Bullying.




□ 8 □




今日の朝練が終わり、下駄箱に向かうと懐かしくも有難くない光景が目の前に広がっていた。
うわー、と思いながらも上履きを出し逆さにすると零れ落ちる金属に溜息が出る。何も落ちてこないのを確認して足を入れれば足の裏に刺すような痛みを感じ慌てて上履きを脱いだ。

「画鋲の2段構えなんてやめてよね…」

上履きの裏には目立たないように画鋲が刺さっていてその針が反対側に突き出していた。画鋲を全部取り除き、通気性がよくなった上履きを履くと前を歩いていた皆瀬さんを呼び止める。軽く事情を話したらあっさり更衣室の鍵を渡してくれた。


「何でお前靴持ってんだ?今日避難訓練だっけか?」
「…まあ、私だけ避難訓練だね」

教室に入れば隣の席のジャッカルが不思議そうにが持ってるローファーを見ていたが、私は笑って友達に袋を借りに行った。

嫌がらせをされる場合、下駄箱は非常に危険な場所である。生贄でもない限りそこに靴を置くのは自殺行為だ。なんせ帰れなくなるからね。次に危険なのは机とロッカーだけど今日は移動がないから特に問題はないだろう。
後で友達のロッカーに置かせてもらえるか聞かないとなぁ。最悪ジャッカルのロッカーでも借りよう、うん。


放課後はジャージやら置き辞書を部室に移動しておくとして相手は誰だろうか、と考える。

通常なら赤也ファン、と考えるところだが彼女達は不幸の手紙くらいで画鋲を入れても2段構えはない。最近頓に丸井と話すようになったけどあっちは練習試合の時限定だ。クラスなんか遠いしクラスに来てもジャッカル挟んで少し話すくらいだ。

あとあるとすれば…。



本鈴が鳴ってぼんやりと授業を受けているとポケットの中にある携帯が震えた。こんな時間に誰だよ、と先生に隠しながらメールを開けばぽつんと『ヒマじゃ』と絵文字もない文があった。仁王だ。

その端的な発言に知るか!ちゃんと授業受けろよ!と思ったがサボり魔のくせに意外にも成績がいいと噂で知ってるので『屋上庭園今ハチが飛び回ってるらしいから行かない方がいいよ』と送り返しておいた。
携帯をポケットにしまいながらこれかな、と溜息を吐いた。


氷帝との練習試合の帰り、携帯を返してもらおうとしたのだが送ってくれなきゃ返さないと駄々をこねられたのだ。
いつもならがすぐに折れるのだがその日は疲れてて早く帰りたくて嫌がったのだ。見学は散々だったし、バスはバスで赤也が嫌がらせのように話しかけてきたせいで眠れなかったし。

そのせいでイライラしてたのもあって30分くらい押し問答してしまったんだっけ…。
最後の方は猫じゃらしよろしくみたいな感じで携帯で弄ばれたからな私…もしかしたらその光景を誰かが見てたのかもしれない。あの時の私は必至だったのだよ…と誰に言うでもなく肩を落とせばまた携帯が震えた。


『蜂の巣あったら蜂蜜とってきて』だと…?!

あいつ、私を養蜂してる人だと勘違いしてるんじゃないだろうか。ていうか、勝手にアドレス登録しやがって。気づいたらアドレス帳に入ってて驚いたの何の。
これがマネージャーやる前ならドキドキものだろうけど、標的になりうるこの現状ではモテ男のアドレスは脅威でしかない。

『ハニートーストでも食べてろ』と送れば『パンケーキがいい』と返され、なんかちょっと可愛い、と思ってしまった。



*****



その時は一瞬でもほっこりしてしまっただったが帰り道で愕然とすることになる。
ここずっとたかるように荷台に居座った仁王が珍しく駐輪場にいなかったので今日は真っ直ぐ帰れる!と喜んでみたがカラカラと自転車を進めるごとに鳴る金属音に嫌な予感がして自転車を降りた。

「あーうん。そうなんじゃないかと思った」


危険区域の2番目は自転車、というのをしっかり忘れていたよ。
タイヤを見ればご丁寧に前輪と後輪2つに画鋲が刺さっていてがっくりと肩を落とした。

これ、乗ってったらダメだよね…。画鋲…は抜いた方がいいかな。抜いても捨てる場所ないしな。変なところで捨てたら誰かが踏んじゃうだろうし。
タイヤの具合を確認してとりあえず引いて帰るか、と校門を出るとばったりと仁王と鉢合わせた。内心、ゲッと思ったのはいうまでもない。


