Hand cream.




□ 36 □




『今日の気温は2度です。今夜は都心でも雪が降るかもしれませんね』
そんな天気予報のお姉さんの言葉を聞きながらはマフラーをぐるぐる巻きにして家を出た。
外は風も出ていて余計に寒い。「うぅっ」と呻きながらも足早にバス停に向かった。

「おはよ」
「おはよー」

サラリーマンや他の立海生に紛れながらバスに乗り込むと吊り革に掴まってる幸村がにっこりと挨拶してくれた。
冬の自転車通学は休業します、と誰に聞かれたわけでもなく宣言してバス通学を再開すれば幸村と同乗することが増えた。それもバス通学を始めてからずっとで、2年の頃の私はどうして気づかなかったんだろうと思った。

それをふと漏らせば「俺、気配消すのうまいから」と笑っていたけど真に気配を消せるのは幸村ではなく私だ。その発言は時効だし痛々しいのでいわないけど。


「寒いねー」
「今日は雪が降るって話だよ」
「あ、それ私も天気予報で見た。マジありえない」
「冬のコートは吹き晒しで寒いんだよね」
「水道も下手すると凍ってるからマジやる気なくす」
「知ってた?高校だと室内コートもあるんだよ」
「マジで?!さすがだなー」

弦ちゃん教えてくれなかったよーと口を尖らせれば氷帝は中学校にも室内コートがあるらしい。あのコートだけでも凄いのに更に室内もだと…?!恐るべし氷帝。恐るべし跡部財力。


「そういや、土日に弦ちゃんと一緒に高校に殴り込みに行ったんだって?」
「殴り込みだなんて人聞き悪いな。先輩の胸を借りるつもりで練習に参加しただけだよ」
「またまた。幸村のことだから先輩いびる勢いで参加したんじゃないの?」
「…いびれるほど強くはないよ。先輩達も格段に強くなってたし、外部からの特待生もいたからね」

室内コートの話は聞かなかったが、高校の先輩達と練習したのは聞いていたのでニヤリと幸村を見ればそんなことはない、と謙遜された。



マネージャーとして参加する前も弦一郎の話を聞いたりしていたから幸村の実力はわかってるつもりだ。1年の頃からとても強かったし2年の時なんか先輩の部長達よりも強かったのだ。
全国優勝は幸村のお陰といっても過言じゃない。だから高校でも強さを見せつけに行ったもんだと思ってたのに彼にはまた違ったものが見えたらしい。

横顔からでもわかるキラキラとした目になんとなく微笑ましくなって「高校も楽しみだね」と笑えば幸村も微笑み返してくれた。


コートに着けば1、2年生達が激しい練習をこなしていた。おーおー赤也も頑張ってるな。部室に向かうと新マネージャーの子達が挨拶してくれる。それに返しながら一旦別れて更衣室に入ったはノートを持って部室に入った。


「うわっいきなり入ってくるなよぃ」
「あ、丸井おはよー」
「おはよ…って!おまっ俺着替え中だっつの!!」
「あーはいはい。見ないから。椅子借りるね」
「…お前、せめて着替え終わってからにしろよぃ」

ごめんごめん、といって椅子をエアコンの前まで出したは丸井達に背を向けるとそのまま座った。ぶつぶつと文句を言ってる乙女の丸井がいるが知ったことじゃない。

なんせこいつらは夏場、水飲み場で水浴びして殆どパンイチになったことがあるのだ。その後弦一郎にきつくお叱りを受けたが度々同じことをしていたし、日焼けと言ってはよく上半身裸になってテニスをしてたのでいい加減慣れた。


「それ、マネージャーの作業書き出してるの?」
「うん」
「へぇ。こうやって見ると結構あるね」
「そうだね。部員が知らないこともあるから…まあ私よりも友美ちゃんの方が大変だろうけど」
「そういや皆瀬は風邪だっけか」
「そうそう。今日も休むって連絡来たよ」
「柳生はもう見舞いに行ったのか?」
「まだらしいよ。うつすと悪いからって断られたらしい」
「それは心配だろう、ね…」



