□ 88a - In the case of him - □
メニューは何でもいいというので、大分寒くなってきたしキムチ鍋にしてみた。これにしたのは決して辛いものが苦手な丸井を苛める為のものじゃない。ヒーヒーいって泣いてる姿を見たくない、といわれたら嘘になるけど。
赤いキムチと鍋を見て、『これトマト鍋だよ』といったら赤也は信じるだろうか…?と考えていたらいきなり後ろから抱きしめられ思わず「ぎゃあ!」と叫んでしまった。
「…色気も何もないの」
「色気とかの問題?ビックリしたじゃない!」
危うく鍋のフタ、足に落とすところだったよ!と文句をいおうとしたが顔の横ピッタリに仁王の顔があって思いとどまった。え、ちょっと近すぎやしませんか?仁王さん。
「暇じゃ」
「…あーはいはい。そろそろ来る頃だと思うよ。丸井と赤也」
先程、ジャッカルからお父さんのことで行けなくなったと連絡が来たので、あと2人なのだけど予定の時間は実はとっくに過ぎている。適当な丸井と時間に無頓着な赤也(仕事では違うらしい)のことだ。間違いなく寄り道してるんだろう。ご飯食べさせてやるっていったから帰りはしないと思うけど。
「待ってる間ゲームかDVDでも見てたら?」
「こっちはもう準備終わっとるんじゃろ?」
「うん、まあ」
「あいつら放ってさっさと始めんか?」
「それはさすがに可哀想でしょ」
今日が仁王の誕生会だって教えてるし、それで始めてたらあの2人が文句をいわないわけがない。そう思って言い返せば「俺の誕生日じゃもん」と拗ねられた。そうですね。
「お腹減ってるの?だったらこれ食べる?」
「…食べる」
たまたま安かった梨を見せればワンクッション置いて仁王が頷いた。包丁を使うので離れなさいといったらあっさり離れた仁王はシンクに寄りかかりながら皮を剥くをじっと見つめた。やりづらい。
皮を剥いて8つに割って種を取ったは1つを手で掴み仁王の口元に差し出す。それを見た仁王は口をぱっくり開くとの手首を掴み一口目を食べた。しゃくしゃくという瑞々しい音と動く口元にはなんとなく視線が逸らせなくて薄く綺麗な赤色の唇がまた開くのをじっと見つめた。
「…あ、」
二口目で指先に歯が当たり、驚き手を引っ込めようとしたが仁王の手が離れず梨を落としてしまった。もったいない、と床に落ちた梨を目で追えばぬるりとした温かいものが指に纏わりつきビクリと肩が揺れる。視線を戻せば自分の指が仁王に食べられていて思わず目を見開いた。
「何、ちょっと、仁王?!」
「なんじゃ?」
「何で、舐め…っ」
「ん?勿体ないと思っての」
「だからって、っ?!」
手についた梨汁を丹念に舐め取る仁王に顔が紅潮する。ちょっと!アンタみたいな人がそんなことしたらダメでしょ!卑猥過ぎるんですけど!やめなさい!と怒ろうとすればカプリと指先を噛まれ全身に電気が走った。
「バカ!調子に乗んな!」
「いでっ」
それでなくても更に色気ムンムンオーラ増えてるのに!まったくもって性質が悪い!何してくれてんの?!と仁王の足を踏んで距離をとったは落ちた梨を拾い三角コーナーに投げ入れた。梨に謝れ。
「つれないの」
「その前にその誰彼構わずちょっかい出すクセ直しなさいよ。冗談にも程があるわよ」
「ちょっと揺れとったしの」
「揺れてない。アンタの節操なさ具合に呆れてたのよ」
こんな風に友達から彼女まで悪戯しまくってるんでしょ、としかめ面で見れば、「誰でもじゃないき」と肩を竦められた。
「こういう遊びはだけじゃ」
「尚更悪いわ」
せめて彼女だけにしとけよ。そういったら「そういう存在は随分おらんな」と遠い目をされた。