「今帰り?」
「そうじゃが…お前さんこそ何しとるんじゃ?」
「いや、気づいたらパンクしててさ」
「……それは災難じゃったのぅ」

肩をすくめる彼にどうやら乗っていく気はなさそうだと思って肩を力を抜くと彼の後ろから「雅治」と呼ぶ声が聞こえた。仁王が少しずれ奥から現れたのは例の横田さんで「どうしたの?」とこちらを伺ってきた。


「パンクしたんじゃと」
「え、マジで?大丈夫?」
「うん。引いて帰ればいいし」
「えー大変じゃない?」
「じゃが店ももう閉まっとろうが」
「そっかー…家結構近いの?」
「うん、まあ。じゃあ私こっちだから」
「気をつけてね〜」

彼らが向かう方とは明らかに逆に向かいながらは手を振って別れた。少し遠回りになるけど仕方ない。微妙な気遣いだけど誰も気にしないだろう。ついでに仁王はこれを機に自粛すればいい。



「気をつけてね〜…か」


振り返れば仁王と並ぶ横田さんの姿があって。あまりにもいい人過ぎて、その台詞が逆に意味深で怖いわ、と思った。



*****



梅雨入り宣言されてから数日間晴れの日が続いていたが今日の午後になって雨になった。コートが使えなくなった部員達はそれぞれ文句をいいながらもストレッチを始めている。
室内だと人数の多いテニス部は邪魔でしかない。そんな訳でレギュラー組と別れたは残りの平部員を連れてあまり使われない特別棟に来ていた。

現在は階段を使って上り下りをさせている。右手にはストップウォッチで終わった順に名前と時間を書き込んでいく。傍目から見ても大変だよね。
へばる子達を邪魔にならない程度に追いやって最後の子が終わると廊下を使ってダッシュ。水分があると滑りやすいせいもあって転ぶ子多発。


外でやりたい!とぼやく子達を微笑ましく見ていたら階段の上の方から声をかけられ他の部員の子と一斉にそちらを見やった。うおぅ。パンツ丸見えでっせお嬢さん。
周りの後輩達もぎょっとして視線を逸らしたり赤くなったりしてるのを端々で見ながら「何?」と聞けば話があるから来てほしいといわれた。この時期に知らない女の子の呼び出しなんてアレしか思いつかなくて嫌なんだけどな。


部活中だから無理、とにこやかに返したら、有難いことに空気読まない後輩が自分がやると言い出してストップウォッチとノートを取り上げられてしまった。後で覚えてろよコノヤロウ。



重い足取りで階段を登れば、風紀委員の弦一郎が「破廉恥な!」と顔を真っ赤にさせて憤慨するくらい丈の短いスカートとマスカラまでバッチリ入れてる女の子2人が不機嫌な顔で立っていた。

普段あまり使われない校舎は特に静かで2階に上がると余計に雨の音が響いてくる。
下の方ではテニス部員が一生懸命走ってる音が聞こえるけど折り返しの階段ではここから姿を見ることは出来ない。

壁に寄りかかりながらいつでも逃げれるように準備していると「あのさ、」と彼女達の方から声をかけてきた。


「どういうつもりなわけ?」
「…話が見えないんだけど」
「あんた、仁王くんに何かいったんじゃないの?」

何かって何をだ?彼女達の意図が掴めなくて「は?」眉を潜めると少し苛立った顔で彼女達が続けた。

「まゆの悪口、あることないこといったんじゃないかっていってんのよ!」
「"まゆ"って誰?」
「しらばっくれるんじゃないわよ!まゆはまゆでしょ!」

いや、知らないし!「信じらんない!仁王くんの彼女に決まってるでしょ!!」といわれそこでやっとわかった。横田"まゆ"さんね。


「あなた達なんか勘違いしてるみたいだけど、悪口なんかいってないよ。ていうかなんで横田さんの悪口言わなきゃいけないわけ?」
「そんなの、あんたが仁王くんのこと好きだからに決まってるじゃない!!」
「決まってないでしょ。そんなの」

