You know what?




□ 108a - In the case of him - □




仕事を終えて帰宅していたはマフラーをぐるぐるに巻いて寒そうに帰路を歩いていた。もう3月だというのに寒くて敵わない。今日の夜は1月並の寒さとかニュースでいってたもんな、と首を竦め足早に歩く。
夜のせいもあって歩く音が異様に響いたが早く帰りたい、という気持ちの方が強くて近所迷惑かも、という考えは見なかったことにした。

マンションの玄関に上がると自動ドアがあり、奥には鍵かパスワード認証が必要な自動ドアがあるのだが、その間の小さなスペースに女の人が一人ポツンと立っていた。
この時間に人がいると思ってなかったは一瞬幽霊かとビビったが、足元を見てホッと息を吐いた。しかし、その女の人の顔にどこか見覚えがある気がしてじっと見つめてしまった。


…?」
「え、あ、もしかして早百合?」

意外な人物に驚けば彼女も同じような顔をしてこっちを見てくる。「何でここに?」という彼女にも同じ質問をしたが早百合は言いづらそうに俯いてしまった。

「…もしかして、ここに住んでるの?」
「う、うん。親戚がここに住んでて…部屋を間借りしてんの」
「もしかして真田くん?」
「っうん、そう」
「そうなの…ここに景吾も住んでるのよ。見たことない?」

おもむろに顔を上げた早百合は伺うような顔でを見つめてくる。その問いには思わず「ううん、見たことない」と嘘をついた。


「跡…彼がどうかしたの?」
「ううん、大したことないんだけど、彼の忘れ物見つけたから返そうと思って」
「…家とかにいるんじゃないの?」
「連絡したけど門前払いだったわ。だから会社にも家からも近い別宅のここに来たんだけど…」
「そうなんだ…」

久しぶりに見る早百合はより一層大人になって綺麗になっていた。秘書になるとどこかで聞いていたのでそれを叶えたのだろう。何でも知ってるんだな、と思いながら彼女を見ていると壁に備えつけてあるポストをじっと見つめ、そしてに向き直った。


「ねぇ、お願いがあるの。景吾の部屋まで付き合って」



だからこの自動ドアを開けて、という彼女に一瞬戸惑った。何でそんなことをしなきゃいけないんだ。そう思ったが今にも泣きそうな顔で俯かれ、しかも断ってもここに居座りそうな気がしては仕方なく彼女の願いを受け入れた。

鍵で自動ドアを開け、エレベーターに入ったは無言でボタンを押した。閉じた扉と共にゴウン、という音と乗ってる箱が動き出す。

「何階に住んでるの?」
「……15階、だよ」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
「ごめんね。ポストじゃ多分見もせず捨てるだろうから」
「ううん、」

景吾、そういうのものぐさだから。そう後ろから聞こえた声は酷く優しくてなんとなくの胸をざわつかせた。
指定の階に止まり、扉が開くと早百合は先に歩み出て部屋番号を確認していく。元々少ない部屋数だから簡単に跡部さんの部屋は見つかった。しかし、ドアホンを鳴らしても反応がないことに残念そうに肩を落とした。それはそうだ。跡部さんは今海外にいるのだから。


「ここにいると思ったんだけどな…」
「……忘れ物ってなんなの?」
「指輪。景吾が別れるついでに置いてったの」

眉を寄せた早百合はもう一度ドアホンを押してみたがやはり反応はなかった。そして小さな鞄から取り出した封筒を胸にあて大事そうに抱き締めると、そっとポストの入り口にそれを挟み込んだ。


それから程なくして再会した自動ドアの前まで見送りに戻ると彼女は振り返り「ありがとう」と述べてくる。

「別にお礼を言われるようなことなんてしてないよ」
「かもしれないけど、私は助かったよ。でなきゃ景吾が来るまでずっと待ってることになってた」

そういって笑う彼女は少しだけ元気を取り戻したようだった。



「帰れる?」
「うん、タクシー拾うから大丈夫」
「そっか」
「…………
「ん?」
「あの時はごめんね」

ポツリと呟かれた言葉には口を開いたが何も発せず飲み込んだ。

「気にしてないよ。早百合が元気そうで良かった」
もね。亜子も元気?」
「うん」
「……あ、」
「ん?」
「景吾にもし会ったら、連絡くらいしなさいよっていっといて。番号変わってないから」
「…………………うん、」


それじゃあね。と去っていく早百合の姿が見えなくなるまで見送ったは踵を返すとそのままエレベーターに乗り込みボタンを押した。
謝るべき人は私じゃなくて跡部さんでしょ。そういいたかったけどいえなかった。

さっきと同じようにエレベーターから出てきたは、跡部さんの部屋の隣にある自分の部屋の前で立ち止まる。ドアを見つめたまま鍵を取り出そうと鞄に手を入れると視界の端にチラリと見えたものがあって手を止めた。


