□ 73a - In the case of him - □
の雰囲気がガラリと変わった。変わったのは俺が海外出張から帰った日で、その日はなんと
の部屋に招待され一緒に食事をした。
これがいつも跡部を取り巻いてる女だったらベッドも一緒にいかが?というニュアンスも含まれるのだが、にそんなつもりはないとわかっていったので跡部も気兼ねなく食事をしてその日は帰った。
だが、目の前に座り一緒に食事をしているがどうにも忘れられなくて跡部は会社に出社した後もぼんやりとそのことを思い出していた。
「社長、…跡部社長」
「…っ!ああ、何だ。何か用か?」
「先程から何度もお呼びしていたのですが、具合でも悪いのですか?」
「そんなんじゃねぇよ」
ぼんやりと、嬉しそうに微笑むを思い出してるところで秘書が目の前に現れ慌てて居住まいを正した。しまった。今は仕事中だった。咳払いをして報告内容を聞いた跡部は簡単に指示し、ファイルを受け取った。
「…何かいいことでもありましたか?」
一礼をして出て行こうとした秘書が足を止め、振り返る。書類に目を落としていた跡部は目を丸くして顔を上げた。
「お前がそこまで気にしてくるのは珍しいな」
「それ程社長の雰囲気が違いましたので」
この時間はいつも低空飛行で機嫌も8割がた悪い方ですから、とさらりと述べる彼に跡部は口を引き攣らせながらも「ハッお前にばれるようじゃ俺もまだまだってことだな」と切り返した。
「恋人ですか?」
「……ちげーよ」
「では、いい家政婦を見つけたんですね」
「は?」
「ここ数週間随分顔色がよろしいようですから」
こけた頬も少し丸くなられたんじゃないですか?と述べる秘書に跡部はますます目を丸くした。よく見てるじゃねぇか。だがしかし。
「家政婦じゃねぇよ」
「では、メイ」
「違う。そんなんじゃねぇよ」
メイドなわけぇだろ。の顔を思い出して一緒に食事した光景をそんな風に思われたのが無性に苛立って汚された気がして眉を潜めた。
「………………ただの昔馴染みだ」
友達ともお気に入りの女性だともいえず、それが少し胸を締め付け悔しい気分になって跡部は苦々しい気持ちで吐き捨て書類に視線を戻した。
******
涼しすぎる電車から降りると纏わりつくようなムアッとした空気に顔をしかめた。今年も残暑が厳しいな。なんて思いながら早速滲んだ汗を拭って改札を出るとまっすぐ目的地に向かう。
なるべく日陰を歩きながら目的のビルに入ると受付の人に軽く会釈をして中に入った。中はひんやりしていてほぅ、と息が漏れる。このくらいの涼しさが丁度いい。
電車は寒すぎるんだよね。そう思いつつ、ガラス張りの大きな窓を覗けば向こう側にやたらと目立つ巨体が一生懸命に身体を動かしていた。
ここは都内にあるジムで、スポーツ選手などが多く通ってる場所だ。何度かテレビで見たことのある選手を見かけたことがあるがまさか自分の従兄もそんな人間になるとは思ってなかった。
じぃっと見つめていれば視線に気がついたのか彼は重たそうなバーベルをゆっくり置くとタオルとペットボトルを持ってこちらに歩いてきた。ドアを開け出てきたのは勿論弦一郎で、彼は汗を拭いながら見下ろすようにを見てくる。
以前から高かった身長は更に伸びて見上げるこっちの首が痛い程だ。しかもあの頃も出来上がってると思ってた身体を更に仕上げてプロらしくもなった。唯一変わらないのは顔だろうか。本当、年相応になってよかったね、弦ちゃん。
「よく来たな」
「呼んだのはそっちでしょ。せめて日が暮れてからにしてほしかったよ」
そういってカバンから出したノートを弦一郎に手渡すと飲んでいたペットボトルのキャップを閉めて受け取り中をパラパラと捲った。