思わずつっこんで口を隠した。だってさーいくら格好いいとはいえ誰でも好きだとか思ってるのっておかしくないか?
いやまあ、勘違いさせるような素振りしたかもしれないけど、あれくらいなら誰でもされてるんじゃないのか?皆瀬さんに悪戯してる仁王見たことあるぞ!しかもいかにも仲良さそうな雰囲気付きで。



「普通、自分の彼女の悪口聞いたら不快になってむしろ私が嫌われるじゃん。少しは冷静になりなよ」
「…じゃあ、あいつがいったんじゃない?」
「あいつ?」
「皆瀬って同じマネージャーにいるでしょ。あいつがまゆを妬んで」
「それもないって」

想像力逞しいな。呆れて溜息を零せば睨んでくる4つの目にうんざりしつつも見返した。そろそろ次の練習に移らなきゃならないんだけどなぁ。

「友美ちゃんはいいマネージャーなんだ。好き嫌いで落差つけないしプライベートまでつっこんだりしない。ていうか彼女他に好きな人いるし」

そもそも仁王より柳生くんに目が行ってるんだからこの話自体無意味だ。


「…じゃあやっぱりあんた達がいったんでしょ」
「はあ?…ちょっと、話聞いてた?」

「だってそうじゃない!まゆはずっと仁王くんが好きで付き合ってたのに、何もしてないのにいきなり別れるなんてさ!」
「あんた達が何かいったんだ!!」
「テニスの邪魔になるから付き合うなとかいったんでしょ!?」


知らないよ!!詰め寄ってくるわからずやの2人には叫びたくなった。どうあっても人のせいにしたいらしいな!どんだけ話し膨らましたんだこの人達は。
本人達そっちのけで悲劇のヒロインとかマジやめてほしい。つーか、別れたのかよ仁王。1ヶ月持たなかったんじゃないか?


「どうなのよ!はっきりしなさいよ!!」
「いったんでしょ?!いい加減認めなさいよ!!」
「っ!」

どん!と肩を押され、壁にぶつかり鈍い痛みが襲う。その痛みに睨めば「なによ!」と手を振り上げるのが見えた。叩かれる、そう思って体勢を変えようと屈ませたが1歩踏み出す前にシューズの紐を踏みつけバランスを崩した。

あ、と声を漏らすも視界は階段しかなく、そのまま大きな音と共に転げ落ちた。





*****





鬱々とした雨の中狭苦しい室内で練習をしていると仁王が携帯を開いているのが見えた。
さっきまで赤也のジャージん中に蛙入れて遊んでたりしてたんだけど、雨のせいかテンション低そうな顔をしてる。

「におー。真田にバレたら怒られっぞー」
「んー。わかっちょる」

そういって返信した様子もなくあっさり閉じた仁王に俺はピンときた。見た目はなんら変わりないけどこういう時はヒロシよりも俺の方が勘が鋭い。ダッシュの順番待ちをしながら仁王の隣で「何かあっただろ?」と聞けば嫌そうな顔がこっちを向いた。


「…鼻が利くのぅ」
「俺の天才的な直感ってところだな」

ニヤッといい当てたことに満足して笑えば「勘でばれるようでは俺もまだまだじゃのぅ」と仁王が肩を竦めた。あまり話したくないらしい。ま、俺が直感でいい当てられるのは恋愛絡みだけだからあまりつっこまないでやろうと思った。

皆瀬が「次、丸井くんね」と声をかけてきたのでスタート位置につく。さて、何秒縮められるかな、と構えたところで別校舎にいるはずの部員が慌てた様子で走ってきた。汗だくになってるっていうのに顔色は真っ青で、辺りの空気が一気に張り詰める。


「…っ先輩が…!」


階段から落ちました。



切れ切れになりながらも発した言葉に固まると、誰よりも早く我に返った真田が廊下を走っていく。あいつ、風紀委員なのにいいのか?と頭の片隅で思ったが「大丈夫なのか?」、「今どこにいる?」という言葉にようやく俺の身体も動いた。


保健室に連れて行ったということで練習を中断した俺達は待ってろという柳の言葉を無視して一緒に向かった。周りを見ればレギュラーが全員ついてきている。まさか仁王もいると思ってなくて少しばかり驚いているといつもより騒がしい保健室についた。
出入り口にはを連れてきたんだろう平部員が数人いてこっちに気がついて駆け寄ってくる。


