You know what?




□ 121a - In the case of him - □




夢を見た。とても懐かしい場所だった。
別荘のテニスコートにはいつもつるんでいた忍足達がいて楽しそうにラケットを振っている。それからコートの隅を走る姿に目をやればが忙しそうに走っていて。

近くにいた向日にタオルとドリンクを渡し、眠っているジローの肩を叩いて起こしている。それをじっと追いかけていれば宍戸と話していたがこちらに振り向き真っ直ぐ走ってきた。

跡部の前で止まった彼女はにこやかに笑ってタオルとドリンクを差し出す。それを受け取れば彼女はほんのり頬を染め、はにかんだ。


ひゅっと地面が回転するような感覚に瞬きをすると眩しかった青空が夕方の赤に変わり、広々としていたテニスコートが氷帝のテニス部部室に変わった。周りを見渡せば奥の方の席で誰かが書きものをしてる音がする。

「電気くらいつけたらどうだ?」
「…あら、いたの?跡部」
「ここでは部長だ」
「…そうね、跡部部長」

パチンと近くにあったスイッチを入れると西日を遮るように電気がつく。奥を見やれば専属マネージャーである渡瀬が日誌を書いているところだった。彼女はチラリとこちらに視線を向けたがすぐに興味をなくしたかのように日誌に視線を落とし、またペンを走らせる。
静かな部室では渡瀬が書く音が特に響く。けれど嫌いじゃない。

スラスラとテンポ良く奏でる音に目を閉じ耳を傾けていれば、その音が止み「別れたそうね」と淡々とした声が響いた。


「…何の話だ?」
「誰だったかしら。羽柴?相葉だったかしら?あなたが所構わず頻繁に複数付き合うものだから私も把握できていないのよね」
「…お前、俺のプライベートに興味あったのかよ」
「いえ全く。けれど、あなたのコンディションを見る為には"そういう情報"も必要な時があるのよ。……ああそうそう、確か日野さんだったわね」
「…ああ、別れた」

そう無意識に返し、跡部は高校時代の自分なのか、と思った。この日は確か部活中に日野が氷帝に乱入して事件を起こし、その彼女を宥め説得し自宅に送った後だった。
現場にいた部員に口止めをして揉み消したことを宍戸や一部の部員は訝しげに見ていたのを思い出す。



跡部は瞼を上げ、渡瀬を見やると彼女はペンを持ったまま日誌を見つめている。

さんには話したの?」
「…いや。だが、どうせもう伝わってるだろ」

女は徒党を組むのが好きな生き物だ。
日野が跡部を敵視するならも俺を敵視するだろう。

が自分を好きだったのは随分前だ。今は幸村がいるし悪い噂話をするにも格好の餌になるはずだ。

そういうことには慣れていたし、話をすることで憂さ晴らしができるなら大いにすればいい、そう思った。戯言に面と向かわれても痛くも痒くもないし、それが他校なら尚更。そして1年と経たずにそんな言葉など全く聞こえない場所に行く。


連れて行くつもりはなかった。これは自分自身の戦いでもあったし、彼女というものが自分の足枷にも感じていた。それだけ跡部が立ち向かう場所は強大で並半端な努力では太刀打ちできないのだと肌で感じ取っていた。

もし仮についてくるか?と聞いても彼女はついてこないだろう。彼女は何よりも家族が大事だ。それは正しいし、跡部も家族はかけがえのないものだと思っている。

けれどそれが1番の要因だった気がする。


「……あなたは、」
「……」
「あなたは、そうやって淡々と自分を愛してくれた人を切り捨てていくんでしょうね」
「……」
「人と同じ幸せを望むくせに、自分の幸せはこんなものじゃないって勘違いしてる」
「……」
「そのうちきっと何が幸せなのかも見失うんじゃないかしら」

渡瀬の目が真っ直ぐこちらに向き、かち合う。その目を見て跡部は息を飲んだ。



パチっと瞼を上げると自室の枕が見えた。サイドテーブルには暖色のライトがほんのり点っていてここがどこかを教えてくれる。時間を見ればまだ深夜だった。

視線をずらせば丸い頭が見え、腕に重みと少しの痺れを感じる。跡部は目を細めると背に回していた手を彼女の頬に持っていき、隠れた顔を晒すように髪をかきあげた。

閉じられた瞼は少しだけ赤く腫れていて、頬にも何本も涙の跡が残っている。さっきまで泣き続けた彼女は子供のように泣きつかれて眠ってしまった。そんな彼女の頭を優しく髪を梳くように撫でながら跡部はじっと彼女を見つめた。

