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朝日がカーテンと障子の隙間から差込み、スズメが忙しく鳴いてる声が聞こえた。
そのさえずりに起こされたは布団から起き上がると嘆息を吐く。ほとんど眠れなかった。

顔を洗い鏡に映った自分の顔を見て眉を寄せた。酷いクマだ。昨夜布団に潜ったまでは良かったが、眠るどころではなかったのだ。

思い返すだけで頭が沸騰しそうになる。焼き付いたように残ってしまった唇の感覚に思わず手で口を押さえた。『貪られる』という言葉がしっくりきたのは初めての経験かもしれない。

「(それもこれもあのジャイアンのせいだ…)」


理解不能。それが青峰に対しての回答だ。何で好きでもない人にキスできるのか理解できない。奴は発情期の動物か何かか?と思うのも仕方ないだろう。

顔を拭きはぁ、と溜息をつくと触れられた感覚が蘇り身を固くする。
残ってしまったのは何も唇だけじゃない。

昨夜は混乱して呼吸もままならなくていっぱいいっぱいだったけど、大きな手が頭や頬、耳朶、首筋に肩や腕、太腿に至るまで熱を分け与えるように撫でられ、その熱がまだ肌に残っている。


嫌だと拒絶する意思はあった。でも身体がいうことを聞いてくれなくて。身体が熱に浮かされたような、夢の中のようなぼんやりとした感覚がフラッシュバックして抱きしめるように両腕を強く掴んだ。
そうしないとまた触れられた感覚に呑まれてしまいそうだった。



「(嫌だって思ってるのに、何でこうも思い出しちゃうんだろう…)」

その手の知識は情報として頭の中にあるけど経験は何一つない。そのせいなのか感覚が鋭敏に色濃く残ってしまっている。
口内の異物感にやっと感覚が戻ってなんとか拒絶したけど、その際青峰の顔を見てしまい心臓がこれでもかと跳ねたのを思い出した。


試合中のような、真剣で目の奥で燃えるような何かと目が合い、血が沸騰したように熱くなった感覚に吐息を漏らした。
あの時は顔を逸らして何とか逃げれたけど、あの瞳に魅入られたままでいたら、彼を受け入れていたらどうなっていたかわからない。

「(もしかして私は、無意識に青峰君のこと、好き、だって思ってるのかな…?)」

ふと一瞬、そんなことが浮かぶが次には、いや、そんなことはない、と頭を振った。


自分が好きだと思えたのは後にも先にも黒子君だけだ。それは確かなことで揺るがない。それに青峰みたいなタイプは経験の浅いにとっては戸惑うものでしかなかった。
青峰だって嫌いな人に触れたいとは思わないだろう。でもかといっての気持ちを汲み取ることも好意も感じ取れなかった。


好きになる切欠も順番も好意の形も十人十色だということをいずれは知ることになるだろうが、この時のは少女漫画のような精神的な恋愛しか知らず、青峰の行為は毒並みに強い刺激にしかならなかった。

それが幾分かの恐怖になり、でも脳裏に焼き付いて、嫌だって思ってるのに何度も頭に青峰が浮かんでいる自分が理解できないままは震え、己を抱きしめた。



まだ布団の中でゴロゴロとまどろんでいるリコ先輩を起こさないように着替え部屋を出たはドアをゆっくり閉めるとまた溜息を吐いた。

とにかく、気持ちを切り替えなくては。ウインターカップ初戦が桐皇ということは今日からの合宿はきつくなる。勝つ為に私も集中してみんなを支えないといけないのだから。

玄関に続く廊下を元気なく歩いていると曲がり角の方から独特な足音が聞こえきた。近づく音に足を止めるとその音の主がパッと現れに飛びかかってきた。

「2号!おはよう!」

2号に触れやすいようにしゃがみこめば、小さなワンコがその膝の上に前足を乗せ全力で尻尾を振っている。ああ、寝不足と悩みが一気に昇華されていくようだ。

可愛い2号を撫でまわしているともうひとつの足音が聞こえ視線をあげた。そこには旅行バッグを持った火神が立っている。が、何故か顔が憔悴しきっていた。


「おはよ。もしかして2号に遊ばれた?」
「遊ばれてねーし!」

違う!と否定したが2号が火神に向くと同時に壁まで後ずさりし、顔を引きつらせていて思わず吹きだしてしまった。

昨日は黒子君とずっと一緒だったけど、朝ドアの前で出待ちされて仕方なく出してあげたらしい。
火神はそのまま行ってくれることを願ったようだが2号はちゃんと火神を待っていて一緒に来たそうだ。出来る子2号をべた褒めしたのはいうまでもない。



