。

松本といえば某有名な芸人と同じ苗字の男子で、ことあるごとに下ネタを発言しては女子に引かれていた。けれど松本のネタは痛快で女子が引くのも含めて面白かったりする。

三浦先生もよく松本のことを知ってたな、と思ったが『白石くんは顔ええからほんの少しでも十分いけるで』と太鼓判を押すので疑問はあっさり忘れ、実行に至った。『んん〜っエクスタシー!』もそれの応用だったりする。


お陰で告白の回数はここ数ヶ月ほぼゼロである。少し寂しい気もしなくもなかったがその分部活に打ち込めるとあってそんな寂しい気分は一瞬で消え去っていた。

「私もや。さすが同じ中学生から見た視線はちゃうわね」
「え、先生が考えはった対策ちゃうんですか?」
「そらそうやろ。大人からしてみれば下ネタもいえひん男なんて薄ら寒いわ。せやけど中学生は今も昔も乙女なんやねぇ」
「…もしかして、その話誰かにしたんですか?」

こんな恥ずかしい相談を誰かに知られたんだろうか、と顔色を悪くすると、三浦先生はハッと我に返って「か、堪忍な!」と謝ってきた。


「せやけど、白石くんの名前は一切出してないで?男子が引かれることってなんやと思う?て、ちょこっと"ちゃん"に聞いてみただけやから」
「"ちゃん"にだけですか…?」

もし複数に聞いてたら先生の信頼度がた落ちやで、と見やれば三浦先生は大きく頷いて「これも食べや!」と隠していたお菓子を差し出してくる。それくらいで買収されへんで。

「ホンマに"ちゃん"だけしか話してませんよね?」
「ホンマホンマ!"ちゃん"だけにしかしてへんよ!」


本当はその『ちゃん』にすら聞かれたくない話でもあったが、女性に相談した時点で諦めるべきことだったな、と溜め息を吐いた。三浦先生も話好きな女の人や。女性は年齢問わず話好きだったのを今更思い出した。

元気なく返す白石に三浦先生はあたふたとお菓子やお茶を出してきたがそれくらいで治るようなものでもない。一世一代の悩みごとを相談した相手以外にも知られるなんて。恥ずかしくて穴があったらそこに埋まってしまいたいくらいや。

そこまで考え、白石はふと我に返った。思ってたよりも『ちゃん』に知られたことが堪えたらしい。

もしかしたら他人に知られたから、かもしれないが思ってたよりも落ち込んでいる自分に白石自身驚いていた。


「そういえば、ちゃんに保健委員やってーや、ていうたんやけど、尽く断られてんのよね〜」
「…そうですか」
「なんや保健委員の倍率が高いとかいうてな。白石くんとこのクラス、保健委員そないになりたい子おったん?」
「……そやったと思います」

ぼんやりと役員決めを思い返し、そういえば女子の半数は手を挙げてたな、と思った。

「まぁ、白石くんがおるからしゃーないわな」と溜め息をつく三浦先生を見ながらその『ちゃん』のクラスもあんな風に邪な感情の子達に邪魔されてなれなかったんだろうなと思って人知れず同情したのだった。



*****



無事府大会を勝ち抜き、関西大会に進んだ白石達は心地いい緊張感に包まれていた。天気は良好だし、自分も部員達の士気も高い。
順調に勝ち進み、この試合に勝った方の学校と決勝戦や、というところで忍足が声をあげた。

「あ、飴ちゃんやん!どないしたん?」

振り返れば少し離れたところで忍足が数人の友達と話している。見えた顔に白石のクラスメイトだとわかった。クラスでも騒がしい部類の吉田がこちらに気づくと「おう!白石ーっ応援に来たでー!」と大きく手を振っている。

それに手を上げて返した白石は一旦コートを見て、隣にいた小石川に声をかけてからその場を離れた。


「なんや、来てくれたん?そっちも夏に大会あったとちゃうか?」
「それいうなや白石。うちの学校の野球部がどんだけ弱小かわかっとんのか?」
「せやかて府大会決勝まで行ったやん」
「決勝で去年全国3位に負けたけどな!」

ハッどうせ俺らは踏み台ですわ!と投げやりに返す吉田と山本にカラ笑いを浮かべると彼らの隣にいた女子達を見てそれから忍足を見やった。

「仲ええんやな」
「おう!こいつらと去年同じクラスだったんや!」
「仲ええというか俺らが忍足のお守りみたいなもんやけどな」
「なんやと?!」
「自分にめっちゃ世話になったの忘れとんのか?」

頭上がらへんやろ、と笑う男2人に忍足は恐る恐るといった顔で小さい方の女子を見て「いつもおおきにな」と小さく零した。


「…忍足がしょーもないのはいつものことやし別にええけど。ていうか、試合見てたんちゃうん?この試合のどっちかの学校と戦うんでしょ?」

ここで話しててええの?と忍足を見上げた女子は面倒がかかる弟を見てるような顔だった。見られた忍足はビクッと肩を揺らすとそそくさとコートがあるフェンスへ戻っていく。なんや、尻にしかれとんな。


「白石くんも頑張ってな。応援しとるから」
「心強いわ。決勝やから相手の応援も熱はいるやろし。よろしく頼むわ」

にこっと笑いかければ自分と然程変わらない背の女子はほんのり顔を赤くした。それを目敏く見つけた山本は「うっわ、鈴木、白石に惚れてもーたわ」というので早速鈴木さんに殴られていた。

「ほなら俺も行くわ」
「白石!気張りや!!」

小石川に呼ばれ背を向けると吉田がそう声をかけてくれ振り返る。その際、さん、といわれていた小さい方の女子と目があったがスっと不自然に逸らされた。

それがなんとなく気になったけど顧問のオサムに呼ばれたので慌てて吉田達の手を振って仲間がいる方へと向かっていった。




2015.04.14 ハピバ!白石!!