You know what?




□ 52a - In the case of him - □




ミスクドの試合もひと段落して、今度は男達の戦いを観戦しだした亜子達の目を盗み、はこっそりと抜け出し自販機の前に来ていた。
ボタンを押し、出てきたペットボトルを取り出すと近くにあったベンチに座る。

貸切とあって廊下もかなり静かだった。近くにある窓の外を見ればまだ雨が降ってるようで廊下はとても薄暗かった。ぼんやりと外を眺めながらペットボトルに口をつけているとキュ、とリノリウムを踏みしめる音がして視線をそちらに向けた。


「跡部さん」
「何こんなところで黄昏てるんだよ」

振り返ると向こうから跡部さんが歩いてくる。彼は同じように自販機にお金を入れると落ちてきたペットボトルを取り出し蓋を開けた。

「どうした?」
「え?」
「ジローが気がつくくらいだ。それなりに悩んでるんだろ?」


唐突に、何の前置きもなく発せられた言葉に目を見開くと跡部さんはくつりと笑って壁に背を預けた。戻るつもりはないらしい。
50cmも離れていないところに立たれてるせいかの視線が彷徨った。近い。普通の人はそうでもないけど跡部さんはそれくらいでも近い。オーラが痛い。


「いや、雨って思ったよりテンション下がるなって思いまして」
「…まぁ、色々制限さてるからな。つっても部活以外いつも室内にいる奴が雨も晴れも変わんねぇだろうが」
「うっ…痛いところを」
「そういや、小学校の時はお前メガネだったんだな」
「なっ!忘れてくださいよ!!」

それ私の黒歴史!唐突にとんでもな発言をする跡部さんを見やれば彼はくつくつ笑って「結構似合ってたぜ」と述べたが笑ってる時点でアウトである。絶対似合ってなかったよ!



「…あれは私のせいじゃないんです…ザマスに見えるのは私のせいじゃないんです…」

あれは店員さんが「流行りですよ」とかなんとかいって寄越してきたものだ。メガネを初めてかけた私は何が似合うのかわからなくて言われるがままに買ってしまったのだけど後で後悔したのは言うまでもない。
学校に行った時のクラスの男子の言い草と言ったら…!小学校後半は『ス○夫のママ』とか『ザマス』とか嫌なアダ名つけられたっけ。


「つーか、今コンタクトじゃなくて裸眼なんだろ?どうやって視力回復したんだ?」
「…それが、中学校入ってメガネをかけないようにしてたらいつの間にか視力が回復してまして」
「嘘をつくな」
「本当ですって!」

初めは本当に見えなかったし真面目に付けていたんだけど男子に冷やかされたりして恥ずかしくなってつけなくなったらいつの間にかなくても生活できるようになってしまったのだ。勿論黒板は1番後ろだったりすると見えないが真ん中くらいならメガネなしでも大丈夫なのだ。

何で視力が回復したかは未だに不明だが、は成長期のお陰じゃないか?と勝手に思っている。


「その時に"文学少女"にならなかったのかよ」
「…何か忍足くんみたいなセリフですね」
「ああ。写メして忍足に見せたからな」
「鬼ですか!」

何やってんですか!携帯寄越しなさい!!と慌てふためけば「俺のポケットの中だが取れるもんなら取ってみな」とドヤ顔で返された。悲劇だ。


「…クッ!忍足くんじゃないからそんなことできません」
「忍足がやったら通報するしかねぇだろうがな」
「確かに、」
「んで?メガネは文字の読み過ぎでかけるようになったんじゃねーのか?」
「勿論ゲームのやり過ぎです」
「…そこは堂々というところじゃねぇだろ」
「残念ながら本好きにはなりませんでしたしね。即行でメガネも外しましたし」
「読んでも漫画ばっかりだったしな」
「お願いですから忘れてください」



思い出されるあれやこれやなバレンタインに頭を押さえると跡部さんが壁に預けていた背を離し、の隣に座り込んだ。一気に近くなった距離にぎょっと彼を見やれば「何固まってやがる」とニヤついた顔で見下ろされた。

「や、その、近いんですけど」
「近いっつーのはこういうのだろ?」


あの、パーソナルスペースって知ってますか?と問いただしたくなるくらいの距離に物申せば跡部さんは笑顔を浮かべたままの腰に手を回しぐいっと引っ張って密着してきた。密着、だと…?!

