Duel.




□ 5 □




ざり、とアスファルトを踏みしめ息を呑む。見上げた先は大きな総合病院。幸村が入院してる病院だ。作り直した千羽鶴が入った袋を抱え、もう一度深呼吸したは病院の中へと1歩踏み出した。

中に入れば生暖かい空気と独特な匂いが纏いつき少しだけ眉を潜める。それを気にしないように案内板を見ながらエレベーターに向かった。
目的の階につくとポケットからメモを取り出し指示された番号に向かった。前回行ったには行ったけどみんなと一緒だったから番号覚えてなかったんだよね。

メモの番号と照らし合わせ、幸村の名前を確認したはコンコン、とノックした。すると静かな声で「どうぞ」と返ってくる。その声音に自然と背筋が伸びた。


ドアを開けると部屋の奥にぽつんとあるベッドに幸村が座っているのが見えた。

うっなんか緊張してきたぞ。どうやら彼は本を読んでいたらしく栞を挟んで本を閉じると「やあ、できたんだね」とにこやかにを迎えてくれた。


「どう?調子は」
「うん。今のところは問題ないよ。無理を言って悪かったね」
「ううん。間に合ってよかったよ」

袋から千羽鶴を取り出し彼に手渡すと目を細め、「ありがとう」と礼を述べた。

「……」
「……」
「…あー。えーっと、それ、飾ろうか」



落ちた沈黙に耐えられず幸村から千羽鶴を受け取ると他の千羽鶴がかかってるフックにそれをかけた。落ちないことを確認してホッと息を吐くとまた沈黙が下りて気まずくなる。なんだろう、この微妙な空気は…。
不安になって視線を巡らせていると「座ったら?」と相変わらず笑みのままの幸村がパイプ椅子を指して促した。
その笑顔に少し違和感を感じながらも好意と受け止めてすんなり座ってみたがやっぱり沈黙は続く。

脳内で何で私1人に押し付けたんだ柳この野郎!と叫んだ。
練習試合間近になってやっと出来上がった千羽鶴を柳に渡そうとしたら逆に持たされ「、お前に行ってほしい」といわれたのだ。

まあ、試合間近だったし、2度目の千羽鶴というのもあってマネージャーが持っていく、というのもわからなくはない。けど、なんで私だけなんだ?普通は皆瀬さんか皆瀬さんと2人で行くか。じゃないのか?

そんな疑問がフツフツと沸いたけど柳の言葉は覆らず、むしろ「精市が1度会って話がしてみたいといっていた」とさえいわれてしまい、それを聞いて弦一郎も疑問にも思わずあっさりとを送り出した。

そう思ったら弦一郎にも腹が立ってきたな。


なんせ幸村とこうやってマンツーマンで話すのは片手で数えるくらいしかまだない。一緒のクラスで2人きりになった時も、あの時は委員会だかの話で目的があったし時間もそんなになかった。
だからこの時間が読めない状態で2人きりになのは正直緊張する。ええと!と頭をフル回転して話題を選んだはハッと先程幸村が持っていた本を思い出した。


「そうだ。さっき何読んでたの?」
「詩集だよ。イメージトレーニングに役立つかと思って」
「へぇ、どんな人の読んでるの?」
「これはいろんな人の詩集が載ってるんだ。これの前はゲーテとか宮沢賢治のを読んでたよ」
「わっ凄い人の名前出た」
「フフ。そこの棚にあるから読んでみるかい?」



読みやすいと思うよ、と指された先を見れば新書サイズの本が重ねられていて1番上の本を手に取った。宮沢賢治だ。適当に選んで開くと少ない文字数で紙面に載っているが『けふはぼくのたましひは…』と読み出したところで眩暈がした。昔言葉で読めない。
どうしよう、と固まっていると「そういえばさ、」と今度は幸村が切り出してきた。

さんとこうやってじっくり話すのってなかったよね」
「うん。去年同じクラスだったけど必ず真田いたしね」
「そうだったね。そう考えるとさんと話す時誰かしらいた気がするなあ。…もしかして、俺のこと、怖かったりする?」
「……はは、まさか」


『する?』なんて現在進行形で言われると正直心臓に悪い。図星なだけに。不自然に間を開けてしまったけど笑って誤魔化した。はぱらりと手元の本を捲ってみたが宮沢賢治に今のこの状況を打開するような言葉は見つけられなかった。
諦めて本を閉じると眉尻を下げたは彼を見て力なく笑った。

「怖いっていうか、緊張する、かな。だって幸村くん格好いいしさ。2人きりなんてマジ緊張ものだよ」
「そうかな?俺なんかで緊張することはないと思うけど」
「いやいやいや!クラスの大半はみんなそうだったんだって!」


2年の時のクラスの女子を本当に見てたのか?!授業で先生に指名されて朗読とか答える度にうっとり顔で見てたんだよ?!それを教えれば彼はクスクス笑って「へぇ、じゃあさんもそんな感じだったの?」とさらりとのたまった。

