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案の定部活に戻りづらくなってしまった。火神にいわれて決意したは話す内容をレポート用紙に書いてシミュレーションしてやっとの想いで降旗君達に話したのだ。

一応予定通りに話せたと思うが最後は互いに平謝りの応酬になった気がする。

それを踏まえて今度はリコ先輩にも話したのだけど途中から頭が真っ白になってボロボロ泣きながらの告白になってしまった。ウザイこの上ない後輩だっただろう。
最後までちゃんと聞いてくれたリコ先輩には感謝しても感謝しきれない。

とりあえず数日は休んでいいといわれ、日向先輩達にはリコ先輩から伝えてもらえることになった。日向先輩達の前で号泣したら迷惑だっただろうからとても助かったと内心胸を撫で下ろしたのはいうまでもない。


「リコ先輩、これ、ありがとうございました」


2年の教室に行き、リコ先輩に借りていたバスケの試合DVDとノートを返すと彼女はしばしそれを固まったように見つめた後、ゆっくりと頷き受け取ってくれた。

「今日の部活はどうする?」
「すみません。今日は尾白先生の呼び出しで地域清掃に駆り出されるみたいで…」
「げ、アンタ何したの?」

何かした場合のペナルティでしかあの先生そんなことさせなかったはずよ?と眉を潜めるリコ先輩にも顔を引きつらせ「授業全然出てなかった上に課題を悉く忘れてしまって…」と答えた。

たまたま休んでいた日が尾白先生の授業があった日で、課題も悉く提出できなかったから罰としてゴミ拾いを課せられたのだ。

乾いた笑いを浮かべればリコ先輩に「推奨したくはないけどそういう時はせめて黒子君に課題見せてもらえばいいのに」と苦い顔をされやっぱり乾いた笑いが漏れた。



リコ先輩と別れ、1年の教室棟に戻る廊下を歩いた。あの話をした後も変わらなかったリコ先輩にホッと息を吐く。
のただの過去話で引かれたとしても態度を変えるような人には思えなかったが、それでもやはり対面してみないとわからない。

手の震えを見て内心物凄く緊張してたんだなって思った。このまま徐々に慣れていけばまた部活に行けるかもしれない。


リコ先輩には休暇の猶予を貰った代わりウインターカップの予選までには進退を決めておくように、ともいわれている。
次に部活の話をした時はそのことも決めなくちゃな、と考えているとリノリウムを擦る音が聞こえ振り返った。

思ったよりも大きくて足早に近づいてくる音になんだろう、と振り返ったのだが相手を見てぎょっとした。何で火神が2年の教室の方から来るの?

そんな疑問が浮かんだが彼の表情を見てビクリと肩が揺れる。
火神が怒っているように見えたは無意識に背を向けるとそのまま足早に歩いた。
後ろで「なっおい!」という声が聞こえた気がしたが火神の顔が怖すぎてそれどころじゃなかった。

とりあえず教室だと捕まってしまうと思い、B組を通り過ぎそのまま階段を降りた。

そのうち予鈴が鳴ってそろそろいいかな、と思ったが火神の足音が聞こえて慌てて逃げる。
半年くらい利用している校舎だけどが知っている場所は限られる。その上、テンパった頭ではろくに回らなくて気づけば体育館用具室に逃げ込んでいた。



マットやらボール籠に紛れた隅の方で小さく丸まるように座り込んだはガタガタと身体を震わせながら隠れた。

どうしよう。さっきから中学時代のトラウマがグルグルと回っている。私、火神に何かしたっけ?怒らせるようなことした?
というか、あれは火神でよかったんだよね?よくわからないけど何かしたらしくてそれで追いかけてきているのかもしれない。

混乱した頭でそんなことを考えているとバン!と体育館のドアが荒々しく開かれた音がして肩が跳ねた。足音は真っ直ぐこっちに向かってきている。

こないでほしい、このまま通り過ぎてほしい、そう願ってみたがその願いは呆気なく崩れた。ガラッといつもよりもけたたましい音を立て開いた体育館用具室のドアには更に縮こまり身を固くした。


「…こんなとこで何してんだよ」


そこまで見つかりやすい場所にいたわけではなかったが、いる場所が限られたここでは隠れても隠れきれなかったということだろう。
コンクリートの床を凝視していたの視界の端に誰かのシューズが見え、瞼をぎゅっと閉じた。

「何で、逃げたんだよ」
「…ごめん」
「……はぁ、まあいい。とりあえずここ出るぞ」

溜息がやたらと響く。呆れを含んだ音にの肩が揺れた。「つーか、体育館用具室って埃っぽいな」という声が聞こえたがそれすら威圧感を感じては寒さで震えた。



?」
「……」
「おい、聞いてんのか?」

膝を抱え、顔もその中に埋めていただったが腕に何か触れられ大袈裟に跳ねた。


「ごめん、ごめんなさい…っ」


思考がまったくもって動かない。ここにいるのは多分火神だけどいつものように普通に話すことができない。
頭の中で思い出したくもない声がフラッシュバックして全部嫌な方にしか聞こえない。どうしよう。どうしたらいい?


