You know what?




□ 72a - In the case of him - □




ちゃんこっちやこっち!」
キョロキョロと周りを見回していたら朗らかに笑う(無駄に)イケメンが手を振っていた。あのもっさい頭じゃないから判別つかなかったよ。

夜の繁華街を歩きながら予約してもらったお店に入るとこれまた雰囲気のいい店内にさすが、と思いながら席に座った。今日はご飯の誘いをずっと断っていた忍足くんと食事をすることになったのだが、これにはちょっとした訳がある。


注文してお冷に手をかけながら「それで相談したいことってなんなん?」という忍足くんを見て困った風に微笑んだ。

「ごめん。それ嘘なんだ。この前引っ越し祝い貰ったでしょ?だからそのお礼に奢ろうかと思って」
「え?ここ俺選んでしもうたやん!」
「うん。だから今日の会計は私がしようと思ってさ」

案の定自分から払う気満々だった忍足くんの顔色は困った色に変わり少しだけ申し訳なく思った。今日は値が張っても払えるように大金を持ってきたから大丈夫。そう意気込めば忍足くんは神妙な顔で「せめて割り勘にしよう」と訴えてきた。

「ええー」
「俺の顔を立てると思うて、な?」
「しょーがないなー」

内心、こっそり全額払ってしまおうと忍足くんが企んでいることも知らず「絶対割り勘だからね!」と念を押したは前のめりにしていた身体を戻した。


「俺はてっきり跡部のこと相談されるんかと思っとったのに」
「跡部さん?何で?」
「今、隣同士なんやろ?」

大丈夫なん?と聞いてくる忍足くんにどこで漏れたんだ、と肩を竦めた。

「跡部がいうてたねん」
「へぇ、」

まさか『って女を知ってるか?』とか聞いたんだろうか。地味にダメージ食らうから聞かないでほしいんだけど。



「もしかして私の料理酷評でもしてたの?」
「は?料理?ちゃん跡部に手料理食わせてるん?」

よくわからないけど舌は肥えてるから批評されてそうだよな、と思って口にしたら思ってもみない返しをされて目を瞬かせた。どうやら部屋が隣同士までは知っていてもご飯を作ってることまでは知らなかったらしい。

今度は忍足くんが身体を前のめりにして「朝も昼も夜も作っとるん?!」と聞いてくるのでが引いた。

「ううん。夜だけ、だけど」
「それでも羨ましいやっちゃな…っ」
「別に羨ましくないでしょ」
「羨ましいやろ!1人暮らしが家帰ったら飯が用意してあるんやで?!しかもちゃんの手料理が!羨ましがらん男なんておらんやろ!」
「そこまで熱く返されてもわかんないんだけど…」

私男じゃないし。まあ、家帰って夕飯用意してあったら嬉しいけどね。今更に実家の素晴らしさを噛み締めてるよ。


「なんや跡部の奴、最近忙しいいうてたのそれのせいか」
「いや、普通に仕事忙しいんじゃないの?」
「んなことあらへん。いつもなら飲みに行くのにここずっと断りよってん。あーようやく合点がいったわ。だからか」

ちゃんはお気に入りやしな、とぼやく忍足くんにはなんとなくムッとして「私のせいじゃないし」と言い返してしまった。


「きっと仕事が忙しいんだよ。だから私のせいじゃありません」
「?んなわけないやろ。でなきゃわざわざちゃんの手料理食べに帰らんて」
「それは多分庶民食ブームだからで。あと健康のことちょっと気にしてたみたいだからそれのせいだよ」
「……」
「それに、跡部さん私のこと覚えてないし」

そう。私のことなんておぼろげにうっすらあるかもしれないくらいで昔のことは忘れてるのだ。彼が自分に絡んでくるのは合宿でからかいやすい、扱いやすい阿呆な女とでも認識したからだろう。
その上家が近所で食べれる料理を作れるのだ。出前よろしく、と思いついたに違いない。



