You know what?




□ 65a - In the case of him - □




イライラする。それは日増しに強くなっていくばかりだ。

記憶とは厄介だ。なまじ覚えがいいとその誤差がよく見えてしまってそのことにつまづき苛立ちに変わる。そんな感情はとうの昔に置いてきたものだと思っていた。普段なら簡単に割り切れるものが残り火のようにちりちりと静かに、でも確かに燃え残っていて跡部を悩ませていた。


「今回の合宿は意外続きですね」

後輩のガキ共を消灯時間だと寝かしつけ、自分も仕事を終わらせるべく持ってきていたタブレットとパソコンで事務処理をしていると同じようにパソコンを打ち込んでいた観月が休憩とばかりに丸めていた背を伸ばし、ソファの背もたれに身体を沈めた。

ここはコーチや監督などが憩う談話室で後輩達はいない。また仕事をしてる俺達を気遣ってか、時間が時間のせいか跡部達以外誰もいなかった。
静かな空間にチラリと視線を上げ観月を見やるとティーカップを手にした彼は静かに冷めた液体を飲み込んだ。


「いいデータでも取れたのかよ」
「ええ。参加してる彼ら全員…中高共にいい数字を出していますね。成長の伸びも早い」
「そうか」
「きっと時間を持て余しているコーチのお陰ですね」

キーを打ち込みながら跡部は下げた視線をまた彼に向けた。
出会った時からこいつは何かと挑発的なことをいうクセがあったが(というか俺の世代である程度実力がある選手はみんなこんな感じだったが)、イライラが連日加算されてる今の跡部には妙に引っかかった。

いつもなら些細で無視することも適当に切り返すこともできるはずなのに、苛つく言葉に「どういう意味だ」と挑発に乗ってしまった。


「忙しいのでしたら適当なところで切り上げて帰ってもいいんですよ?」
「アーン?そんなこといって困るのはテメーじゃねぇのか?俺の指導のお陰であいつらの実力が引き出されてんだろ?」

その俺をみすみす帰していいのかよ、と言い返せば観月はいつものスタイルで指先に髪を絡めると「んふ」と笑みを浮かべ顔ごとこちらに向いた。

「そもそも今回の合宿は"あくまで顔見せ程度"といっていたじゃないですか」
「……気が変わったんだよ」



少しは見込みがある奴もいたしな。と言い返せば「おや。貴方の口からそんな言葉が出るなんて珍しい」と心底驚いた声を出したが、顔を見れば探るような目つきでジロジロと見つめてくる。

「でなきゃテメーもしゃしゃり出てこねーだろうがよ」
「僕は母校の監督もしていますからね。参加するのは当たり前のことですよ。ですが貴方の場合は仕事の合間を縫っての参加だ。それにここ数ヶ月は煩い"ハエ"も飛んでますし…できることなら害虫は寄せ付けないでほしいんですがね」
「わざとじゃねぇし、外にいる奴らの勝手だ」
「そうでしょうとも。彼らがここに入れないことをいいことに、ここを隠れ蓑にしてるんですから。それも貴方の"勝手"ですよね」
「……」

吹雪でも吹きそうな冷たい笑みに跡部は素知らぬ顔で視線を逸らした。外にワイドショー関連のカメラがウロウロしてるのを知らないわけじゃない。だがテニスをしてる時くらいは面倒な世俗から離れたかっただけだ。

情報もここへのルートも隠して来たはずなのによく嗅ぎつけるな、と半ば感心しながらも溜息を吐くと「溜息を吐きたいのはこっちですよ」と観月に呆れられた。


「跡部くんことですから心配ないと思いますが、彼らの練習の妨げにならないでくださいよ」
「ああ、わかってる。昨日から目ぼしいところに監視カメラとSPを置いたからそう簡単には侵入できないだろうぜ」

どこからか漏れて俺がここにいるとばれてるならもう隠す必要もねぇだろ、という処置だった。開き直った跡部に観月は顎に手を当てたまま「そうですか」と頷くと、近くにあったティーポットを手に取り紅茶を注いだ。それも冷めてるのか観月は少しだけ眉を寄せた。


