Clandestine meeting.




□ 23 □




「取り乱してスミマセンでした」と目を真っ赤にした鳳くんはそのままコートに戻ろうとしたけど、このまま放っておくことが出来なかったは渋る彼を応接間まで連れて行き、しばらく冷やしておくように、と濡れたタオルを押し付けてきた。
それから跡部さんに断りを入れて仕事に戻ったのだが頭の中では鳳くんの言葉が回って今ひとつ集中できなかった。

そうだよな。傍から見たら仕事を途中放棄したようにしか見えないよな。いくら引継ぎがないからっていきなり来なくなるのは冷たすぎる気がする。それによく考えてみたら全国大会の後すぐに消えたんだよね。

なんか、燃え尽きちゃったから辞めちゃいました、みたいな感じ?そりゃ仁王に薄情者っていわれるわな。…考えてたらどんどん気が滅入ってきたよ。


「あーいかんいかん!仕事しなくちゃ!」

そろそろお昼だし、と考えていると優雅な足取りで跡部さん達がコートから出てきた。あ、お昼になっちゃった。やばい、早く片付けないと、と慌てていると「、」と呼ばれ振り返った。


「鳳は中か?」
「うん。そろそろ目の腫れも引いてると思いますよ」
「ったく、おん…お前の前で泣くなんざ、宍戸じゃねーが激ダサだな。アイツは」
「仕方ないですよ。宍戸くんのこと凄く慕ってるし…お兄ちゃんみたいに思ってるんじゃないですか?」
「それにしても、だ」

自らゴタゴタを持ってくんじゃねーよ、とぼやく跡部さんにはまた困ったように笑うと、それを見咎めた彼が眉をぴくりと動かしの鼻を思いきり摘んだ。



「いった!」
。テメーは余計なことを考えなくていい」
「う、へ」
「勝っても負けても避けられなかったことだ。あとは鳳自身がなんとかするしかねぇ」
「うぅ、」
「俺はお前を気分転換させる為に呼んだんだ。そこんとこ間違えんなよ」
「う…はぃ」

頷き、鼻を放してもらえば少し高くなったように見えた。嬉しくないことだ。痛かった、と鼻をさすっているとじっと動かない跡部さんがいて。視線をあげればこつん、と頭を小突かれた。


「心配すんな。あれでも氷帝の副部長だ。そんなヤワじゃねぇ」
「…そうですね」


口元を吊り上げる跡部さんに合わせるように微笑めば頭をくしゃりと撫でられた。それに驚いて固まっていれば跡部さんは「さっさとこねーと昼飯岳人に食われちまうぞ」と屋内へ戻っていった。
跡部さんにかかれば同い年の自分も年下にしか見えないのかもしれない。

なんだか妹みたいな気分だ、と照れていると岳人くんに「早く来ないと飯食っちまうからな!」と跡部さんと同じことを言われ慌てて片付けた。ああもう!今日は後手後手だ〜ぎゃー。


「…?」
「?!はい!なんで…」

午後に使うものを考えながら整頓してると声をかけられ何も考えないまま振り返った。頭ではまた跡部さんが用事を思い出したのかと思ったが目の前にいたのは彼じゃなかった。
いや、確かにホクロはあるけど口元だし、髪の毛は殆ど真っ白だし、ジャージなんかレスキュー服だし。

どこをどう見ても仁王だ。


え?え?と動転して固まったまましばらく仁王と見つめ合っていたが、彼の後ろで幸村を捉えた途端、仁王の腕を掴み走り出した。



跡部in別荘は立海レギュラーを入れてもまだ余る部屋を誇っていて敷地をぐるりと回るだけでも時間がかかる。は別荘の裏手に回ろうとしたが、その前にいきなり腕を引っ張られそのまま別荘と納屋の隙間に連れ込まれた。


その隙間は1人分ならそれほどでもないが体格のいい仁王が入ると窮屈に感じる。それなのに向かい合って立っているこの状態は逃げ道以前に身動きができない程密接していた。

「あ、あの…わわっ」

手首を掴まれたまま、近い距離に動揺していると帽子を取られ、髪を乱暴にかき混ぜられた。暑かったから涼しい解放感があったけど目の前の仁王を見たらそんなこといえる状況ではない。


