□ 68a - In the case of him - □
人は飽きやすい生き物だ。散々世間を騒がせていた跡部さんの泥沼3角関係も新しい情報が出てこなければみんな興味をなくしていく。見る人がいなければ取り上げる人も減って騒ぐ人も見なくなってとうとう他の話題乗っ取られた。
それはそうだろう。みんな日々生きていて時間が流れていくんだ。情報は随時更新され変わっていく。
変わっていくけどなんともいえない気分にはなった。仮にも相手は同じ人間で、プライバシーがあって、思想があるのに。自分がよく(多分)知ってる人だから余計にそう思ってしまった。関係ないってわかってるのにね。
そんなことを考えていたせいだろうか、ワイドショーから彼の姿が消えてやっと静かになった頃、事件は起こった。
合宿もとりあえず終わって(何でか夏の時よりも子供達に寂しがられた)やっと跡部さんから解放されただったが、その後、何故か彼と遭遇することが増えたのだ。いや、遭遇といっても鉢合わせではない。が見かけるだけだが、これ程心臓に悪いものはないだろう。
ある時はマンションのロビーで、ある時はマンションの玄関口ですれ違ったり後ろ姿を見たりしたがパパラッチ予防なのか足早に去っていくので挨拶も出来ていない。
まあにとっては願ったり叶ったりなのだが、すれ違う度に屈強なボディーガードを従えていたり(樺地くんじゃなくて残念だった)、明らかに前の彼女っぽい人に追いかけられたりしてた(前カノはエレベーターまでついてったけど追い返されてたな)。
そんな日が何日か続いていては言い知れぬ何かを感じ始めていた。
今日の仕事も終わり、挨拶をして外に出ると店の前で佇む影を見つけた。の角度からは後ろ姿しか見えないが外灯に照らされた立ち姿で直感的に察知した。何でここにいるんだ。
ぐっと眉を寄せると物音を立てないようになるべく距離をとって通り過ぎようとした。
そういえば、合宿最終日、みんなから散々『跡部コーチには気をつけてください!』ていわれたなぁ。彼らにそうならないように念を送っといて!てお願いしたけど、どうやら裏目に出たらしい。
「おい、」
「……」
「おいって呼んでるだろうが」
「……」
「俺を無視するとはいい度胸じゃねぇか…!」
「……ぐえっ!」
スタスタと聞こえないフリをして競歩よろしくな感じで歩いたが足の長さが違うのか彼はさっさと追いついての襟首を掴み首を絞めた。あまりの衝撃に酷い声が漏れた。殺す気ですか!
襟首を掴まれたまま向かい合うように向きを変えられると嫌でも相手の顔が見て取れる。
「…ああ、跡部さんでしたか」
「テメー俺だとわかって逃げただろ?アーン?」
「いえ、てっきり追い剥ぎかと」
「誰がテメーの財布なんか欲しがるかよ」
勿論冗談ですとも。
逃げられなかったことに内心チッと舌打ちをしながら「一体どんなご用件で?」と愛想笑いを浮かべれば跡部さんは眉間のシワを深くした。ていうか、何でこの人ここにいるんだろ?…迷子ってわけじゃないよね?まさか(笑)。
何か悩むように視線を逸らす彼になんだろう、と黙って見ていると鋭い眼光がを写した。
「腹が減った、飯を作れ」
「はい?」
「だから、俺様の夕飯を作れっていってんだよ」
「え、嫌ですよ」
ただの腹減り?!あまりにも予想外な言葉に驚いたが、言葉は心底跡部さんと関わりたくないって思ってるせいか本音が出てしまった。いってしまった言葉にヤバイと焦ったがどうしようもない。眼光鋭く睨みつける目の前の王様もどうしようもない。
だって跡部さん私を困らせて喜んでる節があるんだもん。前はなかったから対応に困るんだよ。めんどくさいじゃん。ていうか22時過ぎてんのになんでどこかのお店で食べてこないんですか。金欠なんですか?あーそうですよね。そんなわけありませんよね。愚問でした。
「とにかく、腹減ってるんだよ。何か作れ」
「えええー…でも…わわ!ちょっと引っ張らないでくださいよ!」
服が伸びる!と反抗したが跡部さんはちっとも聞いてくれなくてあれよあれよという間にマンションにつき、ついには跡部さんの部屋に連れ込まれた。私、無事帰れるんだろうか。
「あの、私、人様にご飯作ろうとしたらかゆいかゆい病にかかってしまうんですが」
「合宿の時は作れただろ。嘘つくな」
「(チッ乗ってもくれないか。わかってたけど)……何作ればいいんですか」
「何でもいい」