その目立つ色合いに無意識に視線が奪われ、見つめたままじっと固まったように動けないでいる。
しかし室内とは言え暖房が効いていないそこは少々寒い。

おもむろに鍵を取り出しそれを鍵穴に差し込もうとしたが、その手を止めもう一度視界の端に映るものを見やる。鍵を持った手はそのまま鍵穴ではなく別の方へと伸ばされた。



******



「はぁ…」
はどんよりした顔で溜息を吐いた。比喩するならば梅雨時期のジメジメっとした空気がに纏わりついているような状態だ。一昨日届いたジローくんの添付メールを貰ってからずっとこんな調子だ。

ジローくん的には『手塚ってモテんだね〜』という軽いもののようだったが、にとっては心に氷が胸に突き刺さるくらいには衝撃的ものだった。

画像は週刊誌の写メで、見出しには『手塚国光熱愛!お泊りデート?!』と書かれていた。相手は以前手塚くんの誕生会に来ていたハーフの友達の子で、街角のどこかを歩いているとところを撮られたらしい。
さすがに記事の内容までは小さくて読めなかったが、昨日たまたまつけたワイドショーで詳しく説明されてしまい愕然とした。


2人はデートをした後、一緒に日用品を買い、仲睦まじく寄り添うように彼のマンションに入っていった、というものだった。確かにそんな感じに見えたが、2人が持ってるテニスバッグと真正面ではない角度にわざと錯覚させる為に撮ってるようにも見えた。

そんな風に冷静に考えられたのは他でもない手塚くんのお陰だろう。ジローくんがメールをくれたすぐ後に電話で連絡があり彼の口から『事実無根だ』と教えてくれた。

あの日、確かに彼女と一緒だったがテニスの練習をしていただけでデートはしていないし、帰りもテニス仲間と一緒でたまたま2人並んでるところだけを撮られただけだという。


本来なら所属会社にそういったスクープの買取で事前に打診されるのだが、堅物のイメージをもたれてる手塚くんと同じくプロで男性ファンも多い彼女にマイナスイメージはそれ程もたれないだろう、ということで話題作りとしてOKを出されてしまったようだ。

まさかわざわざそこだけを切り取ってスクープされるとは思っていなかった手塚くんは、自分の落ち度とはいえ所属会社を含めて不審と落胆を抱いたようだった。

溜息と一緒に謝ってくる手塚くんに、別に私に謝らなくてもいいのにと思いながらもでも弁解してくれるのは少し嬉しくて「次から気をつければいいじゃない。何もないんだったら気にしないでいつもどおりにしてればいいと思うよ」と気軽に返し、その日はそれで終わった。



にもかかわらず、が落ち込んでいるのは時間差でじわじわきた鬱屈した感情とワイドショーの内容に他ならない。消してしまえばよかったのに、人間見ちゃいけないと思えば逆に見てしまうもののようでつい消すタイミングを逸してしまった。

意外と手塚くんと彼女の付き合いは長かったこと。彼女が父親を亡くした時ずっと傍らで支えていたこと。ドイツでは仲がいい友達として有名だということを知って愕然とした。
冷静な頭で考えれば手塚くんには手塚くんの時間があるのは当たり前だし、ワイドショーの内容が全部当たってるとは限らない。むしろ信頼すべきは手塚くんの言葉だから気にする必要はないんだけど、頭から切り離すのは時間がかかりそうだった。


中でも1番最悪な考えは、何で自分じゃなかったんだろう、というものだった。勿論美人でもなければテニスのプロでもない、画面栄えなんてしないのだと自負している。
けれど、手塚くんと彼女がそういう関係なのでは?と噂されたのは1回きりで今は誰しもが友人関係だと知っている。といわれて、じゃあ私は?と思ってしまったのだ。

浅ましい考えだと思う。身の程知らずな考えだと思うが、それでも、2人きりの時間が何回かあったよりも友人である彼女の方がお似合いだよと世間にいわれてるみたいで切なかった。

実際は世間なんて関係ない話なのだが、相手が手塚国光で、注目すべきプレーヤーと考えると自分は高望みをしてるのかもな、と思ってしまう。その程度には落ち込んでいた。


「…美人ってお得だよね」


ぐつぐつと煮込んでいる鍋を見ながらは溜息を吐いた。働き先を神奈川に移し、榊さんにも連絡して実家から通い始めたは本日何度目かになる溜息を長々と吐いた。

「どうしたの?溜息なんか吐いて。何かあった?」
「あーいえ、何かあったというか」
「あ、わかった!昨日の彼氏でしょ」
「違います」

ひょこっとキッチンに顔を出してきた店長に声をかけられたが当てずっぽうな返しに思わず即答で否定してしまった。社員なのに失礼な話だが違うのだから仕方がない。
それに彼氏、というも恐れ多いというか不相応というか。勿論私のことだ。



