□ 番外編 ・ 仁王 5 □
日差しも暖かくなり、絶好のテニス日和だということで仁王はストリートテニス場に来ていた。メンバーは仁王を誘った丸井と柳生で、今は仁王と丸井が打っていた。
「なんだ。思ってたより後遺症もねーんじゃねぇかよぃ」
「勿論じゃ。完全復帰ぜよ」
ニヤリと笑って打ち込めば丸井のラケットをすり抜け後ろのフェンスに黄色いボールがぶつかった。「ぎゃあ!」という声に「さすがだろぃ?」と丸井の真似をすれば本人にダメ出しをされた。
「…おい。丸井、携帯ぐらい切っとけ。さっきから鳴りっぱなしぜよ」
「あーわり!!すぐ戻っからヒロシと打っててくれよぃ!」
鳴り響く着信音に眉を寄せれば丸井がいそいそとベンチに置いてある携帯を持ってコートの外に出た。「おージャッカル!どうよ?!」という声に仁王は溜め息を吐く。
「柳生、お前さんはいいのか?」
「私は昨日たっぷり友美さんとお話しましたし、今日これが終わったら待ち合わせしてますので」
「熱いのぅ」
まるでお前さんらのようじゃの、と丸井を見れば「今日はクラスの方とカラオケに行ってるようですよ」と丁寧に教えてくれた。だとして約10分おきに連絡とかおかしくないだろうか。浮気を気にしとる彼氏か。
「だったら一緒に行けば良かったんじゃなか?」
「本人もそう思ったらしいんでですが、今回はI組とH組の合同らしくてH組には会いたくない女性がいらっしゃるからやめたんだそうです」
「あーそういえば家政部にアクの濃い奴がおったが、H組だったかの」
確か。丸井が珍しく苦手だと言っていた気がする。キャラが被ってて消されるとかどーとか。
「似た者同士やからジャッカルが盗られないか心配になっとるのかの?」
「いえ、その方というよりはさんみたいですよ。最近悩んでる姿を見てるとかで心配なんだそうです。もしかしたら恋の悩みで今日の集まりにその相手が来てるんじゃないかと」
「……」
「それはそうと仁王くん。その後腕の調子はいかがですか?」
「…ああ問題なか。この感じなら思いきり打っても大丈夫やろ」
「それは良かったです。友美さんにはご自分で伝えますか?」
「柳生からでええじゃろ。俺から言ったらまた怒られそうじゃ」
怒った皆瀬は怖いんじゃ、と肩を竦めれば「自業自得ですがね」と爽やかに紳士が笑った。お前も怖い中の1人なんじゃがの。そう思ったが口にはしなかった。
「ああそれから、先日の試合の日にさんとお話しましたよ」
「……何を話したんじゃ?」
「腕のことを少々。それからあの方のことも」
「……」
「あの時初めて仁王くんを殴ろうかと思いました」
「マジでか」
「マジでです。なんせ事情を知ってるさんをあなたは一言も胸の内を明かさず手を出したのでしょう?あれではさんが戸惑うのも道理です」
「…別に手を出してなんか」
「では弄んだと言い換えましょうか?」
「柳生。酷くなっとる。それ酷くなっとるぜよ」
そこまで悪いことはしとらん、と慌てれば眼鏡のブリッジを上げた柳生が「それだけのことをあなたはしたんですよ」と強い言葉で言い放つ。
「仁王くんや今迄あなたが関わった女性よりもさんは純真無垢な存在です。幸村くん風にいえば"触っただけで汚れる"といっても過言ではないでしょう」
「…それ、実際にいっとったんじゃないか?」
やたらと現実味のある言葉に引きつった顔で笑えば紳士はにっこりと微笑んだ。
「それで、あなたはどうするんですか?」
「…そうじゃの」
「まだこの期に及んで悩んでいるのですか?」
眉をひそめた柳生に仁王は頬を掻いて「それがの」と零した。
「まったく自信がなくなってしまったんじゃ。今迄はの行動が殆どわかってたんじゃがこの前会った時は全然わからなくて。名前を呼ばれただけで一喜一憂してる自分が情けなくての」
はぁ、と背を丸め、ポケットに手を突っ込んだ仁王に柳生は首を傾げた。
「それは好意があってのことではないのですか?」
「都合良く考えればそうなんじゃが、からそれっぽい感情を読み取れんのじゃ」
あの後"仁王くん"と呼ばれて線引きされたみたいな気持ちになったし、後日ダメ出しに『私が来たのはマネージャー最後の仕事をしに来ただけだから!』と言われてしまったのだ。
