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次にが現実に戻ってきたのは倒れた木吉先輩が紫原君に吊るされていたところだった。
「これが現実でしょ。成す術なく体力も尽きた。アンタが引っ込めばインサイドは完全に死ぬ。どうあがいても誠凛の負けだよ」
「……っ」
「で、どう?またなんも守れなかったわけだけど……楽しかった?バスケ」
黒子君に握られていた手の痛さに我に返り、彼を見やれば滅多に見ることのない、怒りを露わにした表情で紫原君を睨んでいた。
リコ先輩が慌てて走り黒子君がTシャツを脱ぎ捨てコートへと戻って行く。
その背中からも怒っていることは十分伝わってきて入れ替わりに戻ってきた木吉先輩と交互に見ながら黒子君を送りだした。
もう殆ど倒れ込むように座る木吉先輩にタオルと水分を手渡す。しかしドリンクを飲めるほど体力がないみたいで肩を大きく上下させながら呼吸をくり返していた。
汗の量が半端じゃない。膝だってずっと痛いはず。木吉先輩の足の容態を確認しながら、紫原君を倒すと啖呵をきった黒子君には願うように「頑張って」と小さく呟いた。
木吉先輩が抜けてどうなるかと思ったが黒子君のスティールと新しいシュートのお陰で活路が見えてきた。
変わらず紫原君は不安要素だけど彼の言葉で怒った黒子君に翻弄された形になっている。
その黒子君も少し力んでいて体力がちょっと心配ではあったけどテンションはこのままでいってほしい、そう思えるほどには好調に見えた。
「なんで泣いてんだお前!」
「鉄平?!」
タイム中、作戦を聞きながらアイシングやドリンクのやり取りをしていると、日向先輩とリコ先輩が驚きの声をあげ、木吉先輩を見ていた。達も倣うように彼を見るとはらりと涙が零れ落ちる。
作戦を練って話していただけのはずだけど何かあったのだろうか。もしかして膝がかなり痛い?そんな心配や慌てふためく日向先輩と驚く達だったが、当の木吉先輩は呆けた顔でぽつりとこうつぶやいた。
「多分、お前ら見てたら頼もしくてホッとしたっていうか…1人じゃないことを実感して、つい…な」
タオルで殆ど顔が見えないが笑っている口許に、ああそうか。嬉しくて泣いたのか。とわかってホッと息を吐いた。
「はあ?今更何当たり前のこといってんだお前!逆に腹立つわ!!」
「ええ?」
「すんません。正直俺も」
「ボクも」
「コガ!ちょっとそのバッグからハリセン出して」
「え?そんなの…あった!」
「ちょっと!今それどころじゃないでしょ!」
張り詰めた緊迫感が緩むようなやりとりにたまらず吹き出すと「も笑ってないでこいつら止めて!」とリコ先輩に怒られた。
だってその中心にいる木吉先輩が笑っているんだもの、仕方ないじゃないですか。
点差はまだ劣勢だけどまだちゃんと笑えるからきっと大丈夫。そう思えたから円陣を組みコートに戻る黒子君達を前向きな気持ちで送りだせた。
「いいチームだよな。俺達」
「そうですね」
「…あんた達、まだそんなボケたこというならさっきのハリセン出すわよ」
だから今はそれどころじゃないっていってるでしょうが!と怒るリコ先輩には木吉先輩と顔を見合せ「ごめんなさい」と笑みを浮かべたまま謝った。誠凛は本当にいいチームだと思う。
「て訳で土田君と小金井君、後よろしく」
走り出した誠凛に目を向けていたが立ち上がったリコ先輩にの視線はベンチに戻った。木吉先輩が直談判し数分間出れるように体力回復とマッサージをすることになったのだ。
その為リコ先輩は一旦木吉先輩と一緒にここを離れるという。
「3分だけ頂戴。その間だけ指揮を任せるわ……、」
「はい!」
「私がいない間、こいつらが無茶しないように見張っといてね」
特に火神君と黒子君。「頼んだわよ」と髪を縛ったリコ先輩と木吉先輩を見送りは小金井先輩と土田先輩と顔を見合せ試合に視線を戻した。