昨日たまたま店長が休憩を取ってた時にの携帯が鳴り、それが何度もしつこく鳴るものだからわざわざ店長がを呼びに来たのだ。それで応対すれば相手は「声が聞きたかったから」だけで電話してきたらしく。一気に脱力したのはいうまでもない。

「っとにさんてばラブラブよね〜」
「いや、違いますから」
「あ、もしかして、その彼氏とのことで悩んでるとか?だったらこの経験豊富な私に相談していいのよ〜?特に夜の営みとか」
「あ、いらっしゃいませ〜」

何気に結婚アピールしてくる店長になんともいえない顔で返しながらも最後の言葉にビクッと反応してしまった。しかし、入ってきたお客さんにいち早く気がつき「ほら店長、仕事してください!」といって彼女をホールへと追いやった。


「…夜の営みとかマジありえないし」

ぼそりと呟いた言葉に耳がむず痒くなって頭を振った。なんとなく想像しそうになった自分が恨めしい。そもそもそういう想像を助長させるようなことをする跡部さんが悪いんだと思う。流されたりなんて絶対しないけど。

わざわざ仕事中だって知ってて、声が聞きたいだけで電話かけてくるとか何考えてるんだろ。自分がその立場だったら絶対仕事の邪魔するなって怒るんじゃないかな。
しかも花見はしたいからその時だけ日本に帰ってくるから一緒に行かないか?とか、その時期は間違いなく春休みだから忙しいに決まってるってのに。

というか、そもそも私も好きだって返してないのに何でこうなってるわけ?私は手塚くんが気になってて、だからゴシップ記事にもこれだけ反応しちゃって苦しくて、悲しくて、それで多分一応好きで………。


「……私、手塚くんのこといえる立場じゃないかも……」


というか手塚くんのゴシップよりも性質が悪いような……。悶々と考えていた先に見えた"答え"みたいなものに気づき、はサァッと血の気をなくした。



跡部さんに告白されて(仮)とはいえ、お付き合いしてる状態で手塚くんを気にしてるとか私って随分腹黒い悪女になってないだろうか。
でも跡部さんは誰を好きでも構わない、みたいなこといってたし、跡部さんが有無を言わさず迫ってくるからどうにも出来ず受け入れるしかなかっただけで……私はクズか。

跡部さんの好意を仕方ないとかどんだけ上からだよ。その上、手塚くんのゴシップに対して"何で私じゃなかったんだろう"なんて思ってんの?!私ってこんなヤなヤツだったっけ?


そういえば、この前早百合と久しぶりに再会してなんとなく黒々とした気持ちになって跡部さんに当たったような気もしなくもない……あ、だから跡部さん定期的に電話してくるようになったのかも。

うわー!うわー!だとしたらめちゃくちゃ恥ずかしくない?!恥ずかしいよ私!何やってんの?!


本当は跡部さんに当たった(かもしれない)後も前はどうやって距離をとったんだっけ?みたいな、高校生の時と同じことをしようとしてた自分に今度は恥ずかしさで顔が熱くなった。

別に跡部さんに嫌なことを何かされたわけじゃないし、手塚くんのゴシップだって事実無根で私がチクチク気にする話じゃないし!それがまるであたかも自分に魅力がないとかだから恋愛なんてうまくいかないんだとかそういう思考回路になってた。

「ぅわっち!」

そう思い至り、何やってんだろ自分、とつっこむと同意するかのようにフライパンで跳ねた油がの手に飛んできて思わず声をあげてしまった。
まるで跡部さんと手塚くんに怒られた気分になって余計にへこんだのはいうまでもない。



******



風に乗って潮の匂いが流れてくる。そんな匂いを身近に感じながらは育った。その匂いをかぎながらはほろ酔い気分で堤防がある道沿いを歩く。

今日はとある場所の飲み会に参加した。参加者であって主催者でもあるんだけど。何で開いたかといえば我らが王者立海の部長、幸村精市の誕生月だからである。あとついでに大会でランクアップした弦一郎のお祝いもした。

さすがに試験があったので幹事は無理!と断ったんだけど『終わってからで構わない』と柳にほぼ命令口調で頼まれ断ることが出来なかった。


「それにしても、さすが幸村部長っスよね〜人が半端ない!」
「そうだな。幸村の人望の厚さが物語った会だったな」
「……」
「どうした?。何かいいたそうだが」
「イエナンデモアリマセン」

夜道でフラフラと歩いているのはだけではなく、赤也に柳、弦一郎と丸井、ジャッカル、仁王に柳生くんと皆瀬さん。それから幸村といった当時のレギュラーとマネージャーで歩いていた。
お祝いパーティーの方は少し前に解散しているが、レギュラー陣だけ2件目に行こうか海に行こうかと言い争った為別行動になったというのが正しい表現だ。

