Alea jacta est・3


「…なぁ。これって笑われるだけちゃうん?これでホンマに勝てるん?」

木下藤吉郎祭り当日、控え室で謙也が呆然とした顔で自分の格好を見ていた。
それを横目に見ながら白石も何とも言えない気持ちでいたのだが、この状況を楽しんでいる小春は「そうよん!これでがっぽり稼ぐから誰1人手を抜いちゃダメよ!」と指で銭マークを作ってニヤリと笑っていた。新手の悪徳商法の顔にしか見えへん。
ユウジは相変わらず小春命で自分の格好なんて気にしてへんようや。

「……まぁ、百歩譲って俺らはええとして……銀さんは……」
「それをいうたら小石川先輩もギリアウトですよ」
「アウトにギリも何もあらへんやろ」

ハァ、と溜め息を吐く健二郎の格好は痛い女装にしか見えない。それをいったら銀なんて目も当てられないが。


オサムちゃんと小春が暗躍して勝手に決められた女装喫茶は、案の定白石達からブーイングが出た。その上での暗躍だったのだろうが不満はつきない。

しかし差し迫る文化祭と小春の言葉でそれぞれなんとか飲み込み、なんとなく腹を括ったつもりでいたが、いざ当日衣装を着た途端怖気づいてしまった。なんせこの格好で色んな人に接客するのだ。恥ずかしくないわけがない。

それに昨日どこから仕入れてきたのか(きっと小春だ)妹の友香里が「見たい!行きたい!」とまでいってきたのだ。多分間違いなく母親と姉同伴で来ることだろう。それを考えるだけでも頭が痛い。


「謙也んちは親来るん?」
「…多分。侑士が焚き付けたせいで弟も来るとかいうとったわ」

写メ撮りに来るとかホンマ最悪や…と肩を落とす仲間にこれもテニスの為や、と慰めた。



それから渋る白石達の気持ちをさらっと流すかのように時間の神様は数秒も待ってもくれず文化祭が始まったのだが、客足は何故か良好で自分の格好を気にするどころか休む時間すらなかなか取れなかった。

「…財前もさすがに慣れたみたいやな」
「心を無にしただけですわ」

財前のクラスの女子が大量にやってきて、写真を撮られまくった姿を遠目からげんなりと見ていたが、当の本人はケロリとしてるので恐る恐る声をかけたらそんな言葉が返ってきた。

「んま!光きゅんってば"無我の境地"開いちゃったの?!」と驚いてる小春がいる。そんな遠くからよく聞こえたな。
花魁の格好でしゃなりしゃなりやってきた小春は胸元がばっくり開いてる格好で「財前きゅんは少し休んでらっしゃいな」とストップウォッチを渡された。休憩5分かいな…。


「オーッス!しーらいしー!来てやったでー!!」
「ぶはっ忍足なんやそのミニスカポリス!!」

ぎゃー!という謙也の悲鳴に振り返れば吉田達が手を振って立っていた。その後ろには鈴木さんと仲よう喋ってるさんもいる。
「はよ案内しいや!お客様やで!」とふんぞり返る山本に謙也が冷やかされながらも席に通すとそそくさとこっちに逃げてきて「あいつら鬼や!鬼がおるで!!」と泣きながら裏口へと入っていった。


「ぶはっはっは!白石違和感ないな!そのナース!!」
「ええなその脚線美!鈴木も羨ましいんとちゃうか?」
「うっさいわ!…でも確かに白石くんの脚ええな。しかも忍足より長いんとちゃうか?足」

じっと足を見てくる3人になんだか気恥ずかしくなって後ろに下がると鈴木さんに「注文よろしゅう!」といって逃がさんとばかりに手を掴まれた。怖い。

「…以上の注文でええですか?」
「はーい。よろしゅうなー」



それから注文を聞き終え、溜め息を吐くと丁度後ろを歩いていたユウジが「溜め息禁止やで」と低くドスの利いた声で去っていく。チャイナの自分に言われたないわ。
あとずっと思っとったけどスリットめっちゃ入ってんやん。パンツ見えひんけど履いとるんかいな。ノーパンやったら逮捕ものやで。