本来ならデータで渡せば早いのだけど弦一郎は何故かアナログにこだわっていて未だにノートに書き出して今後の食事のプランを決めている。その後にコーチと一緒にデータ化するのだけど少し手間なのは免れない。まあ復習にもなるし嫌いじゃないけど。
「すまなかったな。こんなところまで呼び出して」
「いえいえ。この後ちゃんと冷たいものを奢ってくれれば何もいいませんから」
「…わかった」
にっこり笑ったに弦一郎はぎゅっと眉を寄せたがちゃんと頷いてくれた。うむ、素直でよろしい。
ジムの外は喫茶店や飲み屋もあったりとそれなりに充実していたが時間はまだ夕方前なので達は喫茶店へと入った。甘いものと飲み物を注文して椅子に深く腰掛けると窓の外を見ていた弦一郎がこちらを見てきた。
「その後、生活に支障はないか?」
「(…父親か)お陰様でね。逆に申し訳ないくらいだよ。その分頑張って働いてるけど」
「うむ。榊監督には俺からも礼を述べておいたが思っていたよりも良い方だったな」
そういって頷く弦一郎に、アンタ榊さんにわざわざアポとって会ってきたのかよ?!と、どこまで私の父親?!と内心つっこんだが口元を引きつらせるだけに留めておいた。
しかし以前は榊さんの印象が良くなかったような言い回しに首を傾げた。もしかして、氷帝の監督をしていたからだろうか。
「氷帝には散々迷惑をかけられたからな。あまり良い印象ではないのは確かだ」
「…それ、幸村に言われたんでしょ。ていうか、それ榊さんは関係ないし」
「そうだな。諸悪の根源は跡部だったな」
「……」
迷惑かけたのは私なんだけど、と思ったが心配していたのは知っていたので断言する弦一郎には否定も肯定もせず、ただ黙って聞いていた。
「それはそうと。幸村とは会っているのか?」
「うん。ちょこちょこ会ってるよ。火事のこともあったしね」
浮かんだ幸村の顔に小さく微笑めば弦一郎は何か言いたそうに歯噛みして「そうか、」と視線を逸らした。それから少ししてケーキと飲み物がテーブルに並びカチャカチャと静かに食べているとグラスを置いた弦一郎がもじもじとしながら言いづらそうに口を開いた。
「……そ、その、ふ、ふ、復縁はしたのか?」
「………聞きづらいなら聞かなきゃいいのに」
少し顔を赤らめる弦一郎には何とも言えない気分になった。恋愛をちょこちょこしてるはずなのに何故そこで赤くなるんだ弦一郎。本当にお見合い写真送りつけるぞ。
呆れた顔で彼を見ていれば赤い顔を更に赤くして「れ、蓮二に聞かれたのだ」と素直に吐いた。そうじゃないかと思ってたよ。
柳はろくな情報を弦一郎に与えてないな、と溜め息を吐く。が高校時代どんな心理状況だったか把握してるのもあって、ことあるごとに弦一郎に告げ口をしてはストッパーとして振り回しているのだ。
お陰で良くも悪くもの近くに弦一郎がいてくれたけど、そのせいで氷帝の株は大暴落してることだろう。
榊さんでこの話をぶり返されるとは思ってなかったけど、学生時代なら真っ先に「実家に戻れ!」と言うはずだからそれがないということは弦一郎自身もちゃんと考えてくれてるんだろう。
「やっぱり柳が絡んでたか。おかしいと思ったんだよね。いつもはコーチ挟んで話するのに今日はいないし。絶対振ってこない恋愛話するしさ」
「うっ…」
「そんなに、幸村と話したら変なの?」
「…違う。むしろその逆だ」
まったく余計な詮索を、と立海同期の参謀に脳内で悪態をついていると弦一郎は真剣な顔でを見つめてくる。
「お前達2人を見て似合いだと思っていたのだ。部活中にそういう雰囲気でいられるのは少々迷惑だったが、幸せそうなを見て許そうと思った程度には俺は認めていた。それなのに別れてしまうとは…思ってなくてだな」
「それは前にも言ったでしょ。お互いの相違があったって。学生時代にはよくあることだよ」
