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空気が凍る。
対銀望との雪辱戦で先輩達の勝利を噛み締め泣きそうになったのも束の間、同時に行われた決勝戦で事件は起こった。
緑間君達秀徳に追い詰められた火神が暴走して、黒子君が火神を殴り、火神も反撃するかのように黒子君の胸倉を掴み殴った。は殴り合いのケンカに身体が固まったように動けずその光景を見ているしかなかった。
兆しはあった。
試合の途中から火神の雰囲気が妙に怖くなったこと。それと同時に火神の跳躍が異様に伸びていること。
追い詰められた獣が牙を剥いたかのような感覚には身が竦む想いだった。
火神が怖くないということはわかってる。まだ2か月程度だけど少しは慣れてきたつもりだ。けれど、頭でわかっていても身体が強張るのはどうしようもない。
黒子君の檄で火神が押し黙ると暫しの沈黙が下りた。
大丈夫だろうか?と胃の辺りが冷えていくのを感じならも見守っていれば日向先輩と目が合いぎょっとする。
自分の顔色が悪いことがわかったのだろう。驚き目を見開く彼に私のことは放って置いてください、とは小さく頭を振った。
「つーか、見てみろよ。お前がそんなこえー顔すっからマネージャーがビビっちまったじゃねぇか」
「え、」
「っ」
しかし無情にも日向先輩は盛大な溜息を吐くとみんなの視線をに向くように仕向けてくる。いや、今は試合に集中すべきでこっちに気を向けなくていいんですけど。
いきなりこっちに振られたは困った顔で右往左往させると余計にみんなの視線を集めてしまったようで何センチか飛びあがった。私、邪魔してるだけじゃない?
ど、どうしよう、と狼狽しているとすぐに黒子君がベンチを越え走り寄った。
「すみませんさん!怖がらせてしまって」
「いや、私は、あの、試合…」
ダメだ。ろくに言葉が出てこない。黒子君に手を握られたが冷たいことは明白で、あまり体温が高くない彼の手が異様に熱く感じた。
「わ、ワリィ…」
「ううん!わ、私は大丈夫!です!」
どうぞお気にせずに、と変な日本語で手と首を横に振れば黒子君と火神は顔を見合せミーティングに戻った。
タイム終了の音が鳴るとそれぞれ気合を入れてコートに入っていく。ベンチ入りの選手や相田先輩達が声をかける中私も何かいわなくては、と思った。
「あの、」
しかし、上手く声が出ない。どうしよう、と黒子君達を見ればくるりと同時にこちらを見てきた。は力を振り絞るように握りこぶしを作る。
「ふぁ、ファイトー誠凛ー!」
私は咄嗟に口を開いたが声がひっくり返って無様にも程があった。
うわ、恰好悪い、と首まで真っ赤にしたが黒子君くん達は口許をつり上げ、拳を掲げ返してくれた。そして1番不安だった火神もじっとこっちを見つめ大きく頷き拳を掲げ歩きだした。
「ったあ!」
「泣いてる暇はないわよ!試合はまだ終わってないんですからね!!」
「っ!はい!」
「観客の味方はこっちの方が少ないんだから、声出していくわよ!!」
火神や黒子君達の背中を見ていたらそれだけでめいっぱいで泣きそうになる。そんな弱気を見破ったのか相田先輩に背中を思いきり叩かれた。
そうだ。まだ試合は終わっていない。まだ諦めていない。みんなが諦めていないのに泣いてどうする。ぐっとこらえたはベンチ組と一緒に声を張り上げた。
相田先輩が言うように秀徳は強い。緑間君のシュートは見ているこっちが泣きたくなるくらい綺麗で正確な殺人的シュートだ。彼が3Pシュートを打つ度に心が冷えて勝てない気持ちにさせられる。
けれどその緑間君を火神が止めた。一歩ずつ一歩ずつ着実に、足が使い物にならなくなるくらい走って飛んで。
日向先輩のシュートの成功率がなければきっと誠凛は勝てなかった。
伊月さん達のアシストがなければ黒子君もあのパスができなかった。
そして火神が痛い足を押してまで飛んでくれなかったら緑間君のシュートは止められなかった。