気づけば毎日のように部屋の前で待ってるし。食べ物らしい食べ物がなかった冷蔵庫には食材がぎっしり詰まってたし。これどうやって1人暮らしが使い切るんだ、とつっこんだけど跡部さんは「食いきればいいだけだろ?」とか簡単に言うし。

いやだから2人でもギリギリなんだっての、といったら「お前にやるよ」って冷蔵庫の中身を全部押し付けられた。食費が割り勘どころか跡部さんもちになったのはいうまでもない。どんだけずぼらな勘定してるんだ。

その私も私でコツコツ冷凍保存作ってるし。なんなのこれ。何の共同作業?!と昨夜自分自身につっこんだばかりだ。
何が悲しくて人のことを覚えてもいないセレブに庶民の食事を食べさせなきゃなんないんだよ!


思い出したらイライラしてきて溜息と一緒にグラスに滲んだ水滴を指でなぞると忍足くんが更に驚いた顔になって「は?」と目を瞬かせた。

「んな訳あらへんやろ。跡部の口からちゃんの名前と話題が出たで?」
「それも最近合宿があったからだよ。その前のことは覚えてないみたい。合宿の時観月さんに……ああうん。"んふ"ていう人。いや、そこまでは知らないし。
彼と話してる時に跡部さんこっち見て"いたかもなー"っていってたし、覚えてたらテニスの話題とか忍足くんとかジローくん達の話題出るはずなのにそれも出ないし」
ちゃんからは何もいうてへんの?」
「うん。何か忘れてそうだから久しぶりに会った時"初めまして"っていっちゃった」
「ぶふっ」

今思えばお店で再会した時、少なからず跡部さんは驚いていたんじゃないだろうか。もしかしたら記憶の片隅にそれっぽい顔が浮かんでたのかもしれない。頭の回転速い人だもんな。意地悪だけど。
もしくは本当にどうでもよくて記憶から抹消されてるのかもしれないけど。


どっちにしろ、もう記憶は塗り替えられて給食のおばちゃんである自分しか残ってないだろう。
隣同士でいる限り、今後も彼の為にせかせかとご飯を作っていかなきゃいけないのかと思うととても憂鬱だ、と行儀悪くテーブルに肘を置くと忍足くんが吹き出し口を手で押さえ笑いを堪えていた。

「そらあかんわ。跡部傷つくやん」
「そーかな?相変わらず俺様だったんだけど…」
「(跡部、不憫やな…かといって俺やジロー達の名前を出して嬉しそうに語られたらそれはそれで嫌や思て回避したんやろな…)んで毎晩夕飯作っとるちゃんは今日はええんか?」
「うん。現在海外出張中なので自由なんです」
「ぶっ相手の予定知っとるとか益々仲良しやん!」
「仲良くねぇよ」



前日にわざわざ跡部さんが『明日から出張だからここに来なくていい』と言ってきたのだ。呼ばれなきゃ行かないのに何故私が押しかけてるような体で言われなきゃなんないんだ。それをブツブツ言えば「跡部にもプライドがあんねん」と宥められた。

「…忍足くんってどっちかっていうと跡部さんの肩持つよね」
「まー付き合いも長いからな。あとアイツの気持ちもわかるし」
「どうせ私だけわかりませんよ」

つまらなそうに口を尖らせれば「かわええなー」と笑われ眉をこれでもかと寄せてやった。くそう。不意打ちで変なこと言うなよ。ビックリして顔が熱くなっただろうが。

そんなことを言っていたら美味しそうな匂いと共に食事がテーブルに並べられ自然と口元が緩んだ。「ほな、食べよか」という忍足くんの合図と共に一口目を口に入れるとまろやかな味が口内に広がりふにゃりと頬が緩んだ。


「…、何?」

くつくつ笑う忍足くんに顔を引き締め伺えば、彼はナイフとフォークを持ったまま肩を震わせ必死に笑いを堪えている。悪かったな!変な顔して!!どうせ面白い顔してるよ!!と悪態をつけば「ちゃうちゃう」と涙目で手を振られた。