「もしかしてもう行くの?」
「…あ、ああ」
「合宿は?」
「昨日カントクにいったら文句いいたそうな顔されたけどもう決まっちまってるし、とりあえず行って来いっていわれた」

だから今日家に戻って準備したらすぐに向かうつもりだ。と火神がバッグを肩にかけ直した。


2号の散歩も兼ねて外に出ると空気は少し肌を刺す感覚があったが吸い込む空気は冷たく心地よかった。目が覚める感じだな、と思いつつ空を見上げると快晴で出発にはとても良い感じがした。

「あっちも天気いいといいね」
「あーいいんじゃねーか?」

雨とか曇りじゃなくて良かったねと話す延長でそんなことをいったのだけどロスはあまり、というか日本ほど曖昧な天気がないらしい。しかも雨も日本より少ないとか。

「雨でバスケが出来ねーとかスゲーストレスだった」と日本の雨の日の多さにうんざりしてる顔を見ながらそんなにも雨少ないのかとか晴ればっかなのかと感心した。


「いつか行ってみたいな。火神君が住んでた場所」
「!ああ!いいとこだぜ」
「2号も連れていけるかな?」
「…まあ、行けるんじゃねぇか?」

1度くらいは黒子君やみんなと行ってみたいな、と思いつつ口にすると火神がパッと嬉しそうに顔を綻ばせた。

それがなんだか可愛くて、つられて笑顔になると、とてとてと歩いてる2号に目を移し「2号も行ってみたいよね?」と聞いたら愛想よくワンと答えてくれた。火神の顔は何故か引きつったけど。



2人と1匹で朝日の中を歩く散歩はなかなか有意義で心地よかった。こういうのも悪くないな、と視線をずらせば火神と目が合って自然と口許が緩んだ。
分かれ道になりここで別れよう、ということになったは2号と並んで火神と向き合った。


「んじゃ、行ってくるわ」
「うん」
「今より強くなって帰ってくるからよ」
「期待して待ってる」
「っ……あ、と」
「うん?」
「……」
「……」
「色々、ありがとな」

照れくさそうに視線を逸らし、首の後ろを掻く火神に「どういたしまして」と返せば彼ははにかむように笑った。

「じゃあな」
「うん。行ってらっしゃい」


が手を振り火神が背を向け去っていく。その背中を2号と一緒に見送っていたが、何故か10メートルくらい離れた辺りで火神がピタリと立ち止まった。
忘れ物でもしたかな?と伺っていると火神はくるりと踵を返し競歩並の速さで戻ってきた。



「か、火神君?もしかして、忘れ物?」

勢いよく、無言で戻ってきた火神はそのままさっきのようにと向き合うと、何か思いつめたかのような顔でこっちを見てきて焦った。
ちょっと怖いと思うのは許してほしい。やっぱりこの高さから見下ろされるのは怖い。

しかし何か言いたそうにしてるのはわかったので、もしかして忘れ物を取って来いとか言われるのか?とドキドキしていると何の前触れもなくいきなり火神に抱きしめられた。


「ぅえ?!…え?」

少し痛いかもしれないくらいの抱擁に目をチカチカさせたは動くことも忘れ、されるがままになってしまった。というか動きたくても動けない、が正解かもしれない。

火神がこんなことをしてくるなんて思ってなかったはただただ驚き思考を止めてしまった。


少しして抱きしめられた時よりは名残惜しむかのようなゆっくりとした動作で火神が離れ、は地に足をつけた。何気に片足が浮いていて危うくもう片方が吊りそうだった。

一体どういうこと?とやや混乱した顔で彼の仰ぎ見たら、火神の顔が真っ赤だった。日の陰になっていて見間違いかもしれないがやはり頬が赤い気がする。
そんな火神を見ていたら緊張が伝染したみたいでの顔も熱くなる。

なんだろう。ちょっと気恥ずかしい。なんとなく火神から視線を逸らすと彼は身を屈めの両腕を軽く掴んだ。



「…い、行ってくる」


にもわかるくらい動揺してる声色で頬にリップ音付きのキスを落とした火神は今度こそ離れていった。
そして離れたと思ったら怒涛の速さで歩き出しあっという間に火神の姿が見えなくなってしまった。


「……え、と」

これはアメリカ式の挨拶で、いいんだよね?
火神がいなくなった方を見ながらはまだ感触が残る頬に手をあて、さっき通り過ぎた車の風で乱れた髪のまま茫然と立ち尽くしたのであった。




2019/07/24
青峰に足りないもの。