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「先輩、顔般若になってますよ」
「それは仕方ないのだよ、西田くん」
何が悲しくて資料整理とかしなきゃならんのだよ、まったく。ほぼ立海の高校に行くことが決まったということで嬉しくないことに丸井と幸村がマネージャーやればいいのに、と誘ってくるのだ。
傍から聞いたら有難い話かもしれないけど、まだ落ちたショックから抜けてないんですけどね私!!その上、聞きつけた弦一郎も混ざってくるし!赤也も赤也で煩いし。
はぁ、と溜め息をついたは埃を被ったテープを引き抜きカラ雑巾で拭いた。
煩いテニス部から逃げようと遠回りをして帰ろうとしたらテニス部顧問に捕まり、西田とテープ整理を頼まれたのだった。
こんな時に、と苦々しく思ったが逆らえないので仕方ない。
倉庫になってる視聴覚室準備室に入ったんだけど埃とカビ臭さに思わず顔を歪めた。しかも電気つけても暗いし。
テニス部、と書かれたダンボール箱を引っ張り出し中に詰まってるビデオテープを見てこれ使えるの?と眉を寄せてしまった。
「えっと、これどーすんだっけ?DVDに焼き直すの?」
「はい。リストの年代をコピーしてあとは欲しい人に譲渡するか処分するんだそうです」
「ふぅん…でも今ビデオデッキ持ってる人いんのかな?」
「あーそうですね。その辺聞いてないや」
もしかしてこれ全部ダビングとかいわないよね?と引きつった顔で見合わせたが見なかったことにして「とりあえずリストのやつ集めよう」と仕切りなおした。
しばらくしてビデオを集めた達はダビングをする為に視聴覚室に入る。は使い方があまりわかってないので西田に任せて椅子に座っているとスクリーンに映像が映し出された。
「これいつの?」
「えっと、一昨年ですね。先輩達が2年の頃です」
「へー」
ぼそぼそと撮ってる声や歓声が入るが基本は無音で、プロの中継じゃないから単調なカメラアングルの映像が流れる。西田も隣に座って画面を眺めていると入れ替わるように見覚えのある人物がスクリーンに出てきた。仁王だ。
「仁王先輩っていつから髪染めてるんですか?」
「え?わかんない。多分1年の時にはあの色だったんじゃない?」
噂を聞き始めた頃にはもう既にあの色だったように思う。背を向けてる仁王がボールを打つ。今の彼よりも少しだけ小さく見えるその背に心臓が波打った。
「先輩、」
「ん?」
「俺、先輩のこと好きです」
じっとスクリーンを見つめていればそんな声が聞こえ、視線を隣に移した。西田はじっとスクリーンを見つめていたがゆっくりとこっちを向くとふにゃりと力なく笑った。
「え、あ、その」
「あ、返事はいいんです。俺、言いたかっただけなんで」
動かない頭のせいで言葉に困っていると西田は取り繕うように「先輩のこと困らせたかったわけじゃないんで」と笑った。
「あ、ありがとう…」
「……いえ、」
どういったらいいのかわからなくて、これが正しいのかわからないけど西田に礼をいえば頭を掻いた彼が「やっぱ照れくさいっスね」と席を立った。
「ちょっと俺、頭冷やしてきます!」
「え?」
「それ、勝手に止まるんで、面倒だったら先帰っていいですから!!」
帰ってきたら俺やるんで!!そういうが早いか西田は逃げるように視聴覚室を出て行ってしまった。
出て行く西田をは固まったように動けず見送ることしかできなかった。西田が自分を好き?え?そこまで考えては思考が止まる。
わぁっという歓声に肩を揺らしたは何だと見回したが音の出処はスクリーンだった。何だ、と思いながら見れば仁王がサービスを決めたらしい。ガッツポーズを決める仁王にこんな感情を露にすることもあるんだ、と不思議と感心してしまった。
会場を見る感じ全国大会なのだろう。整備されたコートの緑が目に眩しく見えた。相手はどこだろうか、そう思って目を凝らしたが画面が歪んで見えなかった。