!」


この状況から逃げるにはどうしたらいいのか、ここは高校でもうを貶める人なんていないのにどうしてこんなことになったのかわからなくて混乱していると両腕を強く掴まれビクッと肩が跳ねた。

恐る恐る顔を上げれば火神の顔があったが中学の頃嫌がらせをした人にも見えてボロボロと涙が零れた。

「ごめ、ごめんなさい」
「え、いや…」
「や、めるから…部活、辞めるから…許して」



別に火神は部活を辞めろなんて一言もいっていない。正常な状態ならそんなこということはなかった。
でも今は異常で火神の目がそういってを責めてるように見えた。

自分の存在は煩わしく、面倒なのだろう。そんなの自分がよくわかってる。それをどう伝えたらいいのかわからなくて「ごめん。ごめんなさい…許して」と何度も懇願した。

そうしてもしなくても罵倒されたりなじられたりするけどこの苦痛を早く終わらせる術はそれしか知らなかった。


「…、謝んな!」
「っ!!」

両腕を掴まれたまま顔を隠すように泣いているとの声を一喝するように火神が叫んだ。その声の大きさにまた肩が跳ね、ぐいっと引っ張られた腕に慌てて腰を引いたが男女の力の差ではどうにもならなかった。


「お前が悪いわけじゃねーのに謝るんじゃねーよ!」


腕を突っぱね、火神の胸を押せばそんな声が聞こえ身体が震えた。どうしよう。謝っているのに放してもらえない。わかってもらえない。そんな考えがの頭から血の気が引いた。

見てわかるほど震えるに気づいたのか、火神の手が少し緩んだ。それからチッと舌打ちするのが聞こえ、の身体は反射的に身を縮みこませた。



「辞めるなんて、いうなよ」
「……」
「だったら黒子はどうすんだよ!お前のこと待ってるんだぞ」
「ごめ…無理、だよ」

脳裏に黒子君が浮かぶ。彼の傍で彼に恩返しがしたい気持ちは本当だ。でもそれ以上にの心が固く拒絶してしまっている。この状況の恐怖で黒子君の顔が歪んで立ち消えてしまった。


「もう無理。無理なの」
「無理って、お前」
「怖いの、火神君が」

言葉にして心が冷えていくのがわかった。元々その気持ちはあった。でも言いたくはなかった。見た目も威圧感もキセキの世代である黄瀬君や紫原君を彷彿とさせたし何よりバスケットを愛していた。

実際は違うんだって頭でわかっていても最初に覚えた恐怖はなかなか消えないもので、ずっと見ないフリをしてきた。それが今前面に出てきてしまった。


「嫌い、なの…!火神君の顔も目も、その身長も全部!…見たくない!だからもうどっかに行って!私の前に現れないで!!」


酷い中傷だと頭の片隅で思った。けれど、他にこの状況を打破する言葉が思いつかなかった。火神には悪いけれど、でも、自分を守るには彼を遠ざけることしか思いつかなかった。

拒絶を込めて火神の胸を押すが震えてるせいでろくに力が入らない。それでも何度も押していれば掴まれた両腕がフッと軽くなった。
突っ張っていた腕も支えがなくなってだらりと落ちる。静かな体育館用具室ではの鼻をすする音がやたらと大きく響いた。



「嫌いでも構わねぇよ」
「!」
「俺のこと、嫌いでいいから辞めんな」
「……」
「お前が努力して頑張ったことまで捨てんなよ」

校庭では生徒達の声が遠くに聞こえる。この時間の体育は校庭のようでこの体育館に他の誰かが来ることはないのだろう。その空間で、その響いた言葉には顔を上げた。

努力?何を言っているんだろう。そう思った。
自分はただいわれたことを、望まれたことをこなしただけで何もしていない。

努力、という言葉は火神の為のものではないのか?と見れば、彼の顔はやっぱり怖かった。怖かったけどどこか悲しそうに見えての胸をぎゅっと締め付けた。そこで火神を傷つけたんじゃないか、と気づいた。


