□ 56 □
シャッターが閉められたお店の前に佇む白い頭を見つけ、声をかけようとしたが隣に知らない、でもほんのちょっとだけ見覚えのある姿を見つけ速度を緩めた。それは距離が近づくごとに確信に変わっては息を呑む。
新島さんだ。何でここに?と思ったがそれよりも身体が動いた。
「あれ。新島先輩ですか?」
「?!…ああ、あなた確か……ちゃんだっけ?」
顔をこっちに向けてきた新島さんに挨拶をしたはやっぱり綺麗な人だな、と思った。暗がりでもそう思ったんだから光のあるとこで見たら更にそう思うだろう。そう思いつつ仁王の横にぴったり付いたは「どうしたんですか?」と彼女を伺った。
着崩した制服と鞄に学校帰りなんだろうな、とは容易に思えたけどこんな時間まで何してたんだろう。
「今ね。これからご飯でも食べない?って雅治のこと誘ってたの。さっきまでカラオケしてたんだけどご飯食べるの忘れちゃってさ」
ご飯忘れるとかどんだけだよねーとケラケラ笑う新島さんにチラリと仁王を伺ったがすぐに視線を戻した。
「あ、そうだ。ちゃんもどう?」
「スミマセン。これ以上遅くなると親煩くて…」
「そっかーざんねーん」
果たして本当に残念がってるのか怪しい笑顔だったが、新島さんはすぐに切り替えて「雅治はどうする?」と伺った。
「新島先輩スミマセン。あの、……雅治くんはこれから病院行かなきゃならなくて」
「え?病院?」
「はい。練習控えろって先生言われてたのにさっきまで練習してて…具合もあんまりよくないっていうんでそれで」
「こんな時間に診察やってるの?」
「行きつけのとこなんで大丈夫だと思います」
仁王が世話になってる病院は知らなかったから、自分も知っている弦一郎が行ってる病院を思い出しながら答えた。内心心臓がバクバクで、じっと見つめてくる新島さんの視線にいつバレるのか怖くて仕方なかった。
「ふぅん」とまだ納得できてない新島さんは仁王を見たのでは彼の上着をぐっと引っ張った。
「…そういうわけじゃから、飯は彼氏とでも食いんしゃい」
「ええーっ今から呼んだって来るわけないじゃん」
「じゃあ友達でよかろ」
「だから誘ってんじゃない」
「俺は無理じゃ」
ケチー!と口を尖らせる新島さんに別に彼氏いるのかよ?!、と内心驚愕しながら背を向けた仁王の後に続いた。
「じゃまたね。あ、雅治!後でメールするから!」
「…に、新島先輩!」
自動改札機を抜けたところで新島さんに声をかけられた仁王が振り返ったのを見てはギョッとして慌てて後ろを見た。新島さんは笑顔で改札の向こうにいるけど近くにいるよりもずっと緊張した。
多分、視線が仁王じゃなくて自分に向いてるからだと思う。強い視線に思わず怯みそうになってぐっと拳を作った。
「こ、今年の大会見に来てください。に…雅治くんも活躍するんで!今年も絶対全国行くんで!!」
「…へーそうなんだ」
「テニスしてる雅治くん格好いいですよ!!」
それじゃ、と電車の時間を気にする素振りをして仁王の手を取ったは新島さんに手を振って階段を上った。ホームに上がれば丁度電車が来て降りる人を待って乗り込んだ。
プシュー、とドアが閉まると同時にステップの前でしゃがみこんだ。ないとはわかってたけど、追いかけてこなかった新島さんにホッとして力が抜けた。し、心臓が止まるかと思った…。
ガタン、と動き出す電車に近くにあったスタンションポールを掴んで転ぶことは免れたが体力回復までは時間がかかりそうだった。
「…ごめん。色々ごめん」
めちゃくちゃ手が震えてる。新島さんずっと見てたな。睨まれなかったけど、はぁ?何言ってんの?みたいな顔だった。やっぱバレたかな?バレてないといいな。
そう思いながら隣にいる仁王に謝ってみたが返事はなかった。どうやら電車の音にかき消されたらしい。ただ無視されただけかもしれないけど。