「前に跡部と距離とってた時も飯食うと幸せそうな顔しとったなって思てな」
「……そんな記憶ないけど」
「もしかしたら跡部はちゃんと一緒に飯食いたいだけなのかもしれんな」


なにそれ。それを顔に出せば「食べてる時のちゃんて幸せそうやし、見てるこっちも美味しく感じんねん」と返され、眉をひそめた。

しかし、彼の言うことも一理あるな、と思った。
食事は質よりも場の雰囲気が大事な時がある。

けれど跡部さんが食べてる時はどうだっただろう。思い返してみて、自分は作り手として芳しくないことをしていたんじゃないだろうかと冷や汗を流した。

うーん、と考えたに忍足くんは小さく微笑むと食事を再開させた。



「そういえば、ちゃんも度胸付いたんとちゃうか?」
「え?何が?」
「つい最近までテレビや紙面を騒がせてたんやで?ネットなんかごっつい記事も上がっとるし。もしかして4角関係狙いとか?」
「まさか。女の人が来てるなら絶対足なんか踏み入れないよ」

跡部さんの部屋を見る限り女の人がいた形跡はない。いたら水回りとか冷蔵庫に必ずそれらしいものは残ってるものだ。


丸井じゃあるまいし修羅場なんてゴメンだよ、と肩を竦めれば忍足くんが「ほぅ」と納得したようにこっちを見てきた。

「…ほなら、時間の問題か」
「…?何の話?」
「なーんもあらへーん」

彼の言葉が気になったものの「それより飯冷めてまうで」と食べる忍足くんに即され、腹ぺこな自分に負けたは微妙な顔をしたまま食事を優先したのだった。



******



跡部さんと距離を置いた時、最後まで近くにいてくれたのは忍足くんとジローくんだった。
でもその頃も忍足くんはどちらかといえば跡部さんの味方に立って冷静な言葉でを窘めてくるからあまり嬉しくなかった。

理性では自分の為にいってくれてるんだろうってわかってたけど子供だった私は感情が追いつかなくて、それで忍足くんとも距離をとってしまった。
今思えば何を頑なに拒んでいたんだろうって思う。跡部さんを好きだったからという理由でそんなことをしたら身も蓋もないのに。


今はもうそんな気持ちがないのならもっと優しく接したっていいはずなんだ。だって料理を作るのが好きでこっちの道を選んで、美味しいって言ってもらえるのが嬉しくて続けているんだから。


「よし、できた」

コンロの前に立ち、出来上がった鍋の中身を味見して大きく頷いた。するとドアホンが鳴り相手を見ると疲れた顔の跡部さんが立っていて。勢いよく玄関のドアを開ければ驚いた顔の彼と目が合って、しまった、と思った。先走り過ぎた。

「あーえっと…お、おかえりなさい」
「っ……ああ。た、ただいま」


取り繕うように言葉を発したら動揺したのが移ったのか跡部さんもしどろもどろに返してきた。なんとなく降りた沈黙にどうしよう、と固まっているとネクタイを緩めた跡部さんが「飯、また作ってくれねーか?」と首を掻きながら照れくさそうにいうのが少し可愛かった。

「はい。いいですよ…あ、でも、今日はうちで食べてもらってもいいですか?」
「え?」
「ちょっと持っていくの大変なんで、できれば」
「ああ。わかった」

じゃあまた後で、と別れるとドアを閉める間際、跡部さんが自分の部屋へ急ぎ足で戻って行くのが見えた。



忍足くんに言われて、といったらちょっと癪だけどいい年なんだしちゃんと切り分けて考えようと思い至ったのだ。正直跡部さんの舌に合う食事なんて到底作れないし、なんとかなったとしても当分後だ。
だったらせめて雰囲気だけでも良くしようと思って。

