□ 109a - In the case of him - □
欲しかった言葉を直球で投げられてしまったは熱が溜まる顔をどう隠したらいいのか分からなくて、砂に線を引くように足を折り曲げるとその間に顔を埋めた。
「、」
「…何?」
「この後、解散したら俺の家に来ない?」
「…っ?!」
騒がしい波の音をBGMにぼそりと聞こえた声に肩を揺らした。くっついた幸村は顔を近づけていて殆どの耳元で囁いた言葉だった。その声色に顔がボッと熱くなる。
「幸村。酔ってるでしょ」
「フフ。酔ってるのはお互い様だろ?それに、ここからなら俺の家の方が近いし」
俺の1人暮らしの部屋まだ見たことなかっただろ?と笑う幸村に機嫌がいいなって思った。酔ってるせいだけじゃない気がする。
「家に行ったら家事掃除しろって?」
「そうしてくれるなら嬉しいけど。でも俺の部屋綺麗だから」
「…じゃあなんで?」
幸村の部屋が汚いってイメージは一切ない。もし本人が掃除しなくても幸村のお母さんが定期的に掃除に来てくれそうだ。「そんな気はしてた」と返しながら幸村を伺えば「誕生会の続きをしたいなって思ってさ」と優しく鼓膜を揺らしてくる。
「真田のお祝いはの手作り料理だったんだろ?」
「おばさんと一緒にだけどね」
「俺も食べたいな」
2人きりで。と耳元で囁かれた声にドキリと心臓が大きく波打つ。そういう声を耳元でいうのやめてほしいんですけど。顔が熱くて嫌になる。
歩いている間に大分酔いが醒めたと思ったけど、気のせいだったらしい。でなきゃ頭がこんなに熱いとか気持ちがこんなにフワフワしてるとかくっついてる部分が心地いいとか思ってないはずだ。
おもむろに顔を上げれば、幸村の鼻先が頬に当たって、そのまま柔らかい唇が頬に押し付けられる。こんなこと、真昼間だったらお互い絶対にできないことだけど酔ってるせいか、この暗さのせいか全然気にならなかった。
握られた幸村の手を握り返せば、彼のもう片方の手がのこめかみの辺りを掠り、零れた髪の毛を耳にかけた。
「今日は変なことしないから、おいでよ」
「今日は?」
「今日"は"」
"は"のところを強調する幸村に何だか可笑しくなって噴出せば彼も同じように笑ったので調子に乗って「変なことって?」と聞いてみた。
そしたら笑ったまま幸村がの耳に唇を押し付けてきて、吐息混じりに「が恥ずかしいって思ってること」といって笑った。ああもう、耳元で笑わないで。息も吹きかけちゃダメだって。
「おいー。お前どこにいんだよぃ?つーか生きてるかー?」
「…生きてるわ。勝手に殺すな」
吹きかけられる息がくすぐったくて2人で笑っていれば、現実に引き戻すように丸井の声が飛んできてドキリとした。もしかして見えてた?と慌てれば「大丈夫。見えてないよ」と耳元で囁く幸村の声。
周りを伺ったら丸井は海から引き上げていて、別段こちらを気にしてる素振りはなく「潮くせぇ」と近くに座り込んでいた。
赤也はその前に上がったらしく、濡れてるせいでいたるところに砂がついたのか気持ち悪いと服を脱いだまではよかったが払おうとした水分が弦一郎と柳に飛んでいったようで説教を食らっていた。
弦ちゃん達はあの辺か、と思いながらすぐ近くにいる幸村に戻すと「どうする?」と聞こえてきた。
「来る?」
「そ、だね……うん、行こう、かな」
頭の片隅では元彼なのに、とか、跡部さんのことはどうするんだ?手塚くんは?と苦言を呈する自分がいたが、フワフワとした気持ちはそれをあっさりすり抜けて彼の言う『今日は何もしない』という言葉を鵜呑みにしていた。
それにここ最近仕事が妙に忙しくて、色々考えさせられて、とても疲れていた。そしてなんとなく人肌が恋しい、て思ってしまったせいもあるかもしれない。
試験も終わって幸村が優しくてお酒も少し残ってて、温かくて心地よくてどうでもいいや、と思ってしまった。
熱いくらいの幸村の手が砂を巻き込んでの手を握り締めてくる。擦った砂利がちょっと痛いけど彼から伝わってくる体温に比べたら気にならなかった。