「……」
「……っ」
さん」

今度は去っていったユウジの話をしだした3人を尻目に視線をさんに向けると彼女はずっと震えたまま下を向いている。白石を見てからずっとこうだ。
笑いたければ笑えばええやん。そないな気ぃ使われる方が対応に困るわ。と言い放てばさんはこっちをやっと見て、そして吹き出した。俺、今心にえらいダメージを受けたで。


「ふっははは!ご、ごめんね!ごめん白石くん!!そんなつもりじゃなか…っぷぷ」
「ええよ。その笑いは妹らが来た時に十分受けた仕打ちや」
「ぶふっ!い、妹さん達来たん?!…そらご愁傷様…ふははっ」
「もうええって。笑いたければ笑えばええやん」
「だって…白石くんナース可愛いんだもん…っ!」

問診票でオーダーとるとか凝っててウケる…!とお腹を押さえながらケラケラ笑うさんに心はボッキボキに折れたが、そういえば彼女の笑顔を見たのは初めてやったな、と思った。
表情が動かない、と思っていたのは勘違いだったらしい。それだけ自分に慣れてきてきたのだろうか、そう思ったら折れた心も少しだけ元に戻った気がした。



*****



文化祭最終日も朝から忙しかったが慣れない仕事がやっと慣れてきて休憩時間もちゃんと取れるようになっていた。

「今頃小春とユウジはリハやな」
「…そうですね」
「優勝したら学食食い放題の券やったな」
「そうですね」

同じ言葉しか発しない財前を見やれば机にべったり突っ伏している。今は丁度財前と白石が休憩時間に入っていた。白石も椅子に深く腰掛けだらりとしている。

毎週やってる公演と違って文化祭は四方八方の人が来る。これで優勝せなお笑いの道は拓けへんで!と小春の叫びにユウジが燃え燃えに燃えて会場に向かっていったのは1時間前だ。
そろそろリハも終わって本番が始まるだろう。毎年優勝をかっ攫っていくのは先輩達だが、小春とユウジなら優勝間違いないやろな、となんとなく思っていた。


「…こんにちはー。うわ、屍がおる!」
「え?さん?」

控え室にこっそり入ってきたさんに驚くと彼女は白石を見て「ぶっ今日はシスターなん?!」と吹き出したが気にしなかった。さすがに噴出されるのはもう慣れた。さんの他にも笑われたので変に耐性がついたのはいうまでもない。

そしてさんも初日のように大笑いすることなく「どうしたん?」と聞けば「差し入れ持ってきてん」と袋を取り出した。

「女バスから白石くんらテニス部にって」
「え?何で?」
「聞いてへん?白石くんのお姉さんうちの女バスのOBなんよ」

そういえばそうだった気がする。姉が四天宝寺のOBで在籍3年間はずっと全国優勝していたことを思い出し、「先輩からええ話聞かせてもろたから」と微笑むさんを見て久しぶりに姉の弟でよかったわ、と思った。



「冷蔵庫とかある?生ものやから冷やしたいんやけど」
「そうなん?…あ、これゼンザイやな」
「うん。先輩のクラスでゼンザイ出しててな。めっさうまいいうから買ってきてん」

あとみたらしもあるで、と袋を覗きながら数を数えていると目の前に影ができたので何や?と顔を上げた。

「…それ、今食べてもええですか?」
「う、うん。ええよ」
「…ほな、いただきますわ」

おおきに、といって袋に手を入れた財前はさっさとゼンザイを取って机に向かっていった。しっかりスプーンも持ってる辺り無駄ないで。


「……あの子も女装なん?」
「おん。せやで」

素早い動きで去っていった財前を見て不思議そうにしていたさんは「なんや見分けつかんくらいバッチリメイクやね」と褒めていた。それは俺も最初思ったわ。
ゴスロリの格好に黒髪ストレートのウィッグ付けて目元や唇まで真っ黒にしてるし。謙也なんか腰抜かしてたくらいやで。