「今回は意外の連続ですね。合宿参加者の士気が高まり、上達も僕の計算以上に早いんですから。それに、跡部くんまで率先して練習に取り組んでいただけるなんて……これもさんのお陰、ですかね」
「…何でそこでが出てくるんだよ」
「おや。気づいてませんか?合宿参加者の大半はさんを意識してるんですよ」

ふと漏れ出たの名前に反応すれば観月はニヤリと口元を吊り上げた。その顔に無意識に眉が寄る。



「技術的なレベルアップは僕や跡部くんの成果ですが、意識の底上げは彼女の存在なんですよ」
「……」
「不思議ですよね。各校に男女の違いはあれど同じようにマネージャーがいたはずなのに、殺伐とせず個々としてもチームとしても意識が高まってるんですから」

僕がマネージャーの時だってこうはならなかったのに。と零す観月にお前の場合、恐怖政治で団欒なんかできる余裕なかっただろうが。と思ったが口にはしなかった。


「…高嶺の花には程遠いがな」
「んふ。確かにアイドルというよりはマスコットですからね。ですが彼らにとっては自分達を勝利に導く女神に見えているかもしれません」

ティーカップをソーサーに置いた観月は琥珀の液体を眺めながら薄く笑みを作った。その液体にでも写ってるのか?と思ったがすぐに違うとわかる。コイツの場合、自分の後輩達が写っているんだろう。


「正直チーム内での色恋沙汰はご免こうむりたいと思っていたんですが、考えを改めましてね」
「……」
さんが道を外すなんてありえませんし、レベルが上がるならこれはこれで美味しいと思いまして」
「いや、その前にあいつらの方が問題じゃねぇのか?」

思春期の男を放っておいたらそれこそ大問題を引きおこさねぇか?と観月を見れば彼はきょとんと目を丸くした後なんともいえない顔で微笑み「大丈夫ですよ」と首を振った。

「その辺の匙加減はするつもりですし、殆どが告白にすら至らないでしょうから」
「…期間が短いからか?」
「というよりも、そういった経験が乏しいんですよ。彼らは」

惹かれてもその感情をどう表現したらいいのかわからないような、そんな初心な子供達ばかりなんです。
観月の言葉にそうなのか?と疑問に思ったが、愚問だったなと思い直した。しかし、あの年でどうしたらいいのかわからねぇってありえるのか?



「…本当に告白とか、襲ったりとかするあぶねー奴はいねぇんだろうな?」
「少なくともルドルフにはいないですよ。……何です?気になるんですか?」
「気になるっつーか、あいつらはテニス以外のことはしてるのかよ?」
「……正直に言えば、してないでしょうね。まあ勉強は成績…しいては部活に繋がりますから嫌でもしてるでしょうが、テニスは僕が制限をつけないと倒れるまで練習する子達ばかりですよ」

そんな子達が年上の女性に淡い恋を抱いたところで、どうにかできるわけないじゃないですか。そういって観月は苦笑交じりに自分の後輩達の初心さを話して「まったく、困ったものです」と零した。

確かに会話もろくに成立できないとかはかなり問題があるな。試しにパーティーや合コンを用意してやろうか?といってやれば「およそ必要も行ったこともないのによく"合コン"を知っていましたね」と驚かれた。そのくらいは誰だって知ってるだろ。確かに行ったことはねぇが。


「その辺は必要ないと思います。欲しいと思ったら自ら動くでしょうから」
「動かねーからこういう事態になってんじゃねーのか?」
「乗り気でないものを連れて行っても無駄に傷つけるだけですから。興味を持ったら考えますよ」
「その"興味"ってのが、なのか?」

観月としてはあくまで自発的に動くことを願っているらしい。そういう構えだからいつまで経っても重い腰があがらないと跡部は考えるが彼の言葉を聞く限り時期尚早なのだろう。

だが、きっかけがあの""なのかと思うと妙に腑に落ちなかった。


「……」
「そんなにあの子達がさんに恋するのが許せませんか?」

眉間に皺が出来てますよ。と紫地に赤いバラを散りばめたシャツを纏った観月が可笑しそうに微笑んだが跡部はそれを鼻で笑うこともできなかった。

どちらかといえば不快さが胸に巣食っていて気分が悪かった。
別にガキが恋をしようが、観月が放置しようが大したことじゃない。恋自体はいい経験だし必要なことだ。そして恋愛にのめりこめば置いていかれるし、合宿が終われば簡単に冷める気持ちもあるだろう。