「あ、」
そのうち仁王も歪んできてどうしたんだろうと思う。そこでやっと自分が泣いていたことに気づいた。頬に触れば手の平はキラキラと反射して光っている。
目を擦り再びすクリーを見ればスマッシュを打ったところで綺麗な線を描き相手コートで跳ねた。相手は追いつき打ち返すも仁王の追撃に成す術もなく空振りしていた。
相変わらずテニスのことはあまりよくわかっていない。
どこに入れば点になるかくらいはさすがに覚えたけどどのように打てばどう返せるか、取れないボールを打つかなんてあんな一瞬に判断できる芸当はない。それを羨ましい、と思うことはしばしばあったけど真似しようとか打ちたいと切望したこともなかった。
マネージャーになって応援する対象が弦一郎からみんなになって、それから目の前の1人を追いかけて。一生懸命に走って打って嬉しそうにする彼が格好よくて微笑ましくて、ずっと見ていたいと思う程心が踊ってしまう。
もっとちゃんと見ておけばよかった。夏の全国であんな熱い戦いをしたのに。
もっと焼き付けるくらいしっかり見れば良かった。
丸く姿勢の悪い背中も、日に透けるような白い髪も、尻尾のように髪を揺らして微笑む悪戯気な顔も、温かくて大きな手も中途半端に染み付いていて。
こんなにも心が締め付けられるのに。
こんなにも心が温かくなるのに。
脳裏には新島さんとか柳生くんの言葉がチラチラと過ぎるけど、でもそれはきっと関係ないんだと思った。だってこんなにも私は仁王に会いたいって思ってる。
「…泣いとんのか?」
見れば見る程、想いと一緒に涙が溢れて鼻をすすっていると、近くで声が聞こえ目を見開いた。けれど、スクリーンから聞こえるのはぼそぼそと喋る撮影組の声くらいで後は雑音だ。
どくん、と心臓が跳ねる。恐る恐る振り返ればすぐ近くで本物の仁王が立っていた。
「え、なん…で」
そこまで言って柳の言葉を思い出す。本当に視聴覚室の鍵なくなってたんだ、とか、仁王が持ってたんだ、とか。
頬に触れた温かさに目をぎゅっと閉じれば親指の腹で涙を拭われた。壊れ物を扱うような優しさに思わず胸が高鳴った。その音を聞かるんじゃないかと、怖くなって顔を逸らせば仁王の手が引いて、少し寂しく思った。
「何でこんなもん見とんじゃ」
「こ、顧問の先生にテープのダビング、頼まれて」
「…そういうのは倍速で録った方が早いぜよ。何標準で録ってるんじゃ。学校に泊まる気か?」
「そ、そうなんだ」
知らなかった、と零すと仁王は前の方へと向かっていく。デッキの前でしゃがみこむと「げ、ビデオテープ…」という声が聞こえた。
「どうだった?」
「諦めた」
涙を拭うと仁王がさっきまで西田が座ってた場所にだらしなく座った。途中から倍速はできないらしい。マッチポイントに入り、仁王の声にも熱が入る。しかし隣にいる仁王はあまり面白くなさそうな顔で見ていた。久しぶりに見る表情に思わず胸が高鳴ったが、息を吐いて前を向いた。
「…そういえば尻尾ないよね」
「ん。確かにこの頃はそうじゃったの」
不思議と、すんなりと出た言葉と返された言葉には内心驚いていた。なんだ、普通に会話できるじゃないか。そう思って張っていた肩を少しだけ力を抜いた。返される言葉に自然と口元がつり上がる。それを見られないように頬杖を付いた。
「楽しいか?」
「うん、それなりに」
生で大会を見てるせいか大きなスクリーンでも狭く感じてしまうくらいでつまらないわけじゃない。横を見ればそれこそ面白くなさそうに見ている仁王がいて思わず微笑んでしまった。
以前自分のプレイを見るのも勉強の一環だと見せられた時もこんな顔だった気がする。
「どう?一昨年前の自分は」
「全然ダメじゃの。動きがなってなか。相手のことよく見て動いとらんし無駄も多い」
「…ボロクソだね」
思ったよりも辛辣に評価する仁王に驚き見やれば「自分だから当たり前じゃ」とスクリーンから顔を逸らした。
「私は………一生懸命で格好いいと思うよ」