「ふーん、そう。あ、梨食べるなら持って行っていいよ。私ちょっと丸井に電話するから」
「…話を最後まで聞きんしゃい」
まったく、そういうところだけスキルアップしおって。と仁王が嘆いたがそうさせたのは己だといってやりたかった。アンタがろくでもない悪戯仕掛けてくるからその免疫力だけ妙に上がったんですよ。
「まあ、俺が原因なのは確かじゃが…それは可愛い少年のいじらしさじゃ」
「私がアンタとまともに話し出した時には少年つっきってましたけどね」
中学生が2股も3股もふしだらな関係を作ったりしませんよ?それこそ呆れた顔をすれば仁王はまずそうに視線を逸らした。アンタは忘れたくても忘れませんよ。一応私も関わってるからね。
「…それはそれとして」
「……ふーん、」
「そんな目をするな。俺だって反省しとる。いや、だから、そうじゃなくてな。今日お前さんに来てほしかったんはちゃんと理由があったんぜよ」
話を逸らそうとする仁王に逃げる気か、とじと目で見ると奴は顔を逸らしたままをシンクに押し付けその両サイドを仁王の手で塞いだ。
挟み込まれたは『え?』と思いながらも何となく察して口を噤んだ。
「……俺だって"ただの友達"にここまでして誕生日を祝ってもらおうなんて思わんし」
「……」
「なんとも思っとらん女の指をしゃぶったりせん」
「……」
「いっとる意味、わかるか?」
おもむろに、ゆっくりと上げられた顔は鼻先がくっつくほど近くては息を呑む。じっと見つめてくる瞳に吸い込まれそうになる。
「、俺はの…」
一呼吸置いてこちらを見た仁王に心臓がドキリと跳ねる。
ただ目が合っただけじゃない、意味がある視線にこのまま聞いちゃいけないような、聞きたいようなよくわからない気持ちが込みあげた。
ごくりと喉を鳴らせば仁王が口を開く。
その動きをじっと見つめていればその空気を切り裂くようにピンポーン、という無機質で甲高い音が鳴り響いた。
その音に驚き肩を揺らせばピンポンピンポンと連打で追撃され、今迄の空気が完全に壊された。
外の方からは「寒いんだから早く開けろよぃ!」という声まで聞こえてくる。丸井と赤也がやっと到着したらしい。鳴り止まないインターホンの音に呆気にとられていれば、ぽすりと仁王の頭がの肩に乗った。
「あいつら…空気読めっての」
「……あーでも、寒いのは確かだし」
時間を見れば日も落ちて、風も更に冷たくなっている頃だ。入れてあげないのはそれはそれで可哀想だよ、といってやれば俯いたまま仁王はから離れフラフラと玄関の方へと歩いていった。
その背中を見て内心ホッと息を吐いたのはいうまでもない。
******
赤也に「トマト鍋だ」と嘘をついたら本気で引っかかり辛くてのた打ち回ったのを見たり、丸井が気を利かせてケーキを用意してくれたり(そして丸井が殆ど食べた)、現状報告や昔の話で花を咲かせてつつがなく過ごしていれば携帯が震え出しは誰だろ?と表示を見た。
「あ、ちょっとごめん。電話だ」
「なんスかー?彼氏っスか?」
「違うし。幸村」
「……」
立ち上がったに缶ビールを飲んでいた赤也が絡んできたが、それを軽く流し玄関の方へと移動した。残された仁王と丸井が互いをチラリと見たが何もいわずつけたテレビに視線を戻した。
「もしもし?どうしたの?」
『今東京にいるんだけど、どうせならの顔を見ておこうと思って電話したんだ』
「こんな時間に?」
鍋はもうおじやになっているし、時間も結構いい時間だ。遅くても神奈川なら帰れなくもないけどこんな時間まで何をしていたんだろう、と思ってしまう。