『跡部さんだって、そうでしょ?』

そう言った時の目を思い出し跡部はもう一度を抱きしめる。先程夢に出た渡瀬も同じ目をしていた。もしかしたら跡部が勝手に改変してと渡瀬を混同してしまったのかもしれないが、夢に出てしまうくらい恐怖を抱いた。


壊れる、と思った。跡部との関係だけじゃない。の中の跡部という存在も、信じていたの気持ちも全部壊れてしまうと思った。


『ごめんなさい。私、跡部さんのこと全然わかってなくて。ちっとも成長してなくて……また気づけませんでした』

好きだという気持ちを捨てきれず、ただ見てるしかなくて、忘れ去られてると思ってた。この俺がそんな普通の記憶力がじゃないことくらい知ってるはずなのにそう思わせる程放置していたんだろうか。

そうなのかもしれない。

必要なら連絡してくるだろうと勝手に思い込んでいた。それが出来ない程は狂おしく悩んでいたというのに。

馬鹿らしいと思う。自分の想いを殺し隠し続ける行為を。関係を築くことなんてあの頃の俺達なら容易いはずなのにそこまで思い悩むなんて。
けれどそれと同じくらい気付けなかった自分も責めた。お気に入りだった彼女を、好きだと想いを寄せてくれていた相手を追い詰めるほど傷つけていたなんて。

自分は全てから愛されていると思っちゃいないが、良くも悪くも目立つ立場だと自負していて、その気持ちを注がれるのが当たり前だと思っていた。



だから口を閉じ想いを秘めたまま恋をするなんて知りもしなかった。
誰にも知られぬまま押し殺す恋を理解できなかった跡部は、その程度しか愛せないのだと決め付けていた。家柄や距離を理由に離れたのだと勝手に思い込んだ。

そうすることで自分を守っていたなんてその当時の俺は理解すらしてなかっただろう。
簡単に諦めたなどと決めつけ、安い愛情だと思い込んでいた自分を恥じた。


『こんな私と別れて正解なんです。跡部さんにはもっとお似合いの女性がいるんですから』

『これももう捨てます。だから跡部さんも、前みたいに私のことなんか忘れてください』


あの目は空虚だった。何も映さず、光も届かないような。あのテニスコートで向けられたものとはなにひとつ重なることのない闇。
もしかしたらこのまま幸村に渡してしまった方が良かったのかもしれない。あの男なら壊れてしまったの心すら包んでくれたのかもしれない。

けれどそれは我慢ならなかった。
俺は欲しかったんだ。
自分を愛してくれる人を。
こんな俺でも迎えてくれる人を。
帰ればそこにいてくれる、何気ない言葉を交わし、日々を過ごしてくれる俺だけの家族を。


「…すまない、

お前の幸せを考えたらこの選択は間違ってるのかもしれない。


「それでも好きなんだ」


安らぎをくれるお前を手放す方が辛いんだ。
許してくれ、そう思いながら跡部はの額にキスを落としそして彼女をかき抱いた。



再び瞼を上げ目覚めた跡部は時間を見て引かれたカーテンを見やった。隙間からほんのり見える光に目を細めると腕の中にある温かいものに視線を落とした。
遮光カーテンのお陰で眩しいことはなかったがベッドサイドのライトがなければの顔は見えない。

ギシリと鳴る凝り固まった身体をずらして覗きこめばすやすやと眠る彼女がいてホッと息を吐いた。
夢じゃないんだ、という安心感が身体中に広がり確かめるようにの髪を撫でそのまま肩に下りて抱き締める。


こんな恋をするとは思ってなかった。相手を想えば想うほど焦がれて苦しくて泣きたくなるなんて知る由もなかった。この俺が告ってフラれると特に学生時代なら誰が予想しただろう。

別れを切り出され、追い縋ったのも初めてじゃないだろうか。

の髪や額にキスを落とし瞼にもキスをするとまだ腫れてるように見えた。そんなにも泣かせたのかと慰めるように両方の目に唇を当てれば瞼が震え、ゆっくりと開いた。

「よぉ」
「………………あ……え?……あ、お、おはよう、ございます」


ゆるりと上げられた視線はぼんやりと跡部を見つめ、そして目が合うと微かに見開いた。この状況をわかってない顔だ。
目を泳がせ昨夜の記憶を掘り起こしてるを眺めているとしばらくしてハッとした顔になり、みるみる内に頬を染め俯いた。