じゃ」
「…あ、はい。です」

髪をぐしゃぐしゃにされ視界が悪い状態で仁王を見上げればそんなことをいわれた。ていうか、髪をぐしゃぐしゃにした意味あったのか?
なんなんだ、と髪を整えているとその手も掴まれた。素直に答えたんだから髪くらい直させてほしいんですけど。


「何故ここにおる」
「え、…跡部さんに呼ばれました」
「……お前さんは知らん男に呼ばれてほいほいとついていくんか?」
「見知らぬ人について行くわけないでしょ」

眉を寄せる仁王につい口答えしてしまったけど、別に知らない人ではない。多分友達だ。樺地くん並の(ある意味それ以下?)のパシリ扱いな気もしなくないけど、多分友達だ、きっと。
そう言い返したら仁王は深く長い溜め息を吐いてきてムッとした。なんだよ、別に遊んだっていいじゃないか。

「私だってリアル友達と遊ぶ時くらいあるさ」
「…それは構わんのじゃが……ハァ…お前さんにいってもわかってくれなそうじゃな」
「そんなの、いってみなきゃわかんないじゃん」

なんだよ、その残念そうな目で見てくるなよ!「いっても無駄じゃ。絶対」なんていうなよ。何だか私が頭悪い子な気がしてきたじゃないか。…まあ、決していい方じゃないけど。



「…というか、お前さん。テニスに関わるのは嫌じゃなかったのか?」
「え?…そんなことは、ないよ」
「目を逸らすんじゃなか。こっちを見んしゃい」
「う…い、嫌だ」
「…、」
「……だって、近すぎる」

さすがにこの状態でこの距離感は緊張する。両手首以外にも足が絡むように温度を感じてさっきから顔が熱いのだ。視線を逸らしたままそう零せばの手首を掴んでる仁王の手がピクリと動いた。

ちくしょう。笑いたければ笑えよ!こんな時ばっか女ぶるなんて超恥ずかしいって!私もそう思ってるよ!!


「じゃあなんで部活に来なかったんじゃ」
「…だって、それは」
「………」
「………」
「……いわんと、ここで襲うぜよ」

責めるような声に思わず言い返しそうになったが口を噤んだ。仁王に言っていい話じゃない。だんまりを決め込むに仁王は益々不機嫌を露わにしてとんでもないことをのたまった。


突飛すぎる仁王の言葉に「はは、まさか」と鼻で笑えば視界の端で仁王が近づいてきたのが見え、耳元でフッと息を吹きかけられた。
その衝撃に「ふぎゃ!」と声を上げたが耐えて何も言わないでいると今度は首筋に生温かいものが当たり、ぬるりと肌を撫でた。

その途端、全身が粟立ち「わわわわわわわわわかった!いういういういういう!いいますから!!」とあっさりと負けを宣言したのであった。



怖々と仁王を見れば得意げに唇を舐め、こっちを見ていてビクッと肩が跳ねた。何この人怖い!なんか百戦錬磨な顔してる!跡部さんとか忍足くんでも思ったけどこいつも慣れてる匂いがする!!

「何じゃ、じっと見て。もっとしてほしいなら」
「なっないないないない!ないです!本当、ごめんなさい!!」


楽しそうに笑いながら顔を近づけてくる仁王には壊れた機械みたいに高速で首を横に振った。何が「そこまで拒否することもなかろうに。傷つくのぅ」だ!目がマジだったくせに!!イケメンに冗談を本気でやらせたらシャレになんないっての!

しかし、もしかしてそれだけ怒らせたのだろうか。…かもしれない。仁王もテニスバカの1人だし。じっと見つめてくる仁王には耐えられなくて更に視線を逸らすと目をギュッと瞑った。

もうこうなったらヤケだ!と洗いざらいぶちまけてやった。もー知らん!どうなっても知らん!!私のせいじゃないからねー!!



