You know what?




□ 118a - In the case of him - □




桜の淡い色が地面に落ち代わりに青々とした葉が木々を彩り始めた頃、街中の雑踏を縫うように歩く女性が1人いた。
彼女はリクルートスーツに身を包み、カツカツと低いながらもヒールを慣らし電話をしている。一見仕事が出来そうな出で立ちだったがその表情はとても困っているようで何となく男心をくすぐるものだった。

「だからごめんって」と何度も謝っているが足を止める気配はなく、すれ違う男達はチラチラと見ては通り過ぎていた。


「うん、ちゃんと契約は済ませてきたから…うん。言わなかったことは謝る。ごめん。……でも大丈夫だから、…そう。…うん、榊さんには挨拶してきたから……うん。うん。わかった、じゃ」

携帯電話を耳から離すと彼女はフゥ、と溜息を吐きバッグに仕舞いこむ。歩きながら相手の言葉が響いたのか煩かったのか解すように耳を引っ張り、大きな敷地に足を踏み入れる。
近くには総合病院という看板が建てられていては真っ直ぐその病院の正面玄関に向かった。


?」

デジャヴのような声に反応して振り返るとそこには予想通りに早百合が立っていて、は大きく目を瞬かせた。どうやら出て行こうとする彼女に気づかずすれ違ったらしい。
しかし平日の今日、彼女がここにいるのは違和感があって「早百合?どうしたの?」と駆け寄れば彼女は笑って何でもないよ、と返した。


「それよりもこそどうしたの?こんな格好で…風邪?」
「え、あーうん。何か喉がイガイガしててさ。気になって来たんだけど」
「でもここ、午前の診療終わってるわよ?」

午後まであと1時間以上あるのに、といわれは近くにあった案内所を見て「あー…本当だ」とカラ笑いを浮かべた。
そんなに早百合はクスクス笑うと「時間があるなら一緒にご飯を食べない?」と誘ってきたので思わず「ううん、大丈夫!」と断ってしまった。断って内心慌ててる自分に舌打ちをした。


「…だって、風邪だったらうつるかもだし」
「大丈夫。私そんなヤワじゃないからうつったりしないわよ」
「………そ、そう」

またデジャヴのような言葉には苦く笑うと彼女に連れられるまま、入った病院を出ることになった。



近くのファミレスに入ると昼時とあって賑わっていたがすぐに席に案内され、達はテーブルを挟んでメニューを見だした。

とご飯食べるのなんて久しぶりだね」
「うん。そうだねー」
「亜子も誘えればよかったけど…」

神奈川だし仕事だもんね、と笑う彼女にも小さく笑みを返した。注文をしてしばらく黙っていたが話を聞いてみると今日はたまたまの休みだったらしい。

「どこか悪いの?」
「…うーん。まあならいいかな」

少し考える素振りをしてこっちを見た早百合は「このことは内緒にしててほしいんだけど」と内緒話しをするように顔を近づけ「あの病院にね、景吾が入院してるの」と囁いた。


「え、」
「やっぱり知らないよね。報道規制張られてるみたいだしニュースには流れてないから」
「…何で早百合がそんなこと知ってんの?」
「うーん。それは企業秘密…というか、友達に報道関係者がいるだけだよ」

だから、バレたら怒られちゃうから内緒にしててね。と悪戯っ子のように微笑む早百合になんとか頷いたが疑問は大きくなって「もしかして、会いに来たの?」と口に出してしまった。そしたら彼女は何度か瞬きした後照れくさそうに微笑み「うん、」と頷いた。


「会えたの…?……あ、えと、その、報道規制されてるなら普通は会えないかなって思って」
「……会えたよ。景吾が会いたいって連絡くれたから」
「そうなんだ」
「…気になる?」
「う、ん。まあ。テレビだと怖い話しかしてないから…」

探るようにじっと見つめてくる早百合にはとても居心地が悪くて手にしていたカップに視線を落とし、逃れるように紅茶を飲むフリをした。



「大丈夫。そんなのデマだから。景吾がそんな病気するわけないじゃない」
「うん。そうだね」
「景吾は強いもの。おじいちゃんになるまで元気でいてもらわなきゃ困るんだから」
「……おじいちゃんの跡部さんって、なんか普通のおじいちゃんより元気そう」

想像して可笑しくなったがプッと吹き出すと早百合も「本当だね」と笑った。

それから注文したものが届き他愛のない、でも跡部さんに関連した学生時代の話をしながら食事をしていると不意に彼女がを呼んだ。

「そういえば、幸村くんは元気?」
「元気じゃないかな?試験もあって最近連絡とってないから近況わかってないけど」
「あれ?あなた達付き合ってなかった?」
「…いつの話してんのよ。高校卒業と同時にフラれました」
「あらーそうだっけ?勿体ないなぁ、お似合いだったのに」
「………」