「爪まで真っ黒や」と感心してるさんに椅子に座るように促すと白石もみたらしを手にして後は冷蔵庫に仕舞った。

「そういえば、忍足今日はあの子と逆の白と水色のロリータ服やったな」
「小春がいうにはアリスファッションらしいで」
「あー確かに」

目線を上にあげて謙也を思い出してるのか納得したように頷いていた。本当は鈴木さんも一緒に来たらしいのだが謙也の格好を見てからかう方に徹したらしい。「あまりにも長いから置いてきてん」とため息を零すさんに白石も肩を竦めた。



「…ん?何?」
「いやあ。ホンマ違和感ないな思って」

まじまじと見てくるさんになんとなく居心地悪くなって居住まいを正せば「ええなぁ」とさも羨ましそうにいわれた。

「男でかわええとかホンマ腹立つわ」
「…さん。それで腹立たれても俺フォローのしようないねんけど」

むしろ、心が痛い。と零せば「褒め言葉や!傷つかんといて!!」と慌てて慰めてきた。ホンマ表情がくるくると変わってかわええわ。にっこりと微笑めばさんもホッとした顔になって、それから微笑んで。その顔を見て胸の辺りがホカホカと温かくなるのを感じた。


「あ、せや。甘いもの食べたからいらんかもしれへんけど飴ちゃん食べる?」

帰りにでも舐めたらええんやないかな。とポケットから出した飴ちゃんを受け取り「おおきに」と微笑んだ。なんや、ほかほか心地ええ気分やな。
にこにこと微笑むさんを見て浸っていると彼女は財前にも顔を向けて「そこのゴスロリの子も飴ちゃんいる?」と声をかけた。

「…くれるなら貰っときますわ」
「………どうしたん?白石くん」

はい、と手渡す2人を見ながら呆然としているとこちらに気づいたさんが首を傾げて白石を伺ってくる。視線が向いてハッと我に返った白石は「何でもあらへんよ」と答えながらもチクリとした違和感に眉を寄せたのだった。



*****



文化祭が終われば冬休みなのだが、その前に迫ってるのは期末テストとお笑いバトルトーナメントやった。後者は小春とユウジ以外は特に用があらへん。予選で謙也が出たいというとったが財前には断られとった。

気をきかせて俺が出てやろうかといえば「白石は残念すぎるから無理や」と断られた。何が残念なんや。そんなわけで小石川と組んで予選落ちしたので今は大人しく期末試験の勉強をしている。

「なんや蔵リン最近特に楽しそうやね」
「ん?そうか?」
「うえぇ。テストが楽しみなんてありえへんわ」
「テストのことやないって」

話聞いとった?と零す小春に「話聞けやドアホ」と何故かユウジがキレていた。
放課後、ないよりはやった方がいいだろってことで小石川のクラスに集まって勉強をしていたのだが小春がこっちを悩ましげに見てくるので思わず身構えた。


「その顔は、こ・い・し・て・る・か・お、よね〜ん?」
「は、何いうてん」
「ホンマか?!白石!!」
「ようやく白石にも春が来たっちゅーことか!」

小春の言葉に睨み合っていた謙也とユウジまで中断してこっちを見てくる。こっち見んなや。「いやあ、白石の告白現場見なくなったから心配しとったんやで!」とか余計なお世話や。自分らこそ彼女くらい作ったらどうやっちゅーねん。

「え、部長、彼女いなかったんスか?」
「そらそうやろ。エクスタシーとかいうとる奴に彼女とかおらんやろ」
「…謙也、自分ケンカ売っとるんか?」
「…まぁ確かにそうですね」
「光も容赦ないわね〜」
「いつも通りやろ」



切れ味のいい財前とユウジのつっこみに言葉を挟めずにいると小春が余計にニヤニヤしてきたのでなんとなしに顔の温度が上がった気がした。そんな顔をするから小春にからかわれるというのに。

