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黒子君が入ったことで観客は歓声を上げたが洛山や現状を把握している人達の表情は困惑そのものだった。
無謀だと思われても仕方ないだろう。
作戦を打ち立てたですら黒子君の身を考えた動きの話は一切していない。だから未だに黒子君の影は失くしたまま、ウイークポイントのままだ。
選手達も達も挑むような硬い表情で洛山を見つめた。慎重に試合を進めながら黛さんにボールが流れるように動く。彼をより際立たせる為に黒子君が立ちはだかる。
マーク自体は他の人でもいいと思ったけど黒子君が自ら志願した。今になって思えばそれが正解だっただろう。影がない今の黒子君じゃ他の人を止めるには荷が重すぎる。
どんどん加算され引き離される点数には自然と手を組む。
なんとかギリギリ火神達が点を取り戻してくれているけどやはり黒子君の存在が痛手として返ってくる。
そして試合が動いたのはほんの些細な瞬間だった。何度もボールが渡ってくることに気づいたようで黛さんが表情を曇らせた。
それはそうだろう。"打ってください"といわんばかりに黒子君が道を開けるのだ。それにも気づいた黛さんは他の方法を探ろうとするがその時には既に手遅れだった。
ぴったりと張り付いたまま、けれども絶妙なタイミングで黛さんに抜かせてきた黒子君を見た時も驚いた。
作戦を知らなかったら黒子君よりも黛さんの方が格上だと思ってしまう光景で観客も洛山も信じてしまっていただろう。でもそれも全部エサでしかない。
そして、黒子君が動く。タイミングは黒子君本人に任せてある。周りをよく見てる黒子君がいいと思えばそれが絶好のチャンスだ。
「走れ!」
伊月先輩が叫ぶ。今さっきまで洛山ボールだったのにいきなりカットされ、ボールが伊月先輩の手に渡り誠凛が一斉に走り出す。
洛山は驚きを隠せない顔で走るがその一瞬で確実に出遅れ、誠凛は見事シュートを決める。
先輩達が歓声を上げる中はふぅ、と息を吐いた。観客の声も黛さんの名前の方が多く響くようになった。あとあまり期待してなかったけど黒子君の影も戻ってきてるみたいだ。
1度影をなくした黒子君が以前の試合並のミスディレクションはもう使えないだろうけどそれでも全然使えないよりは心強い進展だ。
コートを見ればボールを持った黛さんが黒子君と対峙している。あからさまに隙を見せてくる黒子君にそれはさすがに、と思ったら葉山さんにパスが回っていた。
それはそうだと思ってボールを追いかければリングから弾かれリバウンドを木吉さんが制した。
じりじりと誠凛の動きが変わってきているのがわかる。
視線を動かせば赤司君が動き、彼の前に火神が立ちはだかる。は無意識に息を呑んだ。
火神の雰囲気が変わる。不可解な距離感とだらりと落ちた腕、そしてまっすぐ見据える瞳は獲物を狙う肉食獣のようだった。
火神がゾーンに入った。今迄にないくらいの張り詰めた空気にの身体が震える。
前半のゾーンとは違う感覚に固唾を呑んで2人を見ているとあの赤司君が攻撃をあぐね、パスをして回避した。
それは今大会が始まって初めてのことだろう。
意図してパスしたのではなくパスせざる得なかったように見えた。
その歪は確実に試合に響いていく。
ボールを黛さんに持たせながら注目を集め、黒子君が彼の影に隠れる。そして次の瞬間、パスを木吉先輩に回しダンクを決めた。
「!」
横を見ればリコ先輩が手を出している。その手を見て涙目になりながら叩いた。依然試合は気を抜けない状態だけど、少しずつ兆しのようなものが見えてきた気がする。
洛山側のタイムアウトで戻ってきた選手達にタオルを渡していく。先程のうな垂れるような負の空気が大分払拭されて目に光が戻ってきている。
それに安堵しながら洛山側を見やる。これで赤司君も黛さんを下げざるえないだろう。
使えない、と思われるのは癪だけど、機械的な影が赤司君の手にあるのはそれ以上に嫌だった。
控え選手は、とノートを開いたところで視線を感じ顔を上げる。視線の先は洛山からだった。バチリと赤司君と目が合う。
それなりに距離があるというのに今にも丸呑みされてしまいそうな目に持っていたノートが落ちた。
落下したノートの音に我に返りなんとか視線を外せたはしゃがみこみノートを拾う。先程作戦を切り出した時よりも目に見えて手が震え脂汗も半端ない。
ここに自分しかいなかったら号泣するか吐くかしてしまいそうだった。
