□ 95a - In the case of him - □
年末と来年、それから海外時間に合わせて忙しく動いていれば、無機質な音と共にメールが届いた。送り主は滝で珍しいこともあるもんだと少しばかり目を丸くしたのを覚えてる。
「おい忍足。ひとつ聞きてーんだが」
『…なんや。のっけからケンカ腰やんか』
つーかこっちは夜中なんやけど、とぼやかれたが知ったことじゃねぇ。
滝から送られてきたのは先日、日吉の誕生日だかで集まった時の映像だった。数分の短い時間を断片的にいくつも撮ってあったのだがそれなりに楽しんでいたのはよくわかった。
しかし、そこに映るを見つけいてもたってもいられず忍足に連絡したのだ。
『…それは俺やのうて、滝に連絡するべきやないん?』
「連絡したが出やしねぇからテメーなんだろ。つーか、普通なら寝てる時間だろうが」
『……跡部。俺にケンカ売ってるん?』
俺もこの時間は貴重な睡眠時間なんやけど。と低い声で囁かれたが「知るか」といいきった。テメーは普段から不規則な生活してるからいつ電話してもかわんねぇだろ。
どうせろくに休みもせずネットを徘徊して恋愛小説を読み漁ってたんだろ、とつっこめば『ギリ!』とよくわからない擬音をいって押し黙った。いや、何かブツブツいってるな。"かんこれ"って何だ?
「んなことより、はどうしたんだよ」
『……ちゃんがどないしたん』
「あいつ手どうしたんだよ。包帯巻いてんじゃねぇか」
顔色もよくねぇし何テニスさせてんだよ。というと『…あの画面でよう見えたなー』と感心された。確かに画面は小せぇが明らかに動きとかラケットの持ち方がおかしいだろ。そう指摘すれば『ホンマ自分ちゃんのことよう見とんなー』と更に感心された。お前それでも医者かよ。
「何があったんだ?」
『なーんもないで。ただちゃんが前日仕事でミスって火傷したのと不規則な生活しとんのと栄養が偏ってて次の日風邪ひくくらい元気がないくらいやな。あーあとは鳳と樺地に嫉妬した日吉が誕生日だからとかこつけてちゃんにスパルタ指導してこかしたくらいやで?』
「なんもじゃねーだろ」
随分起きてんじゃねーか、と呆れれば『ちゃんがそういっとったんや』と平然と返してくる。そういう問題じゃねーだろ。
「その為にお前やジローがいるんじゃねぇのか?」
『しゃーないやん。今は誰にもいいたないいうんやもん。ジローにも何も明かしてへんし。無理矢理聞いてちゃんに嫌われたないわ。……ああ、もしかしたら手塚辺りには漏らしてるかもしれんけど』
もしくは幸村やな。と零す忍足に眉が寄ったが気にせず「お前から見てどうなんだよ」との体調を聞いた。
『なんともやな。あの日は仲ようちゃんと一緒にテニスして和気藹々飯食うてちゃんと家までお見送りしたけど…ああー羨ましがらんといてや。男の嫉妬は醜いで?…まあ見た感じは深刻そうやなかったしちゃんと食べて寝ればOKやないか?』
「……じゃあ、大丈夫なんだな?」
『それが気になるなら自分が直接聞けばええやん。まあ、ちゃんと恋人同士になってもええなら俺から聞くけど?』
「それはやめろ」
むしろそれがの心の負担だ。と言いきれば電話越しに忍足がさめざめと泣いた。切りたくなるからやめろ。
『俺らはそないな感じやけど…まあ、もしなんかあるとしたら手塚らか自分やろな』
「は?」
『自分、前にいっとったやろ?ちゃんがイライラしとるんは"男か友達の人間関係"やて』
アレ正解やと思うわ。話してそう思ったという忍足に何で俺なんだよと聞けば奴は鼻で笑って『そんくらい自分で考えや』と返された。
『さっきいうたやろ。俺らには話したないことやって。亜子ちゃんにもそれとなく聞いたけど何も聞いとらんみたいやし。ちゃんが"何もない"いうんはまだその段階やないか、自分の奥の話過ぎて誰にも言えへん思てるんやろ』
会わない内に随分生き下手になってもうたようやし。そういって忍足は『可哀想にな』とに同情した。
『俺なら優しくちゃんの心のドアを開いてやるんやけど』
「…随時心閉ざしてる人間がの心開けさせられるわけねぇだろ」