「どこに行くんじゃ?」
「っに、仁王?!」
いきなり聞こえた声にビクッと反応すれば「何ビビっとるんじゃ」と呆れた声がすぐ近くで聞こえてくる。え、いたの?さっきから?と慌てれば腕を掴まれそのまま幸村から離れる形で仁王に引っ張られた。
「んで、どこに行くって?」
「何勘ぐってるんだよ仁王。どこだっていいだろ?」
「え?どっか行くのか?」
「どうやら2人でこっそりジャッカルの家に押し入って食い物を漁るつもりだったらしいぜよ」
「は?」
「マジか!俺も行く!!」
「ゲッくんな!!」
一体いつから聞いてたんだ?と冷や汗を流せば仁王の声に反応した丸井が立ち上がり、その隣にいるらしいジャッカルが切実な声で「絶対くんな!ブン太来たら確実に冷蔵庫が空になる!!」と叫ぶ。切実だねジャッカル。
見えないけど同情の眼差しでジャッカルがいるあたりを見ていればあれよあれよという間にジャッカルの家に行ってみんなで寛ごう、という話になった。そういうときの一致団結は限りなく早いよね、うちら。
「…仁王。やってくれたね」
「ピヨ」
服を乾かすついでに行こうかと立ち上がる面々に達も同じように立ち上がったが両手は両隣に捕まれていていまいち動きづらい。その上不機嫌な幸村の声ととぼける仁王の声に言い知れぬ不安が過ぎる。
ケンカか?とビクビクしていれば「それはそうと」と仁王が切り出しの頬を抓った。
「明日は俺と映画に行く約束しとったはずじゃが、その約束を忘れたわけじゃないよな?」
「えぇ?そんな約束したっいたたった!」
「したぜよ。この前メールしたぜよ。昨日もさっきも話したぜよ。明日仕事帰りに行く話をしとった」
「見苦しいな仁王。が覚えてないんだからそんな約束は無効だろ」
「なんじゃ。妨害された腹いせか?こっちの約束の方が先に決まっとったんじゃ」
「先も何もが見たくない映画にでも誘ったんだろ?だから断られたんじゃないのか?」
「断られとらん」
「ああごめん。忘れられてたんだっけ?」
ある意味そっちの方が屈辱じゃない?と薄ら笑いを浮かべる幸村には背筋がゾッとした。
「幸村は遠いから知らんだろうが、コイツは手塚達や跡部達とよく遊んでるんじゃ」
「だから何?」
「仲良くテニスまでして、また奴らに振り回されとるらしい」
「そう。で?」
「お前さんよりもあいつらと一緒にいる方が楽しいんじゃと」
「それいってて虚しくないか?お前も俺と同類ってことだけど?」
「残念じゃが一緒じゃないぜよ。俺の方がの近くに住んでて時間も融通が利くし、安心できる昔馴染みじゃ」
「安心……あいたたた!」
いきなり与えられた痛みに顔を歪めたが仁王はお構いなしに会話を進めとんでもないことを幸村に言い放つ。涙目で仁王がいる方を見やれば「だからこれ以上、に付け込むんはやめんしゃい」と静かに釘を刺した。
波の音に溶けそうな声だったがしっかりの耳に入り何の話?と目を瞬かせる。幸村の方を見れば彼の肩越しから随分小さくなった弦一郎達の姿が外灯の光で確認できた。
「お前には関係ないことだろ」
「関係ある。とは友達じゃからな。それに自分からフッたくせに家に誘うとかムシが良過ぎると思わんか?」
「友達を誘ったんだけだ。普通だろ?」
「男女の友達なんて1番信用ならん話じゃと思うがの?」
「お前がそれをいうとは思わなかったよ。笑えるな」
「そっちこそ図星をつかれて内心焦っとらんか?」
「……」
「……」
「あ、あのさ、」
「何?」
「何じゃ」
「みんなが待ってるから、行かない?」
言い争う2人に割って入れば道路に上がった赤也達が大きな声で呼んできた。それを見て今の状況を理解したのか仁王と幸村はの手を掴んだまま無言で歩き出した。
「ぎゃーっ早い早い!こけるってば!」
「。その短い足を使って一生懸命歩けば追いつけるぜよ」
「大丈夫。俺が引っ張ってるから転んだりしないよ」
「……」
「……」
「わーマジ待って!靴脱げちゃうって!」
砂に足をとられながらも急ぎ足で歩いていくと斜め前を歩く仁王がを呼んだ。
