□ 61a - In the case of him - □
ガキの頃の俺はそれなりに傲慢だった。
殊更目立っていた黒歴史といえば女関係だっただろう。
まぁそれでも孕ませたり暴力を振るったりしなかったんだからまだマシだといえばマシかもしれないが、ファンクラブを作ったり軽い関係を数人と結んだりゴシップ記事さながらの悪ノリは十分していた。
はそんな時に出会った女で、所謂『お気に入り』だった。
反応が初々しく感情が豊かで努力を惜しまない。自分にどんどん落ちていくのを見て可愛く思わない方がおかしいだろう。自分の手の平で慌てふためく彼女に、いつしか友情とも恋ともつかない不思議な感情を抱いていた。
それに気がついた時俺は、その感情をよく理解しないまま『お気に入り』という場所を設け、彼女をそこに位置づけた。
ドア口に立っているドアマンが頭を下げ、自動ドアのように開く重厚な門を潜ると支配人が恭しく挨拶し、そのまま奥の席へと案内された。
室内は必要最低限の光源で彩られていて、控えめなクラシックがなんとも心地よい。
ここは会員制のBARで、聞き耳を立てて情報を流す輩もいない。内緒話にはもってこいの場所だった。
「よぉ」と手をあげ胡散臭い笑みを浮かべるメガネを見やり、支配人に目配せすると彼は心得たとばかりに一礼をして去っていく。贔屓ならではの待遇だ。
跡部はジャケットのボタンを外すと身体を沈めるようにどっかりソファに座り込んだ。無意識に出た溜め息に反対側に座っていた忍足が笑みを作る。
「お疲れさん。ようやくお姫様と縁が切れたみたいやな」
「正確にはまだだが、後は薄っぺらい紙を処理するだけだ」
「相変わらずスマートな仕事っぷりやな…しかし、まさかあの峯岸グループが破談にするとは思わんかったわ」
「子供が出来たんじゃ仕方ねぇだろ」
峯岸グループとは元々事業で連携を組むことが多かったのもあって婚約の話は速い段階で持ち上がっていた。しかし政略結婚ほど本人達の意思を無視したものはない。それを踏まえて子供は教育されているが、峯岸家の1人娘はその重圧に耐えられなかったんだろう。
家族は浮気には気づいていたが子供が授かったことまでは把握してなかったらしく、気づいた時にはもう中絶ができない段階になっていた。
「それにしてもお前もよおやったな。浮気と子供を揉み消す代わりにミスユニバースと付き合うとか」
「あっちも承諾済みだ。本命の彼氏と結婚する前に遊んでおきたいとかほざいてたしな」
「ということは楽しんだんか」
ニヤリと笑う忍足を片眉をあげ見返した跡部は、丁度ボーイが持ってきたグラスを受け取りニヤリと笑い返した。
「それに子供に罪はねぇだろ」
「せやな」
「これで峯岸グループを思う存分こき使えるぜ」
「ああ、傘下に入れたんか」
「表向きは共同だが、跡部の下につくのは間違いないな。あっちの会長が直々に頭下げに来たぜ」
「ほう」
「せいぜい、死ぬまで使ってやるさ」
掲げたグラスに口をつければ「ああ怖い怖い。これだから金持ちは嫌なんや」と忍足が両腕を摩っている。お前も大して変わらねぇ世界にいるじゃねぇか。
「あ、そういえば、久しぶりに渡瀬に会うたで」
「渡瀬がお前に?どういう風の吹き回しだ?」
お前ら犬猿の仲だっただろ?と訝しげな態度で見やると忍足はにんまり笑って「この前合コンで会うたんや」と得意気に返してきた。
それを聞いた跡部は「ぶっマジかよ!」と吹き出し笑った。あのプライドの塊が合コンだなんて滑稽もいいところじゃねーか。
学生時代の彼女を思い出し、くつくつ笑えば忍足も「ホンマおもろかったわ〜」とほざく。今ここに渡瀬がいたら間違いなく鉄拳ものだろう。
にこやかに合コンの席に着いた忍足を見て渡瀬が苦々しく睨んでいたに違いない。
"氷の女王"なんて呼ばれてた渡瀬のそんな姿を見れるなんてそうなかったから余計に面白いのだろう。想像しただけでも十分に笑えるしな。
「試しに落としてきたか?」と聞いたら「女王に張り手されて帰られてもうたわ」とにこやかに返してきたのでまた笑った。何でその現場に俺を呼ばねぇんだよ!