「ちょ、跡部さん?!」
「お前、随分忍足にベタベタ触らせてたな?アーン?」
「は?何の話ですか?!」
「確かこっちの腕と」
「わわ、」
「腰だったか?」
「にゃ!」

言うが早いか、跡部さんはの利き腕を辿るように触れていきギュッと手を掴んだ。くすぐったいような触れ方にゾクリとしたが腰に触れた手にはビクッと跳ねた。
何すんの?!と彼を見ようとしたがすぐそこに、というか肩の上に跡部さんの顔があって頬に彼の髪が掠めた。とってもいい匂いですね!きっと自然派で高いシャンプーとかなんでしょうね!!


「お前。こんな風に触れられたのに嫌じゃなかったのかよ」
「え?あ、あの…」
「教えるっつっても、やっぱ俺がやるべきだったな」
「は、はぁ…」

跳ねる心臓を誤魔化すように眉を寄せて応えたが顔が熱いのはどうしようもなかった。ミスクドで試合をした時フォームがなってないとかで忍足くんに持ち方とか姿勢とか色々教わったのだ。
正直如何わしい触り方だったので何度か足を踏んだり肘鉄を食らわしたりしたが、当の本人はなんでか鼻の下を伸ばしていて岳人くんに「デレデレ気持ち悪ぃな」と軽蔑の眼差しで暴言を吐かれていた。



それでも試合はそこそこ楽しかったし、何だかんだ言って忍足くんのフォローは最強だった。さすが氷帝の天才である。無事勝利を納められて更にそう思ったが、「勝利の包容や!」と抱きついてきた時には先程の感動は一切消えてなくなっていた。

「お前、手の平の皮が剥けてんじゃねーか」
「あ、そう、ですね。道理で少し染みるなって思いました」
「…あのな。鳳や他の奴らが怪我したら一目散に走ってくるくせに自分の怪我は無頓着なのかよ」


身体も手もすっぽり包むようにくっついてる跡部さんがの手の平を見て溜め息混じりにそう零した。ひっくり返された手の平は赤く擦れていて、所々皮が剥けている。
足でまといにならないようにそれなりに一生懸命にラケットを振っていたからかもしれないがそれにしたって格好悪すぎる。初心者が力を入れすぎて振ったみたいな手だ。

呆れる跡部さんに「そんなことないですよ。後でやろうと思ってたんです」と取ってつけたように言い返せば「ものは言いようだな」と鼻で笑われた。
どうでもいいんですがさっきから声がダイレクトに耳元で聞こえる上に息までかかって落ち着かないんですが。そろそろ、心臓が崩壊しそうなんですが。


「あの、そろそろ離れませんか?」
「アーン?折角温まってきたのに離れるのか?」

確かにここは外よりはマシだろうがコートよりは少し肌寒い。けれど今言う台詞だろうか。彼が私に。
「いい湯たんぽだと思ったんだがな」と笑った跡部さんは更に密着して彼の頬がぴたりとくっついた。その瞬間、頭か心臓辺りのどこかがプチっと切れた。多分、冷静という糸が切れた音だ。


「あ、あの、跡部さん?!こ、こういうの私、慣れてないんですが!」
「…ジローにはいつもされてるじゃねーか」
「ジローくんは!慣れというか、なし崩しというか!ていうか跡部さんとはまた別で」
「俺は別?」
「あああああああっいえ!そんなことはないです!つーか、湯たんぽって跡部さん知ってるんですか?!跡部さんと湯たんぽって似合わないですよね!あーえっと!別といいますか、緊張が半端ないというか、とにかく色々困るので、はなっ放し…ふごっ」


ひぎゃあああ?!と脳内で悲鳴を上げながら、バッと両手を挙げ跡部さんの手を振り払いそのまま立ち上がろうとした。がしかし、お腹に負荷がかかり思わずみっともない声が漏れた。ふごってなんだ、ふごって。



視線を下げれば勿論ジャージだってブランドですよね?!な見知ったマークと手触りのいい生地に、逞しい力を感じれずにはいられない腕がある。チラリと視線だけ振り返れば間近に微笑む跡部さんの顔があった。ジーザス。

