# 11
その日はご機嫌だった。
義理の両親が旅行を終え日本に帰ってくるのだ。
そして帰国してすぐ映像化が決定した優作さんの作品のインタビューや『闇の男爵』シリーズの重版出来のお祝いパーティーもある。
テレビと雑誌どちらも予定が入ったのでスケジュールがとてもタイトだがなんとか飛行機のチケットをゲットできたし、事前の打ち合わせも滞りなく進んでいるしは手帳を見ながら満足げに頷いた。
「作り過ぎた煮物を阿笠博士にお裾分けしてきますね」
「あ、それ、味調節した方がいいですよ」
自室のドアが開けられ沖矢がいつもの如くエプロン姿で顔を出したがは手帳を見たまま返した。作りたての煮物を味見もせずいうので沖矢は細い目を片目だけ開け、視線に気づいたは身体を彼の方に向けた。
「シチューやカレーはまだいいんですけど味濃いんですよ全体的に。煮込み時間もアレですけど。阿笠博士は問題なさそうですが灰原さんは困るんじゃないかな」
「……」
「喫煙者って舌鈍くなるんですよ」
阿笠博士をダイエットさせたいって前にいってたし、濃い味付けは控えた方がいいんじゃないかな、と再び机に向かうとパソコンを開き、自分のスケジュールを埋めていく。これが終わったらロスに帰れるのか、と思うと嬉しくて仕方がない。
「…なるほど。では、僕の料理は全て味付けが濃かったと?」
「私の料理が薄味に感じたならそうだと思いますよ」
「……」
お互い有希子さんレシピ通りに作ってるからそこまでズレはないが、作ったからには美味しく食べたいであろう沖矢は濃い味付けを好んでいた。別に食べれないわけじゃないが全部が全部毎食濃いとさすがに辟易する。
その為は極端に薄味にしたが出汁で調節してるのでそこまで薄くないはずだ。しかし黙ったところを見ると味がない、ないし薄いと思っているようだ。
「何故今になってそんなことを?」
「お隣にお裾分けしに行くと聞いたので」
行かなくていいんですか?と返すと沖矢は少し沈黙し、「後で話ましょう」といって部屋を出て行った。
*
同じ人のレシピを使っているにもかかわらず味が遠いな、と思ったがそういうことか、と合点がいった。不味くはないが味がなさ過ぎて食べた時は当番制にしたことを後悔した程だ。
それが喫煙の弊害…正確に言えば酒飲みの好みの味になっていたとは。
阿笠博士と約束を取り付け、工藤邸に戻るとは階段のところで待っていて「お互い味に我慢して食べるのもなんですし個々で食べます?」と提案してきた。
その願いは悪くなかったが理由がなければ風呂トイレ以外の共有スペースに入ってこないことを知っていたので「折衷案で僕が味を寄せますからさんは味見してください」と申し出た。
そうでなくても平時で張り込みか潜伏並に携帯食で凌ごうとする娘だ。やせ細った彼女を『工藤』の前に出すわけにもいくまい。
「ご機嫌ですね」
キッチンに立ち、調理をしているとがやってきて手伝いを申し出た。それは初めてのことで少し驚きながらも調理場の半分を明け渡すと「わかります?」とほんの少し上がった口角に頷いた。
「ロスに帰れるのが嬉しいんですか?」
「そうですね。やっぱりちょっと両親がいないのは寂しいのかもしれません」
いい大人なんですが、と肩を竦める彼女に沖矢は「仕方ないですよ」と彼女に起こったことを労わるように返した。
「てっきり僕と早く離れたいのかと思いましたが」
「…沖矢さんでもそんな冗談言うんですね」
意外です、とこちらを見上げる瞳は本当に驚いていて、軽口すら通じない年齢差だったか、と心の中で閉口した。
しかし彼女のいわんとすることは察していた。彼女はここを実家と思っていなければ沖矢を本当の意味で信頼していないのだ。
それは沖矢も同様で一定以上親交を深める必要はないと思っている。それが彼女の身の安全に繋がるのだと思っていたし彼女が近づかないことで自分の身の安全も保障されていた。
この微睡んだ時間が心地よいと思うのも、1人の生活に戻れば気のせいと思えるのだと知っている。
「私、普段は1人でいる方が好きだから沖矢さんも1人の方が楽だと思ってたんですけど…」
「……」
「でも、こうやって並んで料理するの、案外楽しいですね」
私は味見役だからかもしれませんが、と鍋を見つめ口許をほんの少し綻ばせるに沖矢は動かしていた手を止めた。
伏せた瞼が哀愁にも幸福にも見え、この女性は誰かと紡ぐひと時の幸せも満足に知らないのだと知った。
失った記憶のお陰で悲惨なものを思い出さずに済むが幸せだった記憶も思い出せないことになる。それは幸か不幸か判別はつかないが鍋をかき回す彼女を視界の端に留めながら「そうですね」と相槌をうつことが1番正しい返し方だと思った。