□ 63a - In the case of him - □
突き刺さるような強い日差しはナリを潜め、薄布を張ったような曇りの昼下がりにはとあるレストランで食事をしていた。勿論1人で寂しく、はなく、2人で食べている。
「まったく。聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ」
「ご心配をおかけしました」
深々と頭を下げれば「とにかく無事でよかった」との頭を優しく撫でてくる。顔を上げれば少しオーバーかもしれないが絵画の1枚になれそうな優美で優しく微笑む幸村がいる。
火事にあった後すぐ電話で話したが会う時間は互いになかなかできなくて日曜の今日になってしまった。本当は今日も子供達と練習があったはずなのに休んでくれたのだ。申し訳ないな、と思っていたら「大変な目にあったんだからそんな顔しなくていい」と見透かされたように返された。
「でもまさか今住んでるところがあの榊監督の部屋のひとつとはね」
「本当。何があるかわからないよ」
「まったくだ。それで、どう?高級マンションの住み心地は」
「未だにビクビクしてるよ。自分の荷物が違和感あり過ぎてクローゼットに全部押し込んであるし、変に汚さないように毎日掃除してる」
「フフ、いいことだ。それならいつ遊びに行っても問題なさそうだな」
「是非来るといいよ。すっごいいい眺めだから」
「…勿論泊めてくれるんだろ?」
「その時は幸村は榊さんのベッドで寝てね」
幸村の泊まる発言に思わずうっとしたが平然と装って返した。付き合ってる頃ならまだしも今はどう受け取っていのか非常に困る。嫌でないだけに余計にだ。
「2部屋もあるのか。さすが榊監督だね」と肩を竦める幸村には人知れず溜め息を吐いた。
住んでみてわかったことだが広いからといって住み心地がいいとは限らないと思った。勿論インテリアも落ち着いてて榊さんの趣味にピッタリだしベッドの寝心地も最高なのだけど勉強するにはいまいち落ち着かなかった。
それで最初は図書館に行ったりファミレスとかで勉強してたんだけど今は2階にある榊さんの書斎を借りているところだ。あそこは狭くて本も豊富で落ち着くのだ。それに気がついて私って結構貧乏性なのかもしれない、と思ったのは秘密だ。
「その繋がりで今のバイト先も見つけたんだろ?」
「うん。夏休み終わっちゃったから時間が空くだろ?ていわれて」
「イタリアンだっけ?」
「そうそう。キッチンメインで空いたらホールスタッフやってる」
やり甲斐があって楽しいよ、と笑えば幸村も嬉しそうに頷いてくれた。
それからレストランを出て街をブラブラした達は、軽く夕飯を食べて駅に向かう。隣を歩く幸村を見てなんだかあの頃みたいだな、と内心ドキドキした。
スっと伸びた姿勢と大人になっても変わらない端正な横顔になんとなく見惚れてしまう。
中学生の頃は曖昧にしか考えてなかったけど、今は生きてて良かったと心の底から思う。こんな人失ったら勿体ないよ。
そんなことを考えながら歩いてたせいか、駅に近づくにつれどんどん寂しい気持ちになる。甘えさせてくれる人だってわかってるから余計に昔を思い出してしまうのかもしれない。
振り返った幸村に慌てて取り繕えば彼は困ったように笑っての頬を摘んだ。
「ぅむっ」
「そんなに寂しいなら"泊まっていって"ていえばいいのに」
「……明日仕事じゃん」
「それはもだろ」
「……」
「そういう顔されると帰りたくなくなるんだけど」
眉を寄せ、幸村を見上げれば彼は少し意地悪そうな顔で頬を緩く引っ張ってくる。口外に誘ってくれたら泊まってあげてもいいけど?と言われた気がして益々眉が寄る。さすがにそこまでいえませんがな。
「そういえば、他にも何かあっただろ」
「え?」
内心ギクリとして幸村を伺うと「会った時そういう顔してたから」と返された。幸村と話してる内になくなったらしいがそう見えたらしい。図星である。
なんでもお見通しだな、と肩を竦めれば「だけだよ」と摘んだ頬を離した。
「もしかして仁王のこと?」
「…何でそこで仁王の名前が出るの?」
あいつとは高校卒業してから1度も会ってませんよ。心底不思議がって聞けば幸村は少し考えた素振りを見せたがすぐいつもの笑みに戻して「ならいんだ。忘れてくれ」と微笑んだのだった。一体なんなんだろう。
幸村と別れ、なんとなく寂しい気持ちを引き摺りながらマンションに戻ったは自分の階で下りるとドアノブに何かかかってることに気がついた。
近づき見てみれば紙袋で、袋の中身を覗いてみたら紙袋と同じロゴマークがついたブランドのお菓子がメッセージカードと一緒に入っていた。ここは自分の部屋で良かったっけ?と無駄な確認をしたがこうされることに身に覚えがあるは紙袋の中からカードを取り出した。