正直心配だ。でも木吉先輩も頑なな人だからリコ先輩もやれるだけのことをするつもりなんだろう。もやれることを頑張ろう、そう思った。
試合での誠凛の旗色は悪い。木吉先輩が抜けたから、というのも大きいがやはり火神の負担が大きく感じた。しかも彼を伺っているとなんだか他にも色々考えているようで集中できていないように見える。
そう見えてしまうのは火神が木吉先輩のポジションを担っているせいだろうか。また紫原君に点を入れられ汗を拭う彼に眉を潜めると視界に黒子君が入り彼が頷く。まだ大丈夫、ということか。
「マネージャー。ちょっとあっちの様子見てきてくれないか?」
「はい!わかりました」
とりあえず3分経ったから、と声をかけられたは後ろ髪引かれつつもリコ先輩達がいる医務室へと向かった。
戦況を伝えリコ先輩の指示を仰いだが試合会場に戻ると点差は11点差になっていた。真っ先に火神の表情を伺えば先程の憂い顔が殆どなくなって良くなっている。
土田先輩と目が合い頷きタイムをとった誠凛にタオルやドリンクを渡すとやはり火神が試合に集中しているのが見てとれた。
淡々と自分の仕事を受け入れ試合に戻って行く姿に日向先輩達は驚きを隠せないみたいだが黒子君はむしろこれでいいと頷いてた。
「…なんとなく、今の火神君はあの人に似てると思います」
その言葉通り火神の動きは試合が始まってから1番いい動きになった。集中力も増していて無駄な動きも少ない。
確実に陽泉を押しているのがでもわかり、視界に不機嫌な紫原君が入りながらも期待をしてしまう程良くなっていた。
ボールが紫原君の手に渡り攻防が逆転する。慌てて戻る誠凛に素早く火神が走り抜け紫原君の前に立ちはだかった。体格はそれでも紫トトロの方が上。でも跳んだ空中では互角。
ダンクを決めようとした紫原君のボールを両手で止めた火神は、そのままボールを弾き落とした。
確かに見えなくはないかもしれない。
火神は癪かもしれないけど記憶にうっすら残る青峰の輝きと火神がダブる。
黒子君も余計なことをいうな、と苦笑したがとても心強くもあった。
あの紫原君のシュートを、リングを壊してしまう程の彼のボールを弾いたことは大きな糧になる。走り出した誠凛の怒涛の攻撃に入る。火神の集中力が増し黒子君達3人を抜いた氷室さんが火神と対峙する。
それまで一進一退の攻防だったがここで火神が氷室さんのミラージュシュートを確実に止めて来た。そのボールをそのまま陽泉側まで持って行くと火神が3ポイントを決めた。
てっきりインサイドにまで持ってきてダンクなりするのかと思っていたから余計に驚く。というか、決まってもないのに戻り始めるとか緑間君かっての。
これが火神のゾーンか。武者震いともつかない震えに両腕を摩ったは火神が味方で心底良かったと思った。
そして攻撃が再び陽泉から始まりボールが紫原君へと渡る。彼が勢いよくジャンプしたところでは再び身を強張らせた。
あれは確かゴールを壊すほどのダンクじゃ、と瞬時に脳裏に先程のことが蘇り顔を青くさせ息を呑む。
それに合わせて火神が跳んだことでは自分の両手をきつく握りしめた。
ダメ、という気持ちと怪我しないで、という気持ちがない交ぜになって2人を、火神を一心不乱に見ていたが、彼は見事紫原君を押し退けシュートを防いだ。
ダン、と落ちるボールとたたらを踏み尻餅をつきそうになった紫原君が床に手をつく。火神が紫原君を見下ろすという光景にいいしれない気持ちがお腹の中でほんのり温かくなった気がした。
火神の攻撃は更に続き、氷室さん張りのフェイクをかけすり抜けるとゴール前でジャンプし紫原君が妨害する中見事にダンクを決めた。
その光景と衝撃にガタン、と立ち上がる。胸を押さえジャージを握りしめた。
『ぶっ飛ばしてほしいです』っていったけど、本当にやってしまうなんて。
勝てるかわからないって思ってた。勝てる気なんて本当はしてなかったのかもしれない。それはだから。
でも、火神は、火神なら。ゆっくりとこちらに向いた視線にはドキリとする。