幸村の言葉とか退部届とか全部吐露して顔をあげれば悲しそうな怒ってるようなそんな難しい顔をした仁王がこっちを見ていた。脳裏で鳳くんの言葉が浮かんだ。

「………」
「……あの、仁王さん?」
「……………この、ドアホが」
「ど、ドアホ?!」
「何故いわんかった」
「い、いえるわけないでしょうが。あの時は幸村くん入院してたしみんなだって練習あったし」
「じゃが、が抱えておくものでもなかったはずじゃ」
「だって……みんな、幸村くんのこと信頼してるじゃん」


そうだ。誰にも言えなかった理由はそこにある。幸村が口外しなかったお陰で関係は保たれてたけど、だからといってが口に出せる話題じゃなかった。

みんなが幸村を信頼し、誰もが幸村の帰りを待っていた。だったら自分が辞めれば簡単な話だと思ってしまうのは極端だけど簡単な話で。
そうなるとみんなと一緒に部活をしてても1人ぼっちな気分になって、泣きそうになったことがいくつもあった。

そんなことを考える自分が酷く惨めな気がして眉を寄せれば「、」と呼ばれた。


「俺達はお前さんのことも信頼しとるぜよ」
「それは………ぅん。わかってる」

わかってるけど幸村よりは天秤が軽い。どうしてもマイナスの方向に考えてしまう自分が嫌で唇を噛めば掴まれていた手首がフッと楽になった。楽になったと思ったら顔のすぐ横に手を壁についてるのが見えて、すぐ目の前まで仁王の顔が迫っていた。



「そんなに俺のことが信用できんか?」
「え?」
「確かにチームメイトとしては幸村を信頼しちょる。じゃが、幸村だろうと人の子じゃ。完璧というわけじゃなか」
「……」
「お前さんがどれだけ努力して走り回ってたか、気づくのが遅かったこの俺ですらわかっとる。それで辞めろなんていう奴はおるわけなか」
「仁王くん…」

まさか自ら途中からの存在に気づいたことをいうと思わなくてクスリと笑えば、仁王の目が優しく細められた。その顔に思わず動揺して視線を逸らしてしまった。だからこの近距離でそんな顔は反則だってば。

熱くなった頬を手の甲で冷ませば「それでも信用できんか?」と問われ緩く首を横に振った。元々信用してなかったわけじゃない。ただ怖かっただけだから。


「ありがと。本当はね、退部届出して後悔してたんだ。お陰でみんなに会えないしさ。逃げなきゃならないし」
「…ああ、赤也か」
「そう!本当、あいつは……嬉しいけど、やっぱ無理だよね」

もしかしたら、テニスに関わらなくなったから幸村が声をかけてきてくれたのかもしれない。これでまたテニスに入り浸ったらそれこそ彼の不興を買うかもしれない。考えれば考えるほど胸がズキズキ痛くて泣きそうになった。

ああ。何だ私、結構テニス部のこと好きじゃないか。


「跡部さん達の手伝いしてたら余計に寂しくなっちゃった」と眉尻を下げて笑えば視界が真っ暗になった。包まれる感覚と温かすぎる体温に1テンポ遅れて気づいたは慌てて仁王の名を呼んだ。

「お、おい!仁王くん!!今そういう場面じゃないよ!…え?何?笑ってる??」
「……むぞらしかのう」
「むぞら…?……いや、そうじゃなくて」

何、あやすように頭撫でてくんのよ!私は赤ん坊か!とつっこめば彼はまた笑って「赤ん坊なら大人しくしんしゃい」と腕に力を込められた。



確かに人肌は心地いいけどさ。でもそれ以上にこそばゆいんですが。父親や弟とも違う匂いに少し緊張した。でも嫌な感じはしない。むしろいい匂いじゃないか?いや、そんなこと考えてる自分どうよ。
匂い嗅いでドキドキしてるとかヤバイくない?と本気で悩んでいると頭の上から「おーよしよし」と頭を撫でる仁王の声が聞こえ、脱力した。…緊張するだけ損だ。

だらりと身体の力を抜き仁王に寄りかかれば支えるように彼の腕が回ってきて、こいつ本当に慣れてるな、と思った。動きにぎこちなさを感じねぇ。

ああでも、頭を撫でられるの気持ちいい。こんな風に誰かに撫でてもらえるのはいつぶりだろうか。この感覚忘れてたな。目を閉じればじわりと滲んだ温かい水が頬を伝って落ちて。彼にバレないようにジャージに顔を押し付けてやった。