ここで頭をもたげるのは昔の古傷だけどそれはそれだと蓋を閉めた。だって今の関係は学生時代とは関係ない最近知り合ったお隣さんなのだから。そう考えたら少しだけ楽になった。


程なくしてまたドアホンが鳴りドアを開けるとラフな格好に着替えた跡部さんが立っていて中に招き入れた。

「あれ?もしかしてお風呂入ったんですか?」
「ああ。汗臭かったしな」

ほんのり濡れてる髪に気がつき「ちゃんと乾かした方がいいですよ」というと彼は驚いた顔でこっちを見てくる。そんなに違和感があるんだろうか。普通にって思いながら接してるんだけど、もう少し他人行儀の方がいいのかな?ラインがわからないんだけど。


「こっちの部屋はこんな感じなのか」
「ああそうですね。跡部さんのところは横に長いお部屋でしたね」
「ああ」

大きな窓が気になったのか椅子に座りながらそんなことをいう跡部さんを伺うと「夏は暑そうだな」と呟いた。確かにそうですね。でも洗濯物の乾きはかなり早いです。
それから並べたせいろとお椀に目をぱちくりしてる跡部さんには笑いを噛み殺して薬味を手渡した。やっぱりせいろ出たら驚きますよね。私も棚を見たらあって驚きましたよ。どんだけ揃ってんだよこの部屋ってつっこみましたよ。


「蕎麦か」
「はい。鴨汁つけ麺風です。うちのおばあちゃんが蕎麦を作ってくれたんで食べていただこうかと」
「…ほぅ」

最近祖母の中で蕎麦ブームが到来したらしく、手打ち蕎麦を作ったからアンタも食べてみなさい!と母親伝に寄越してきたのだ。
火事に遭った後、今住んでるマンションの確認とお世話になった榊さんに挨拶しに行ったのだが、母親はそのどちらもえらく気に入ってしまったらしい。お陰で以前よりも遊びに来るようになってしまった。

その流れで今日は蕎麦を手渡されたがさすがに食べきれないと思って跡部さんにも出してみたのだ。味見した感じは悪くなかったし、見た目もそこそこよかったから多分大丈夫だろう。そう思って跡部さんの前の席に座れば彼はまた驚いた顔をしてこっちを見てきた。



「いただきます」
「…いただきます」

手を合わせ、面食らった跡部さんをチラリと見ては早速蕎麦に箸をつけた。うん、大丈夫そうだ。同じように蕎麦をすすった彼を伺えば、こっちに気がついた跡部さんが「なかなかいいんじゃねぇの?」と褒め言葉をもらった。

「…何かいいことでもあったのか?」
「そうですねー。あ、今日100円拾いました」
「100円かよ」
「1円より価値ありますよ」
「ハッどんだけ小せぇ見方してんだよ」
「そのお金で今日のご飯にありつけたんですからいいじゃないですか」
「100円の価値がデカ過ぎんだろ」

100円じゃ買えねーものばっかじゃねぇか。鼻で笑ったが残念でした跡部さん。今日のネギは100円で買えたんですよ。


「今日は飯食ってなかったのかよ」
「ええ。今日は母が来てたんで。なんだかんだしてたら食べ損ねちゃいました……もしかして、1人の方が良かったですか?」

探るように伺ってくる跡部さんに別に深い意味はないんだけどな、と思いながら聞き返してみると「そんなことはねぇ」とすぐに返された。良かった。
「おかわりもあるんで足りなかったらいってくださいね」と付け足せば彼は目を丸くして何度か目を瞬かせた後「ああ」と嬉しそうに笑った。ああ、やっぱりこっちの方がいいな。

食べてくれる人が楽しくないなんて勿体ない。好きだった人に美味しく食べてもらった方が何倍も嬉しい。そう思ったらじんわり胸が温かくなっても綻んだように微笑んだのだった。





2013.10.30
2014.04.13 加筆修正
2015.12.17 加筆修正