「んなこというたかて、そん時の合コンは医者縛りやったんやで?自分医者ちゃうやん」
「んなのいってみなくちゃわかんねーだろ」
「わかるわ。モロバレもエエとこや」
医者に見えなくもねぇだろ?と足を組み直せば「そんな態度の悪い医者はおらへん」と無表情に返された。さすがの俺もお前には言われたくねぇぞ。
「あ、その繋がりいうか、懐かしい子に会うたで」
「アーン?誰だよ」
「この前岳人とジローに呼ばれて居酒屋行ったらそこにちゃんがおってな」
「?」
「あれ?覚えとらん?跡部の"お気に入り"やったやん」
んなの1度聞けばわかる。忘れるわけがないだろう。だが何でそこにがいる?確かあいつは…と考えたところでジローの名前が挙がっていたのを思い出した。
「何だ、あいつらまた付き合いだしたのか?」
「…ちゃうわ。自分どの記憶で止まっとんねん。最初から付きおうてないって何遍言わすつもりや」
「アーン?んなわけねぇだろ。だったら何でジローだけ連絡ができてたんだよ」
「そりゃジローが1番ちゃんの気持ちわかとったからやろ。むしろ好きやったんは自分やいうたやないか」
「"好きだった"だろ?それで結局幸村と付き合いだしたっていってたじゃねぇか」
「…そうやったな。でも、幸村とも卒業と同時に別れたらしいで?」
ま、これは亜子ちゃんから聞いた話やけど。そういって忍足は溜め息を吐いた。メガネ越しにこっちを見て溜息を吐くものだから妙にイラッとくる。
わざととしか思えない仕草に「何か言いたいことがあるならちゃんといえよ」と睨みつけると忍足は呆れた顔で「せやなー」と勿体ぶった。
「俺的には何で"お気に入り"なのにちゃんを手放す気になったのかずっと気になっててな。何でなん?」
「アーン?」
「いくら持て余す程女の子に囲まれとったいうても自分のお気に入りやで?天下の跡部様がそうやすやすと他人に渡すとは思えへんけどなぁ」
「…何が言いたい?」
「ちゃんと何があったん?」
身体を傾け、前のめりに聞いてくる忍足の顔はさっきまでの茶化した顔はフッと消えて真面目な表情で聞いてくる。その問いに跡部は「何もねぇよ」といってグラスを傾けた。
もし俺とに何かあったのならもっと違う形になっていた。うまくいけば付き合っていただろうし悪くなっても友人くらいは続けられただろう。
それが俺と距離をとり始めた頃からジローと一緒にいることが増え、いつしか跡部の預かり知らぬところで2人きりで会うようになっていた。
隠れて付き合いだしたのか?と思うには十分で元々仲のいい2人に周りも特に何も言わなかった。
しかし忍足は俺もその傍観者に入ったことが気に入らなかったらしい。離れた理由を問い詰めたり奪い返したりするくらいするだろうと思ってるんだろうが、それをする必要がない程跡部はの思考を読んでいたのだ。
は跡部に惹かれていたが同時に恐れてもいた。近づきたいと思いながらその手を伸ばすことを躊躇する。そうしてはいけないのだと自ら線を引き自分の殻に閉じこもった。
何故そこまで頑なに考えていたかはわからないが、他に好きな奴もいたというし生真面目な真田の影響で2人を同時に愛するということが自分の倫理に反し罪悪感を感じていたのかもしれない。
俺を選べばそのままそういう関係を築くことになったと思うがは結局ジローを選んだ。
しかし、今考えるとの選択は正しかったのかもしれない、とも思う。
俺は大事だと言いながら他の女にも同じように接していたこと。は"お気に入り"であって"特別"じゃないこと。勿論はだけだがその頃は"代用品"があって俺自身が執着しなかった。
そのどれかしらに気づけば跡部は軽薄な男だ、と思うだろう。だったら近くにいるジローの方が、と思うのは普通の成り行きで。渡瀬とも交流していたとなればどれだけ傲慢で気ままに生きているか懇懇と教え込まれたはずだ。
跡部はそんなことを思いながら傾けたグラスを煽り液体を喉に流し込む。熱くヒリつく喉の感覚に少しむせ返る思いがした。
「はいち早く自分の身分を弁えただけだろ。庶民は庶民らしく普通の幸せでも掴めばいいじゃねぇか」
そういってグラスをテーブルに置くと、溶けた氷が虚しくカラン、と音を立てたのだった。
******
火事の手続きもある程度終えたは早速仕事に戻っていた。先輩達からはもう少し休んでもいいんだよ?とか言われたけどむしろ働いてる方が気が紛れるからいいのだ。
「さん…」
「あ、織田くん。久しぶり!」
お昼になり、いつもより張り切って配膳していると一段と元気の無い声で織田くんが顔を出してきた。いつものように彼の分を用意しようとしたが「少しお話が…」と神妙な顔でいうので少しだけなら、と彼の後に続いた。
非常口に繋がる廊下は食堂と玄関に繋がる廊下からほぼ反対側に位置する。そのお陰でセミの大合唱しか聞こえないし冷房もないので蒸し暑かった。
鼻頭にできた汗を拭いタオルを首に掛けなおすと織田くんがこちらに振り返り切り出した。
「少し、やつれましたね」
「そこは"痩せましたね"っていってほしいところだね」
「では、"痩せて綺麗になりましたね"。できれば胸の辺りは残しておいてほしかったんですが」
「別にそっちは減ってねーよ!」
一言多いっての!いつからそんなセクハラ発言するようになったの!と怒れば織田くんはメガネを反射させたままホッとしたように微笑んだ。
「小耳に挟んだんですがご自宅が火事に遭われたとか…」
「うん、まぁね。といっても燃えたのは隣でうちは半分だけだったけど」
半分で済んだが消火剤が飛び散ってて殆どの家財道具が粗大ゴミになったけど。無残な部屋を思い出し遠い目をすれば織田くんは言いにくそうにメガネを弄ってこちらに向き直した。
「今は誰かの家に泊まられてるんですか?」
「ホテルかな。最初は友達の家に厄介になってたんだけどさすがに長居できないし」
「ですがホテルでは出費がかさむでしょう?」
「仕方ないよ。実家からじゃここは遠いし」
特に芥川家と問題があったわけじゃない。むしろ「うちの子になっちゃえば?」とか冗談を言われるくらいには支障なく過ごしてた。けれどいればいる程申し訳なくなってジロー君達に体のいいことを言って家を飛び出したのだ。
眉を寄せ、何か考え込むようにしている織田くんをぼんやり見つめながら、やっぱりジローくん家を出たのは失敗だったかな、と思う。預金通帳の金額あとどのくらいだっけ?