もしかして、悩み事のことで何かあったのかも。それでこっちに来たとか?なんとなく、ただならない感じがして「今どこにいるの?」と聞いてみた。
『新宿。もしかしてもう寝るところだった?』
「ううん。今仁王の家で誕生会してて」
『仁王?』
「あ、仁王だけじゃなくて、丸井とか赤也もいるんだけど」
低くなった声に思わず慌てて返せば『ふぅん』と訝しげな声で返された。なんとなく"何で俺も呼ばなかったの?"という『ふぅん』な気がした。
「少しかかってもいいなら行くけど、」
『うん、会いたい』
「じゃ、じゃあ今から行くよ。私も話したいことあるし。えっと新宿のどの辺?」
『いや、新宿は人多いしそっちの駅まで行くよ』
家を教えてくれたらそこまで迎えに行くけど。という幸村にそこまでは悪いよ、と慌てて最寄り駅を教えれば『へぇ、が住んでた前のアパートに近かったんだ』と幸村が感心した。そういえばそうだね。最寄り駅一緒だったわ。失念してたよ。
通話を切り、リビングに戻ればダラダラしてる3人が一斉にこちらを向く。何でそんな興味深々なのよ。相変わらず幸村好きだね、と思いながらコートを手にすれば「えっ!」と赤也が飛び起きた。
「先輩、どこ行くんスか?」
「幸村こっちに来てるんだって。ちょっと会ってくるよ」
「会ってくるって…幸村くんどこにいるんだよぃ」
「新宿っていってたけどこっちの駅まで来てくれるって」
「へ、ぇ。え、つかお前1人で行くわけ?」
このまま帰る気?と眉を寄せるのは丸井と赤也だ。これから暴露大会をするつもりだったらしく、コートと荷物を持ったを引き止めた。あと多分食べ終わった食器類を置いて帰られるのも不満なんだろう。洗いたくなければ仁王に任せなさい。ここの家主なんだから。
「夜道危なくね?来た時思ったけどこの辺結構暗かったぜ?」
「大丈夫。走っていくから」
寒さ対策にブーツ履いてきたし最近身体動かしてるから丈夫なのだよ、と笑えば丸井はなんともいえない顔で見送った。
「あれ、にお先輩も出るんスか?」
「さすがに家の近くで事件に遭われたら困るからの。少しだけ見送ってくる」
「少しかよ」
「そこのコンビにまで」
「本当に少しだな!」
アンタのマンションから100メートルも離れてないじゃん。マフラーまでバッチリ巻いた仁王が既に肩を竦めての隣に立つとリビングの方から「何かあったかいの買ってきてー!」と丸井の声が聞こえた。そしてついでに見送りに出てきた赤也も「んじゃ俺ホットコーヒーで」と便乗してきた。
「俺財布持っとらんからなんも買えんよ」
「んじゃ何しに行くんスか!」
「コンビニでに奢ってもらおうかと」
「そしてタカリかよ!」
最悪だな!とつっこめば久しぶりに「ピヨ」ととぼけられた。
なんだかんだと文句をいわれたが結局財布を持たずにマンションを出た仁王は、の隣で寒そうに身を縮ませていた。寒いは寒いのだがそこまでじゃないと思っていたも仁王の隣を歩いていると寒い気がしてきてマフラーの中に顔を埋めた。
マンションのエントランスを出れば余計に外が暗く感じる。近くにコンビニがあるもののそれは表通りで、仁王が住んでるマンションの通りは裏道側だから外灯も心許ない感じにしか光っていない。男なら左程気にならない道も女性が住むにはちょっと怖い場所だな、と思った。
「幸村と会うんか?」
「うん」
「何でこっちに来てるんじゃ?」
「さあ?でも、会いたいっていうのに追い返すのは可哀想だし」
「………幸村に随分甘くなったの」
相手はお前さんをフった男じゃろ。と白い息と一緒に吐き出した仁王に、も白い息を吐き出しながら「そうかな?」と曖昧な顔で返した。
