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黄瀬君を見れば今試合最高の気迫に満ちている。
そんな彼を見るだけで委縮するが「もしかしたら試合最後まで持たせるつもりかもしれない」というリコ先輩の言葉にお腹がグルグルしてトイレに駆け込みたい気持ちになる。
とうとう、本当にキセキの世代を網羅してしまった。それだけでも脅威なのに。
パーフェクトコピーを止めなければ誠凛は勝てない可能性まで出てきてしまった。その現実には気持ち悪いお腹を抑えるように手で押し付けた。
その後も黄瀬君はキセキの世代の技で圧倒してくる。黒子君の秘策もその黒子君のサイクロンパスを応用した黄瀬君に逃げられそのままアリウープを決められた。
まるで開始直後の奇襲攻撃を再生してるかのような光景だ。
しかもここにいて流れを掴んでいた誠凛側の動きが一気にぎこちなくなっていく。日向先輩の3ポイントが決まらず、リバウンドの木吉先輩も止められ伊月先輩のパスがカットされるという事態には拳を作った。
しかも黄瀬君は火神の妨害に遭いながらも黒子君のファントムシュートで点を入れてしまう。
「そんな、パスだけならまだしも…」
「ファントムシュートは…ミスディレクションが使えなきゃ打てないはずじゃ…」
「多分、使ってないです。というか、使う必要がないんです」
驚きを隠せない誠凛ベンチ側にはぽつりと呟いた。元々ミスディレクションは黒子君の特性を特化したものだけど対人用であると同時に身長差の垣根をなくすものでもある。
普通に打てば回避されるシュートもミスディレクションがあれば確率があがる、というだけだ。
体力もそうだけど黒子君の身長はバスケをやるには小さい方だ。だからこそ彼はミスディレクションを駆使してファントムシュートを作った。自分より大きな相手でも戦えるように。
「…ある意味、黄瀬君が打ったファントムシュートが本来あるべき姿かもしれません」
今の黄瀬君がファントムシュートを打つ必要がどれくらいあったかはわからないけど、でも精神的なダメージで考えれば十分だった。
黒子君を見れば大きく上下する肩と背中しか見えず、そして感情も読み取れなかった。
7点差に縮めてきた海常は勢いに乗り、そして観客席もそれに乗り出した。まるで会場全体が海常の応援をしてるかのような空気に誠凛のベンチ組がざわめき動揺する。
それはそうだろう。追い込まれた海常にエースの黄瀬君が戻り怒涛の追い上げ劇をしている。この盛り上がりを見る限り心打たれた観客が殆どなのだろう。
ストレスで吐き気を催すような居心地の悪さに身を固くしたが、このアウェイの中でプレイする黒子君達の方がもっときついはずだと堪えた。
「1本!落ち着いて!」
海常の声援が大き過ぎて声をかき消されているが出来る限り声をあげた。ああもう、気持ちが縮こまっていてろくに大きな声が出ない。
海常に頑張ってほしいのはわかるけど誠凛だって頑張ってるんだ。お願いだからどっちも応援して。
日向先輩のシュートが空をきりラインに出ようとしたところを木吉先輩が黒子君に繋ぐ。それを見て河原君達は安堵の息を漏らしたが観客席から残念そうな溜息が聞こえ、顔が歪んだ。もう、本当に煩い。
無駄にそういう声ばかり拾ってしまう自分に内心舌打ちしているとリコ先輩が立ち上がり審判席に向かった。
タイムアウトってさっきとったばかりじゃ、と思ったがコートでは海常の早川さんにボールが渡り攻防が入れ替わった。
ボールは黄瀬君に渡り誠凛側は一気に緊張する。このままだと本当に負けてしまうかもしれない、そんな言葉が過ぎる。も息を呑みボールを追いかけていると黄瀬君の後ろから火神が跳びそのまま彼にぶつかった。
「プッシング白10番!フリースロー2ショット!」
