グッバイ・ユーテラス
(9)
恐らく、感じた魔力は彼女の呪い(まじない)の一種だろう。願いを布に込めたのだ。
献上することなく粘土板に埋め込んだ理由があるとすれば魔力を込めた布に気づき、しかし解除することも魔力の意味も分からぬまま恐れ埋めてしまったのかもしれない。
「もしくは、単にどれくらい布が持つか実験していたか、かな」
そんな化学者みたいな発想があったらもっと重宝される仕事についていそうだけど。
夢を見る限り彼女はそれなりに重要な仕事をしていたが平凡な一般人でしかない。それに、恐らく思ったよりも早く亡くなっている。
断定はできないけど覚えている夢は幼少期もあったが結婚した後から途端に数が減っているのだ。大きなお腹を擦る光景と穏やかな感情までは見ているが産んだ後の夢はまだ見ていない。
この辺はギルガメッシュ王と関連がなかったし、プライバシーの侵害のようにも思えてDr.ロマン達にも話していないがは少し不安だった。
もうこの世にいないとはいえ、そこそこ幸せに過ごせた人生だと思っていても、"見れていたものが見えない"のはやはり気になるし、余計な勘繰りもしてしまう。
産んで子供と幸せな生活をできていればいい、そう願いつつも、無常な運命に巻き込まれたかもしれない、と思う自分もいた。
『君。反応が藤丸君達から少し離れているんだがキミは今どこにいるんだい?』
「……どこって、広間ですよ。とんでもなく広くてとんでもなく豪華で天井が物凄く高いところです」
だから広々とし過ぎた大広間に1人で考え事をしてるんです。入ってきた通信に応対すれば、Dr.ロマンは『は?!』と声を張り上げた。
その反応は間違っていないけど近くにいたダ・ヴィンチちゃんが『ロマン煩いぞ!』と騒いでいるから手首を遠ざけた自分の行為も間違っていないのだろう。
急いでジグラットに向かったは門番にお願いしてシドゥリさんを呼んでもらったのだが出て来たのは別の祭祀の女性で、王様の命だということであっさり中に入れてもらえることになった。
しかし案内されたのは政務を行っているギルガメッシュ王の元ではなく、だだっ広い大広間のような…恐らく私室で、高い天井とラピスラズリを塗り広げたような色鮮やかで豪華な装飾にしばらく口を開けて堪能していた。
その内召使いの人達が来て果物やら飲み物を細やかな細工が施された華やかな絨毯の上に置いて行きもそこに座る様言付かった。
布を渡すだけなのに大層なことになってきたな、と人1人分空いている、妙に豪華なクッションや硬そうな枕なのか肘置きなのかを見て目を細めているとDr.ロマンが心配そうに『大丈夫なのかい?!』と声をかけられ肩を竦めた。
「今のところは。正直この布を置いて帰りたい気持ちでいっぱいなんだけど、私のグラスも用意されてるのよね……それに勝手に帰ったら今迄積み上げたものが全部パァになる可能性もあるし、とりあえず挨拶だけはするつもり」
『そうか……しかし、ギルガメッシュ王は』
『それはまず置いといて。その見つけた布は彼に渡しても大丈夫そうなのかい?』
最悪処刑されかねないから、という言葉は避けた。いってしまったら実現してしまいそうで怖かったのもある。藤丸達の足を引っ張ることはしたくないと思ったはなるべく穏便に済ませられたらいいな、と願った。
それはダ・ヴィンチちゃんも汲んでくれ、尚も食い下がろうとするドクターを遮って『微量の魔力を感じたんだろう?』と先程の会話を思い出すように呟いた。
「ええ。この布は私が夢を見ていた相手が作ったものです。魔力を持ってたのは今日初めて知りましたけど……でも、そうですね。少し変えておこうかな」
彼女が願ったのはウルクとギルガメッシュ王の繁栄と安寧だ。
力は強くはないが反する気持ちを持つものが手にした場合呪いになりかねない。それに彼女が願う『繁栄』と『安寧』がギルガメッシュ王のそれと重なるかはわからないのだ。
似ていても違うことがあるし、それで呪いになっても困ると思ったはポケットから小さな小瓶を出すと畳んでいた布に染み込ませ呪文を唱える。
