Alea jacta est・2


夏休みも終わり、2学期が始まったが気候はまだまだ夏で肌がベタつく感じがする。クーラーくらい欲しいわ、と下敷きで扇いでいると「飴ちゃーん」という聞き慣れた声が教室に入ってきた。
振り返れば忍足は吉田達がいる輪に入り、背の小さいさんに飴ちゃんをせびっている。

「来るのはええけど大声で"飴ちゃん"いうんはやめてや。恥ずいやん」
「忍足、お前またに飴ちゃんせびりに来たんか」
「ちゃうわ!俺は腹減って元気なくなったから"飴ちゃん"の仕事減らそ思って来たんや!」
「同じやないか」
「まだ2時間目やで?」
「何いうとんのや!俺は朝練でハードな練習こなしてたんやで!!」
「ただ単に燃費が悪いだけとちゃうか?」

お前無駄に走っとるもんな。とケラケラ笑う山本と吉田に忍足はプンスカと怒って「苛々するから飴ちゃん2個くれや!」と手を出している。ホンマ仲ええな。


「2個と言わずにごっそり持って行きや。今日は忍足の好きな青汁味もあるで」
「ホンマか?!」

目を輝かせる忍足に周りはこれでもかというくらい嫌そうな顔をするので、思わず吹き出してしまった。いい連携プレーやな。
というか飴ちゃんに青汁味があるとか初めて聞いたで。おもろいもの見つけてくるな、さん。

おもむろに席を立てば隣に座ってた山根さんが「し、白石くん全国大会4位おめでとうね!」と声をかけてきた。それに笑顔で返して忍足に近づくと嬉しそうに「おおきに!」といって早速青汁の飴ちゃんを舐めていた。


「なんや。うまそーなもん食べとるな」
「あ、白石!」
「うまいかどうかわからんで?青汁味やし」
「うまいに決まっとるやないかい!"飴ちゃん"!白石に青汁味渡したってや」
「え…」

手に大量に飴ちゃんを貰ってくせにそこからではなくさんに飴をくれと更にせびった。
固まるさんに忍足が「お願いや!後生やから!」と飴ちゃんごときで一生のお願いを使ってくる。こいつ、こうやっていつもさんに迷惑かけとるんちゃうやろか。

なんとなく悪いことをしているような気分になっていると、溜め息を吐いたさんは「不味くても知らんからね」と忍足に青汁味の飴ちゃんを渡した。


「ほら、白石食べてみ!うまいから!!」
「…あ、ああ」

何故そこで忍足に渡すんや?とさんを見ていれば視線を感じたのか顔を上げた彼女と目が合って、素早く逸らされた。なんや、傷つく態度やな。

忍足に促され、青汁味の飴ちゃんを口に放り込めば独特な味が口内に広がった。よく飲む青汁と違って甘みが強い飴ちゃんに、ふぅんと零すと「なんや、思ったより万人受けにしたな」と感想を述べた。

「もう少し苦味あってもいいくらいやで」
「「「は?」」」
「せやろ?!うまいやろ?!」
「んー俺や忍足じゃ物足りひんけど、初心者が舐めるには丁度ええんとちゃうか?」
「うまいやろ!」

「…ああ、うまいな」


俺らはな、と心で呟いて忍足を見れば目を輝かせ「ほら見ろ!」とさん達に胸を張っている。青汁仲間おらへんから嬉しいんやろな。
「"飴ちゃん"達も舐めてみ!ハマるで!!」と貰った飴ちゃんを強要する忍足に呆れて頭を押さえると、「忍足、煩いで」とさんに睨まれたちまち大人しくなった。

「つーか、白石ホンマにうまいん?青汁味やで?」
「実は別の飴ちゃん舐めとるんちゃうん?」
「何言うてんねん!白石は家でも青汁飲んどる健康オタクやで!ジュースしか飲まへんガキと一緒にするなや!」
「忍足…誰が健康オタクや」
「誰がガキや。もういっぺんいうてみ?」
「ジュースのどこが悪いねん。青汁ばっか飲んどるとそのうち葉っぱになるで?」