だが、その相手がなのかと思うとどうにも落ち着かなかった。
あいつに一目惚れしたのか?とかそんな目で見てるのか?とか考え出したらきりがない。コート脇の死角で告白ないし襲われたらじゃ対抗なんてできやしない。

あいつは押しに弱いし、大人でもあいつらに比べたらか弱い女性なんだ。そう考えるとやきもきして落ち着かなくなる。その落ち着きのない自分に、何をやってるんだ?とつっこみ愕然としているから忙しない。相手は俺を初対面と嘘をついて遠巻きにしてる女なのに。


「実は跡部くんもさんが気になって自宅に帰らないんじゃないんですか?」
「は?!…っんなわけねーだろ…」

むしろカモフラージュは外にいる取材陣なのでは?と指摘する観月に跡部は思わず大声を上げてしまった。ああ、間違ってデータ消しちまったじゃねぇか。…たいして書類作ってねぇからいいけどよ。

「俺はテニスをしてーから残ったまでだ。日頃運動してるっつっても全国行ってる奴らを指導するには使ってねぇ筋肉が多いんだよ。それを解すのに最初から参加してるだけだ」
「んふ。丁寧に言い訳しなくてもわかってますよ。むしろそこまでいわれると疑われますよ?」


にこやかな顔でティーカップを手にしたままこちらを見てくる観月に、跡部は乗せられて口走ってしまった感が拭えず内心舌打ちをした。さっきから頭痛が酷くて思考が定まらねぇ。それこそ言い訳にしか聞こえないが再発した痛みに思わず顔が歪んだ。

「どちらにせよ、学生の時期は1度きりですから。どの選択をしても悔いがないものにしてほしいと、そう思ってるんですよ」

そう思うのは僕が年をとったせいかもしれませんが。と笑う観月の目は真っ暗な窓に向いていて、その横顔が少し愁いを帯びてるように見えた。



******



マジかよ。
次の日コートに立ち跡部はそう思った。

台風の予報は奇しくも外れて今日も綺麗に晴れた空の下で跡部は溜息を吐いた。ガキ共が色気づきやがって…と思ったのはいうまでもない。

昨晩観月に言われて気にして見てみればイワシの群れのような目がを追いかける追いかける。おいおい。これで本当に実力あがんのかよ?むしろ落ちるんじゃねーのか?と不安に思ったが数字は一応上がっているらしい。

確かにコートに入ればを気にする素振りはあるものの練習自体には集中してるようにも見えた。打ち上げた取りにくいボールにも食らいつくし、粘りも最初より長くなっている。そして。


「頑張れ羽柴くーん!その調子だぞ相川くーん!」
「「ハイっス!!」」

同時に出た気合の入った声に視線をやれば青学のガキ共が打ち合ってるコートにぶつかり、そこにもいて応援しているところだった。
手を振り走っていくに手を振り返す後輩達を見て跡部は目が一段と細くなったのを感じた。何鼻の下伸ばしてんだよ。あんのガキ共色気づきやがって…!!

つーか、他の奴らも一緒になって「さん!俺も俺も!!何かいって!」、「ちゃん!俺にも!」なんていってやがる。ナメてんのか。

威厳もへったくれもねーな!とこめかみに血管が浮くのと一緒に頭痛がしてきた跡部は「テメーら!ダラダラしてんじゃねぇ!メニュー増やすぞ!!」と浮かれる後輩達にゲキを飛ばしてやった。まったく、先が思いやられるぜ。



「そういえば1つ伺いたかったんですが、跡部くんはさんを"知って"ますよね?」

へらへらと腑抜けた顔をしてる後輩共を片っ端から打ちのめしてやり、一段落したところでコートの端に寄ると観月がやってきてそんなことをのたまった。その言葉に何を今更、と思ったが自分が最初にいった言葉を思い出し向けていた視線を逸らして息をついた。