後ろから覗き込んでくる幸村に返しながら混ざってきた丸井と会話をしていると、さらりと頬に触れていた幸村の髪に視線を向けて固まった。

丁度目の前がシャツからチラリと見えた鎖骨だったからというわけではない。むしろ前を全開に開けてる幸村の胸板が見えてビビったのだ。
丸井が着替えてるんだから幸村も着替えてるのは当たり前だが妙に緊張して視線のやり場に困ってしまう。慣れたと思ってたのに間が開いたせいか戻ってしまったようだ。


「ちーっす」
「あ!ジャッカルおはよう!!」
「おうって、お前なんでここにいんだよ。女子更衣室にも暖房入ったんだろ?」
「いや、電気ストーブは空気まで暖まらないんだよ」

手元の紙をめくりながら確認してる幸村に動けずにいると助けと言わんばかりにジャッカルが入ってきて元気よく挨拶すればあっちも驚いた顔をして返してくる。
そんなに着替え中にいるのっておかしいのか?…まあ、女子がすることじゃないよな、うん。


「!…っ!!お前何故ここにいる!」
「俺のいったとおりだろう?が寒さに耐え切れず部室で暖まっている確率86%だ」
「さすが柳くん!おはよー」
「寒いっつーの!早く閉めろぃ!!」

そう思っていたら生真面目な弦一郎と柳が入ってきて軽く挨拶をかわした。そして弦一郎の方は見ないようにした。目を合わせたら絶対出て行けっていわれるもん。
しかし、ぶちぶち文句を言っていた弦一郎が声を荒げたのはではなく幸村の方だった。



「ゆ、幸村!何だその格好は!!さっさと着替えんと風邪をひくぞ!」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ここ特に暖かいし」
「しかし!」
「…確か皆瀬は風邪で欠席だったな」
「今日もお休みするってよー」
「そんなにひどいのか?」
「いや、今年の風邪はそれ程酷いものではない。おそらく治り始めが他人にうつりやすい時期だからと大事をとって休んだんだろう」

「そういや柳生は?」
「おはようございます」
「あ、柳生くんおはよー」
「ああさん。おはようございま……」

「…おーい。どうすんだよ。柳生固まっちまったぞー」
「大方、が実は男だったんじゃないかと考えている確率65%だな」
「何気に高いなおい!」
「どうでもいいからドア閉めろよぃ!」


変な想像しないでよ!と柳生くんにつっこめばえらい勢いで謝られた。本当に考えていたらしい。ひどいぜ柳生くん。


!カイロ持ってるだろ?貸してくれよぃ。つーか寄越せ」
「ムッ!何故知っている!だが渡さないわよ。私が寒いじゃん」
「オメーはどうせ部室から出ないだろ?!ホレ、さっさと出しな!」
「アンタは取り立て屋か!…カツアゲされてる気分だわ。終わったら返してよ!」
「おう。お前が忘れなきゃな。おいジャッカル行くぜー」
「ああ?まだ俺着替え終わってね…って!ブン太、ドア閉めてけ!!」


寒いだろうが!とジャッカルが叫ぶものの出て行った丸井が戻ってドアを閉めていくことはなかった。代わりに閉めてくれた柳生くんはやっぱり紳士である。
それから後で説教だ、といわんばかりに弦一郎が休み時間開けておけと死の宣告をして出て行き、次々と他のメンバーも部室を後にして残るは幸村だけになった。

なにをちんたらしてるんだとこっそり見れば何故か制服のまま前も全開でノートをじっくりと読んでいる。離れたから着替えてると思ったけど何を真剣に読んでいるんだ。



「これさ。部員にやらせてもいいんじゃない?」
「え、どれ?」

温風直撃だから寒くはないだろうけど一応冬なんだからそんな格好してると本当に風邪ひくよ、と忠告しようかと思っていたらノートを机の上に置いてある場所を指してきた。覗き込めば確かに部員でもやれる仕事だけど。

「でもこれって流れでやってるからこっちでやった方が早いんだよ」
「…じゃあこれは?」
「こっちもそう。一時期西田達に手伝ってもらったけどバラしてやるよりまとめてやった方が効率良かったかな」
「そういえば、左手首怪我したんだっけ」
「うん。でももう大丈夫だよ」