スクリーンなのにキラキラして見えるとか自分の目がおかしいとしか思えないけど。でも本気で戦ってる仁王は伸び伸びしていて格好いいと思う。
しかし一大決心で発した言葉は仁王には届いてないらしく何も返してもらえなかった。確認しようにも恥ずかしくて仁王を見れなかったから余計に居た堪れなかった。
「そ、そういえば、また友美ちゃんから逃げてるんだって?」
「ああいう時の皆瀬は怖いんじゃ。相手にしたくなか」
皆瀬が俺に構うと柳生も煩いんじゃ、と零す仁王に苦笑で返した。
「腕は大丈夫そう?」
「…どうせ柳生や皆瀬にいわれたんじゃろ。高校でもテニス続けろとかあいつと別れろとか」
「そういうんじゃないよ。ただ単純に気になってるだけ」
やっぱり付き合ってたのか。何だ、横田さんのいう通りなのか。何気なく聞かされた言葉に結構なダメージを受けたがも気にしないように返した。私は今マネージャーとしてここにいるのだから個人的な感情は関係ない。
とりあえず続いてる会話を切らせないように「腕だって名誉の負傷でしょ?」と聞けば、「…何で知っとるんじゃ」と気味が悪い、と懐かしい顔で引かれた。それすらも可笑しくて吹き出せば目を丸くした仁王がバツの悪い顔になって口をへの字に曲げ、首の後ろを掻いた。
「…お前さんに聞きたかったんじゃが」
仁王がそう切り出したところで録画組の声が慌ただしくなった。誰が来るんだろう、とぼんやり見ていると幸村が現れゆったりとした足取りで相手と握手を交わしている。コートに立つ幸村の背に一昨年前でも異様な安心感を感じてじっと見つめた。
「腕の話、いつ聞いたんじゃ?」
「14日。ごめんね。U-17の話は聞いてたんだけど真田とか怪我の話してくれなくてさ」
袖を引かれ、仁王を見ればなんとも読めない顔でを見ていた。もしかして口外するなとかそういうことをいいたいんだろうか?そんなことを思ったが別に言いふらす気はなかったので、「弦一郎も怪我したこと隠してたんだよね!」と茶化せば仁王は眉をひそめた。
「…まぁ、自分の怪我をわざわざいう奴はおらんからの」
「そんなこといって治り遅くなったらどーすんの。ちゃんと病院行ってるんでしょうね?」
まったくこの男共は!とやや前のめりに凄めば仁王は目を逸らしながらも「行ってる」と答えた。なんとも頼りない声だこと。
サボって治り遅くなるようなら通院付き添うからね!と言えば嫌そうに眉をひそめたので「冗談だよ」と言えば益々難しい顔になって思わず笑ってしまった。何その顔。どっちだかわかんないんだけど。
以前のような光景に嬉しくなってクスクスと笑っていれば背凭れから身を離した仁王がと同じように机に肘をついて距離を縮めてきた。くっついた腕にドキリと心臓が跳ねる。
「お前さん、もしかして心配しとった?」
「…もしかしても何もするでしょ。そりゃあ」
「本当に?」
「当たり前」
視線が合うように屈んできた仁王は小首を傾げて聞いてくる。そんな可愛い仕草、どこで覚えてきたんだと言ってやりたかったが既で止めた。世の中のお姉様方が見たら一発で堕ちるわ。ていうか丸井より可愛いんじゃないだろうか。
これだからイケメンは、と思いつつさっきよりも早くなった心拍数に身を引こうと腰を浮かせば阻止するように仁王が袖を引っ張った。
「それは、マネージャーとしてか?」
まっすぐ向けられた目にまた心臓が跳ね、試すような仁王の言葉にゴクリと唾を飲んだ。
ここでそうだよ、と言ってしまえばよかったのかもしれない。皆瀬さんや柳生くんに心配かけたらダメだろって。自分の怪我もちゃんと面倒みれないなんて選手失格だって。
でもそれが言葉になることはなかった。
なんでだろう。今仁王と話してるのはマネージャーであるなのに。仕事を全うしなきゃいけないのに。
仁王に全部言葉を吸い取られてしまったのように何も言えないでいると、わぁっと湧き上がる歓声が聞こえスクリーンに視線を向ければまた袖を引かれた。まるで逃げるな、というように。