もしかしたら怒ってるかもしれないけど、口を出さずにいれなかった。仁王を伺い見た時、行きたくなさそうに見えてしまったのだ。見間違えだったかもしれない、というのは口にした後で思ったが、でも2人で話してるのを見かけた時も楽しくなさそうだった。
思い込みだと言われたらそれまでなんだけど、とにかく新島さんから仁王を引き離さなきゃ、と思ってついあることないことまでいってしまった。
何が"雅治くん"だよ。彼女面して牽制とかマジキモい。全然そんなんじゃないのに。キモいわ。私マジキモい。
「……え?」
「そんなとこで座ってたら降りる人の邪魔になるき」
パンツ見えても知らんぜよ、と同じようにしゃがんだと思ったらの手を引っ張る仁王に目を瞬かせた。そのまま手を引いて空いてる席に座ると仁王は普通に隣に座れと手を引っ張ってくる。
あれ?気にしてない?と不思議に思いながらも座れば1人分あった距離が半分以下になっていた。その近さにドキリとしたが、なるべく顔に出さないように彼を視界に入れないように視線を外した。
「さっきはごめんね。ていうか出しゃばりすぎた。マジごめん」
「…別に。構わんよ」
背を丸め、疲れきったスタイルで謝ればやっぱり普通に返してくる。
もしかして私がいわなくても断ったんじゃないのか、これ。
無駄に精神力削られただけ?とがっくり肩を落とすと動かせない腕に首が突っ張った。見ればまだ仁王と手を繋いでいて「う、」と漏らした。さっきまでわかってなかったのに見た途端に顔が熱くなるとかどんだけよ。
「仁王くん、さ。手、離してくれないかな…」
「は?」
「え?」
繋がれた手を持ち上げ離してくれないかな、とアピールすれば何故か聞き返された。驚き顔を上げれば仁王と目が合って、無言のまま見つめ合った。しかし端正な顔にハッとなって顔を逸らした。
聞き返されるようなことでもいったかな?と思いながらも、もう1度同じことを言えば仁王が不機嫌そうに眉を寄せた。なんだ?何が起こった?
「…もう1回俺の名前を呼んでみんしゃい」
「え?………仁王、くん?」
呼び方に問題でもあったのか?でも『くん』呼びであってるよね?『さま』とか『さん』じゃないもんね?
仁王を見れば不機嫌な上に目を細めて睨んでくるからの肩が揺れた。何で睨まれなきゃならんのよ。
ていうか、怖いからやめてほしい。そう思って腰を引けばぎゅうっと痛いくらいに手を引っ張られは顔をしかめた。
「いった!仁王くん痛いんだけど!」
「知らん。聞こえん」
「しっかり聞こえてるじゃない!っていうか離せ!!」
「離してやらん。お前さんの手ぇ冷たいからの。温めてやってるぜよ。感謝しんしゃい」
逃げられないようにぎゅうぎゅうと握りしめてくる手が痛かったが、それ以上には慌てていいのか嘆いていいのか分からず、熱くなった顔を隠すように俯いた。
ああもう。仁王の手が温かいとか大きいとか久しぶりとか浮かれるなよ自分。空気読め。
そう叱ったが浮かれる心も握られた手も最寄駅に着くまでずっと温かいままだった。
*****
「いや、いいから。私帰れるから」
最寄駅に降りれば何故か仁王も降りてきてしまった。しかもしっかり手を繋がれたままで手汗が半端ない。顔だってバレバレな程赤いだろう。意識してるのに一緒に帰るとか2人きりとかヤバいんじゃないだろうか?と思ったが仁王はを引き摺るようにして改札を出た。
「どっち?」
「いや、えと、バスです」
本気で送る気らしい仁王に戸惑いながらもバス停に向かえば自分が乗りたいバスは行ったばかりで結構待つことになるらしい。面倒だな、と思いながらも仁王には「すぐ来るみたいだからここで大丈夫だよ、」と手を離せと振ってみた。機嫌は戻ったみたいだけど何で怒らせたのかわからないからちょっと怖いんだよね。
「じゃあ、来るまで待つぜよ」