「……マメだなぁ…」
メッセージの文面は案の定、薬のお礼とお菓子はドアを蹴ったお詫びも含んでるらしい。メッセージカードの1番下には部屋番号と苗字が書いてあって嫌でも目に付いた。
跡部なんて他に誰も思いつかないよな。
もう一度袋の中身を見て目を細めたは明日職場に持っていこうかな、と思い紙袋を手にとった。
部屋に入っておもむろにテレビをつけるとニュースが始まっていて、適当に流しながらダラダラしていると話題の跡部さんになり、思わずじっと見つめてしまった。
恋人との関係を言及されて『あくまで友人だと』返していたが恋人の方はそれらしい言葉をほのめかしていて変な温度差を感じた。その間、婚約者である峯岸さんは公に顔を出していないのか過去の映像しか流れなかった。
スタジオのコメンテーターの話を聞いても特に納得するものはなくて「変なの」と零したはテレビを消すとリモコンをぽいっと捨てた。
その方向には先程までドアノブにかかっていた紙袋があって、なんとなく眉が寄る。こんなことする前にもっと優しくするべき人がいるでしょうに。
そう思うけれど、それでもちゃんと薬貰ったことを覚えててお礼をしてくれるんだから跡部さんのいいところはそれなりに健在なのだろう、とも思った。
冷たいのか優しいのか全くわからなくては紙袋に背を向けるように視線を外した。
幸村が見透かしたのはそういう部分だとわかっていたは何とも言えない気分で溜め息を吐いた。
「…私には関係ない」
ソファにごろりと横になると携帯が震え、メールが届いたことを知らせてきた。誰だろ、と開いてみれば『今日は楽しかった。また会いに行くよ』とあって、思わず口元が綻んだ。
こういうとこ、変わんないな、と思いつつ『うん。待ってる』と返信して、ソファから勢いよく立ち上がったはバスルームに向かったのだった。
******
その日は朝から憂鬱な雨での心と同じくらいどんよりしていた。バイト中だというのに全然元気が出ない。
「さん。溜め息ばっかり吐いてどうかしたの?」
「あ、いえ。ちょっと…」
無意識に溜め息が漏れ出たのか先輩が心配げに声をかけてくれた。その声に我に返って「火事のことで昨日従兄に散々しぼられまして」とカラ笑いを浮かべれば首を傾げられた。
多分、何で親じゃなくて従兄なんだろうって思ってるんだろう。その反応は正しいです。
幸村に引き続き、弦一郎が昨日突然やってきたのだ。が休みの日を狙ったらしいがまさか家にまで押しかけられるとは思わなかった。入ったら入ったで正座で2時間の説教とか懐かしいことをされて散々な目に遭ったのはいうまでもない。
簡潔に言えば、心配してる弦一郎に1番最後に火事に遭ったことが伝わったのと、今の部屋に住む話も荷物の受け取りも手続き云々の何もかも連絡しないまま勝手に済ましてしまったことに腹が立ったらしい。しかもどこで漏れたのか手塚くんが手伝ったと聞いて更に油を注いでしまったんだろう。
最初に連絡をすればここまで怒られずに済んだのだけど、怒られる、ないし実家に強制連行の恐れがあるのにわざわざ連絡する奴もそういないと思うんだよね。…まぁそのせいでこうなったのだけど。
奴の説教を甘んじて受けたがお陰で心はボロボロです。
「た、大変だったね…」
「ええまあ。でも、最後は何かあったら連絡しろっていってくれたんで…」
溜まりに溜まった鬱憤を発散できて満足げに帰っていく背中を見送りながら、早く子離れしてくんないかな、と思ったのは内緒である。
引き気味に聞いていた先輩が「ま、まあ、怪我しないように仕事しようか」と切り出したのでも気を取り直して仕事を再開させた。
今日は昼のランチの時間に入っていたので種類よりも数がやたらと多かった。平日なのに流石だ、と思いながら手を動かしているとマネージャーに呼ばれ続きを近くにいた先輩にお願いしてキッチンを出た。
聞けば個室でを呼んでる人物がいるらしい。個室ということはランチを食べているんだろう。もしかして料理で不備があったとか?いやでも盛りつけくらいで殆ど料理に手を出してないし、と思っていると個室は個室でもディナーの時に開放している所謂パーティールームの方へと通された。
「やあ来たね」
挨拶をして入れば大きな窓と広めのスペースにどーん!と大きなテーブルがあるが座っているのは2人だけだ。その片方が振り返り、朗らかに笑って手を挙げるのはこのレストランのオーナーだ。それだけなら然程驚きもしなかったが奥にいる人物には自分でもわかるくらい顔が引き攣る。
あの傲慢とも見える座り方といい、挑発的な視線、ついでに泣きボクロまである。
紛れもない、跡部さんだ。
「知ってると思うけどこちら跡部財閥の景吾くんだ。それからこっちが先程話したさん」
おいいいっオーナー!何私の話してんですかーっ!!