減らそうと考えてくれるのはありがたいけど、忙しかった分暇になると時間持て余すんだよね。手首を動かし元通りになったことをアピールすれば幸村はその手を取って隣の椅子に座り込んだ。

丹念に診てくる幸村にこそばゆいな、と思いながらもじっとしていると、彼は「そうだ、」と席を立って鞄の中から掌サイズのケースを取り出してきた。


って肌弱い方?」
「ん?普通だと思うよ」
「母さんがさ。ハンドクリーム多めに買ったらしくて俺に渡してきたんだよ」

俺使わないのにさ。と笑ってケースの蓋を取ると白いゲル状のものを指ですくっての手の甲に塗りつけた。

「えっあの、」
「いいからじっとしてて」


てっきりくれるつもりで見せてきたのかと思ったら幸村が自らの手での手に塗りこんできたので驚いた。

丁寧に指1本1本に塗りこんでくる幸村の手には何ともいえない恥ずかしさを感じて視線のやり場に困ってしまう。指の間とか自分でやればなんてことないところも他人に触られただけで妙に緊張するというかむずむずしてくるというか。
保湿成分があるのか手がだんだんと温かくなってきたが比例するように自分の頬も熱くなってきてる気がしてならない。



幸村の触り方がいやらしいんじゃないだろうか。


「幸村。じ、自分でやるから…」
「いいよ。俺こういうの好きなんだ。はい、こっちは終わり。そっちの手貸して」
「うっ…」

断ろうにも強く言えなくて仕方なくもう片方の手を差し出した。両手の指で撫でられる感触がやっぱり慣れない。くすぐったいような、むず痒いような。とりあえず落ち着かないのだ。
でも幸村は好意でやってくれてるんだし文句を言うわけにもいかない。うぅ、早く終わってくれい。

「これつけて効果ありそうなら使って」
「わかった。ありがと」
「……」
「……そ、そういやさ。久瀬さんはもう何もいってこない?」

こんな風に人がいないところで幸村と2人きりになるのは久しぶりだ。手を触られてる感触を誤魔化したくて話を振ってみたがちょっと失敗したかも、と思う。幸村の視線が手に向いたままだ。


「何も。まあ、彼女の願い通り"クラスメイトとして"仲良くはしてるけどね」
「友美ちゃんへの嫌がらせもなくなったみたいだし、作戦は成功でいいんだよね?」

C組は遠いからその後どうなったか知らなかったが、気丈な人だと思ったのは見間違いではなかったらしい。失恋した後も普通に話すとか凄いな、と思った。


は……仁王と何かあった?」
「へ?」

自分が失恋した後は目も当てられないほど落ち込んでたような気がするな、と過去の自分に思いを馳せていると『仁王』という言葉に反応して幸村を見た。

彼も彼でまっすぐこちらを見ていてかちりと合った視線に思わずドキリとする。
何か、と問われ、大晦日の日に会った新島さんと仁王を思い出してしまった。



先ぱ……あ!」
「え?」
「す、スミマセン!!」

目を見開く幸村を見てドキリとまた心臓が跳ねると部室のドアも開けられまた心臓が跳ねた。これで何年か寿命が縮まったかもしれない。

ドアの方を見れば新しく入った1年のマネージャーの子でを探しに来てくれたみたいだが2人を見て慌ててドアを閉めていった。
幸村を見ればの手を両手で握ったままシャツを全開に開けていてぼんやりとこっちを見ている。


「何を勘違いしたんだと思う?」
「…多分、恋人同士がするようなことと勘違いしたんじゃないかな」
「……」
「……」
「幸村のせいだよ」
「何言ってるの。のせいに決まってるじゃないか」


決まってるって全部私が悪いのかよ!はだけてるアンタがどの口でいってんのさ!

くしゃみをする幸村に「ホラみろ!」と指摘してさっさとボタンを締めさせたはしっとりになった両手を眺めつつ溜息を吐いたのだった。




幸村エロ市。
2013.03.13