そこまで言って早百合は残りのスパゲッティを平らげるとカチャンとフォークを置いた。それに合わせるようにも食べ終わりナフキンで口を拭くと早百合と目が合い、何?と首を傾げた。

ってさ。私が景吾と付き合い始めた頃も景吾のこと好きだったよね」
「………え、」

いきなりぶつけられた質問に一瞬戸惑ったがすぐに理解した。わかって真っ直ぐ見つめてくる瞳を無言で見返すと彼女は堂々と「見てればわかるもの」と小さく笑った。


「景吾はのことを恋愛対象としては全然見てなかったけど、はそういう好きだったでしょ?私も同じように見てたからわかってた。だからかなぁ。私も子供だったから景吾を独り占めしたくてから引き離そうと躍起になってたんだ。
彼の隣も景吾との時間も全部私のものにしたかったの。……今思うと随分我儘だったなって思う」

周りの音がフッと止んだようにその言葉がよく聞こえた。早百合は目を細め優しく微笑むと「私、ずっとが羨ましかったの」と淡々と言葉にした。



「ただの友達でもは特別だったから。でもあれは"景吾にとって"というより"氷帝テニス部にとって"だったんだよね」
「……」
「"テニス"部のマネージャーだったし、ジローや長太郎に気に入られてたから、だから景吾もみんなと同じようにと接してて、それで私嫉妬してたんだと思う」
「………」

「この前謝ったのはそれなんだ。我ながら子供っぽいと思うけど私も必死で…でもそれも必要ないくらい景吾がたくさん私を愛してくれたから、のことも気にならなくなったし普通に見れるようになったよ」
「……」
「別れたのだって色々事情があってさ。私も景吾も自分のことでいっぱいいっぱいでお互いを思いやれなかったから…でも今なら、大人になった今ならちゃんとできると思うの」
「……」

「私はね。今も景吾を愛してるの」

「……」
「景吾も同じ気持ちよ。前みたいに私を何度も何度も愛してくれた……だからね、
「……」



「もう景吾の前に現れないで」



射抜くようにじっと見据える早百合にはただ彼女を見返し、そして目を伏せた。
これは宣戦布告だ。どこまで知っていてどこまで真実かは知らないけど早百合はに戦いを挑んできてるんだとわかった。わかって、そして深く深呼吸をすると膝の上にあった拳をぎゅっと握り締める。


「私は、そういうことをする早百合が嫌いだったよ。私も跡部さんを好きだったから…でも彼が選んだのは早百合だったから…」

「……」

「だからわざわざ謝らなくていい」



そうやって上からものをいうところが嫌いだった。相手を蹴落としてまで自分は愛されてるんだって自信満々にいうところも嫌いだった。
私の居場所を私の好きだった気持ちを傷つけた張本人を前にして言葉にしての手は震えた。

面と向かって嫌いだと宣言するのはとても心が痛い。でもこの震えは怖さよりも怒りに近い気がした。早百合はまた同じことをしてを傷つけようとしてるんだと、そうやって自分を誇示しようとしてるんだとわかってしまいそれが苛ついて、そしてとても悲しかった。

私はもう、彼女の友達でもなんでもないんだな、と思った。

そう思いつつ見返せば、何も知らない早百合は目を丸くして、それから苦笑に変えて「それもそうね」とお冷に手をつけた。


それから程なくしてファミレスを出ると病院の前で早百合が振り返った。

「ねぇ
「何?」
「…あの手紙、読んだりしてないよね?」
「してないよ」

封してたんじゃないの?と眉を寄せると彼女は笑って「そうよね」と手を振ってに背を向けた。


「早百合、」


背筋を伸ばし、自信満々に歩く姿を翻しこちらに振り返る。その表情はさも勝ち誇ってるように見えて眩しかった。

「早百合は知ってた?」
「え?」
「跡部さんの婚約者だった峯岸さんね。子供産んだんだよ」

今は跡部さんの別荘に住んでるんだって。そうにっこり教えてあげれば早百合の顔はたちまち凍りつきその場に固まったように動かなくなった。
それを横目で見届けたは「跡部さんって本当優しい人だよね」と残し背を向け、病院とも、早百合がいる方とも違う道へと歩き出した。



******



と連絡がつかない。何度電話しても留守電に繋がるのはどういうことだ。
面倒な精密検査やらずっと逃げていた健康診断をまとめて受けさせられてもう2度と病院なんか行くものか!と吐き捨て退院したがその時一緒にいるはずのが来なくて酷く不機嫌だった。