今度こそぎょっとした顔でオーナーを見ると彼は人が良さそうな顔で笑って「こんな機会滅多にないんだから挨拶しておきなさい」と世話好きなおばちゃん並に急かしてくる。
どうやら、オーナーと跡部さんは中学時代から付き合いがあったらしい。道理で妙に榊さんと繋がりあったり和気藹々と話すと思ったよ。世間って狭くて恐ろしいんですね。
もしかして今後の人生、ずっと関わっていかなくちゃなんないのか?と内心ゾッとしていると向けられる視線にハッとした。あ、跡部さんがこっちを見てる。いや、さっきから見られてるのはわかってたんだけど立ち上がったオーナーの影に隠れてたから目までは合わなかったんだよね。
じっと見つめてくる視線にダラダラと嫌な汗をかいていたが、相手はを覚えているのかいないのか、特にこれといったリアクションはなかった。
オーナーにも特にテニスの話はしてないし多分あっちもが中学高校時代にマネージャーをしていたなど覚えていないだろう。他校だったし特に目立ったことしてないしね。
もしかしてここで『お久しぶりです』とかいいだしたらオーナーが恥をかくんだろうか?だから跡部さんも何もいわないのか?それくらいで目くじらは立てない人だと思うけどここは話を合わせた方がいいのかもしれないな。
「………」
「………」
き、気まずい…!ど、どうしよう。にっこり笑ってみたけど緊張で頬が震えてる。めっちゃ不細工な顔になってるんじゃないだろうか。ど、どうする?お久しぶりです?跡部さんお元気でしたか?
でも『アーン?誰だテメェ』っていわれたら瞬時に心が死ぬんだけど。
「あ……えと、その、……………は、初めまして?です」
知ってる人間に初めまして、なんて妙な気分だな、と思ったが跡部さんは報道に向けるような100%愛想笑いを浮かべて「跡部です。よろしく」と立ち上がり握手を求めてきた。
スッゲー。こんな純度100%な社交辞令初めて見たんですけど。目、全然笑ってないんですけど。
一切暖かみ感じないわ、と内心零しながら握手すればなんとも宜しくする気がない握力で握り返された。やっぱり私のことなど忘れてしまったらしい。
期待しないようにしていたがマンションで会ったのも出てこないみたいだし特に印象もなかったんだろう。
なーんだ、とガッカリした気持ちで呼び出された詳細を聞くと、どうやら秋に中高生を対象にテニスの強化合宿をするらしく、それで跡部さんと自分が呼び出されたらしい。
今年は豊作だから後押しがしたいんだと意気込むオーナーに跡部さんは愛想笑いではない笑みを浮かべた。
「景吾くんの時代なんか黄金期だったね」
「それでも、残ったのは数少ないですがね」
「それで世界ランクに食い込めるんだから私にとっちゃ願ったり叶ったりだよ」
跡部くんも続けていれば間違いなく世界ランクの1桁になれたよ、と褒めそやすオーナーにベタ惚れなんだなーと思った。「そんなことないですよ」と謙遜する跡部さんも満更じゃない顔だ。
「景吾くんが参加できるのは数少ないだろうけど、今日君が入ってるって聞いたから会わせておこうと思ってね。よろしく頼むよ」
「いえ、こちらこそよろしく、お願いします…」
オーナーの心遣いは嬉しかったが、正直迷惑です。とはいえずはそれこそ愛想笑いを浮かべ笑うしかなかった。どうしよう、合宿私も行くのかな?嫌だなぁ。
再会。
2013.10.22
2015.09.10 加筆修正