「それはそうと。仁王くんよく私だってわかったね」

しばらく、といっても10分も経ってないと思うが、スッキリした顔で顔を上げると目を瞬かせる仁王がいてちょっと笑った。
これだよ、と彼が奪った宍戸くんの帽子を被れば納得したような声が返ってくる。赤也は気づかなかったのに、といえば「あのワカメと一緒にするんじゃなか」と怒られた。ワカメって…仁王も思ってたんだ。

「まあ、色々あるが…」
「え、色々あるの?」
「決め手はこれじゃった」


ついっと左腕を持ち上げられ手首のリストバンドを指された。リストバンド?と思ったがすぐにハッと我に返った。うわ、これ仁王くんからもらったやつだ!使い勝手がいいから何気に持ち歩いてたんだよね。
そっか。今日暑くて袖まくってたから…あちゃーっと顔をしかめると「凡ミスじゃの」と笑われた。

「もしかしてみんなにバレちゃった?」
「どうかの。まだ俺だけじゃと思うが」
「そうだよね。赤也あんなだったし」

仁王は内心、赤也以外は気づきそうだったな、と思ったが口にはしなかった。


「……大会が終わってもつけとったんじゃな」
「ん。まあね。何かと使い勝手いいし、ないと不便というか…って、言いすぎかな?でもつけててすごく楽。ありがとうね」

使いすぎてくたくたになってる感はいなめないがお気に入りは得てしそういう運命を辿るのだろう。
彼の私物を貰ってしまったことだし「何か仁王くんにお礼しなきゃね」と微笑めば、「もう貰ったぜよ」と返された。あれ?私何か君にあげたっけ?



「背中に貼られたやつ」
「あれかよ!…あれはあげったっていうより押し付けたという方が…てうか、もう少しちゃんとしたやつじゃなくていいの?」

確か『僕はテニスと結婚しました』の紙だっけ?あれ別に達筆な文字で書いたわけでも紙がすんごい高いやつでもないただのルーズリーフにマッキーなんですが…。
えええ〜と困惑した顔で仁王を見れば彼はニヤリと笑った。何故そこで笑うんだ。しかもしてやったりみたいな顔しやがって。わからん奴。


「あ!いけない。片付け終わってない」
「そういえば、今は昼じゃったな」
「はっ私のご飯!!」
「早く行かんと昼が終わってしまうの」

仁王の思考について考えることを放棄すると、途端に自分の仕事を思い出し慌てた。そうだ、私のお昼、本当に岳人くんが食べちゃってたらどうしよう!

あわあわとしてるとは反対に仁王は何故かどうでもよさげに返してくる。それはいい。それはいいからいい加減放してください。


「仁王くん。離れよう。私は究極にお腹が減った。そして片付け終わってない」
「どうしようかの」
「そこ迷うとこじゃないし!」
「折角いい触り心地じゃったんじゃが…」
「うおうぉわあ!」

近っ!近っ!!視線を合わせて近づいてくる顔と背中を撫でるように抱きしめてくる仁王には全身が粟立って悲鳴にならない声をあげた。
そしたらいきなり仁王が吹き出したので、思いきって奴を突っぱねた。

よろめきながらもあっさり離れてくれた仁王を見れば「"うおうぉわあ!"って…ぶふっ」と笑っていた。ちくしょー。私だって恥ずかしいやい。チッと舌打ちしながらも髪の毛を適当に結い上げ帽子を被れば笑いが治まったのか仁王がこちらを見てきた。



「…何よ」
「こうして見ると何で男に見えてたのか不思議に思っての」

もうにしか見えん、といわれ何ともいえない顔で見返してしまった。ありがたいお言葉だが、なんとなく女としての何かが抉られていくような気がするのは気のせいだろうか。いや、狙ってやったからいいんだけど。うん。
それから服は借り物か?と問われ素直に頷いた。


「ちゃんと洗って返すんじゃよ」
「そのまま返すなんて失礼なことしないって」

勿論最新の注意を払って柔軟剤使ってお返ししますわ!と意気込めば「は真面目じゃのぅ」と満足そうに笑ったのだった。




あらあら仁王さんそんな。
2013.02.06