「もう逃げねぇのか?」
「…に、逃がしてくれるんですか?」

ニヤニヤと笑う王様に聞いてみれば「逃がす気はねぇな」とあっさり否定が返ってきた。最初から決まってるなら聞かないでほしかったです。



、…」



ぐったりと肩を落としたに、逃げる気はもうなさそうだと判断したのか跡部さんは腕の力を緩めると頬に手を添えの顔を持ち上げた。
今度は何する気ですか、と気だるげに身体を向ければ初めて聞く言葉に目を見開いた。

「逃げるなら今の内だぜ?」
「あ、え…?今、なんて」
「""っつったんだよ」

聞こえた言葉にはまるで初めて見るような顔で跡部さんを見た。
といったのか?この人は。


言われた言葉を処理していて固まって動けないに顔を近づけた跡部さんはそのまま笑みを浮かべた。反射的に目を閉じてしまったは彼の顔を脳裏に残して柔らかく触れる唇の感触にビリっと腰の辺りに電気が走る。


そこでやっと身体が動いた。

まず動いたのは腕で、彼を突っぱねて距離をとった。見上げた顔は思った以上に嬉しそうに笑っていて、脳内でどんな加工が施されたのか異様に格好よくキラキラと光ってるようにさえ見えた。

そんな彼を見て心臓がひっきりなしに騒ぎ、呼吸が浅くなる。
顔も頭も全部熱くて溶けてしまいそうだった。



「……何で?」
「俺様が呼びたいからそう呼んだまでだ。ジローや向日にだって呼ばせてるだろ?」
「そう、だけど」
「…俺とあいつらとじゃ意味が違う、か?」

違わない。違わないけど、でも。
指で顔にかかった髪を梳かれる感触にぶるりと震える。上昇した体温と回らない思考に泣きたくなった。悲しいのか、悔しいのか、嬉しいのか、恥ずかしいのか判断はもうつかない。
滲んだ涙に跡部さんは優しく親指の腹で頬をさする。それがまた涙を誘った。


「……私、好きな人が、いるんです…跡部さんじゃない…人で、だから」
「こういうのは嫌、か」

ふと、出た言葉に何を言ってんだろうって思った。仁王のことを好きだと思ってるけど片思いだし、叶うなんて到底思ってない。告白だってする気もないのに何を言ってるんだろう。
仁王だって私のこと何も思ってない確率の方が高い。だったらこのまま流れに任せたって問題はないはずなのに。少なからず跡部さんの優しさに惹かれて好きかもしれないって思ったのに。

こくりと頷くと頬に添えられた手が離れ、急に胸が苦しくなった。苦しくて切なくて滲んだ涙がぼろりと溢れる。

「ごめん、なさい…私、今日なんか、変ですね」


意思とは関係なく溢れる涙を拭うと堪えるように唇を噛んだ。つい、離さないでと言ってしまいそうになった自分に嫌気がさした。
優しいのは自分に好意が見えているからであって、他に好きな人がいる奴をさすがの跡部さんも慰めたりしないだろう。突き放したのに優しくてほしいと願う自分に相当狼狽してるのがわかってもう一度謝った。



「ははっちょっと顔洗ってきますね」

これ以上の痴態を晒すわけにはいかない、そう思ってそそくさと離れようとしたら手を捕まれ、再びベンチに座らされた。え?と跡部さんを仰ぎ見れば視界には跡部さんのジャージがあって目を瞬かせた。

「あ、とべ…さん?」
「泣いてる奴を慰めもせずに行かせると思ったか?」
「で、でも、ジャージが濡れ」
「それくらいで文句いったことねぇだろうが」

お前いつも泣くよな、と笑う跡部さんに確かにそうだな、と思った。前も跡部さんに泣き顔見られたっけ。恥ずかしい、と思いながらも包まれる温かさや頭を撫でる感触にさっきよりもずっと安心してる自分がいる。


「ごめんなさい。私、」
「何度も謝るんじゃねぇよ。別に悪いことしたわけじゃねぇんだ。そんな簡単に謝るな」

大丈夫だ、と言われる度に自分の中で固く冷たくなっていた部分が溶かされてくみたいで、は堪らず嗚咽を噛み締め溢れる涙を彼のジャージに吸わせた。




何もかも委ねられたらいいのに。
2013.10.04