君色シンデレラ・9


俺は走っていた。授業中など関係なかった。不規則に鳴る心臓のせいで呼吸が苦しい。先程来た向日のメールに跡部の心臓がこれでもかと跳ねた。

がイジメられたっぽくて、現在行方不明。侑士が探してるっぽいけど見つけらんねーかも』

イジメ?行方不明?情報があまりにも足りなくて向日に問いただしたかったがそれよりも先に身体が動いていた。一旦立ち止まり汗を拭う。静かな廊下に自然と不安が煽られた。まるでもうここにはいない、と言われたみたいで手足が震えてしまう。


「いや、どこかにいるはずだ」

自分と話した時は絶望したようなそんな目ではなかった。だから安易な行動をとるわけがない。どこかでフラフラとしてるか1人で泣いてるだけだ。
そう頭を振ったが不安を拭いきれなくて大きく深呼吸をした。どこにいる?と窓の外を見てあるものを見つけた跡部はまた走り出した。


校舎を繋ぐ渡り廊下から外に出ると一層冷たい空気が跡部の肌を刺す。それを振り払い小さく丸まっている背中の元へと駆けた。近寄れば散乱してる教科書類が見え、眉を寄せた。

「おい、」

黙って見てられず声をかければビクッと肩が揺れ、おもむろに振り返った。ぐしゃぐしゃになった顔で自分を見たの顔は困惑と悲壮感と驚きだった。目を見開く彼女に「いつまでそこにいる気だ。行くぞ」と手を差し伸べるとその手を振り払い逃げようとする。

急に走り出したに慌てて足を前に出したが急に立ったせいか彼女はバランスを崩して転んでしまった。

「っ大丈夫か?」
「…触ら、ないでっ!」


跳ね除けられた手に今度はこっちが困惑してしまった。足元では転んだまま座り込むがポロポロと涙を零して泣いている。宙に浮いたままの手が虚しくて仕方ない。
仕方ねぇ、と息を吐いた跡部は一旦しゃがみこむとをやや乱暴に抱え上げた。

「え、な…っ!離して!!」
「暴れるんじゃねぇ。落とされてーのか」

ガクン、と揺れた身体に硬直したを抱え直すと反対側の渡り廊下から「跡部!」と呼ぶ忍足がこちらに走ってきた。奴も走り回ってたのか荒い呼吸で汗を拭っている。


「なんや。こっちにいたんか」
「……」
「あれ?膝怪我してんやんか!もしかして」
「これは自業自得だ。それより忍足、この散らばってる教科書類を拾って持ってきてくれねーか」
「どこに行く気や?」

怪我をしたのだから連れて行くのは普通保健室だがの顔を見る限り、もう少し後でもいいと思えた。



*****



を横抱きにしたままドアを開けた跡部はずんずんと進んでいきソファがあるロッカールームに入った。宍戸辺りに見られれば「女なんか入れんじゃねぇ!」と憤慨しそうだが現在はいないのでどうでもいい。

ゆっくりとソファに座らされたは更に身を固くしていた。大方、連れられた場所が男子テニス部で驚いているんだろう。
電気とエアコンを付け、救急箱を取り出した跡部はソファに座ったがすぐに立って常備してあるミネラルウォーターと洗いたてのタオルを数枚持ってソファに戻った。

「え、あ、ちょっと!」
「動くな。傷を綺麗にするだけだ」

タオルを下に敷き、ペットボトルの蓋を開けると豪快にの膝に水をかけた。いきなりのことで驚いた声を上げたが傷に染みたらしく「うっ」とくぐもった声に変わった。


「あの、床が濡れちゃうよ…っ」
「タオルを引いてるんだ大丈夫だろ」
「でも、それ、飲む用でしょ?」
「気にすんな。水なんていくらでも買える」
「……」
「……」
「……」
「…何だ?」
「………ありがとう、」


ぽつりと聞こえた声に一瞬動きを止めたが、平静を装って跡部はもう片方の足も綺麗にした。

「オラ。手も擦りむいたんだろ。見せてみな」
「……随分手馴れてるんだね」


救急箱を開き、淡々と手当をする自分に驚いたのか、は涙を溜めた目で感心するような声を漏らした。
「こんなことも知らないで部長なんか務まらねーよ」と返せばそういうことじゃないらしく「いや、なんか超人のように思ってたから怪我とかしないと思ってた」とぬかした。