山本の言葉にそれはないやろ、と内心思ったがそれよりも忍足や、と思って奴を睨めば脱兎のごとく逃げ出し「"飴ちゃん"!飴ちゃんありがとーなー!」と残像を残して去っていった。
ついでに予鈴も鳴って白石達は溜息を吐き自分の席にそれぞれ戻った。


「白石くん。健康オタクなん?」
「んー。忍足がそういうからそうかもしれんわ。家にぎょーさん健康器具あるしな」

席に着きながら斜め前の席に着いた鈴木さんが声をかけてきて白石はカラ笑いを浮かべた。オタクといえばオタクなのかもしれないが声を大にしていわれたくはない。でもそれで1歩でも2歩でも引いてくれるならそれでもいいか、と思って同意した。

聞いた鈴木さんは少し引いた顔をしたが「ダイエットの時相談してもええかな?」と笑ったので頷いておいた。

「せや。さんも青汁飲めるん?」
「どうやろ。忍足が青汁好きいうてたからネタで買ってきただけやと思うけどな」


いつもはフルーツ味とか普通の飴ちゃんばっかやし。鈴木さんがそういうと先生が入ってきて彼女は慌てて前を向いた。
出欠を聞きながら白石はこっそりと振り返り、1列向こうの斜め後ろにいるさんを見やった。

自分が好きでもない飴ちゃんを買ったのか。仲もええしもしかして忍足のこと好きなのかもな、とぼんやり考えた。白石の視線気づかないさんはぼんやりと窓の外を見ていて忙しい忍足とは真逆の子のように見えた。だから気が合うんやろか…?


授業も終わり、それぞれの放課後を楽しんでいる中、白石は1人廊下を急ぎ足で歩いていた。手にはDVDが握られている。うっかり三浦先生にDVDを借りたまま返すのを忘れていたのだ。
まだいるやろか、と保健室のドアを叩けば中から「はーい」と心地いい声が聞こえ、それにホッとして扉を開けた。

「そんな急がなくても良かったのに」
「そうは思ったんですけど、気づいたのに返さんのは落ち着かんくて」
「ありがとうね。あ、そうや!白石くん飴ちゃん舐めへん?」
「え?」
「さっき"ちゃん"来たんやけど私青汁苦手なんよ」

ちゃんには「好き嫌いないで!」といった手前、大人のプライドで言い出せなかったらしい。


「白石くん青汁飲めるって前いうとったやろ?」と差し出されたフィルムに目を見開いた。このパッケージは見覚えがある。

忍足が喜んで舐めていた、さんがくれた飴ちゃんと同じものだった。


「…ねぇ先生。その"ちゃん"って」


そこまで言って口を噤んだ。それはそうだ。今更さんのことですか?とはいえないだろう。多分、三浦先生は白石とさんが同じクラスとわかった上で話をしていたのだ。
同じクラスで名前を知らないとか夏休み過ぎたこの時期にいえるはずもない。下手したら三浦先生の中で白石とさんは友達同士かもしれないのだ。

「ん?」と首を傾げる三浦先生に白石はぎこちない顔で笑いながら「何でもないです」といって保健室を後にした。

重い足取りで部室に向かいながら白石は微妙な気持ちになっていた。まさか『ちゃん』がさんだったなんて…。しかもわざと固めなかった想像がこんな形で返ってくるなんて。


「もう少し愛想がいい子やと思ってたわ」

本人聞かれたら失礼極まりないが、白石が知っているさんは忍足と仲が良くて、あまり表情の動かない、飴ちゃんをよく持ち歩いている子だった。
だから照れ屋で人当たりのいい保健室のヒーローみたいな"ちゃん"と重なることはなかったのだ。

「あ、」

こんな近くにいたなんて。そうやって思い返していくうちに気づいた共通点に声を漏らす。
もしかしてさんが不自然に視線を逸らしてたのは以前三浦先生に聞かれたことが白石のことだとわかったから…?

だから不自然な態度でぎこちない、バツが悪そうな顔をしてたのか…?