実家の神奈川に帰る用事があったのだから仕方ないといえば仕方ないのだが自分が優先されないことにやはり面白くないと思っていた。

「あらやだ。また眉間にシワを寄せてる」
「…なんだよ」


いないとわかってるマンションに帰るのもバカらしいと思って実家に戻れば跡部の顔を見に来た母親が嫌そうに眉を寄せた。むしろこの眉はアンタに似たんだがな。と思ったが口にはしなかった。

代わりに何の用だと見れば「やぁね。さんがいないからって不機嫌丸出しで」と嘆かれ思わず「は?」と聞き返した。何でを知ってんだよ。はあ?会ったことがある?何俺の了解もなしに会ってんだよ!!

さんと会ってお話するのにどうして息子の許可が必要なのかしら?ペットでもあるまいし、あなたはどれほど偉いの?」
「……」
「…まあいいわ。景吾、これに目を通しておきなさい」
「なんだよ、これは」
「何って見ればわかるでしょう?お見合い写真よ」
「はあ?!んなの何で見なきゃなんねーんだよ」


つーか、必要ねぇよ。と噛み付けば身も凍るような冷ややかな目で睨まれ口を噤んだ。クソ、いつまで経っても勝てる気がしねぇ視線だな。

「貴方が婚約を解消したから皆さんこぞって話を持ちかけているんです。また勝手にお祖父様に決められたくなかったらちゃんと自分で決めなさい」
「俺にはこんなもの、必要ねぇよ」
「何言ってるんですか……ああ、それから。今日も来ていましたよ」



テーブルに置かれた革張りのお見合い写真を一瞥して視線を外すと母親がなにやら思い出したらしく跡部も気になって彼女を見やった。もしかしてか?と思ったが彼女じゃないらしく少しだけがっかりした。いや、ここに来る前に俺に会いにこいって話だが。

「これを貴方に渡してくれと守衛が頼まれたそうです」と差し出された封筒は花の刺繍が施されている綺麗なデザインのものだった。表面には『跡部景吾様』と書かれていた。


「とにかく、お見合い写真に目を通しておきなさい。貴方が決めないと周りも迷惑するんですよ」
「…んなの、勝手に迷惑がってればいいんだよ。それにもう相手は決めてる」
「あらそうなの?ならいいけれど…。その方はいつ連れてこられるの?」
「…とりあえず今日じゃねぇ」
「ならいつなら都合がいいのかしら?それにお名前はなんていうの?」
「連絡が付いたらだから、そのうちだ。名前は…………さっき出ただよ」

裏面差出人を見る前に矢次に聞かれ、言いたくなかったが逆らえなくて素直に返答すると、母親は呆れた顔になって「…何を言ってるの」と頭が痛そうに手で額を押さえ盛大な溜息を吐いた。


「未練がましく別れた相手を追うのはやめなさい」
「……は?」
「彼女は引越しして新しい生活が待っているんです。1人の女性も支えられない貴方が、これから頑張ろうという彼女の足枷になってどうするんです?男ならきっぱりと見切りをつけて見守ってあげなさい」

きっぱり言い切る母親に跡部は頭が真っ白になった。何でそんなことアンタが知ってんだよ。は?佐々原に調べさせた??自分もと話しただと?!
そして火事に遭って、随分前から新しい部屋を探していたこと、春には引っ越すつもりでいたこと、そして母親が気を利かせて援助金を手渡したと聞いて跡部は持っていた手紙をテーブルに投げ捨て部屋を出た。

後ろでは母親が跡部を呼んだが振り返らなかった。車を呼びつけそれに乗り込んだ跡部は真っ直ぐが住んでいる、跡部の別宅があるマンションに向かった。



「…まったく、余計なことをしてくれたぜ」

入院してる間も何度か見舞いに来てくれたが、途中から妙にそわそわとしたり仕事や用事で帰ることが多くなっていたことは気づいてはいた。けどそれは気恥ずかしさ故の行動だとずっと勘違いしていた。

跡部が倒れ身形も何もかも寝起きで来たを見た時、彼女が心の底から自分を心配して涙を流した時、初めて俺は本当にを手に入れたと思ったんだ。自分の気持ちが伝わって受け入れられたんだと。
身体を1つにした時と同じくらい満たされた気分になっていただけに今の状況が理解できず跡部は混乱していた。