「私は、何もしてない。勘違いだよ」
「勘違いじゃねぇだろ。吐くほど嫌いなのにDVD見て勉強して、俺達の練習手伝って、ちゃんとマネージャーの仕事してたじゃねぇか」
「それは、当たり前のこと…だし」
「当たり前じゃねぇよ。がマネージャーを続けてきたってのは、俺があの苦痛でしょうがなかった勉強合宿を延々と続けさせられたってことと同じようなもんだろ?」
「……」
「んなの、1日でも早く逃げたいって思うに決まってんだろ」

同じ、なのだろうか?突拍子もない例えに困惑の表情を浮かべれば「別に嫌われても構わねぇよ。最初からそう思ってたしよ」と更に爆弾を投げられサッと顔色を青くした。最初から気づいていた?



「ご、ごめん…あの、」
「だーかーら!謝るんじゃねぇって!」
「っ」
「原因は紫原とか黄瀬だろうが、似たような感じで俺のことが苦手なんだろ?それはそれで構わねぇよ。俺にもどうしようもねぇし。けど、それで黒子やバスケから離れるんじゃねぇよ」
「……」
「関わってるからって全部嫌いになる必要ねぇだろ。大事なものは、守りたいものくらいは守ってやれよ」

他人も自分のことも。そういって火神は眉間に皺を寄せたまま視線を逸らし、首の後ろを乱暴に掻いた。驚いた。驚いて涙が引っ込んだ。

そう、なのだろうか。
嫌いでもいいのだろうか。
好きなものを守っても、守りたいと我儘をいってもいいのだろうか。


「火神君も…そう、なの?」
「……でなきゃ、あんな必死こいて勉強してねぇよ」
「……」
「……」
「…私、クラスに戻る為に、嫌いな人と我慢してでも仲良くしなきゃいけないって、嫌わないように良いところを見つけなきゃいけないって思ってた。それがクラスの為だって、私の居場所を作る為だって思ってたの」
「……」
「でも、そうしなくてもいいんだね」

先生に悩みを打ち明けた時、みんなそんなものだ、と諭されたことがある。今私が受けたこの辛さはみんな同じで、大人になればたいしたことのないただの思い出になるのだといわれた。



先生はイジメがあったことは理解してたけど表面の謝罪を先生伝に伝えられただけで終わってしまった。
先生はイジメをしていた人達から聞いたけど私は聞いていないし、クラスに再び足を踏み入れた時も私に居場所なんてなくて苛めた側は平気な顔で笑っていた。

いるかいないかの存在に絞り出した勇気も誓った決意も全部砕けて冷たくなった感覚を今でも覚えてる。


昔先生もそんなことがあったと、過ぎればそんなものかと、クラスメイトと笑い合える日が来る、そういっていたけど、先生は人は誰ともわかりえないんだって、わかったフリしかできないんだと教えてくれただけだった。

あの時の私は裏切られた気がして、全部飲み込めなくて苦しさに溺れて、何も見えなくなって、全てを拒絶し閉ざしてしまったけど、先生の言葉をそのまま受け止めても飲み込む必要はなかったのだ。

あの人はの担任だったけど好きではなかった。あの人もを扱いづらそうにしていた。

無理を押してまで、身体を壊すまで我慢してクラスに馴染もうとする行為も、先生や無関係な人達に平気な顔をしていることも、本当は必要なかった。
一緒だったクラスメイトを全員嫌ってもいいし、嫌わなくてもいい。大事なものは大事なもので守っても全部を好きになる必要はなかった。それをちゃんと分けて考えていいんだ。


とても当たり前なことなのにには真新しい、初めての知識に思え、ストンと何かが落ちた気がした。
どうでもいい人にまで気持ちを割いてまで考える必要はないのだと、そこまで気持ちを割いていたのだと初めて気がついた。



「火神、君…あのね」
「…なんだよ」
「私、火神君のこと、怖いって思ってるけど…でも、……嫌いじゃないよ」

恐る恐る、伸ばした手を火神の左手の上に乗せ、震えながらも握りしめた。
握れるほど力は入らなかったけどゆっくりと噛み締めるように出した言葉は火神に届いたようで包み込むようにの手を握り返してくる。

それだけで視界が涙で歪んだ。


「酷いこといって、ごめんね」


どうしてもリンクしてる部分があって怖いと思ってしまうことはあるけど、でも嫌いではないから。こんなところまで追いかけてきて心配してくれる結構いい奴なんだって知ってるから。

ぼろりと落ちた涙は彼の制服に落ちてはそのままぽすんと火神の胸に頭を落とした。


「ありがとう」




2019/07/13