「でしたら、私の家に泊まられてはいかがでしょうか」
「へ?…何で?」
「実はとても都合がいいことに夏休みが終わるのと同時に私は海外に研修に行かなくてはなりません。その為部屋の管理をどうしようか考えていたのですが、もしよろしければさんにしていただけないかと思いまして」
「え、ええええーっ?確かに都合がいいというかタイミング良すぎだけど、それって普通男友達に頼まない?」
「ええ、それも考えたんですが…生憎それを頼んだら部屋を荒らしてしまいそうな方々ばかりなので」
「どんな友達なのよ、それ」
わからないでもないけど。男の子って無駄に荒らしそう。脳裏に何でか丸井と赤也がパッと浮かんでしまった。
「1LDKで結構広いですし、バスとトイレも別。コンロはIHですがキッチンは広いから気に入ると思いますよ。階も5階なので眺めもそこそこいいですし、変質者の心配もいりません」
「でも、私もその友達みたいに荒らすタイプかもよ?」
「さんら大丈夫ですよ。荒らしても元通りにしてくれるでしょうし。それに触るなと言ったら約束を守ってくれるでしょう?」
「まぁね。開けて変なの見つけても困るしね」
「ですので、いかがですか?今なら公共料金も無料ですが」
「ええっ?!」
なんと!と驚いたら公共料金は引き落としなのだという。なにその高待遇。良すぎて逆に恐ろしいんだけど。
部屋に行ったら白い粉とか生成してないよね?ドア開けたら別世界に来ちゃいました?みたいなことにはならないよね?
「……あー…気持ちは嬉しいんだけど、遠慮するよ。よく考えたら出会ってまだ間もないし、こうやって改まって話すのだって初めてじゃん?そんな人の家に上がり込むわけにはいかないよ」
それに貴重品が置いてない、仕舞ってあるにしてもさすがに信用しすぎである。柳生くんだってもう少し警戒心あるよ、そう思って断れば彼は悲しそうに眉を寄せ「また、頼ってくれないんですね」と小さく呟いた。
「え?」
「さんはもう少し人に頼ることを覚えた方がいいですよ。常にタイミングが合うわけではないのですから」
「…う、うん…」
「"頼るべき相手"にもまだちゃんと話していないのでしょう?」
織田くんの言葉に思わずドキリとした。頼るべき相手。その人物が浮かんで眉を寄せる。そんなを切なそうに見つめる(ような気がした)織田くんは、恐る恐る手を伸ばすとの頭に触れ優しく撫でた。
その手の感触にどこか懐かしく感じていると食堂の方から先輩が呼ぶ声が聞こえ、我に返った。
「、行かないと…」
「さん、」
「…っ」
「さっきの言葉は聞かなかったことにします。ですから夏休みが終わる迄の間、じっくり考えてみてください」
返事をして織田くんに背を向けると手を捕まれ、自然と肩が揺れた。なんだろう、さっきからドクドクと心臓が煩い。なんでもないように緩く手を振り払おうとしたが掴んでる大きな手は握る力を強くしてを引っ張った。
「さんの役に立ちたいんです…ですから」
「わ、わかったよ…ちゃんと考えるから、」
眼鏡の奥にある瞳が見えるくらい接近した距離に思わずそう返してしまった。思ったよりも切れ長でまっすぐ見つめる瞳があまりにも真剣でどうしても断れなかった。
が頷いたのもあってあっさり放された手に安堵と伺うように織田くんを見上げると、彼はにっこり微笑んで「では、また明日」と手を振ったのだった。
裏事情。
2013.10.19
2015.09.10 加筆修正