そして現在、みんなそれぞれ飲み物を買って海辺に向かっているところ、だったりする。
後ろの方では酔っ払った丸井がスクーターに跨り、ハンドルはジャッカルが握って押している。その隣では仁王がちびちびとお酒を飲みながら柳生くんとなにやら話してるようだった。

の隣にいるのは皆瀬さんで、その隣に赤也と柳が歩いている。幸村は今弦一郎と話してるようだがチラリとこちらを向いては可笑しそうに笑ってるのが暗がりでもわかった。


「つか、先輩が幹事とかはじめ見た時は信じられなかったっスよ」
「それはどういうことかな?赤也くん」
「だーって、まとめるとか連絡するとかそういうの嫌いそうじゃないっスか」
「そこまでじゃないよ」
「でも、人数あれだけいたのによく仕切ったよねちゃん。頼ってくれても良かったのに」
「ううっありがとう、友美ちゃん…!」

私もまさかお店を貸しきることになるとは思ってなかったですよ。さすがは神の子!といいたいところだけど自分が主催ならまずそこまで呼んだりしないだろうね。大変だし面倒だし。
それもこれも柳がリストアップして押し付けてこなければここまで大きな会にはならなかったんだけどさ。



「1人で全部やるように」なんていわれなければ皆瀬さんとか頼ったのに、と柳をじと目で見れば「では来年もに任せようか」と飄々とした声が投げられた。おい、冗談じゃないぞ。


それから間もなくして浜辺についた達はそれぞれ座って飲み物を開けたり、海に走っていったりした。「やべ!俺タオル持ってきてねぇ!」と騒いでるのは赤也だな。暗いから全然わかんないや。
他にも靴の中がぐちゃぐちゃになったとか股間まで濡れたとかしょうもない声が聞こえてきてみんなの笑い声も聞こえてくる。

一応月は出てるが外灯もろくにないこの辺では人の形を見るのがやっとだ。顔も本当に近くにならないと誰かすらわからない。さっきまで皆瀬さんと座ってたも柳生くんのところに行ってしまった彼女を見送った今は1人で座っている。
1人、とは語弊があるが暗いせいか声は聞こえても近いか遠いかまでは判断しづらいのだ。


「ここにいたんだ」
「幸村?」

声がした方を見ればすぐ近くに、というか腕がくっつくくらいの距離で幸村がの隣に座ってきた。「暗いからよくわかんないな」と幸村は確認の為かの手の甲を指先でなぞってその上に自分の手を重ねてくる。そのことに反応しようとしたらばしゃん!という音が聞こえ咳き込む声も聞こえた。

「え、ちょっと大丈夫?!」
「大丈夫、じゃねぇっスよ。あーもう服ぐちゃぐちゃ」
「あはははっいーんじゃね?既に下びちょびちょだったじゃねーか」
「それは丸井先輩がぶっかけるからでしょ?!」
「だってお前どこにいるかわかんねーもん!」
「あったまに来た!丸井先輩もずぶ濡れになれ!!」
「げ!止めろ赤也!!こっちは俺だ!」
「あ、すんません」

「…フフ。はしゃぐのはいいが風邪ひくなよ」
「幸村ぶちょーも入りましょうよ!冷たくて気持ちいいっスよ!っと!」
「うげっ赤也のクセに何不意打ちしてきやがんだ!!」
「へへーんだ!さっきのお返しですよーっだ!」
「あぶっだからこっちは俺だっつってんだろうが!」

相変わらず騒がしいなあいつらは。ジャッカルがいても。というか更にジャッカルの扱いが酷くなってるような気もしなくもないけど。とりあえず後でタオルを調達してこないとな、と考えていれば右側に重みがかかった。



幸村が寄りかかっているのだ。
飲み会の時は何もされなかったし隣に座ることもなかったからちょっと油断してた。思ったよりべったりとくっついてくる幸村にどうしたものかと考えていると「試験どうだった?」と何の気なしに聞かれた。

「うーん。受けるには受けてきたけど、よくわかんないな」
「受からなそうってこと?」
「どうかねー。自信はあんまりない」
「まあそうはいってもは受かる子だけどね」

誕生会の後だし無理に引き離すのはちょっと気が引けるな、と考えていたら明け透けにそんなことをいわれ歯がゆい気持ちになる。「勉強頑張ったんだろ?だったら大丈夫だよ」と不意打ちにそういうことをいわれると、どうにも反応できなくなって照れてしまう。

幸村がこんな優しい言葉を使ってくる時は甘えたい時かが落ち込んでる時だけだ。いつものなら前者として受け止めてあしらうことも出来たけど、今は思い当たる節があり過ぎてうまく返せなかった。




もう3月か。
2016.01.10