EXTRA GAME - 16
「さん。非常事態です」
「え?」
「紫原君にバレました」
何を?と思ったが次の瞬間全身の血の気が失せた。
「バレだって…まさか、」
「そのまさかです」
さんが紫原君を苦手だということがバレました。
学校の休み時間、スッとの席に現れた黒子君はとてもいい難そうに教えてくれたが、聞いたは全身の力がなくなったかのようにへなりと机に突っ伏した。とうとう…とうとう来てしまったか。
「スミマセン。昨日いおうと思ったんですが雰囲気的に言い出しづらくて…」
「うん。だね…」
どうやら昨日席を外して2人で話していたことはその話だったらしい。
道理で目を惹いたわけだ、と思ったが昨日の動画を見た後のみんなの空気を思い出し頭をもたげた。
あれは確かに言い出しづらいだろう。
は編集でめいっぱいになっていてろくに気づかなかったのだが、つぎはぎで編集した試合はみんなにはとても挑発的に見えたらしい。
青峰は好戦的に笑ってさっさと帰ってしまうし、みんなも会話がそぞろになりあの後すぐに解散してしまった。
赤司君はを引き留めお礼を言ってくれたたが、編集したディスクが目的だったみたいで、それを受け取ると文字通り足早に帰ってしまった。
チラリと振り返れば、いつも以上に怖い雰囲気で窓の外を睨みつけるように見ている火神がいて、はぁ、と溜息を吐く。
「なんか、動画を見せて失敗したような気持ちになる…」
「そんなことはないですよ。ですが、火神君達の気持ちもわからなくないです」
「テツヤ君も動画見たの?」
「はい。話もひと段落していたので…皆さんが集まっているのを見て紫原君と一緒に見てました」
「(ひと段落…)」
「あんなプレイを見せられたら否が応でも燃えますよ」
紫原君との会話の内容が気になるが知りたくない気もしてうっと顔をしかめたが、黒子君の表情を見て少し引っ込めた。
いつもなら目が爛々としていて期待に満ちているのだけど今は静かに闘志を燃やしてる、といった感じだ。
再戦を立ち上げた時も静かにだけどかなり怒ってたもんなぁ。
やる気を殺いだわけじゃないなら良かったのかな…?なんて考えたけど、やはり頭の中は紫原君にバレたことが重大ではそっと溜息を吐いた。
*
動画を見た紫原君も試合に集中しだしたようだし、とのことも再戦が終わるまでは保留にしておいてほしい、と黒子君がお願いしてくれたようで当面の安全は確保された訳だがはとても憂鬱だった。
てっきり黄瀬君の方が先にこの話をするのかな、とぼんやり考えていたから見えないところから突き飛ばされた気分になる。
それもこれも自分の挙動不審な行動のせいなのだけど。
紫原君のことは一応頭の中では覚えられてるけど嫌われてるわけじゃない、ということは理解していた。
中学の時に吐き捨てた言葉も、教室で苛立っていたのも自分の中のことで外に及ぼす影響も、が心底恐れていたのだということも知らないか、気にしていないんだと思う。
仮に理解していたとしても普通の対応をしてもらってるのだからもそれで返せばいいのだけどどうしてもそれができなかった。
接触回数が少ないから慣れるまで時間がかかるというのと、いくらのことをなんとも思ってないとわかっていても自身がどこか納得できていない、と思っているからかもしれない。
中学の時にされた行動は傷ついたし怖かったのだと思う。
を貶めたのは勿論他の人達にも要因があったし自身にも問題はあったけど、それでも心のしこりが今はまだ許したくない、と、意固地な気持ちが際立っていて受け入れたい気持ちを邪魔していた。
かといってこのまま不審な動きをしていればなんとも思ってない紫原君の気分を害するものになっていくし、もしかしたら傷つけるかもしれない。
長引かせると自分にも不利な状況になりかねない、そう思うとお腹が痛くて仕方なかった。
この負け犬根性をなんとかできないものか…、とキリキリ痛むお腹を抑えつつ景虎さんの事務所に向かうと、事務所の人達が自分と似たような顔でどんより沈んでいて驚いた。
「あの、どうしたんですか…?」
恐る恐る話しかけると『VORPAL SWORDS』がユニフォームを作ったのと同じように『Jabberwock』もユニフォームを新たに新調したらしい。
それ自体彼らの嫌がらせなのだろうけどクリーニングしたものを着る気はない、といわれてしまった為新たに発注するしかなかったようだ。しかし問題はその後に起こった話だ。
ここにきてJabberwockのマネージャーが帰国してしまったらしい。何か所用でもできたのかと聞いたら解任…というかクビになったという。
「さっき主催側と話して驚いたわよ。あっちも事後報告だったみたいで今大荒れよ」
「でもどうする?これ…」
「これって、『Jabberwock』のユニフォーム、ですか?」
「そうなのよ。クリーニングされたものが手違いでこっちに来ちゃって。それで主催側に連絡したんだけど…本当ならこれにサインを書いてもらって応募者にプレゼントする予定だったんですって」
「その手続きをマネージャーとしてたみたいで、連絡が取れないって嘆いていたわ」
「『Jabberwock』の選手ってあんな感じでしょ?マネージャーがいたからプランニングも上手くいってたんだけど…仲介役が消えたとなると他の企画もなくなるかもしれないわね…」
はぁ、と溜息を吐くおばさん達にもどんよりした気持ちでユニフォームを見やった。
しかしそのままじっと眺めているる訳にもいかず、主催側から再戦日のスケジュール表とユニフォームをJabberwockに届ける任務を受けてしまったおばさん達は仕方なくじゃんけんをしだした。