「だが、幸村は誠心誠意を大切に思っていた。お前も同じだろう?だからあんなにも傷ついたんじゃないのか?」
「……」
「別れた後もちゃんと友人関係に戻れたことに俺は安堵しているんだ。も幸村も大事な仲間だからな。だから心配もするし、またお互いを思い合う関係になったのなら応援したいと思っている」
「弦ちゃん…」
「他のどこの馬の骨かもわからない男にをやる気は毛頭ないが、幸村にならを任せられる。俺はそう思っている」
そういって射抜くようにまっすぐ見つめる従兄にはどこの馬の骨って…と思いながらグラスの中の液体を揺らした。光に反射する琥珀色の液体は氷と相まって乱反射してくる。
そういえば幸村と付き合いだした時は柳が1番喜んでくれたっけ。弦一郎はずっと微妙そうにしてたけど、別れて1番騒いだのはその弦一郎だった。
別れた後情緒不安定だったをずっと見守ってくれた目の前の彼に、もう心配かけたくないな、と思う。
「…幸村とは友達だよ。やっと心の整理が出来て普通に話せるようになったところだからまだそういうのは考えてないんだ」
「そ、そうか…」
「今は試験に集中したいし、やらなきゃいけないこともあるから…まだ考えなくてもいいかなって。でも、もしそういうことになったら……報告するね」
もしかしたらそれは逃げなのかもしれないけど。脳裏に幸村の言葉が浮かんで後ろめたいものを感じたがやらなきゃいけないことは確かなので無理矢理蓋を閉じた。
弦一郎を見れば幸村と友達だとわかって安堵の息を漏らしたが何故か報告するね、というところでギュッと眉を寄せながら頷いていた。…応援してるんじゃなかったの?弦ちゃん。
「あ、手塚くんだ」
「っ何?!」
チラリと窓の外に見えた人物に視線をやれば弦一郎も一緒になって見た。そこにはジャージ姿の彼がジムに向かっているところで弦一郎はガタンと立ち上がる。
ここで会ったが100年目…っみたいなギリギリ歯軋りしてる顔に呆れながらは携帯を取り出すと手馴れた操作で番号を出し、通話ボタンを押した。
『もしもし?』
コール音は数回ですぐに出てくれた彼に笑みが浮かぶ。
「やほー。今、ジムに入ったでしょ?」
『何故わかるんだ?』
「?!?!」
「ジムの目の前の喫茶店見てみてよ」
気づいたら電話をしてるに弦一郎は驚いた顔をしたがジムから出てきた手塚くんを見て目を大きく見開いた。
そして慌ててテニスバッグを盾にを隠そうとしたが隠してる本人は丸見えなので手塚くんは『ああ、見ていたのか』と普通に返していた。挙動不審な弦一郎には触れないのね。
そのまま喫茶店に入ってきた手塚くんは悔しそうに睨みつける弦一郎を尻目に「偶然だな」とに挨拶してくる。そのスルー力半端ないですね。
「真田に用事か?」
「うん。届け物があってね。手塚くんはこれからジムなんだ。てっきり海外で調整してるのかと思ったよ」
「そのつもりだったんだが、予定が変わってこちらに戻ってきたんだ」
「そうなんだね。あ、全米オープン見たよ。お疲れ様」
また順位上げたね。と喜ぶと手塚くんはふわりと微笑んでありがとう、との隣の席に座った。それを見ていた弦一郎は「貴様はこっちだ!」と目を剥いて怒り自分の方の席に座らせると、弦一郎本人はの隣に座りこんだ。どっちだって変わらないじゃないか。
「そうだ。リョーマくんとは会えたの?」
「ああ。だが対戦する前に敗退してしまったがな」
「フン。日頃から真面目に試合に出ていないからだ」
突風のごとく青学に現れたルーキーはそのままテニスを続けて今プロの舞台に立っている。拠点はアメリカに移してるらしくてこちらで会うことはないが日本人とあってかテレビで見る機会は多い。
『テニスの王子様』なんて出た当初呼ばれてもてはやされていたけど彼は知ってるのかな?