「わ、私?!え、えーっと…うん。まあ、そんな感じ?」

うっとりはしないが声は綺麗だな、と思ってる。変声期を経て弦一郎は一気におっさん臭くなったのに対して幸村の声音は変に下がらず綺麗なままだ。落ち着いた声で紡がれる幸村の言葉は心地いいと思う。

語尾上がりになってしまったの言葉を幸村は否定と取ったらしく「なんだ。さんは違うんだ」とさも残念そうにいうので、いやいやいや!と弁明した。



「真田に比べで俺は男らしくないからかな。やっぱり男らしい方がさんの好みだったりする?」
「へ?そこでなんで弦ちゃんの名前出るの?!ていうかあんなむっさいの好みじゃないし!」

そもそもあいつとつるんでるのは親戚だからであって!と続けようとしてハッと我に返った。しまった、今弦ちゃんと呼ばなかったか私。

「…そういえば、君達って最初は苗字呼びじゃなかったよね?」
「(何故知ってるんだ)…うん、まあね」
「どうして?」
「どうしてって…そりゃ、真田が嫌がったからで」


小学校の頃は別々だったから苗字で呼ぶ必要がなかった。それに、小学校の頃は奴も小学生らしい子供だったのだ。それがどこでどう成長を間違ったのか、どっかの秘密基地で改造されたのかありえない加速を遂げてああなっただけで。

だけど、苗字呼びに変更したのは入学して最初の頃だったから知ってる人も少なかったはずなんだけど。ああでも柳がいれば全部筒抜けか。恐ろしいな。


「さすがにあんなおっさん顔に"弦ちゃん"はどうかと思って。そのくせ中身は意外と繊細だし恥ずかしさ紛らわす為に大声上げるしさ」
「…さんってストレートだね。まあ、真田の奇行は安易に予想できるけど」


クスクスと笑う幸村には張り詰めた肩の力を少しだけ抜いた。花が綻ぶ、というのはこういうことをいうのだろうか。思わず見惚れてしまった。しかしその笑顔もすぐに消えてしまう。
口を噤んだ幸村は今度は自嘲気味に笑って「だから、誘ったのかな」と漏らした。



「真田がさんをマネージャーにするっていった時正直驚いたんだよね」
「そ、うなんだ」
「柳にも相談してなかったみたいでさ。ここで初めて宣言された時の驚いた顔、面白かったなあ」
「……」
「俺もさんが親戚だって知ってはいたけどマネージャーを頼めるほど知らなかったから…でも、そうだね。あの時の真田ならそうするだろうね」

あの御馬鹿皇帝はそんなことをしでかしていたのか。あ、頭痛くなってきた…。
のマネージャーが決まったのはすんなり決まったのではなく、勝手に押し通した結果らしい。にこやかに微笑む幸村には段々と顔色が悪くなってきた。心なしか彼の笑顔が黒く見える。


「も、もしかして、幸村くんは私がいるのって実は気に入らない…?」
「………」
「………」
「…正直に言っていい?」
「う、うん」

「答えは"Yes"だよ」


さんには悪いけどね。と微笑む彼に視線が逸れた。頭が痛い。
今更に、こんなことなら弦一郎に任せずちゃんと幸村なり柳と面談してもらえばよかったと思う。彼らにとってテニス部はそれだけ大事なんだって知ってたのに、知ってたつもりだったのに。


「柳に聞いたけど部員の怪我が多いんだよね?」
「え、うん…」
「それって確かに新編成の上で起こりうる、浮つきもあるんだけど…大元の原因は多分君だ」
「え…っ」
「君が甘やかしてるから部員の怪我も多いんだ」



断言する幸村にはどう返したらいいのかわらなくて膝の上にある本を見つめぎゅっと握り締めた。見えてはいないけど淡々と言葉を紡ぐ幸村はもう微笑んでいないだろう。
圧し掛かるプレッシャーが重くて痛い。

「柳は指揮する自分達にも否があるっていってたけどプランを見た限り落ち度は見当たらなかった。だからあるとしたらさんしかいないんだよ」
「でも、私は普通に…」
「うん。さんなりに頑張って仕事をこなしてるのは聞いてるよ。でもそれはあくまで"部活動"の範囲なんだ」
「………」

「君はテニスを好きでも嫌いでもなんでもないんだろ?」


まさかここでそんなことを引き合いに出されるとは思ってなかった。驚き顔を上げればまっすぐ見つめてくる幸村と目が合う。その強さに思考が焼ききれた気がした。言葉が、出ない。


「普通の部活ならそれでも構わない。でも俺達が目指してるのは"全国"なんだ。そのトップになるには"好き"以上に本気にならなきゃならない」

「……」


「本気になれない人間がついてこれるような部活じゃないんだよ」



君がいるテニス部は。
まっすぐな視線と一緒に投げられた言葉はざっくりとの胸を抉ったように思えた。痛い。痛くて鼻がツンとして泣きそうだ。


後から思い返してもそこまで幸村にいわれる筋合いはなかったと思う。毎日遅くまで走り回って、手が荒れるほど仕事して、眠い目を擦りながらも部誌を書いていたんだ。幸村からしてみればそれは当たり前で全然足りなくても私にとっては精一杯やってるのだ。