「(そういうのが1番困るんですけどね!)…わかりました。じゃあ冷蔵庫見せてくださいね」
「?見てどうすんだよ」
「見なきゃ何が作れるかわからないじゃないですか………って。あの、何で冷蔵庫の中何もないんですか?」
仕方なく豪華な冷蔵庫を開けたら中身は水とお酒とチーズと頭痛薬しか入ってなかった。薬の入れ場所ここじゃないです跡部さん。冷凍室も氷くらいで食べ物らしい食べ物がなく「出前とったらどうですか?」と進言したが却下された。我侭め。
「……おい、どこに行く。まだ帰すとはいってねぇぞ」
「家に作り置きがあったから、それ持ってくるだけですよ」
ハァ、と溜め息を吐いたは玄関に向かうとドアのところで手を捕まれた。振り返れば不機嫌な顔の跡部さんが睨んでたけどはそれを無視して彼の手を振り払いドアを開けた。
程なくして鍋やパンを持ってきたは全然使われてない最新式のレンジでトーストにかけ鍋を温め直した。
「…早かったな」
「部屋が隣なんで」
匂いに引き寄せられたのかキッチンを覗き込む跡部さんに適当に返すと彼は大きく目を瞬かせていた。今更気づいたらしい。「お前だったのか…」と零す彼に肩を落とすとパンの焼けた匂いがした。
「残り物なので味の保証はしません。それでよろしければどうぞ」
「…ボルシチか」
テーブルに並べて跡部さんを座らせるとそんなこと返された。はというと居心地悪いとは思いつつも跡部さんの前に座って飲み物を煽った。手塚くんに披露した時はこんなに緊張しなかったんだけどな。やっぱ相手があの跡部さんだからだろうか。
幸村と一緒に食べたロシア料理が美味しくて自分でも作れないかなと思って試してみたんだけど悪くはなかったと思う。跡部さんの舌に合うかはわからないけど。
そう思いながらチラチラと跡部さんを見ていたらとても綺麗な食べ方でボルシチを食べていく。パンも普通ならボロボロと破片が落ちてしまうのに彼のテーブルは綺麗なままだ。スゲー。
「…何だ?」
「イエ、ナンデモナイデス」
ぼんやり見ていたら視線に気がついたのか跡部さんが顔を上げバチッと目があった。急いで視線を逸らしたが心臓は慌ただしく鳴り響いていく。目があったくらいで何動揺してるんだ私。
「ひとつ聞きたいんだが」
「…何ですか?」
「何でここで会ってたのに、"初めまして"なんていったんだよ」
「?……ああ。そういわないとオーナーがビックリすると思って」
しがない、一介の庶民女と跡部財閥の御曹司が知り合いって変じゃないですか。それにあそこで『あの時はどうも』なんていわれたら跡部さんだってビビるだろう。自分はいたかもしれない、架空の人間なんだから。
「それに、そっちだって頭痛酷くてろくに私の顔覚えてなかったじゃないですか」
「……」
ホラ、跡部さんは覚えちゃいない。「折角薬あげたのに傷つくなぁ」と思ってもいない軽口をたたく。ささやかな仕返しだ。極力自分も跡部さんを見ないようにしてたから覚えてても顔が一致するか怪しいところなのに。
グラスの氷を回しながら自分も嫌な女だね、と氷をつつくとカランと冷たい音が鳴った。
「別に忘れてたわけじゃねぇ」
「そうですね。お礼のお菓子美味しかったですし」
その節はありがとうございました。と一応礼儀正しく、社交辞令的に頭を下げれば、跡部さんはそういうことじゃない、といわんばかりの顔をした。が、それ以上追求せず食事を再開させたので、もまた何も言わず、食器の音だけが静かに響いた。
******
久しぶりの休日だったので洗濯やら日課になった掃除をしてゆっくりしているとピンポンと音が鳴った。その音に誰だ?訪問販売か何かか?と思ったがその音はどうやらドアホンらしい。
え、一体誰?と恐る恐る覗き穴を覗いてみたら「おい、いるのはわかってんだぞ!」と借金の取立てみたいなことをいわれた。先日の食事について文句でもいうつもりなんだろうか。
「…あの、近所迷惑なのでやめていただけませんか?」
少なくともここの持ち主の榊さんに迷惑がかかるので。ドアガードをしっかりつけて開ければ「遅ぇーんだよ」と何故か怒られた。
「…一体、何の御用ですか?(本当に一体何の用なんだ)」
「飯を作ってくれ」
「はい?」
「腹が減ってるんだ。何でもいい。何か食わせてくれ」
この人は何を言ってるんだろうか。お腹をさする姿に思わず呆気にとられたが彼はドアを開けろと即してくる。いやいや開けませんよ?