その王子様は全米オープンに出場していたがとある試合で欠場、相手が不戦勝となったのだ。後から聞いた報道の話では寝過ごしたとか別の場所でテニスしてたとか(どこにいてもテニスはしてるんだよね)。
弦一郎が言うとおり出れば確実に勝つんだけどムラッ気が強くて時々試合を放棄することがあるらしい。年齢が上がり強くなればなる程適当になった、と前に桃ちゃんが嘆いていたけどまさか全米オープンでやらかすとは思わなかった。
「折角手塚くんも出場してたのにね」
「今の越前が試合を待ち望んでいるのは俺じゃない。それに俺とは調整の時に散々練習したからな」
「あ、そうなんだ。だってよ弦ちゃん!ガンバ!」
「……。俺じゃないとわかってて話を振っただろう」
ぽん、と肩を叩けば弦一郎がしかめた顔でこっちを睨んだ。うん、弦一郎じゃないことは知ってた。
弦ちゃんは逃しちゃったもんね。次頑張れよ、と頭を撫でれば「やめんか!」と赤くなった顔で怒られた。フフ、それが狙いです。弦ちゃんからかうの楽しいんだもん。
「しかし、お前達はいつまでもかわらないな」
「!フン、羨ましいか!だが貴様にこの席は譲ってやらんぞ!!」
「誰も欲しがらないよ。そうだ。手塚くん今夜暇?」
「…ああ。特に用事はないが」
「だったらさ。ご飯食べに行かない?」
給料が出たから少しだけ贅沢できるんだ、と微笑むとニヤリと口元を上げていた弦一郎が一気に青ざめた。それをしっかり見ていた手塚くんだったが気に止めることはなく「わかった。では後でまた連絡しよう」と承諾していた。
「待て!何故そうなる?!この後は家に帰って勉強するんではないのか?!」
「勉強もするけど冷蔵庫は空っぽなんだよ。じゃあ、この近くで食べようか」
「そうだな」
「お店は適当に選んでいい?」
「構わない。すまないな、任せてしまって」
「いえいえ。じゃあ決まったら連絡するね」
「ああ、待ってる」
狼狽する弦一郎を余所にさっさと話を進めると手塚くんは「では後程な」とにだけ挨拶して去っていく。それに合わせても手を振って見送ればちゃんと乗ってくれて手を振り返してくれた。手塚くんっていい人。
「っ待たんか手塚ぁ!」
「煩いっての!他の人に迷惑でしょ!」
「もだ!幸村という男がいながらっ!て、手塚なんぞにうつつを抜かすとは!!」
「いやどっちも友達だし!そんなに気になるなら弦ちゃんも一緒に来ればいいでしょ!!」
手塚くんとゆっくり話したいんでしょ?と言ってやれば言葉に詰まって、それから不承不承頷いた。
最近めっきり手塚くんに相手してもらえてないから寂しいんだもんね。それを言ったら顔を真っ赤にして怒るだろうからいわないけど。
大人しくなった弦一郎を席に座らせるとは残り少なくなったケーキを頬張り「そうだ」といって携帯を手にとった。どうせなら久しぶりに桃ちゃん達にも声かけてみよう。そんなことを考えつつは携帯の電話帳を開いた。
2013.10.30
2014.04.06 加筆修正
2015.12.17 加筆修正