は『VORPAL SWORDS』のユニフォームを受け取りに来ただけだったので傍観していたが、結果的にじゃんけんに負けた事務のおばさんと同行することになった。
全員分のユニフォームを運ぼうと思うとの手には余るのだ。その為おばさんの車で体育館まで送ってもらうことになっていたのだけど、その前に『Jabberwock』が寝泊まりしているホテルへと向かった。
程なくして辿り着いたホテルは首が痛くなるほど高くてホテルのフロントで話してるおばさんを待っている間も出入りする人達が日本人よりも海外の人が多いように見えた。
場違い感…と内心身を小さくしながら同じく緊張した面持ちのおばさんと一緒にエレベーターに乗るとグオン、と圧がかかるのと同時くらいに「付き合わせてごめんね」と謝られた。
「いえ、1人よりは2人ですから」
「本当に助かるわ…」
荷物は1人でも大丈夫だけど、心細さは2人でも足りないくらいだ。何しろこれから会うのは『Jabberwock』の中で1番話が出来るだろうけど恐らく最も近づいてはいけない人だ。
本来なら『Jabberwock』のスタッフに投げておきたいのだけどマネージャーが抜けた今どう伝わるかわからない為この処置をとるしかなかったみたい。
部屋番号を確認し、インターフォンを押す。ホテルにもインターフォンあるんだ、と思いながら待つこと数分。
フロントでいることも起きてることもわかっているのに何で出てこないんだろう、とおばさんと顔を見合わせているとガチャリとドアが開いた。
「あの…っ」
おばさんが声を発すると同時に現れた人はナッシュ・ゴールド・Jrではなく女性だった。
しかも下着にガウンというあからさまに恥ずかしい格好にぎょっとした。訪問相手が男性だったらどうするつもりだったのだろう。
これが海外式なのだろうか…と、ふわっとアレックスさんを想い浮かべたが、相手の女性はまた違った色気で気だるげに「何?」と日本語で返した。あ、この人Jabberwockの通訳でついてきた人じゃなかったっけ?
一瞬部屋を間違った?と焦ったがどうやらナッシュの部屋で間違っていないらしい。
おばさんは日本語なのにたどたどしく説明し、ユニフォームとスケジュールの紙が入った箱を手渡す。その姿を緊張した面持ちで見ていればドアが更に開いた。
動いたドアに視線が動くと通訳の女性の後ろからナッシュが現れた。彼は女性の腰に手を回すと堂々とキスをしだして達をまたぎょっとさせる。
見てはいけないものを見てしまったような目のやり場に困って顔を熱くさせると通訳の女性はナッシュに耳打ちし、彼はおばさんとに視線を向けてきて『それはご苦労なこった』鼻で笑った。
細められた目はどう見ても好意的ではなく見下しが混じっていての足が無意識に後ろに下がる。何でこっちを見ているんだろうか。
『楽しんでたところをわざわざ邪魔しに来るくらいなら、ガキやババぁじゃなくてもっとマシな女を連れてこいよ』
「ありがとう。スケジュールは確認しておくわ。サインも忘れなかったらやっておくって。ペンはあるの?」
「はい。その紙袋の中に入ってます」
ジロジロと値踏みするように見られた上に早口でいわれた言葉は半分しかわからなかったけど、通訳の言葉とは正反対だということがわかってしまって顔が更に強張った。
早く帰りたい…と思いながらナッシュから視線を逸らすと『サイン?』と通訳の女性に聞く声が聞こえた。
『あなたのサインが欲しいそうよ』
『あんだけこっぴどくやられてもサインが欲しいのかよ。ククク、日本のサルは危機感も学習能力もないようだな』
喉を鳴らすように笑ったナッシュは、通訳の女性が持っていた紙袋から銀色のサインペンを取り出すとおもむろにの手を取った。
間におばさんがいるから視線が向いても大丈夫だろうと思っていたは少し高を括っていた。
よもやまさか自分が捕まるなんて思ってもなくて反射的に腕を引いたが相手の力が強くて振り払うことはできなかった。
『サインが欲しいんだろ?書いてやるよ』
「い、いらな…」
グイっと引っ張られ部屋に連れ込まれそうになったは強張った顔で空いてる方の手でドアを掴むが、ナッシュはニヤついたまま手を放さない。まるでの反応を楽しんでるようだ。
そして今更気づいたが彼は上半身裸だった。腕に描かれたトライバルのタトゥーも引き締まった肉体も異質に見えて恐怖と一緒に血の気が引く。
そんな彼から逃げようと必死にもがいたが、ナッシュはペンのキャップを口で開けるとの腕をまくりスラスラとサインを書いていく。
手慣れた曲線はまるでアートにも見えたが出来上がったものはあたかも自分がタトゥーを入れたような気持ちにさせられた。
『お前もサイン書いてやれよ』
『私はいいわ』
『いいから書け』
嘲笑ったナッシュはを手放すと後ろにたたらを踏んだ。そのまま尻餅をつきそうになったがなんとか足を踏ん張ると、ペンを渡された通訳の女性が眉を寄せに近づいた。
何をするの?と恐々見上げると彼女はの髪をかき上げ、耳元で「ごめんなさいね」と小さく呟き露わになった首にひんやりした感触がうねるように辿った。
つんとしたアンモニアの匂いに顔をしかめれば通訳の彼女が離れ、代わりにナッシュがの髪をやや乱暴に掴みあげた。
彼はの首元を見ると、満足そうに『サルでもよく似合うじゃねぇか』と口許をつり上げ、そのまま何事もなかったように部屋に入りドアを閉めたのだった。
2019/10/26