「うわぁ、なにやってんだよ火神!」
「それじゃいっそヒールになっちまうよ」
思ったよりも強くぶつかったらしく黄瀬君も膝をついたがケガはないらしい。けれど観客席からのブーイングが思った以上に響いて福田君達が動揺したように叫んでいる。
も落ち着かない気持ちだったが火神を見ると彼は肩を上下させながら黄瀬君に啖呵をきっていた。その表情には目を瞬かせた。なんて奴だ。諦めるどころかまだまだ強気だ。
「…っドンマイ!気持ち切り替えて!!」
火神のお陰でどうやら黒子君達の表情も元に戻りリコ先輩も戻ってきた。
大丈夫。そう思えて声を張り上げると黒子君達の視線がこっちに向き、ちょっと恥ずかしくなった。なんで一斉に見てくるの。
「よおし!俺達も応援するぞ!」
「せーっりん!せーっりん!せーっりん!」
「その"てーっしん"!みたいな言い回しやめろよ!!」
もっと応援してくれよ、みたいな期待に似た目で見られてる気がして恥ずかしさで固まると、代わりに小金井先輩達が応援して木吉先輩に怒られていた。
リコ先輩がとったタイムアウトでベンチに戻ってきた選手達にドリンクやタオル等を回していると黄瀬君のパーフェクトコピーの打開策のことが持ち上がった。
黒子君が何か策を思いついたらしい。
黄瀬君が次に出すキセキの世代のプレイを予測して誘導、そして火神に止めてもらう、というプランだ。その為は観察する時間を火神達に稼いでほしいとのことだった。
円陣を組み、気合を入れる誠凛にも大きく深呼吸をする。泣いても笑ってもあと2分だ。
「火神君。頼んだよ」
「わーってるよ」
大きな背中を激励するように叩けば振り返った火神がやや乱暴にの頭を撫でた。なんか難しい顔をしてるな。日向先輩に何か言われたみたいだし。
「悩むくらいなら点取りに行ってもいいんだからね」と小さく声をかければぎょっとした顔で火神が見てきて、それからムスッとした顔で「んなことわかってるよ!」との髪を更にかき混ぜていった。
それができれば苦労はしてないって感じかな。
「さん」
やっぱ黄瀬君強いんだな。と、髪を手櫛で整えながら考えていると黒子君がを呼んだ。なんだろう、と近づけば彼は内緒話をするかのようにの耳元まで顔を近づけた。
「さんから見て黄瀬君はここぞという時、どっちを選ぶと思いますか?」
視線を動かせばこっちを見ている黒子君と目が合う。近い距離と視線にドキリとしたがは視線を彼のユニフォームに移し、そして黒子君に戻した。
「今の黄瀬君なら迷わずチームを選ぶよ。きっと」
『完全無欠の模倣』がある今の黄瀬君は攻守全て自分1人の手でこなせてしまう。だから中学の時と同じく誰にも頼らない選択をするかもしれない。
でも、練習試合で見たあの時の涙は、インターハイで見たあの姿は、彼が海常のエースとして自覚する為の布石だと信じている。
むしろ願いに似た気持ちを込めていうと黒子君はこくりと頷き離れた。
「でも、当たらないかも」
「そんなことはないですよ」
コートに戻って行く彼に声をかければ、黒子君は「さんの読み、当たると思います」と言い残して背を向けた。本当だろうか。
2本のフリースローを決めた黄瀬君と海常に歓声が上がる。このまま何もできなければ確実に誠凛が負けるだろう、というとこまで追い上げてきてしまった。
達ベンチ組も負けじと声を張り上げてみるがやはり海常の大きな歓声には敵わない。
悔しいけどヒールのまま進むしかないのか、と思っていたが必死の覚悟でボールを守った日向先輩に心を打たれたらしい観客から誠凛の応援も徐々に増えてきた。
時間を見ればいよいよ本当の瀬戸際に入る。もベンチ組と一緒に声を張り上げる。しかし1分をきったところで海常に逆転を許してしまった。はぎゅっと神様に祈るように指を組む。みんな、頑張って。