そのまま布団の中に逃げ込んでしまいそうな彼女の背をぐっと自分へ引き寄せればビクッと肩が揺れた。そして挙動不審に掴んでいたシャツを離したりまた掴んだりまごまごと動かしてくる。

多分押し返そうかどうしようか迷っているんだろうがその行動が小動物にしか見えない。
そんな彼女になんだか笑みが漏れた。可愛いなコイツ。


「くすぐってぇよ」
「えっあ!ご、ごめんなさい!」



モゾモゾと動く手に思わず吹き出せば、ばっとが顔を上げ謝ってくる。その顔がやたらと笑えて吹き出せば、彼女は不思議そうに目を瞬かせた。そんな彼女と目を合わせると途端に身を強ばらせる。

赤い顔がもっと赤くなり跡部は笑みを深めると身体を前のめりに動かし、を覆うように手をついた。顔の両側に肘と手をつけばは緊張するような目で見上げてくる。


「…。昨日のこと、覚えてるか?」
「…う、ん」
「昨日聞いたこと、嘘とか、夢じゃねぇよな?」

跡部のシャツを掴んだまま見上げてくると見つめ合うと彼女は僅かに目を見開き、そして跡部の言葉を肯定するように神妙な顔でゆっくり頷いた。


「……あの、」
「ん?」
「迷惑じゃない?」

頷いて、それから視線を逸らしたは恐る恐る言葉を紡ぐ。その言葉に何故?と聞き返せば少し考えるように視線を動かすと「跡部さんは自由だから」とのたまった。

「誰にも縛られない人だと思ってたから」
「遊んでばかりで落ち着かないヤツだって?」
「そこまではいってないですけど…でも、諦め悪くずっと想ってるとか重いんじゃないかって…」
「それは相手の受け取り方次第だろ?中にはそう思う奴もいるかもしれねぇが、俺は嬉しいと思ったぜ」
「……」
「傷を負わせる程お前の中に残って思われ続けたなんて男冥利に尽きるじゃねぇか。それを思えば再会して冷たくあしらわれても危うくフラレそうになってもお釣りがくる」

言われて傷つかなかったわけではないが、得られたものを考えれば取るに足らないことだ。


自棄にならず抱えていくことはひどく困難だ。それが嫉妬や恨みになればそれなりの自己回避になるが人間としての成長はない。
だからといって叶えられないものを浄化もせず置いておくのは苦しみと伴う。

その感情を憎しみに変えなかった彼女に跡部は心の底から感謝した。



跡部のセリフに困ったような顔をするの頬を撫でてやれば彼女は眉尻を下げ視線も下げた。指を動かしてるのか掴まれたシャツがくすぐるように動く。

「あの頃は好きなのか憧れなのかよくわかってなくて……でも惹かれてたのは確かで、どうしたらいいのかわかってなかったんです。でも、早百合と付き合うって聞いて…凄く嫉妬して、そこでようやく跡部さんのことが好きなんだってわかって」
「……」
「嫉妬で押し潰されそうになったことが何度もあったけど、苦しかったけど、それでも忘れることはできなかった…」
「……」
「ああ、やっぱ重いですね。引かれるから絶対言わないでおこうって思ってたのに…」

緊張を紛らわすように顔に触れ、眉尻を下げたまま笑うは大きく深呼吸をすると跡部を見上げた。その目は潤んでいて今にも泣きそうだった。


「ずっと、ずっと跡部さんのことが好きでした」


泣きそうな顔ではにかむに跡部は胸がじわりと熱くなり顔を寄せると唇を合わせた。

「俺も好きだ」
「うん、」
「…お前は過去形か?」

取るに足らないことだが気になったことを笑って茶化せば、は困ったように笑って「"好きです"よ」と言い直して瞼を閉じた。そのに誘われるようにキスをすればスイッチが入ったように止まらなくなる。顔中至るところにキスを落とし目尻滲んだ涙も拭った。

ベッドについていた手をの脇下から背中へ、もう片方を首から後ろ頭に持っていて更に深くキスをすると彼女の口から甘ったるい吐息が漏れた。
目を開ければ赤く染まった頬で瞼を震わす姿が見え、そんなを見て跡部はどうしようも愛しく思えた。