「とても幸村から逃げ回ってた女の行動とは思えんな」
「逃げ回るって…間違ってはいないけど」
痛いところついてくるな、と仁王を見れば奴もこっちを見ていた。
「うーん。まあ、ちょっと考えを改めようと思ってさ」
「何を改めるんじゃ?」
「幸村のこと。友達なのかそうじゃないのか、ちゃんと線引きしようと思って」
今迄はずっと曖昧な場所に放置したままにしていたのだ。失恋のショックもあったし付き合ってきた期間が全部無駄だったんじゃないかっていう恐怖もあってそれを全部フタをして見て見ぬフリをしてきたのだ。
その時はそれでいいと思っていたし縁の切れない幸村に仕方ないとも、もしかしたら、とも思っていた。そう思い込んでいた。
けれど先日、手塚くんに告白されてふと湧き上がるように思ったのだ。
ずっとこのままでいいのか?って。
手塚くんの告白を断って友達に戻ったが、あの日以降彼と話すのがとても楽しいのだ。
大半は恥ずかしかったり照れくさかったりするのだけど、あんな風にドキドキしたりどうしたらうまく伝わるか一生懸命に頭をフル回転させるのは実は久しぶりで、ある意味新鮮だった。
こういう気持ちを忘れてた…そう思った瞬間、このままではいけないんじゃないか?と感じてしまったのだ。
「私がちゃんと決めて向き合わないといけないんだなーってやっと気づいてさ」
恋ってもっとワッと感情が昂って落ち着かなかったり情緒不安定になったり、でも一緒にいるだけで幸せになれたり、話せてほっとしたり。日常が目まぐるしくも色鮮やかに変わるものなんじゃないかってそう思ったのだ。
そしてこうも思った。
どんなに幸村と一緒にいても手塚くんと似た気持ちを抱いても、別れる前ほどではないし、感情をセーブして曖昧にしているから以前ほどドキドキできないでいた。
それがとても悪いことな気がして、手塚くんに抱く感情も幸村を裏切ってる気がして、申し訳なくて、ごちゃごちゃ考えていく内に『これって好きとは違うんじゃないか?』て思ってしまった。
「多分さ。私も幸村もお互いどこかで甘えてると思うんだよね。期間はそれ程じゃないけど共有した時間は他の人より濃いはずだから。だから居心地いいし離れられないんだと思う」
「……」
「このままいったらもしかしたらまた付き合って、いつか結婚するのかもなって思ってたけど……でもそれってただの妄想かもしれないなって思ってさ」
の場合は別れても諦めきれずズルズル引き摺って生きてきたから、"いつか元サヤに戻れて幸せになれたらいいな"なんて、体のいい妄想を抱くのはありえる話だ。
でも幸村の場合は違う。彼は別れを切り出した張本人だったし、未練があるとは到底思えなかった。勿論約束を覚えてたことも定期的に連絡を取り合うことも嬉しい。でもそれはただの友達として元カノとして見た幸村の優しさかもしれないんだ。
幸村だって誰かを好きになったらそわそわしてドキドキして、会うだけで、話すだけで一喜一憂して、世界が別世界のようにキラキラと輝いて見えるはずなんだ。
だから定期的に彼女を作って付き合っていたのだろう。長続きはしてないみたいだけどそれが余計に"自分じゃなくてもいいのでは?"と思ってしまって。
昔ならともかく、今に対して残ってる感情は『昔を共有してる安心感』だけなんじゃないかと思ってしまって。
「私じゃ力不足だってわかってるから、余計そう思っちゃうんだろうなぁ」と冷たい空気を吸い込むと、思ったより鼻がつんと痛くなって眉を寄せた。
梨汁ぶしゃーっ
2013.11.24
2014.05.24 加筆修正
2015.12.21 加筆修正