は中か?」
「はい。今手当てしてもらってます」
「保健のおばちゃん、まだ残ってたのかよぃ?」
「はい。帰る間際だったみたいです」

そりゃラッキーだったな。保健室を覗くと不機嫌な顔のがパイプ椅子に座っていて、こっちに気がつくなり困ったように眉を下げた。左手を見れば真っ白い三角巾で吊っていて否が応でも眉を潜めてしまう。


「あ、あなたがテニス部の部長さん?」
「え?いえ違いますが…」

柳を見てそういった保険医のおばちゃんに何となく納得して見ていると(というか、真田はどこに行ったんだ)、おばちゃんが忙しく片付けながら「さん今日の部活はもう出れないけど、大丈夫?」と聞いてきた。そこまで悪いのか?


「はい。大丈夫です。今日は室内だけなので…」
「そう。なら良かったわ。あ、この子、病院に送っていかなきゃならないから帰る準備をしてもらえる?」
「え、大丈夫ですよ。それくらい自分で」
「何いってるの!片手じゃ何もできないでしょ!」

それに骨にヒビでも入ってったらどうするの!という言葉にその場がシン、と静まり返る。
の荷物を皆瀬に任せたのを確認したおばちゃんは車を回してくるといって早々と保健室を出て行った。残されたメンバーに重苦しい沈黙が落ちる。

その沈黙を破ったのはやっぱり柳だった。



「どういうことか説明してくれるか?」
「まんまだよ。滑って転びました。」

どじっ子でスミマセン、と不機嫌なまま頭を垂れるになんとなく苛ついてジャッカルを押しのけ前に出た俺はと向かい合うように立った。

「あとどこ怪我したんだよぃ」
「左手以外は別に。身体打ったくらいで」
「頭は?」
「……悪いけど打ってはいない」
「そうか」
「あいて!」
「おいブン太!!お前、相手は怪我人なんだぞ!」

ぺしりとの頭を叩くとジャッカルが慌てて引き離してくる。別にこれ以上何かする気はねぇっての。


「お前が階段から落ちたって聞いて心配して来たってのにそんな態度でいるんじゃねぇよ」
「……ごめんなさい」

心配したんだぞ、っていってやればは目を見開き、それから今度こそ申し訳なさそうに謝った。最初からそうしてろっての。何ピリピリしてんだ。


「あの、先輩のこと責めないでください」
「あ?誰も責めちゃいねーよ。まぁ、階段から落ちるなんて運動神経なさ過ぎ、とは思ってっけど」
「ブン太、お前な…」
「違うんです。先輩が階段から落ちたのは…その、突き落とされたからで」

俯くを見ていると、一緒にいた平部員が恐る恐るといった口調でとんでもないことを言い放った。突き落とされた?その言葉に一斉に視線がに向く。彼女は下を向いたままだったが強張った肩に嫌な話題だというのはすぐにわかった。



さん。それはどういうことですか?」
「別に何も。勘違いだよ勘違い。靴紐解けてるの気がつかなくて踏んじゃったの」
「違いますよ!だってあそこには先輩以外の人もいたじゃないですか!」
「だからって見てもいないのに勝手にいったらダメでしょ」
「見てなくても聞こえてました!あの先輩達勝手なこといってさ!にぉ「黙れ!!」…っ」

キッと睨んだに相手の後輩は肩を揺らし黙り込んだ。負けじと睨み返してるが今にも泣きそうな顔に俺は溜息を吐いてその間に入り込んだ。喧嘩の仲裁は慣れっこなもんでよ。


「お前らそこまでだ。詳しいことはそれぞれ聞いてやっからケンカすんな。な、柳」
「そうだな。には明日また改めて聞くとして…」
「そっちは聞かなくていいから!」
「何でですか!」
「あーはいはい。わかったから!」

こいつら俺達が来る前からこんな感じだったんだろうな。ハァ、と溜息をつけばに睨まれた。なんだ、お前も泣きそうな顔してんじゃねぇよぃ。

弟にやるクセで頭を撫でてやれば思い切り眉を寄せ顔を逸らされた。その拗ね方が子供っぽくて何だか妙に可愛いく思ってしまって「心配かけんじゃねぇぞ」と笑った。




お兄ちゃん。
2013.01.13