終盤の奇襲に近いラン&ガン攻撃は海常を驚かせたようだ。定石通りなら慎重に行くべきなのだろうけどその裏を突くことには成功した。
賭けではあったけど無事逆転した点数に短く息を吐く。
海常ボールで試合が再開されるとこちらはやはりボールを長く持って堅実に点を取る方向で来るらしい。
しかし誠凛側の布陣を見て黄瀬君達は驚きを露わにする。
黄瀬君のマークに黒子君がついたのだ。観察は終わり。ここで攻撃に転じるつもりだ。
緊張した面持ちで見守っているとボールを貰った黄瀬君はそのまま黒子君を交わし、ヘルプに入った火神を転ばせゴール下まですんなり入った。
そしてそのまま紫原君のコピーを使うかに思われたがすかさず入った伊月さんのバックチップでボールが弾け飛んだ。
よし!と小金井先輩達が拳を握った。しかしそれでも黄瀬君の方が早く反応し零したボールを笠松先輩に繋いだ。黒子君の読み通りだ。黄瀬君はもう中学時代の黄瀬君じゃない。海常高校の黄瀬君だ。
「ああ!」
鳴ったホイッスルに海常側が湧き立つ。80対79…逆転された。残された時間にお腹が冷えていくのがわかる。でも、と唇を噛んだ。
まだ終わりじゃない。走り出した火神にもめいっぱいの声を張り上げた。
『いっけーーーっ!!!!』
木吉先輩のパスで火神が加速する。残り4秒弱。この時間があれば火神なら確実に間に合う。
虚を突いたことで海常の出足も遅いと確信して見ていたが、それでも黄瀬君のゾーンは切れることはなくあっという間に火神の前に躍り出た。あまりの速さにも立ち上がった。
残り時間を考えれば、黄瀬君をかわす時間すら惜しい。どうする?!と見つめていれば彼はそのままジャンプした。しかしそのダンクも黄瀬君が立ちはだかり、ダメだ、と目を瞑った。
「火神君!」
その声では目を見開く。火神の近くには黒子君が辿り着いていては鼻がツンと痛くなった。
火神も声に反応しバックボードにボールを叩きつけると、そのまま黒子君の元へ弾き返した。
火神のパスを受け取った黒子君はそのままシュート体勢に入る。でもそこでほんの一瞬、彼が躊躇したように見えた。
多分黄瀬君と目が合ったんだ。彼ならもしかしたら間にあって妨害するかもしれないと思ったのかもしれない。
「行って!テツヤ君!!」
でも、それでも構わないと思った。だって勝つって決めてるから。黒子君は強いから。止められるものなら止めればいい。
そういう気持ちで叫ぶと同時に黒子君の手からボールが放たれ、そしてそのまま試合終了のブザーが鳴りボールがゴールネットを揺らした。
素早く審判を見ればホイッスルが鳴らされる。加算された点数に誠凛側が一斉に声をあげた。
『やったー!!』
80対81。ギリギリの逆転で誠凛が勝てたのだ。「!」という声に反応して振り返れば両手を広げるリコ先輩がいては抱き着いた。
黒子君や火神と固く握手する黄瀬君にやっぱり泣けてきて鼻をすすった。決勝進出だ。
降旗君達とハイタッチし、戻ってきた選手達を出迎えると会場全体から拍手が起こる。殆ど泣き声の黄色い声援を聞きながら海常を見やると背を丸める黄瀬君が笠松さんに支えられるように歩いていた。
「黄瀬君。全力だったね」
「はい。最後まで彼を止められませんでした」
同じように彼を見ている黒子君が反応ししゅんと頭を垂れると、は「次、負かせばいいよ」といってタオルをかけてあげた。
勝ててよかったね。荻原君も観ていてくれたらいいな。そう思いつつ彼の頭をタオル越しに撫でた。
「お疲れ様。テツヤ君」
「はい」
「ありがとう」
一方的で勝手なお願いだったけど見事やり遂げてしまった黒子君達に微笑みお礼を言えば、彼は驚いたように目を見開き、それから少し照れくさそうに微笑んだ。
2019/08/29
2020/09/06 加筆修正