かち合った目に火神が小さく頷きはなんだか泣きそうになった。もしかしたら、勝てるのかも。
「なんか揉めてたけど、大丈夫か?」
とっていたタイム終了のブザーが鳴り、選手達が動き出す。日向先輩の声でも陽泉側に視線をやれば彼らも黒子君達を見ていた。
その中でも様子が変わった紫原君に目が留まる。殴り合いとか敏感に反応してしまうからなるべく見ないようにしてたけど殴られたのは彼だったのか。
ほんのり赤い頬に一瞬不安が過ぎる。
本当は怖いしお腹がグルグルいうから見ない方がいいんだけど髪をひとまとめに縛る彼を見て何かが変わった、というのがでもわかった。
変わったことは陽泉の攻撃でもわかった。紫原君と氷室さんのパスの応酬でゴールを決めた。今までにないやりとりに達は驚いたが誠凛側も負けず、火神がポイントガードで入りゴールを決めた。
そんな攻防戦が続き、残り1分というところで木吉先輩が帰ってきた。
火神の削られた体力と決定打になるあと1歩足りないところでの帰還に誠凛側が沸き立つ。
もベンチ組と一緒になって応援した。氷室さんのミラージュシュートを木吉先輩と日向先輩が止め、リバウンドも木吉先輩が勝ち取り日向先輩が決める。
残り20秒で1点差にまで追いつめる。木吉先輩が戻ってきたことで誠凛の馬力が上がる。紫原君のトールハンマーを火神と木吉先輩が止め切った。
ボールが誠凛に移り選手達が、火神が走る。
そこへゴール下にいたはずの紫原君が陽泉側のゴール下に立ちはだかった。
「火神君!」
みんな一斉に叫んだ。決めてほしい。決めてくれ。その願いが火神のバネになる。
大きくジャンプした火神はそのまま紫原君につっこむように跳び、そしてその高い場所から大きく振りかぶりリングにボールを叩きこんだ。逆転したことにみんなが湧き上がる。
しかしその喜びも束の間、カウンターで氷室さんが紫原君にパスをしフリーの誠凛ゴールへと走る。もみんなも息を呑んだ。ここで入れられたら折角の逆転も入れ替わってしまう。
負けてしまう。そんな言葉が脳裏を過り、紫原君がシュートしようと膝を曲げたところでの視界に水色が見えた。
ほんの一瞬、でもこの試合の中での紫原君ならもう跳んでもいいはずのタイミングで固まる彼には大きく目を見開く。
跳べない?紫原君が?そう思った瞬間、影のように現れた黒子君が跳び上がり紫原君のボールを弾き落とした。
そこで試合終了のブザーが鳴り響く。
『わああああああっ』
誠凛側が歓喜に湧き上がる。も手放しで喜んだ。
「うおっお前また泣いてんのかよ!」
ベンチに戻ってきた選手達をタオルを持って出迎えると火神がぎょっとした顔でを見てきた。
これでも我慢してるんだよ、とボロボロと零れる泣き顔で訴えれば彼はフハっと笑って自分で使うはずのタオルをの顔に押し付けた。
「お前見てると負けたのか勝ったのかわかんなくなるな」
「仕方ないでしょ…!」
押し付けてくる手から逃れ、タオルだけ受け取ったはジト目で火神を睨んだがさっきまでの真剣な顔はどこかに置いてきたようなホッとした顔でを見ていて少しばかりドキリとする。
なんだろう、と思ったが頭を乱暴に撫でられてその思考が途切れた。
「約束、守ったぜ」
「うん」
「まずは1つ目だ」
「うん。ありがとう」
泣き顔だけど精一杯嬉しそうに微笑めばつられた火神もにこやかに笑って今度は柔らかくの頭を撫でた。
「か、が、み、くーん。そこは俺達が、だよね?なーに1人で頑張りました!みたいな雰囲気出してんだよ!!」
「うお!」
「まったくです。手柄を独り占めなんてズルいです」
チームの勝利じゃなかったんですか?と不満そうにやって来た日向先輩に火神は羽交い絞めにされ、何故か伊月先輩達も寄ってきて火神を労わるとは名ばかりの愛の制裁をしていた。
の前に立っていた黒子君も火神弄りに参戦していてなんだかな、と思ったがみんなを見ていたらやっぱり嬉しくなって自然と笑みがこぼれた。
2019/08/18