その上、跡部や忍足とも相変わらず(クソ面白くない程)いい関係を築いてるようだし。幸村は虎視眈々と交流を深めてるし。詐欺師なら裏を読み取るなんて造作もないのにあの時はの言葉を真に受けてへこんでしまった。
「詐欺師も形無しですね」
「返す言葉も浮かばん」
しょんぼりする仁王に柳生は気まずい空気を感じて腕を組むと「私にはそうは見えなかったんですがね」と難しい顔をしている。
「…もこんなヘタレな俺を見たら冷めるかもしれん」
「……仁王くん」
「おーい。何哀愁漂わせてんだよぃ」
何かあったのか?と電話が終わったらしい丸井がこっちに歩み寄ってくる。それを見て柳生は何か思いついたように声をかけた。
「丸井くん。そういえばあなたがさんに仁王くんの特訓場所をお教えしたんですよね?」
「ああ、うん。え、何?本当に行ったの?」
「おー来たぜよ。幸村の誕生会の時にな」
「へぇ。聞いた時は興味なさそうにしてたのに行ったんだ」
「……」
「(仁王くん。しっかりしてください!)では何故行く気になったんでしょうかね?」
「んー?さぁな。トイレ行ったらいきなり走って帰っちまったし。つーか、ヒロシは皆瀬と帰ったから知らねーと思うけどあの後やばかったんだぜ?幸村くんの機嫌超悪くてさ。赤也のマジ泣き久しぶりに見たよぃ」
「え、そうなんですか?」
「そうそう。誕生会の時は全然そんなことなかったのによ。赤也泣かせた後柳と内緒話してたからこっそり聞いたらさ、図書室がどうとかいってて全然意味分かんねーんだよな」
が幸村くんの逆鱗触ったとしか思えねーよ。とぼやく丸井に仁王は固まったように動けなくなった。図書室、という言葉に記憶が一気に掘り起こされる。
「…?仁王くん?どうかしましたか?」
「?におー?どしたー?」
目の前を手を振って意識があるか確認してる丸井を眺めていたが、ハッと我に返ると仁王はテニスバッグを掴み走り出した。
「すまん!用事を思い出したき!帰るわ」
「は?どーいうことだよぃ?!仁王!!」
「後で埋め合わせするぜよ!」
じゃあな!といってフェンスを抜けてまっすぐ学校に向かった。
*****
全力疾走で学校に辿り着いた仁王は忘れ物があると嘘をついて図書室の鍵を借り、中へと入った。向かう場所は入口から死角にある暖房の届かない机。
まだ呼吸が落ち着かず、肩で息をしながら机の下を覗き込めば記憶にあった場所に何も貼り付いてなかった。それを見た仁王は「はぁ〜…」と息を吐き出すと崩れるようにその場に蹲り、果ては寝転がった。
「あー、しんど」
久しぶりの全力長距離に酷く疲れたが口元は緩んでいつしか笑い声が漏れた。顔を覆うように腕を置けば余計に笑いが漏れる。ああそうか。なんだ。ちゃんと伝わったんだ。
最初は何だこいつ、だった。いきなりテニス部に現れ、気づいたらマネージャーをやっていたのだ。関わっていたのが平部員だったせいもあるが全然気づけていなかった自分に驚いて。
その日からずっと観察することが日課になっていた。
蓋を開ければ思ってたよりも普通で拍子抜けしたが、意外にも隣にいるのは苦じゃなく今迄見てきた女の中でもはズレていた。
真田と一緒にいる為なのか元からそうなのかはざっくばらんで警戒心が薄い。多分そこがよかったのだと思う。女を意識されすぎれば自分もそういう対応になってただろう。
かといって真田みたいに暑苦しくもなければ他の女達のように上っ面な興味でいってくることもない。このテニス部にしてはの存在は冷ややかに見える程静かなのだ。あれだけ騒がしく一生懸命でお節介なのにテニスに関しては本当に淡白で、仁王の心を捕らえたのはいうまでもない。
"ただ純粋に頑張ってる人が好きなんだ"
いつだったか何かの拍子でそんな話になってがポロリと零した本音。その時はそういうものか、と相槌だけうったが思えばそれがきっかけだったように思う。
頑張れば頑張った分だけ報われるわけじゃない。頑張ってもどうしても勝てない時があるし負ければ悔しさも募る。全国大会の決勝だって黒星をつけた中に自分もいるのだ。
仕方ない、で片付けるにはそれなりの時間と冷静さが必要だったのはいうまでもない。