それを本気じゃない、といわれるのは心外にも程がある。

けどこの時の私は真摯に向かってくる幸村に対抗するような言葉はすぐには思いつかなかった。それだけ彼の瞳が本気で気圧されていた。



「……辞めた方がいいならそうするけど…」

「いうと思ったけど、それはできない話だ」
「?」
さんを誘ったのは真田だ。招いた今の状態がどうであれ、今辞められて困るのは真田自身だ」
「何で?」
「真田にとって君はストッパーみたいなものだからね。俺がいない不安を君が補ってるといっても過言じゃない」
「私が?…まさか、」

不満そうに切り出せばあっさり却下された退部話に目を瞬かせる。
自分が幸村の代わりなんて到底思いつく話じゃないけど「柳も俺と同じ意見なんだ。間違いはないと思うよ」という幸村の言葉に信じるしかなさそうだ。


「真田に倒れられるとさすがに困るからね」
「…だから、今はまだ放置してるってこと?」
「放置はしてないよ。ちゃんと柳が面倒みてくれてるだろ?」
「……」
「まさか俺のところに寄越してくるとは思ってなかったけど…」
「……手に余ったから釘を刺しておこうってこと?」
「そこまで柳も冷酷じゃないさ。この話はたまたま俺がしたかっただけ。きっとさんのことよく知らない俺にちゃんと話しておけっていう柳なりの優しさなんじゃないかな」


の卑屈な言葉に幸村は笑って一蹴した。ちゃんと話し合いの場を設けてくれるなら事前にいってほしかったよ、と思わずにはいられないのだけど、幸村はさして気にもせずポンポンと言葉を投げてくる。

こいつは私がマネージャーをやってるのが本気で気に食わないらしい。自分が病気じゃなかったらさっさと辞めさせてる、と端々にいってるようなものだ。その証拠に笑顔がやたらと冷たくて怖い。



「…じゃあ幸村くんが戻ってきたら、マネージャー辞めることにするよ」
「……」
「本当は困ってたんだよね。受験もあるしさ。勉強もそれ程出来ないから本腰入れたかったし」
「へぇ、やりたいことあったんだ。外部受験でもするの?」
「決めてない。リストはあるけどマネジのことで手一杯だからそんな暇なかったし」

それも幸村からしたら体のいい言い訳にしか聞こえないんだろうけど。何だか馬鹿にされた口調に腹が立って売り言葉に買い言葉でケンカを売ってしまった。だってぐつぐつとしたものが腹の内で回って気持ち悪くて抑えきれないのだ。怒りたいのに悲しいなんて感情が破綻してる。


「帰ってくるんでしょ?大会までに」
「……さあ。こればっかりはわからないからね」


暗に手術が成功するかどうかわからない、と匂わせた幸村は視線を外して窓の外を見た。外は晴れやかで少し風が強いのか雲の流れが速い。

確かにいいたいことはわかる。幸村の病気は難病で苦しい入院生活を強いられてるのだ。言葉にするのは簡単だけど耐えている本人の負荷は大きい。もしかしたら手術で死んでしまうかもしれない、テニスが一生できなくなるかもしれない。そう考えているんだろうけど。

だけどここに来て煮え切らない幸村の台詞にムッとしたは1度下唇を噛み、息を吸い込んだ。


「幸村くんが帰ってこなかったら私卒業までずっとマネジやることになるんだよ?それでもいいの?」
「……」
「私がいたらテニス部どんどんダメになるんでしょ?もしかしたら関東大会でボロ負けするかもね。全国なんて夢のまた夢かも」
「馬鹿だね。そんなわけないだろ」



視線をこちらに戻した幸村の瞳に思わず息を呑んだ。声は抑揚がないくせに視線が射殺さんばかりで怖くて仕方ない。こっちも負けじと睨み返せば「今年は真田達がいるんだ。負けないよ」と付け加えた。

「じゃあ常勝の歴史もここで終わりだ。そうだよね、中途半端な私が入ってテニスが大好きなアンタがここにいるんだもん」
「……」
「悔しかったら、さっさと手術してテニスしなよ」


あんたの大好きなテニス部がダメになる前に。
自分の立場もそっちのけで啖呵を切ったのはいいものの、幸村がこっちを見たまま無言でいるのでどうしたらいいのかわからずそのまま逃げるように病室を後にした。


はじめは早歩きで病院を抜け出してからは走りって。
走って走って、息切れして酸素が頭に回らなくなるくらい走ってようやく止まったはぽたぽたと地面に落ちる雫に気がついた。


「…っふ…」

汗かと思って拭ったが出所は世界を写す瞳でボロボロと止まらない涙に顔を覆った。今1番辛いのは幸村なのにとても酷いことをいってしまった。無言だったのが気に食わなかった、でもそんなの当たり前だ。テニスがしたい人にさも簡単に「すればいい」なんて考えなさ過ぎる。

だから彼は私を辞めさせたいと思ったのだろうか。
きっとそうなんだろう。
本気で好きな人はあんなこといわないんだろう。
もっとしっかりした言葉で幸村を元気付けるんだろう。


そう思ったら自分が不甲斐なさ過ぎて余計に泣けた。





2013.01.10