「告白するのか?」
「え?」
「うわー小石川つっこむなー」

小春の視線から逃れるように教科書を開けばおもむろに顔を上げた健二郎と目があった。ユウジの声が遠くに聞こえる。は?告白?と目を瞬かせればみんなの視線が一斉にこちらに向いた。いつの間にそんな話になったんや。


「すみませーん。こちらに白石くんは…」

妙に緊迫した空気の中、現れた人物に白石達はビクッと身体を揺らした。そして一斉に見やれば出入り口にいたさんもビクッと肩を揺らし「ご、ごめん。出直してきます」と標準語でそそくさと逃げた。


「あ!待ってや!!」

いち早く我に返って追いかけた白石はそのままさんの手を掴み引き止めた。うわぁ、手ぇ小さいな。握った感触が柔らかくて握り潰してしまうんじゃないかと不安になった。

振り返る彼女の髪からはいい匂いが漂ってきてそれを嗅いでドキリとした。ドキリとしてそんな自分に慌てた。何さんの匂い嗅いどんねん自分!



「お、俺に用があったんやろ?どうしたん?」
「あ、うん。三浦先生が明日保健室に来てほしいって…だけなんやけど」

勉強してたのに…堪忍な、と謝るさんに謝らんでもええのに、と思いながらも言葉が出なかった。俯く彼女の旋毛を見つめて、伏せた瞼とか赤くなってる耳とか見てたら妙にドキドキして言葉が出なかった。

さっきから小春と健二郎の言葉が木霊して頭が回らへんねん。俺、ホンマにさんのこと好きなんやろか。


「あ、あんなさん。その、植物とか好きか?」
「へ?」
「あ、い、いや!…そ、そう!遊園地とか好きか?U○Jとか!」
「え?」

驚くさんに白石自身も驚いていた。俺、何言うとんのやろ。こういうことはもっと慎重に、それこそ完璧に準備してから言うべきなのに。
こんな聞き方したら引かれるんとちゃうか?と内心冷や汗だらだらに考えていると、視線を彷徨わせていたさんが「うん、好きだよ」と頷いてくれた。


『うん、好きだよ』


さんの言葉が白石の頭の中でリフレインする。うわ、なんやこれ。
思ったよりも『好き』という言葉が衝撃的で何もいえずに固まっていると、「白石くん。どないしたん?」と上目遣いに見てくるさんと目が合って心臓が壊れんばかりに跳ねた。


「あ、あんなさん…今度、」



「あ、いた!"飴ちゃーん"!飴ちゃんおくれー」
「「……」」

全然自分らしくないが、本能的なものが今動けと白石を突き動かし言葉にしようとしたが最後まで紡ぐことができなかった。さんと見やれば予想通り健也がひょっこり廊下から顔を出していてその後ろでは小春が盛大な溜息を吐いていた。


「…それで白石くん。さっきなんていおうとしたん?」

「ホンマしゃーないな」と健也に見られる前にさんは白石に捕まれた手を引き抜くと呆れた顔で飴ちゃんの袋を漁り健也に手渡していた。
それを呆然と見ていた白石は彼女に声をかけられてもすぐには反応できなかったが「いや、また今度でええわ」といって笑ってはぐらかした。

さっきまでの衝動はあっさり治まっていて手を引き抜かれたのも地味に心が痛い。今の白石にはぎこちない笑顔で取り繕うのが精一杯だった。何やってるんやろ俺。


「……白石?どうしたんや?」

また明日、と手を振って去っていくさんを見送っていると、飴ちゃんを口の中で転がし頬を膨らます謙也がこちらを伺ってくる。その顔を見て白石は無性に、なんとなく、イラッとした。


「…謙也。試験までの勉強みっちりしたるから上位10位以内に絶対入るんやで」
「え、それ、無理じゃ」
「ぜ・っ・た・い・や」

この憤りどうしてくれようか、と謙也の腕を掴んだ白石は「謙也〜楽しい楽しい勉強やで〜」と冷ややかな笑みを浮かべ教室に戻ったのだった。
勿論、謙也が顔を真っ青にし、小春達がやれやれといった顔で溜息を吐いたのは言うまでもない。




2015.04.17