そうだと理解した途端、白石はカァッと顔が熱くなって廊下の壁に頭を押し付けた。俺、めっちゃハズい奴やん。なんやそれ。



*****



秋も深まり、文化祭の季節になった白石達のクラスも盛り上がりを見せていた。どうやら今年はおばけ屋敷をやるらしく、男子はやる気満々になっている。
しかし白石は顧問のオサムから部費を稼いで備品を大量に買うという使命を受けていたので部活の出し物につきっきりになっていた。


「白石くん!今日手伝ってくれへん?男手が必要なんや!」

部活ができへん!と嘆く忍足の話を聞きながら教室を出ると鈴木さんに呼び止められた。
どうやらクラスの男子が遊んでばかりで進んでいないらしい。女子は女子であまり乗り気じゃない為人手が足りないのだという。

「白石くんがいればきっとみんなもやる気になるで!」という言葉にそれはどうだろうか?と肩を竦めたが手伝わなすぎるのもよくないかと思い直し、忍足と別れ教室に戻った。


日の落ちる時間が早まるこの季節は少し肌寒い。外が暗くなり一層そう思えて視線の先の彼女を見やった。

セーターの上にジャージを羽織るさんの格好はより寒そうに見える。吉田達と仲のいい鈴木さんとはよく話すようになったがさんとはまだあまり話せていない。

最初こそバレて打ちひしがれた白石だったが、今の結果に不満はないし、逆に感謝さえしている。
だから早々に仲良くなれないかと話しかけたりしているのだがいまいち反応が薄い。多分、彼女はまだ気にしてるんだろう。それを払拭したいのだが2人きりになる、というシュチュエーションが今迄なかった。

そう、今迄は。


注文していた物を受け取り職員室から戻ってみると教室にはさんしかいなかった。

「あれ?みんなは?」
「え?!あ…………帰った、よ」

振り返ったさんは大きく視線を逸らすとそのまま迂回して手元に戻る。そのぎこちない態度に白石は短く息を吐くと持っていた箱を机の上に置いてさんに近づいた。

「あ、いや、帰った子もいるし、部活に顔出しに行った人もいる」
「鈴木さんも?」
「う、うん…」


同じ部活のはずの彼女に「さんは行かへんの?」と聞けば「私が行っても役に立たないし」と零し手を動かした。
丁度今は障子を貼る格子を作っていて、筆でぺたぺたと茶色を塗りつけている。白石はバケツに入れっぱなしの筆を取ると、同じように茶色をつけて白を塗りつぶした。

「や、私1人でできるから…白石くん帰って、ええよ」
「俺、いつもは部活で忙しいから今日くらいしか手伝いできへんねん。せやからちょっとでも手伝わせてや」
「うっ…」
「ほな、こっちから塗るからさんはそっちからな」

どっちが早いか競争や、とニヤリと笑えばさんは目を大きく見開いて、それから「わ、わかった」といって慌てて視線を逸らした。


「…なぁ、」
「う、うん?」
「何で行っても役に立たへんの?」

ぺたぺたと塗りつける筆の音以外教室は静かなもので、誰も戻ってくる様子はない。ちらりと視線を上げればさんの手が止まっていた。本当は突っ込まない方がええと思うんやけど、彼女を見ていたらどうにも気になってしまった。

「バスケ部、全国行ったんやろ?」
「うん…」
「強いんやからもう少し胸張ってもええとちゃうか?」
「強いのは私やあらへんし」
「同じやろ。"チーム"なんやから」
「違うよ」

顔をあげてまっすぐ否定してくるさんは意思がはっきりしていて、いつものオドオドした雰囲気はどこにもなかった。こんな目で忍足のことを面倒見ていたというならあの上下関係も頷けると思う程に。


「私1人じゃ強くもなんともない。みんなが強いからチームが強いんや」

見つめる瞳が悲しく彩る。その瞳に白石は釘づけになった。

「私な、関西大会にちょっとだけ出てん。練習はみんなと同じくらい…もしかしたらそれ以上に頑張っててんよ。けどな、いざ試合に出たら足がすくんでもうてな。大量の失点を出してしもうたんや」
「……」
「監督はすぐに交代させてくれたわ。みんなが協力して点数稼いでその試合は勝ったけど…私が出ぇへんかった方がヒヤヒヤせずに勝てたんちゃうか思うて、な」
「そんなことあらへんやろ」