「……」
「ん…あと、べさん?」

キスに夢中になっていればそれを邪魔するように携帯が鳴り響いた。その音は間違いなく佐々原で、しばらく放置したが同じように聞いていたが気遣わしげに見てくるので仕方なく、くっつけていた口を離し煩い携帯を手に取った。


『おはようございます。本日出社されるとお伺いしていたのですが、どうしましょうか?』という問いに跡部は何となく目を細めた。そういえばの家を割り出すのに話をしていた気がする。

急いでいけばまだ間に合うがどうしようか。
を見やると何とも言えない顔でこちらを見ていたが、掴まれてるシャツは行かないで、というようにやんわり引っ張られた。

それを見た跡部はフッと微笑むと耳に当てていた携帯をの耳に押し当て、シャツを掴んでいた手を取ると指先にキスをした。

「え?(跡部さん?)…あ、あの、おはようございます(一体どうしろと?)」
「俺は忙しいから代わりに話してな」
「(そんな!)…あ、はい。です。えと、跡部さんは………いえ!そんな!そういうわけでは!」


佐々原に何か言われて赤くなるをくつくつ笑いならが指や手にキスをして細く少し荒れた指を口に含むと、彼女はぎょっとした顔で慌てて手を引っ張り逃げられてしまった。
仕方なく傍らに寝そべって携帯をあててない側の生え際や額、こめかみと鼻先にキスをすると何か言いたそうに赤い顔で睨んでくるに跡部はクスリと笑った。


「俺だ」
『……社長。朝からご盛んなのは結構ですが、あまり苛められない方が懸命ですよ』
「お前だってわざとからかったじゃねぇか」
『朝からアテられるこちらの身にもなってください。…それよりも今日は"遅刻"でよろしいですか?』
「ああ。入院して逆に身体がナマったみたいだ。軽く運動してから出社する」
『……程々にしてくださいね』

の耳から携帯を自分に戻しジョークを交えながら佐々原と話すと、の顔はよくわからないながらも不審気な目で見ていて跡部はニヤリと笑った。その顔を見て益々の表情が困惑色に染まる。

「アーン?それは相手次第だな」



笑みを浮かべたままそのの顎をスルリと撫でるとやっとわかったのか顔を真っ赤にして目を見開き、口をパクパクと動かした。おもしれー顔だな。

通話を切って携帯をベッドに放り出した跡部は再びを覆うように手をつくと赤い顔のが胸に手を持ってきて懇願するように跡部を見上げてきた。


「あ、あの、お仕事は…」
「"遅刻"だ。だからもう少しゆっくりできる」
「で、でも、遅刻したらその分シワ寄せがあるんじゃ…」
「ああ。だが一応病み上がりだからいつもよりは少ないぜ?それにお前もいるしな」
「へ?」

風呂にも入らなきゃなんねーし、の飯も食いたい。仕事はまあ移動と休憩時間を削ればなんとかなるだろう。それよりも今は、とポカンとするを見据えたまま口元を釣り上げる。

「丸一日お前にあてることはまだできねぇが、といる時間を少しでも作りたいんだよ」
「…跡部さん…」
「それに、昨日の今日だろ?俺もまだ実感が湧かねぇんだ」


俺だって不安なんだよ、と本音を吐露すればは目を丸くして、それからその目を伏せ「…私も」と跡部のシャツを握り締めた。

「私も、もう少し跡部さんといたいって思ってました」
「…そうか」


控えめに引かれるシャツに愛しさを感じて跡部は目を細めると彼女の手を取り指に絡めた。
いつかはシャツじゃなく直に触れて欲してくれたらいいと思う。離さないように抱きしめ、分かち合うようにキスをして俺を想う気持ちをひけらかせばいい。



「好きだぜ、



その為に全力でお前を愛そう。ひとつひとつ殻を剥がし壊れたものも全部包めるように。そうすればお前はもっと大きく俺を包み癒してくれるから。



「私も、好きです」



空いた手で髪を撫でれば濡れた目が心地よさそうに細められ、頬に手を当ててやればその手を押し付けるようにが手を重ねてくる。
そうして微笑んだ彼女に跡部は笑みを漏らすとゆっくりと顔を近づけ、ライトに照らされた影はひとつになった。




お疲れ様でした!
でももうちょっと続きます。
2016.02.05