表面上ではいつもどおりに、内側ではドロドロとしたものを抱えながらグチグチと考えていた時に思い出したの言葉にどんなに救われたか。
負けたからといって誰かが離れるわけじゃないしなじられる訳でもない。ただの自己嫌悪だが変わらずいてくれることに本当に救われた。
そこから転げ落ちるように意識しだして気づけば友達の域を超えてを見ていた。
別には駆け引き上手でもなければスリル感が味わえる訳でもない。
身体的にも胸が大きいとか色気があるとか特別惹かれるようなものもない。あったらあったで今のはいないんだろうな、と思うけど総括すればどこにでもいる女子、が妥当だった。
自分の好みからまったく離れてる存在に、これが本当に恋なのか?と疑い始めたのもそれくらいだったと思う。
なんせいつものパターンじゃなかったし、告白はいつも相手からだった。唯一自ら告白した由佳とも勝手が違って確証が持てなかった。
勿論を見れば胸に湧き上がるものがあるしキスもしたくなる。でもそれは異性として反応するのは当たり前の部分で。だから余計に考え込んでしまっていた。
「考える必要はなかったんじゃな」
そのうちのことも信じれなくなって、距離ができて。
なんて勿体ないことをしてたんだろうか。
は由佳じゃないのに。
柳生の言うとおり、を惑わせたのは自分だろう。振り回すだけ振り回して答えを遠ざけてしまった。自分は詐欺師なのに。は駆け引きができるタイプじゃないと知っていたのに。言葉巧みに操るのは十八番のはずなのに。ああなんて情けない。ヘタレ過ぎるだろ。
やっと落ち着いてきた呼吸にゆっくり息を吐き出すとポケットの中の携帯が震えた。画面を見れば見知った名前にタイミング良すぎじゃ、と思った。
「…由佳?」
『雅治。今大丈夫?』
「ん。大丈夫じゃ」
『あのさ、』
「なぁ由佳。俺、好きな奴できた」
『……』
電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。けれど仁王は気にせず言葉を続けた。
「テニスと同じくらい大事な人じゃ」
『ふぅん…』
「だからもう、お前さんの面倒は見れん」
『…それで?告白はするの?』
「ん。もうした。今は返事待ちじゃ…もしダメでも何度も伝えようと思う」
もしかしたらもう呆れてそれこそ別の奴を好きになってても伝えたい。
大事なんだって大切なんだって知ってもらいたい。
がいたからテニスをまた頑張ろうって思えたから。
にこれからも俺を見ていて欲しいから。
『バカだね。その子雅治の好みから全然離れてるタイプでしょ?付き合ったって途中で飽きて別れるって決まってるのに』
「それはその時になってみんと誰にもわからんよ。じゃが、少なくとも俺が俺でいられる唯一の場所に、その傍らにいてくれるならそれでいいんじゃ」
『……バカだね』
「知っとる。じゃがお互い様じゃろ?」
優しくそう紡げば由佳は黙りこんだ。
ボタンをかけ間違えたように歪んだ愛し方しかできない由佳とはもうかけ離れたところまで来てしまった。前までは理解できるラインにいたけれど今ではもう思い出すことすらできない。
そう思うと詐欺師としては失格だが、の時程ガッカリもしなかった。
「お前さんと話すのもこれきりじゃ。今迄ありがとう。さようなら、新島先輩」
悪いがお先に抜けさせてもらうぜよ。
無言を貫く由佳に最後の駆け引きを仕掛けてきたな、と思ったが仁王はあっさりを通話を切り、電話帳から由佳のアドレスを消した。
これで何もなかったことにはならないが気休めと自分の踏ん切りにはなるだろう。
ムクリと起き上がった仁王は窓から差し込む光を見て目を細めた。
それからを呼び出せばその手段が気に食わないと怒られた。自分自身、あれはないな、後から思ったが、他に確実に呼べる手段なんか思いつかなかったんだ。
でも後悔はない。この腕の中にがいるから。汚かろうがなんだろうがそれでも欲しかったんだ。
だからな、。覚悟しておきんしゃい。腹を括った詐欺師は怖いものナシじゃき。俺ナシじゃ生きていけないくらい骨抜きにしてやるから楽しみにしておくんじゃよ。
60話の裏でした。お付き合いありがとうございました!
2013.04.21