失点の理由はすぐにわかった。朝礼で表彰された時にテニス部も鈴木達バスケ部の近くにいたが身長は白石達と然程変わらない女子が多かったのだ。恐らく関西大会に出た敵チームもそのくらいの身長の子がたくさんいたのだろう。


そう考えれば想像は容易い。どんなにさんに技術があっても埋められない差は出てくる。どうしても越えられない壁にぶち当たってしまったのだろう。
そう思ったけれど自分なんか出ない方が良かったんじゃないか?という彼女に我慢できなくてつい言い返してしまった。

「補欠が急に選手とか無理やってん」
「無理やない」
「え、」
「無理やと思ったらそこで終わりやん。さん俺らの学校は四天宝寺やで」
「……」
「笑かしたモン勝ちや」

口にしてしまったと汗が滲んだが胸に溜まったモヤモヤしたものが声になって漏れた。自嘲気味に笑う彼女が痛々しくて少しだけ苛立ったせいかもしれない。

勿論勝った方が嬉しいし、全国の結果にまだ納得しきれていない自分もいる。でもそれは次に繋がるってわかってる。続いてくれる仲間もいる。諦めない自分もいる。それだけ揃ってるなら怖いものナシなんや。


「楽しんでプレイできたらそれだけで"エクスタシー"な気分になれるやろ?」
「あ…」
「そういう意味でさんはまだ努力が足りてへんとちゃうか?」

楽しむことも、信頼することも、もっともっとできるはずやろ。半分は自分への戒めやな、と内心思いながら筆を動かすとさんが塗っていたところまで辿りつき「これで仕舞いや」と彼女の筆に筆先をくっつけた。


「自分、"ちゃん"なんやろ?」
「えっ」
「あん時は相談に乗ってくれてありがとうな」

バケツで筆を洗いながら何でもないように切り出しその筆を雑巾で拭った。置いてある他の筆の上に置いて腕を伸ばした白石は「俺も帰るかー」と立ち上がる。


さんはどないする?」
「え、え?」
「帰るなら送るけど」

振り返るとさっきと同じ格好のまま固まってるさんに吹き出しそうになった。顔真っ赤やん。なんや、ホンマに照れ屋さんなんやな。なんやちっさい小動物みたいで可愛いな、と伺うと「いや、いい。部活の方、見に行くわ」と慌てて立ち上がった。

カバンを持って廊下に出れば一層寒く感じて捲ったシャツを下ろし学ランを羽織った。電気は消さない方がええか、と教室を見ていると視線を感じ振り返る。合わせた視線は逸らされなかった。それがなんだか嬉しくて頬が自然と緩む。


「怒っとらんの?」
「怒るもなにも今の俺見てわからへん?」
「…すんごい楽しそう」
「当たり」

にんまり笑ってやればさんは微妙そうに顔をしかめたが、頬はまだ赤くてそれが妙に可愛かった。あ、さっきも同じこと思ったわ。


「まぁ、白石くんはモテるから問題ないと思うけど…」
「ん?何かいうた?」
「ううん。なんでもないよ。…それより、白石くんは楽しかった?全国」

伺う彼女に白石は少し考える素振りをして「そこそこな」と返した。

「持ち越した分もあるから、来年が楽しみなんや」
「そっか」

白石の答えになんとなく満足そうに頷いたさんはそのまま背を向けると「ほなな」といって歩き出す。


「あ、そうや!さん行く時気ぃつけや。この階の女子トイレに花子さんおるで」
「っ?!ちょ、何いうてんの?!」
「昨日の帰り音聞いてん。せやから今日も聞けるかもしれんよ」
「聞いてへんから!聞いてへんからその話!!」

今からそこ通るのに何いうてんの!と怒るさんに白石は笑うと「また明日な」といって背を向けた。聞こえる足音が途中で走る音に変わったのを見て振り返ると女子トイレの前をさんが全力疾走していた。忍足並に早いんとちゃうか?

さん足早いなー」と叫べば小さくともビクッと身体を揺らしたさんが見て取れて。彼女は「白石くんのあほー!」と叫んで階段の方へと消えていった。




2015.04.15