「いや、別に大丈夫ですよ?バス停から家近いし」
「世の中何があるかわからんしの。夜じゃしに何かあったら俺が困るき」
それにすぐ来るんじゃろ?と伺ってくる仁王にはさっきよりも汗が吹き出た。
「……すみません。バス来るのすぐじゃないです」
むしろ結構待ちます。と顔を逸らしながら吐けば、怒ることもなく「じゃあ歩いて帰るかの」との手を引っ張った。
駅から離れると朝や昼間と違って帰り道は結構静かだ。お店がある大通りじゃないところを歩いてるせいなんだけど、こっちの方が近道だったりする。
「いつもこんな道を歩いとるんか?」
「ううん。1人の時はなるべく大通り通ってるし、この辺はいつもは自転車だから」
あそこのコンビニでよく買い物してるんだ。と視線の先にあるコンビニを指させば「何か買うか?」と聞いてきたので一緒に入った。
運動した後だし仁王もお腹減ってるよな、と思っていればやっぱり食べ物を買っていて、も肉まんを買った。
「え、この時期に肉まんか?」
「暖かくなってきたけど夜は結構冷えるじゃん」
コンビニを出ると不思議なものを見るような目で仁王が見てきたので「だって美味しいんだもん」と肉まんを頬張った。別に冬じゃなきゃいけないってルールはないじゃん。冬にアイスだって食べるじゃん。
「冗談じゃ」と吹き出した仁王は早速おにぎりを1個ぺろりと平らげ、ペットボトルの蓋を開けた。それからコンビニ前でパンも平らげてしまい、ゴミ箱にぽいっと捨てるとこちらを振り返った。私まだ3口しか食べてないんですが。
「た、食べる?」
「…お前さんのじゃろ?」
「だって仁王くんお腹減ってるんでしょ?」
買ったはいいものの、お菓子やケーキを食べていたし、仁王と一緒なのもあって緊張してるから思ったよりもお腹は減っていなかった。ずいっと肉まんを差し出せば珍しく仁王も悩むようにじっと見つめ、「んじゃ、遠慮なく」と前より小さめに1口食べた。
「……あ、」
「…どうした?」
「いや…」
もごもごと口を動かす仁王と自分の肉まんを見て今更気づいた。これ関節チュ…食いじゃないの?あれ?何戸惑ってんの私。さっき丸井のケーキ食べてたじゃん。あれれ?何今更気にしてんのよ。
じっと肉まんを見つめていたが不審なに気づいたのか仁王がこっちを見てきたので慌てて肉まんを食べてゴミ箱にゴミを捨てた。
「…おっきな口じゃの。そんなに急がんでもよかったのに」
「…っう、ううん。だい、じょぶ」
「全然大丈夫じゃないやろ。これ飲むか?」
差し出された飲み物につい手が出そうになったがそれこそ関節チューじゃね?と過ぎって手が止まった。今更である。
なんとか肉まんを飲み込み、こいつ大丈夫か?と見てくる仁王の視線から逃れるように歩き出すと彼もすぐに並ぶように追いついてきた。コンパスの差ですね。わかります。悔しいです。
「…さっきのことじゃがな。実は助かった」
「……え、」
鞄に手をかけてるのもあって仁王が手を繋いでこないのを微妙に寂しく思いながら、いや何言ってんの付き合ってないじゃん。とつっこみを入れつつ黙々と歩いていると仁王がポツリと呟き彼を見た。
仁王は前を向いたまま息を吐くと「ありがとうな」とと目を合わせてきた。
「え?いや………ていうか、ケンカでもしてるの?」
「ケンカするほど仲がいいわけでもなか」
「………付き合ってるんじゃないの?」
仁王の言葉に益々わからなくなって眉を寄せれば付き合ってないと返された。ペテンか。
「そう、なんだ」
「そうなんじゃ」
「じゃあ何で別れろって柳生くん達にいわれてんの?」
新島さんに会う前にしっかりと聞きましたが。何その言った覚えなんてありません、って顔は。この耳が聞いてるんだよ。ネタは上がってるんだよ。
「それこそ勝手な思いこみじゃ。噂が1人歩きして勝手に付き合ってるだの女遊びしとるだの広がったんじゃ」