「…まぁな」
「だと思いました。何故互いが知らないことになってるんですか?」
「知らねぇよ。が言い出したことだ」

そういって跡部は眉間にシワを作った。こっちが聞きたいくらいだ。


あの時、がオーナーに気遣い俺と初対面のフリをしたのは何となくわかった。だが実際のところその判断が正しいかといわれれば微妙なところだろう。俺が話す可能性もあるしあのオーナーは幸村や真田のことも高く評価していたんだ。情報はどこからでも漏れるはず。

むしろオーナーがを覚えていないことに驚いたが、あの時代は選手だけでも大勢いたのとまさか立海のマネージャーが自分の店で働いてるとは思ってもみなかったんだろう。

そしてで過去のことは色々と隠したいらしい。


『は、初めまして。です』

と面と向かって再会するのはあれが初めてだった。数年ぶりに見るはダブるようにあどけなさが残っていて、でも火事に遭った後のせいか苦労が少なからず滲み出ていた。

そして他人行儀に笑う口元と、拒絶するように逸らされた瞳に、こいつは本当にあのか?とガラにもなく動揺してしまった。
俺が記憶してるは不器用ながらも努力家で感受性が豊かでよく笑う女だった。少し子供染みてるところもあったがそこが可愛らしい部分でもあったのだ。


しかし、そういった部分がナリを潜め、社交辞令的にあしらわれた跡部は少なからずショックを受けたのはいうまでもない。お陰でろくに話しかけられなかったし動揺して適当な返ししかできなかった。
と会話をして1度も目が合わなかった、なんてことは初めてだった。



「…1度よく話あったらいかがです?」
「アーン?」
「お互い、行き違いなことがあったんでしょう?ならその誤解を解いた方がいいと思いますがね」

社会に出て良くも悪くも自分を改めてしまったのかと最初こそ思ったが、後輩達への態度を見るとそうでもないらしく日増しに跡部を困惑させ苛立ちを募らせている。
つーか、元々キッチン要員で呼んだんだからマネージャーなんてさせなくてもいいんじゃねぇか?

「俺としては、この鼻の下を伸ばしてる色ガキ共を何とかする方が先決だと思うがな」
「そこまで目くじらたてて見張らなくても良いと思いますよ。むしろ微笑ましいじゃないですか」

やはりさんが気になってるんじゃないんですか?と揶揄する観月に跡部はギクリとして腕を組んだ。

確かに、他人の恋事情に首を突っ込む必要はない。道を指し示すのは指導者の役目だがかまけて道に留まるのは本人の自由だ。それこそ思想の押し付けだな、と思って跡部は苦い顔をすると笑みを作ったままの観月が「まるで」と付け加えた。


「跡部くんはさんの保護者か"恋人"のようですね」
「こっ?!……バカいってんじゃねーよ」

"恋人"のところだけ妙に強調された気がして一瞬動揺したがすぐに気を取り直して視線を逸らした。つーか何俺も一緒になってガキみたいな反応してんだよ。もうとっくに成人した、経験豊富な大人なんだぞ。落ち着け。


「…っ」
「大丈夫ですか?」
「ああ。いつもの偏頭痛だ」

ズキリとした痛みに顔をしかめれば観月が「働きすぎですよ」といってに薬を持ってこさせようか?と提案してくる。…、と顔を思い浮かべると苛立ちと一緒に痛みが走った。チクショウ。観月の奴、わざと名前を出してきたな。余計なことを考えさせやがって。

面倒事が終わってやっと頭痛がなくなったと思ってたのに、全然治らねぇ。というか治る気がしねぇ。



「…必要ねぇ。テニスでもしてれば治るだろうよ」
「そんな非科学的な…やけになって倒れないでくださいよ」

頭を振って痛みを散らした跡部は寄りかかっていたフェンスから背を離すとコートに足を踏み入れた。出入り口の方でが慌しく走ってる姿が見えたが、頼る気は毛頭なくて。
跡部はそのままラケットを構え、相手コートに後輩を呼ぶと黄色いボールを思いきり打ち込んでやるのだった。




跡部さま。
2013.10.26
2015.09.10 加筆修正