カルデアから持ってきた清めた水は浄化作用がある。その水に匂いを混ぜ合わせた香水を呪文で布全部に染み渡らせ願いの効力を殺いでいく。
香水は魔術師の父が自慢げに語っていた自信作だったがコストパフォーマンスが悪くて学会から認めてもらえなかったひとつだ。
その書き留めたものを受け継いだのがであり今やっと成果を出せると思ったのだが最後の最後で空気が破裂したようにパン!と大きな音が広間に響いた。
「雑種。貴様は我の部屋を破壊する気か?」
「!!!…いえ、そんなつもり、ないです」
布は無事?!と慌てて捲るが破れた箇所はないらしい。彼女の気持ちが強かった部分を弾き飛ばしたのだろう。そこまでは多分良かったのだが聞こえた声に肩が大いに跳ねた。
声がした方を見れば不機嫌そうにこちらを睨みつけるギルガメッシュ王が腕を組み仁王立ちしている。これだけ大きな音だから聞こえないわけがなく、兵士達もわらわらと駆けつけの顔色が悪くなった。
しかし、ギルガメッシュ王は不機嫌な顔のまま兵士達を追い払うとそのまま中に入ってきてが座る敷物の上にどかりと座った。そして小手やターバンをぽいぽい捨てていくと軽くなった髪をかき上げクッションを挟みつつ背凭れに深く寄り掛かる。
「で、用とは何だ?」
「あ、はい。実はこれをお渡ししようと思って」
文字通りふんぞり返っている王様に早速赤い布を差し出すと、彼は赤い布を「ようやく持ってきたか」と鼻を鳴らしぞんざいに受け取ってくれた。
「待ちくたびれてうっすら忘れそうになっておったが…よもやまさか世紀を越えて渡されるとはな。さすがの我もいささか驚いたわ」
だが悪くない出来だ、と一応褒めつつ生地を眺めている王様には正座をして彼を伺っていると彼の赤い瞳がこちらに向き心臓が跳ねる。しかしまた視線は赤い布に戻った。
「…子など産ませるべきではなかったな。生きていれば我の礼装を作らせてやったものを」
「知っているんですか?」
少し、意外だった。彼女視点ではギルガメッシュ王と"ちゃんと"話をしていない。
あの夜だって自分が憑依したみたいに喋っていて彼女の言葉ではなかった。もしくは彼女の願望がそうさせた偽物の会話だった可能性もある。
仮に話していたとしても判別出来ているか怪しいほどの暗さだった。
もしかして自分が観ていないだけで2人は接触していたのだろうか?なら彼女の心残りも少しは晴れるだろうか。そう考えていたら細やか細工が施されている豪奢なグラスを差し出され目を瞬かせた。ああ、注げってことね。
早くしろと無言で圧力をかけてくる傲慢な王様に近くにあったお酒を注いであげるとやはり鼻を鳴らした。
「何を当たり前なことをいっている。これだけの仕事が出来る者を忘れるわけがなかろう」
「そ、そうですか…」
「だが、母子共に死んではこれを差し出すのも気が引けたであろうて」
「…っ!」
愁いを帯びた瞳が伏せられ、は膝に置いた手を拳にして握る。喉が引きつる。ぞわりと手足の感覚がなくなっていく。そうか。と言葉を飲み込むも、心臓をひやりとした氷がなぞった気がして一瞬目の前が暗くなった。
予想はしていた。ここに生きている人達全て過去の人達だから死を悲しむ必要もない。けれども、母子共に死ぬなんてなんという悲劇だろうか。
もカルデアの仲間を失ったことを思い出し心を痛めているとゆらりと視界が霞み何度か瞬きをした。フッと電気が切れたような感覚に違和感を感じながらもギルガメッシュ王の言葉を思い出し視線を戻した。
「あ、あの、もしかして縁起が悪いのでは」
「たわけ。負の気配があれば最初から触らぬわ。しかし、それも貴様が小細工をして払拭したのであろう?この布はここにはない匂いをしている。黄泉の国では嗅ぐことができない生者の匂いだ」
持ってきてなんだが、もしかして渡してはいけないものだったのでは?と焦ったがそれは杞憂だったらしい。
良かれと思ってしたことが功を奏したと安堵したはホッと胸を撫で下ろした。