「好きな奴が出来たら俺に相談しんしゃい。協力しちゃる」
「うん?わ、わかった」
「聞かなくていいよ。そういって仁王は見返りをもらうつもりだから」
「う、うん…?」
「友達に見返りなんて求めんぜよ。いいか。フッた男が元カノに声をかける時は大抵身体目当てじゃ。いいように振り回されて捨てられる前に関係を断った方がいいぜよ」
「仁王、ケンカ売ってる?。告白もろくに出来ないストーカーに相談はしない方がいいよ。相手は妄想癖がある奴だからね。さっさと縁を切って距離をとった方がいい」
「……」
「……」
「誰が妄想癖のストーカーじゃ」
「誰が身体目当てだって?」
「……」
「!」「!」
「は、はい!!」
「氷帝はそんな奴らばっかりなんだから距離をとるか縁を早々に切った方がいい」
「青学だって関わってもろくなことにならん」
「特に跡部には気を許すな」
「特に手塚には気を許すな」
睨み合いながら歩く2人に靴が脱げないように下を向きながら歩いていたが同時に発せられた声に思わず顔を上げ返事をしてしまった。なんか大元の話題から逸れた気もするけど…これで酔いが醒めたら普通に喋るんだから、酔っ払いって不思議だな、と他人事のように思った。
******
何となく深呼吸をして、何となく携帯を持つ手に力を入れて、何となくタップする指にも力が入ってしまう。
コール音が響く間も深呼吸をすれば息を吸い込んだところで『もしもし』という声が聞こえた。落ち着く心地いい声だ。その声にホッとしながら挨拶すれば『どうした?』と優しく問われた。
「大したことじゃないんだけど、元気かなって思って」
『ああ元気だ。そっちは試験が終わった頃か?』
「うん。結果は5月頃だけど」
『そうか。受かるといいな』
「うん……」
『………』
「………じゃ、じゃあ、えっと」
『っ、』
「ん?」
『……ああ、いや。なんでもない』
「う、うん?…じゃあ、」
『ああ。おやすみ』
「おやすみなさい」
ぷつりと切った携帯を見つめは肩を落とした。また話が続かなかった。そりゃほぼ毎日みたいに電話してれば話すネタもなくなってくるから仕方ないけど…でも、なんとなく声が聞きたくて仕方なかったのだ。
「今日も"いつでも相談に乗るから"っていえなかったな…」
相変わらずワイドショーは根強く手塚くんとハーフの友達の子をネタに好き勝手話している。そんなことをしてるくらいなら弦一郎の雄姿を流してくれたっていいのに。
何で世間はこんなにも下世話なんだろう。手塚くんは有望なテニス選手なのに。それくらいで折れたりするような精神力でもないだろうけど、でも、彼が不快な思いをしてたら嫌だなって。
でもできることならばテレビの前で『彼女とは友人であり、そんな関係ではない』といってほしい、そう思っている自分がいる。
「それこそ、傲慢だなぁ」
というか、"友達"の私がそんなことを言える立場じゃないのに。そう考える度モヤモヤとして嫌な考えがグルグルとして、何で手塚くんは私を好きだなんていったんだろう。何で友達のままでいれなかったんだろう。そんなことまで考えてしまって、そんなことを考えてしまう自分が心底嫌になった。
******
無事試験も終わり、3月の最大イベントだった?幸村の誕生会も終わってやっと肩の荷が下りただったが今はまた別の壁にぶち当たっていた。
そろそろ花見の季節だというのにがいる場所といえば花見会場でも、区内でもなく、排気ガスと海の匂いが混じる職場の支店で。
自分もそれなりに職場に貢献していたはずなんだけどな…と思ったがマネージャー曰くできる人間だからこそ派遣されたんだという。嬉しくない。
というのも神奈川の支店が死ぬほど忙しいのだ。忙しくさせてるのは主に店長なのだけど。
混雑時に2人しかいないってどういうこと?!私キッチン要員で来たはずなのにホール出てる方が多いんですけど!「さんがいればバイト雇わなくても当分大丈夫ね!」じゃねぇよ!無理だよ!この仕事量で今の給料は割にあいませんから!