「確かに俺はもうこんなヘマはしねーがお前みたいなのがいるからな。役に立って何よりだぜ」
「…そう、だね」

ソファに座り、手の平に消毒液をつけながら視線を少しだけ動かした。それなりに反応を見せるの顔はさっきから無表情でぼんやりと自分の手の平を見つめている。
前に話した時はこの距離よりも離れていたのに顔を真っ赤にしていた。お互いの髪が触れる距離なのに何の反応も示さない彼女に跡部は無性に苛立ちを覚えた。


「跡部、」

ノックが聞こえ、開けられたドアを見やると忍足が手招きしている。に「まだ終わってねーんだから動くなよ」と言い含めて席を立った俺は忍足の後に続きミーティングルームにの教科書類があるのを確認して部室を出た。

「んで、どうや?の具合は」
「なんともいえねーな。怪我は大したことねぇが、放心状態としかいえねぇ」
「お前が駆けつけた時には既に泣いとったんか?」
「ああ。散らばった教科書の中で蹲ってな」

思い出すだけでまた苛々する気持ちが溢れる。眉を寄せた忍足は眼鏡のブリッジを弄ると「そうか、」と少しだけ安堵した声を漏らした。


「もしかしたら自殺するかも、とかロクでもないこと岳人にいってしもたせいで、余計ヒヤヒヤしたわ」

屋上全部回ったお陰で足ガクガクや、としゃがみこむ忍足に「くだらねぇこと考えてんじゃねーよ」と吐き捨てた。

「ホンマにな。でも無事でよかったわ…あ、放置して大丈夫なん?」
「ああ。少しくらいなら大丈夫だろ。それより何でこんなことになったのか知ってるのか?」
「詳しくは知らんけどには聞いて…るわけないな」
「……」
「もしあるとすれば自分なんちゃうん?」


チラッとこっちに視線を送ってくる忍足に跡部は「アーン?」とこれでもかと眉をひそめた。何で俺のせいになるんだよ。

「女の情報網舐めたらアカンで?どこで情報が漏れるかもわからへん」
「…何の情報だよ」
「1年の時、大々的に告知した"保健室のシンデレラ"」
「……」
「誰かに苛められるような事態になる程、は目立っとらんし癇に障ることもしとらん大人しい部類や。それがこんなことになったんは第三者以外あらへんやろ?」
「それが俺だっていうのかよ」
「それはこれから岳人に聞いてみてからやな。でもまあ、十中八九俺の読み通りやと思うで?」


よっこらせ、と年寄りみたいな掛け声で立ち上がった忍足に眉を寄せたまま見つめていれば、奴は「なんだかんだ2年も見とるからな。のことは目ぇ閉じててもわかるわ」とニヤリと笑った。

「んで。跡部はどうするん。今更2年も前のこと掘り返して何がしたいん?」
「…少なくとも傷つけるつもりはねぇよ」

口元は笑ってるくせに目だけは獲物を捕らえるような目つきで見てくる忍足に跡部ははぐらかさずに答えた。


自分のせいでこうなったにしろ、誰かのせいでそうなったにしろ、手を出したからには最後まで見届けるつもりでいた。保健室の出来事も本人にとっては忘れたい過去の1部かもしれないが跡部にはどうしても捨てきれない思い出だった。

「跡部。わかっとると思うが、自分が絡んでるなら早々に解決せなアカンで」
「……」
「次はもっと酷なる可能性大や」

笑みを消した忍足が真剣に見つめてくる。その瞳にぐっと背筋が伸びた。そんなこといわれなくともわかってる、と見返せば奴はスッと視線を逸らし、欠伸をかいて「久々に限界まで身体動かしたら眠なったわ。保健室で休んでこよ」そういって背を向ける。


「忍足、」
「……なんや?」
「…いや、なんでもねぇ」

その背を見てなんとなく呼び止めてしまったが何も言葉が出てこなかった。


「ああそうや。跡部」
「何だ?」
「あの頃のならともかく、今の跡部はめっちゃの苦手タイプやけど、頑張るなら応援したるわ」

精々気張りや、とにんまり笑った顔を見て跡部は思いきり顔をしかめると伊達眼鏡はケタケタと笑いながら部室を後にした。余計なお世話だ。




2013.05.11