試合が再び再開されるとは驚愕した。てっきり下げると思っていた黛さんがコートに立っていたのだ。もしかしてやり返されるのか?と緊張したがそんなことはなかった。
そんなことはなかったが、彼の使い道は想像以上に残酷だった。彼を走らせ、パスもせず、ただ火神の妨害役としてただ立たせたのだ。
それはまるで黛さんに対しての罰にも見えたけど、この全国大会の決勝戦という大舞台で使うには『公開処刑』といっても過言ではないくらい厳しいものだと感じて、そして酷く悲しくなった。
「。あなたはやるべきことをやったのよ。今は目の前のことだけに集中しなさい」
黛さんのことをずっと目で追っているのが分かったのか、リコ先輩はの頭を掴んで無理矢理誠凛側へと戻す。そうだ。まだ試合は終わってはいない。
後悔しても仕方がない。そうは思ったけどやはりどこか辛くて、心が押し潰されそうなくらい痛くて、その痛みに耐えるようにぎゅっと拳を作った。
第3クオーター終盤も依然、試合の点差は開いたままだった。
伊月先輩対葉山さんの対決は伊月先輩に軍配があがったが、小金井先輩対実渕さんはギリギリ跳べたけど千載一遇のチャンスを失った形になってしまった。しかしそれが切欠で日向先輩の心に火がついた。
第4クオーターは小金井先輩と入れ替わり日向先輩が投入され見事先制点を入れた。
あと1つファウルを貰ったら即退場という特大のプレッシャーを抱えてるとは思えないほどの、今大会1番のキレイなフォームだった。
そして再び日向先輩は実渕さんとの対決で3種のシュートを見切り、リバウンドに繋ぐ。その気持ちに応えた木吉先輩が跳び火神に繋いで誠凛に点が入った。
実渕さんの虚空を止め、木吉先輩のセンター対決も勝利した誠凛は日向先輩の3連続3ポイントで本当に流れを掴み取る。
『うおおおおっ』
小金井先輩達が吠える。今迄溜まってた鬱憤が噴出したかのようだった。もしかしたら、本当にもしかしたら。
は電光掲示板を見て拳をまた握りしめる。
あと10点。そう期待した瞬間、背筋も凍る事態が起こる。
猛獣のような気迫のゾーンを展開する火神が1人、自陣を守る赤司君に向かっていく。そのままメテオジャムを決めるのかと思いきや、彼はジャンプしたものの変な風に滑り落ちた。
ボールは?と目を配れば赤司君の手にあり大きく目を見開く。
何で?今さっきまで火神の手にあったはずなのに。赤司君は見えた限り警戒も構えてもいなかった。動いたかさえわからなかったのにいつの間にかボールを奪っていたのだ。
赤司君を見てぶわりと鳥肌が立つ。ああそうか。黛さんどころか無冠の五将ですら必要としていなかったのか…赤司君は。
彼の姿を見て、彼のプレイを見てそう確信してしまった。彼は火神だけではなく黒子君達全員をかわし、自軍のゴールから1人で攻め込み1人で点を入れてしまった。
キセキの世代ってみんなえげつないや、と恐怖を通り越して呆れれば、リコ先輩が立ち上がり足早にタイムアウトをとりに向かった。
「俺がやる、です」
圧倒的なまでの赤司君の強さにどうやって対抗すべきか、という話をするはずだったんだろうけど火神が自分でやるといった途端、日向先輩が軽い感じに任せていて福田君達が逆に心配しだした。
そんな狼狽した1年生達に日向先輩は呆れた顔で彼らを見やる。
「今迄もずっとそうだったじゃねぇか。キセキの世代とやるならこういう局面は必ず来る。
エースに託さなきゃならねぇ時が…託せるエースがいなかったらお手上げかもしれない。だがうちには火神がいる。そんで十分だろ」
どれだけ騒いだところで誠凛にはもう対抗できる手段はない。だったらいっそ火神に、エースに頼るしかない。そうやって火神が切り拓いてくれてた。
日向先輩が火神の胸に託すように拳をぶつけ、伊月先輩達も火神に自分の想いを託す。
「火神君、」
黒子君が火神の背中に拳をぶつける。彼の表情はさっきまでの不安はどこにもなくて、希望に満ちた顔で相棒を見ていた。
「わかってるわね、火神君。ここからは、勝つか負けるか正真正銘のガチンコ勝負よ!…勝て、火神!!」
小金井先輩達も火神に思いを託しリコ先輩も笑顔で激励した。もさっきまでの震えを解すように深呼吸をして火神の背中に拳をつけた。
「頼んだ。火神君」
「おう!」
まだ少し自分の手が震えてるけど、火神は口許をつり上げコートの中へと戻って行く。頑張って、と選手達の背中を見送りながら強く願った。
2019/09/11