「あの、確かにこの前の合宿でお世話になりましたけどそれだけですし、普通隣だからといってご飯を作れというのは失礼じゃないですか?」
「…ハッだったら金を渡せばいいのかよ」
「でしたらお店で食べてください」
そんなお金いりません。とドアを閉めようとしたら本当に借金取りたてのヤ〇ザみたいにドアに足を挟み込み妨害してきた。
「…っあの!警察呼びますよ!」
流石にこれはやりすぎだ、と彼を睨むと泣きぼくろの彼は「待てっつってんだろ!」とちょっと慌てたように制してきた。
「親子丼、」
「は?」
「親子丼ってやつが食いたいんだよ」
「はぁ…」
「食いたくてもどの店に入ったらいいのかわかんねーし、お前なら知ってると思ってな」
そりゃまあ知ってるけども。じゃあお店教えますよ、といおうとしたが彼の格好を見てなんとなく憚れた。平日で間違いなく仕事だろうスーツ姿は別段おかしい格好ではなかったが、スーツ自体に品があるというかオーラが違うというか。
が思い浮かべているどのお店に入っても浮くこと間違いなしだろう、そう安易に思った。
彼が入る分には店員さんがあまりのミスマッチさに驚くくらいで済むだろうけどお客は違う。きっとこの人がいるだけで足が遠のいてしまうだろう。
しかもよくわからないことを質問したり「ハッおもしれーじゃねーの!」とかいって色んなバージョンを試して食べること請け合いだ。忍足くん達なら笑って見てられるだろうけど他の人は違う、多分引く。
そんなことを思ってたらなんだかこの人を1人お店に放置することも恐ろしくなってきて「わかりました。作りますよ」と答えてしまった。
冷凍ご飯を解凍して丁度あった鶏肉と卵を使い、ささっと作った即席親子丼をトレイに乗せたは跡部さんの部屋のドア前に立っていた。ドアホンを押すとすぐに鍵が開けられドアが開く。
「…早かったな」
「お腹が減ってるから急げといったのはあなたでしょう?」
ドアを閉める前のことを思い出しそう言えば彼は少し眉を寄せ「まあ入れ」といってドアを大きく開いた。本当はの部屋の方で食べてもらえば簡単だったのだけどなんとなく入れたくなくてこちらが持っていくと提案したのだ。
蓋付の丼があって良かった、と広い玄関を抜ければすぐ横に大きなリビングがあって目を見開いた。テレビでか!
どうやらが住んでる部屋と構造が全く違うらしく、こちらの部屋は横に長いようだった。リビングだけでもの部屋のリビングからキッチンがすっぽり入ってしまう。キッチンに向かう廊下を挟んでドアがあるから多分こっちに寝室が繋がってるんだろう。
そのリビングのすぐ近くにダイニングがあってそこにトレイを置くとキッチンに入ってケトルのスイッチを入れた。持ってきたお椀に即席用のお吸い物を開けると「食っていいのか?」とダイニングの方で声が聞こえた。
「どうぞ。すぐお吸い物持っていきます」
どうやら本当にお腹が減ってるらしく、いいと言った途端に蓋を置く音が聞こえた。お湯が沸き、お椀にお湯を注いだはそれをダイニングに持っていくと跡部さんが黙々と親子丼を食べていた。不思議な光景だ。
「足りないようなら何か買ってきますけど」
「いや、これだけでいい」
これが親子丼というやつなんだな…と零しながら食べる跡部さんは差し出したお吸い物を一口飲んで目を見開いた。もしかして火傷か?と思ったが違うらしい。ああ、一応入ってるみたいですよ松茸。
「よくそんなものが手に入ったな」と天然かます跡部さんに内心吹き出しながらも「それ香りだけですよ」と返したらショックを受けた顔になっていた。
「…ふ、やるじゃねーの」
「(久しぶりに聞いたなその言葉)…それじゃ私はこれで失礼しますね」
食べ終わった食器はトレイごと玄関前に置いててください、といって背を向ければ「おい、」と呼ばれた。私は"おい"じゃないっての。
「…食い終わるまでここにいろ」
「すみませんが私にも用事があるので」
用事といっても勉強かテレビを見るくらいしかないのだけど。
そう思いながら引き止める跡部さんに振り返ることもなく彼の部屋を後にした。
「…ハァ……」
自分の部屋に戻り、ドアを閉め鍵も閉めたはそのままズルズルと座り込んだ。初回は気が動転したままだったからあまり記憶がないけど、今日はよく見えてしまって心臓が痛かった。
緊張した。
何がどうなのかよくわからないけど榊さんがプロデュースしたこの部屋とはまた違ったシンプルで品のある内装に緊張しかできなくて。その上、いつもは彼単体から伝わってた匂いがあの部屋に充満してる気がしてずっと落ち着けなかった。
「死ぬかと思った…」
最後の方は息を止めたりしてたから肺も痛い。バカだと思うが咄嗟にとってしまった行動でどうにもならなかった。
「何やってんだろ、私…」
急いで作らなきゃいけなかったとはいえ冷凍物とか即席お吸い物とかあの跡部景吾に失礼じゃないだろうか。いや、失礼なのはいきなり無理難題を振ってきたあっちだけど。
合宿で食べてたとはいえ、あの時はみんなで作ってたからそこまで気にならなかった。自分のが混じってても問題ないって思えた。けれど今食べさせてるのは正真正銘自分の手料理で。
考えれば考えるほど赤くなっていいのか青くなっていいのかわからなくて混乱しては盛大に溜め息を吐いたのだった。
美味しかったですか?なんて恐ろしくて絶対聞けないなぁ。
ご近所物語。
2013.10.26
2014.03.05 加筆修正