スクリーンの光に照らされる仁王を見ればかちりと目が合った。
「…何でさっき泣いてたんじゃ?」
痛そうに眉を寄せ、空いた手で頬に張り付いた髪を梳いた仁王に心臓がはち切れんばかりに高鳴る。さっきから心臓がおかしなくらい高速回転をしていてもう死ぬんじゃないかって思った。
多分言い逃れはできない。
だって湧いてしまったこの感情はどうしようもないのだ。
消すなんてできない。
「あ…」
ああそうか。私、だから仁王に会いたくないって思ったんだ。
会ってしまえばどうしようもなく好きな気持ちが大きくなってしまうから。
そうなれば止まれないってわかってたから。
理解して余計に泣きたくなった。好きすぎて泣きたくなるとか頭の回路がおかしくなったとしか思えない。
「…から」
「……」
「会いたかった、から」
会いたくないって思ってた時はそれなりに姿を見てたけど、会いたい時には探しても探しても見つけられなかった。会えなければ余計に恋しくなってどうしたら会えるんだろうってずっと考えてた。
身勝手だって思う。でも自分の気持ちをどうしたらいいのかわからなかったんだ。仁王をこんなに好きになるとは思わなかったし、新島さんのこともあって。諦めなきゃ、て思ってたけどこうやって会ってしまえばやっぱり好きで。ダメなのに好きになるなんてなんてバカなんだろう。
「仁王くんに、ずっと会いたかったから」
多分、きっと、後でいったことを後悔してしまうんだろうけど。
ぽたりと頬を伝った雫が落ちる。本当はマネージャーとしていわなきゃいけないこととかあったはずなのに何も言えなくなって、は溢れ出る涙を堪えきれずに俯いた。
泣きたいわけじゃないのに、そう思って拭っても止まってくれない涙に唇を噛んだ。
ふと、離された腕に仁王が行ってしまうと思って顔を上げれば両頬に温かさを感じた。両頬を包むような大きな手に顔が急激に熱くなる。目の前にはを見つめる仁王がいて息を飲んだ。
いつもなら怒らせるような言葉で茶化してくるのに仁王の顔はとても真剣で、髪の中に差し入れられている指先が頭皮に触れる度にゾクリと電気なようなものが走った。
どのくらい見つめ合っただろう。
微かに聞こえていた歓声も雑音も耳に入らないくらい心臓の音が煩い。
目が溶けてしまうんじゃないかっていうくらい熱い目元で仁王を見つめていれば、段々と彼が近づいてきて合わせるようにも瞼を閉じた。
最初は瞼に、それから頬と額と鼻先にもキスが降りてきて。それからゆっくりと恐る恐る唇に重なった。
冷たいと思った唇は温度を分かち合うようにどんどん温かくなって離れる度に熱い息が漏れる。啄むようにキスをされたはそのまま崩れ落ちてしまいそうになって、たまらず仁王の首にしがみついた。
「…っ」
思ってもみない行動に仁王は驚き目を開けてしまったが濡れた瞼のまま必死に応えてるを見て何とも言えない感情が込上がった。
目を閉じ頬にあてていた手を背と後ろ頭に回すと、仁王はを自分の方へと引き寄せた。
「はぁ…っ」
ふやけるんじゃないかっていうくらい唇を重ねて解放されたは口で大きく息を吸った。視線を少し上げればトロンとした仁王と目が合って目を閉じればまたキスするのかな?と思った。
現に目を閉じれば本当にキスされて、柔らかい唇の他にぬるりとしたものが口を撫でた。
「ん、」と顔を引けば逃がさないとばかりに後ろ頭に手を回され歯列を撫でられる。
あ、舌だ。とわかったと同時に太股を熱を持った手が蠢くように撫でた。
「あ、ダメ…!」
急に我に返ったは仁王を突っぱねた。仁王の顔を見ては視線を泳がせると「ごめん、」と謝った。
「ごめん…私、」
何してんだよ、私。付き合ってもいないのに。新島さんがいるのに。
顔も頭も一気に熱くなって何を言ったらいいのかわからず、じっと見つめてくる仁王の視線に耐えられなくなったはその場から逃げ出したのだった。
2013.04.08