試合終了の合図が上がった途端、プレイしていたわけじゃないけど感情が込みあがって、どうしようもなく嬉しくて涙ぐむ相田先輩と抱き合い勝利を祝ったのだった。良かった。良かったねみんな。
「全員の水分補給終わりました!」
「お疲れ。あと悪ぃけど片付けも頼んでいいか?」
「はい!」
控室に戻ってきた黒子君達はさっきまですんなり歩いていたとは思えなくらい膝が笑いだしおじいちゃんのように床に崩れ落ちた。ヘタレ込んだまま起き上がることさえ難しいくらい疲労しているらしい。
なんとかジャージは羽織れたものの、ボトルを持つ手さえ微妙だ。
中身が残ってるボトルをすすぎに控室を出ると相田先輩をすれ違い、みんな疲れてすぐには動けないだろうから少しゆっくり洗ってきても構わない、とお許しを得た。
決勝戦を終えた会場は観客も引き、一気に静まり返っている。が歩いている廊下も同じだ。小走りしても誰ともぶつかるどころか出会わない。給湯室は控室から少し離れた場所にある。
軽く洗って戻るまでの時間を逆算していると誰かが曲がってくるのが見えた。床はカーペットなので極力音が出ない。だから視界で捉えるまでわからなかったけど細く長い足はあっという間にの近くまで来てしまう。
ずぶぬれに濡れた植木…もとい緑間君がの横を通り過ぎた。
何故ずぶ濡れ?!と驚いたがさっきまで戦っていた相手に、しかも負けた相手に話しかけるのは変な気がして、それ以前に話したことがないのだからいきなり話しかけたらビックリさせるだろう、そう思っては視線を彼から前へと向けた。
「何故……」
「え?」
一瞬、話しかけられた気がして足を止め、振り返る。もしかしたら後ろに彼の仲間がいただけかもしれない。そう考えたのは振り返った後だったけど。でも、後ろには緑間君だけで他には誰もいなかった。
「何故泣いているのだよ」
「え、な、泣いてませんけど」
「ではその涙の痕は何だ?」
その上、緑間君は振り返りまっすぐを見つめている。いや、眼鏡も濡れてるし目つきも悪くて怒られてる気分にすらなるけど。
でか過ぎる人は苦手だし緑間君の目つきも悪くてバスケ部で怖い威圧感もあるけど、この微妙な距離感のお陰で何とか足を踏み留めることができた。話しかけられた意味がわからず逃げ損ねたともいうけど。
「何だっていわれても…嬉し泣きとしか」
いえないんですが。相田先輩のもらい泣きで目尻が赤くなってるのは否めないが何故それをつっこまれなくてはならないんだろう。
訝しげに見返せば「お前の表情は嬉しそうに見えん」とまでいわれた。普通に失礼だよそれ。
「勝ったのだからもう少し嬉しそうにしろ。話はそれだけだ」
そう、言うだけ言った緑間君はの返事も聞かぬままさっさと背を向け歩いて行く。
何だったんだあの人…そう思いつつ彼の背を見つめていると見えなくなったところでくしゃみが聞こえ、決めきれないなぁ、とぼんやり思った。
給湯室に入り、ボトルの中身を洗いつつは目の前にある鏡を見つめた。映った自分の顔は相変わらずクマと赤い目尻が目立っていたが試しに笑顔を作ってみた。
「うわ、気持ち悪」
ぎこちな過ぎる自分の顔に思いきり歪めるとそれがまた気持ち悪そうに見えてこっちはちゃんとできるんかい!と自分で自分につっこんだ。
そういえば、中学後半は1人が多かったし極力喋らないようにもしていた。3年の夏以降は黒子君と話す機会が多かったけど昔みたいに表情筋を動かすことはなかった。
おとうさん事件とかたまに部活中面白くて笑ったことあるけど不細工なんだろうなぁ。誰にも見られてなければいいけど。
笑う、というか笑顔の勉強した方がいいのかな。黒子君ほどじゃないにしろ表情が乏しいのはなんとなく理解してるし。
今のままでも特に問題なさそうだけどみんなと楽しく部活や学校をおくりたい。笑顔がまともに出来るようになったところで誰の得にもならないけど気持ち悪い笑顔を振りまくよりはマシかもしれない。
うーん、と悩みながら誠凛の控室に戻ると、そこでは丁度火神を背負う人をじゃんけんで決めているところだった。
2019/06/08
給湯室あるかわからないけど他に思いつかなかった…。
普通にトイレで良かったのかも?