「ハァ、くっそ」

ズキズキと痛む頭痛を逃がすように溜め息を吐くと慣れた手つきでこめかみを押さえた。随分治まってた頭痛が再発したようだ。


マンションに着くと足早に歩き、エレベーターに乗り込む。上がっていく階数を見ながら段々と心拍数が上がる気がした。さっきから嫌な予感しかしない。そんな気持ちを振り払うようにエレベーターを出て真っ直ぐの部屋のドアホンを押したが何度押しても部屋の主は出てこなかった。

「クソっ…何で出ねーんだよ!」

ダン!とドアを叩いても扉の向こうで走ってくる音すら聞こえない。携帯を取り出し電話しても相変わらず留守電に繋がって機械的な音声が聞こえて来るだけだった。


やり場のない感情を吐き出すようにもう一度ドアを叩くと自分の部屋のドアに何かが挟まってるのが見えた。もしかして、と投函口から飛び出てる紙を引っ張ろうとしたが指を入れた途端、重さで中に落ちてしまい、チッと舌打ちした。

仕方なく鍵を開け中に入った跡部は郵便受けの蓋を開けるとぱらりと2通の封筒が床に落ちた。片方は花が刺繍が施されている綺麗なデザインのもので、もう片方は味気ないただの封筒だった。

けれど、そこに書かれていた『跡部様』という文字に気がついた跡部は味気ない方の封筒を手にし、やや乱暴に封を切った。
中から出てきたのは1枚の便箋とお金で、跡部はとギュッと眉間にシワを寄せた。



『 跡部景吾様

ちゃんとご挨拶できなくてごめんなさい。なんとかやっとお金が工面できたので引っ越しました。
本当は引越しの話をしなきゃいけないと思ってたんですけど、いう機会がなかったのでここに書き留めておきます。

これを見る頃には跡部さんは退院されてると思いますが、あまり無理せず佐々原さん達に心配させないようにお体をご自愛ください。

ああそれと、跡部さんのお母様からいただいたお金を同封しておきます。私が使っていいお金じゃないと思うので。失礼だとは思ったんですが跡部さんからお返ししてください。

それでは短い間でしたが今迄ありがとうございました。            』


一字一句見逃さないくらい何度も読み重ねたが簡素に連ねた言葉以外何もなく、ぐしゃりとお金が入った封筒を握り潰すと携帯を取り出しある番号にかけた。

「………………んで、出ねーんだよ!」

チッと舌打ちした跡部はすぐ別の番号へとかけた。

『こんな昼間にどないしたん?』
「忍足。の引越し先わかるか?」

珍しいな、と驚く電話の相手にすら苛立ちながらも答えを急かすと相手は押し黙った。

『…すまん跡部。それ、俺のせいかもしれん』
「は?」
『自分、ジローにも連絡繋がらへんよな?』
「ああ、それがどうしたのかよ」

忍足の前にジローに電話をかけたものだから少し驚いたが、神妙な声に跡部も眉を寄せたまま真剣な顔で耳を傾けた。どうやら跡部が入院中に瞳とその子供のことでひと悶着あったらしく、そのせいでジローと音信不通になっているらしい。



『一応ちゃんとは繋がったからフォロー入れといたんやけど、なんかうまく伝わらんかったみたいでな……切る間際に"峯岸さん達の方がもっとずっと大切に想ってるよね"っていうててん』
「…は?」
『なぁ跡部。自分、ちゃんとなんかあったんか?』

ケンカしたならはよ仲直りせんとあかんで、と心配してくる忍足に跡部は何も返さず通話を切った。


「……くそ!」

母親から援助金の話を聞いた時、まるで手切れ金じゃねーかと思ったが問題はそれだけじゃねぇらしい。むしろもっと悪い方だ。

瞳の件はただ単純に跡部のプライドがそれを許さなかっただけなのだ。なんせ蓋を開ければ婚約者を放置して浮気をされた挙句子供を作られて仕方なく婚約を破棄。これを好きな女の前で言える男がどれだけいる?
それを聞いてに甲斐性なしなのだと軽蔑されたり距離を置かれたらそれこそプライドが傷つく気がして怖くていえなかったのだ。

そう、跡部もに嫌われることが怖かった。だから婚約を解消したこともなかなか言い出せなかった。


「…けど、何もいわず引っ越すとかありえねーだろうが」

そんなに俺と顔を合わせるのが嫌だったのかよ。相談することも言い繕うことも面倒になったのかよ。ならあの時の告白はなんだったんだよ。全部嘘だったっていうのか?


どうして、本当に欲しいものには手が届かねぇんだよ。


「クソッ」と痛む頭を抱え視線を下げれば足元にもう1通の封筒が見えた。それをおもむろに拾うと中に硬いものが入ってることに気づき指で形を確認した跡部は何かに気付いたように目を見開いた。





2016.01.26