「ただいまー…」
「おかえりーってそんなとこで寝ないでさっさとお風呂入っちゃいなさい」
邪魔よ!と玄関口で倒れたにリビングから顔を出した母親は呆れた顔でを見やると早く寝るように即した。明日も早いしね。重い身体をずるずる引き摺りながら脱衣所に入ると母親が「そういえば弦くんから電話があったわよ」と報告してくれた。
「アンタまた電話に出ないから心配してこっちまで連絡来たわよ」
「…心配させとけばいいよ。仕事で出れないっていってあるんだから」
「なーにいってんの!将来のパートナーに失礼でしょ!」
「パートナーじゃないし!まあ雇い主になる予定だけど」
「だったら後でちゃんと連絡しときなさいよ」
「はぁーい」
まったく弦ちゃんは心配性なんだから。しかも家族公認とかどんだけよ。泣く子も黙る立海の皇帝はどこに行ったんだ。携帯を取り出しながら今連絡しようか後にしようか悩んでいるとまたもや母親が声をかけてきて、今度は脱衣所に顔を出した。
「パートナーで思い出したんだけど、アンタ彼氏いないの?」
「はぁ?!」
「個人的には精市くんが1番良かったと思うのよね〜」
「……」
「まあ、精市くんみたいな人を射止めるにはもっと出来た女の子じゃないと無理なのかしらね〜」
「悪かったわね。不出来な娘で」
うちの母親に幸村を紹介した時それはそれはもう喜んでくれ、別れた時はえらく残念がっていた。そして今もたまにこうやってチクチクいわれるのだけど、そんなことは私が1番わかってるんですよ。
余計なお世話だ!と睨めば「あー怖い怖い」といって脱衣所から逃げ出した。が、しかし何でか「不出来な娘でも好きなら誰でも射止められると思うわよ〜」と残してリビングに戻っていった。
「…好きだけでどうにかなるなら、別れたりしなかったわよ」
好きの気持ちだけでやっていけると思っていられるのは学生までだ。それはただの幻想でしかない。
あの時好きだといわれて嬉しかった。だから付き合おうって思ったし幸村を男性としてトキメキを感じていた。
でも、どんなに想いあって恋人同士になれたとしても私は結局別れを切り出されてしまうのだ。
好きだった。
好きなはずだった。
別れた後にどうすればもっと好きでいてもらえたのか、どうやったら幸村を落胆させずにすんだのか考えたけど、未だにはっきりとした答えは出ていない。
ただ今いえることがあるとすれば、私には幸村の気持ちを繋ぎとめられるほどの魅力がなかったということ。幸村の気持ちを汲み取ろうとせず彼の"好き"を過信して返す努力を怠っていたこと、別れはそんな自分への罰なんだということしかわからなかった。
脱衣所の鏡に映った自分は不機嫌に歪められていて、それがまた酷いほど不細工では溜息を吐くしかなかった。
自暴自棄。
2016.01.10