いい迷惑ぜよ。と肩を竦める仁王にそれは災難だったね、と同情したが疑われるようなことをしてるのが良くないんじゃないだろうか、とも思った。
「ああ。もしかしてただ授業をサボってたり、隠れて練習してたりしてたからそんな噂がたったとか?」
「そんなところぜよ。お陰でいろんな奴に疑われて益々学校をサボりたくなったくらいぜよ」
「ああそれで先生が泣いてたって丸井がいってたのね…」
泣く程頼み込むなんてどんな状況かと思ったが自業自得じゃね?と隣の詐欺師を見やると「義務は面倒じゃの」と溜め息を吐くので高校になったら退学があることをこいつはわかってるんだろうか、と呆れた目で見てしまった。
「高校でも全国行くんでしょ?だったら少し真面目に授業出た方がいいよ」
「ん。部活やってれば学校には行くんじゃがの」
「学校行って授業受けて!学生の本分はそっちだから!」
同じ立海でも中学と高校じゃ勝手だって違ってくるだろう。成績良くてもダメなんだからね!といってやれば外灯に照らされた仁王が嬉しそうに微笑むのが見えては言葉を詰まらせた。
さっきから何そんな照れたように笑ってんの?意味わかんないんだけど。
いつもなら「煩いの」とウザったそうに見てくるのに。不意打ちで来るから心臓がさっきから煩くてたまらない。何だ?何だ?見間違いか?と視線を泳がせたは早く家に帰ろう、とスピードを上げた。
しばらく無言のまま歩いてくると見慣れた景色が見えてきてホッと息を吐いた。軽く息を弾ませながら振り返ると、余裕そうに歩いてる詐欺師が目に入って殺意が湧いた。
「この辺か?」
「うん。だからもう」
ここまででいいよ、と言おうとしたら車が曲がってきて、仁王に背中を押され壁に寄った。
「危ないの」と思ったよりもスピードがあった車を眺めていたがこっちに向けてきた視線にドキリと心臓が跳ねた。思い出すのは視聴覚室のことで、顔がわっと熱くなる。
「んで、何かいいかけてたが」
「あ、いや。何でもないよ!」
行こうか、と背を向けたがカバンを持ってる手を包むように掴まれた。
「。お前さんに言っておきたいことがあるんじゃ」
「…な、何?」
神経が左手に集中してる。指先が動くだけでドキドキしてしまう。辛うじて返したが振り返ることも彼の手を振り払って歩くこともできない。手を握られただけなのに全神経を持って行かれた気分になる。
「さっきもいったが由佳とは…あの人と付き合っとらんから」
「うん?…うん」
「確かに昔、付き合っておったが今はただの友達ぜよ。最近は通り越して都合のいいパシリでもあるが…そういう感情は綺麗さっぱりなくなっとる」
パシリ?と聞いてそれは嘘だろ、と思ったが「噂は全部嘘じゃ。信じるんじゃなか」とすぐ近くに仁王の気配を感じた。ふわりと後ろ側に押し付けられる感触に体温が上がる。顔が丁度後ろ頭部分に当たってる気がしたからだ。
「ど、してそれを私に…?」
「お前さんだけは他の奴みたいに勘違いしてほしくなか」
さっきよりも近い声に振り返れば至近距離で仁王と目が合った。
「俺を信じてほしいんじゃ」
囁くように静かに紡がれた言葉には目を見開いた。切望するような表情にドキリと心臓が跳ねる。そんな捨てられそうな顔しないでよ。
もしかしたら仁王はずっと傷ついた心を癒せないまま来てしまったのかもしれない。新島さんと離れられなくて放っておけないくらい好きで。
それで自分に何が出来るかなんてわからないけど、でも傍にはいるから。
「大丈夫、だよ。仁王くんが詐欺師でテニス好きなのわかってるから」
ぽんぽんと覆うように握る彼の手にもう片方の手を添えれば小さな子供みたいに必死になってを抱きしめてきた。子供だけど身体は大きい彼が妙に可愛くてやっぱり好きなんだな、と苦笑して手触りのいい彼の髪を撫でた。
2013.04.08