『んなことあらへん。ちゃんに関しては随時オープンや。閉ざす能力あるなら開かせるのだってできるわ』
「お前にを預けたら人格まで変わりそうだからマジでやめとけ」
それでなくともあいつはとにかく普通の感覚の生き物なのに。お前に任せたら汚れる、と苦言を言えば忍足は笑って『跡部にはいわれたないわ』と言い返された。
『気になるならさっさと日本に帰ってきて本人に聞けばええやん』
「それができたら苦労はしねぇよ」
やってもやっても終わらない仕事に会長や理事に自分の父親と祖父がいるんだ。気を抜く暇はねーんだよ。少なくとも年内にそんな時間は作れねーよ、と返せば『ならしゃーないと諦めや』とさも残念そうに盛大な溜息を吐いた。
『メールも電話もできへんほど忙しいならこれはしゃーないことや。そういうこともあるやろな。無理したところでなんもならんし。……まあ、後のことは誰かに任せればええわ』
「……おい、」
『ほんでちゃんが手塚か幸村とくっついた後に空しく事後連絡でもされればええねん』
ああ可哀想。キングが聞いて呆れるわ。あ、元キングやったか。と鼻で笑った忍足はそのまま『睡眠不足はお肌の大敵やからもう寝るわ』といって通話を切った。
お前がお肌って…と思ったがつっこもうと口を開いた時には無機質な電子音しか聞こえなかった。何だアイツ…!!
暫く無言で携帯を睨んでいたが無性に投げたい気持ちになった。何で忍足に鼻で笑われなきゃなんねーんだよ!そう思った瞬間携帯を思いきり壁に投げつけていた。
俺だって連絡できるものならしてやりてぇよ。けれど電話しようにも時間帯が昼夜逆転してる上に携帯を壊しちまって直ってくるのが1週間後ときた。代わりに代用品が来たが海外モデルだから電話に出ねぇだろうしメールも迷惑メール行きになってるのか一切返信が来ねぇ。
脳裏にイライラとした顔のが思い浮かぶ。何をそんなに苛立ってんだよ。俺と一緒に食事して楽しくねぇとかどういう了見だ。他の女は誰も彼も嬉しそうに頬を染めるっていうのに。
そう考えるとは昔と違って可愛げがなくなったなと嘆息を吐いた。昔はそれこそ他の女と変わらず反応が良かった。そこまで考え、だったら別に誰か別に奴に任せてしまった方がいいんじゃないかと思った。誰か近くにいる奴がを慰めれば…と考えすぐに考えを打ち切った。
考えて物凄く不快に感じた。
近くにいる誰かって誰だよ。そんな見ず知らずの奴がの何を知ってるっていうんだ?
そしてニヤニヤと可笑しそうに笑う忍足が思い浮かんで余計に腹が立った。
「まったく、うまくいかねぇな」
頭を掻きごちた。だが手塚じゃ女の扱いに不安があるし幸村は"元"彼氏だ。色々知ってることもあるだろうが1度距離を置いた奴を頼るほども依存してないだろう。
もしかしたら亜子や他の女友達に話して今は元通りになっているかもしれないが、自分の目で確かめるまではどうにも落ち着かない気がした。
「仕方ねぇか」
パソコン画面に写る動画に跡部はふと、そう零した。滝から送られた動画はパソコンの方に移動してあって跡部はそれを眺めている。諦め、ではない。
元々何でもこなしてしまう性分だ。思い立ったら必ず行動する跡部に迷いはなかった。
******
目の前で静かに泣く女がいる。
しゃくりあげているが涙の量に対して彼女の声はあまりにも静かだった。
心に決めたものの、正直年内に日本に帰ってこれるか怪しいところだった。肩書きはあっても自分はまだまだ新米の部類で経験も少ない。個人的な理由で我儘が言えるほど甘やかす空間でもなければ子供扱いもされない。
詰めに詰めて仕事をこなしたがそれでも無理じゃないか?と過ぎったくらいには予定が立て込んでいた。
だがつい昨日、まさかの予定のズレがおきて1日ぽっかりと空いたのだ。
それを逃さず予定を繰り上げて年内は全部日本で出来る仕事を用意し、驚き呆然としてる秘書に指示して飛行機に飛び乗った。本当にラッキーだったと思う。
「、」
俯いた顔を上げさせたくて手を差し伸べれば耳を掠めた途端の肩がビクッと揺れた。それからパタパタと音を立てて涙が零れ落ちる。まるで雨のようだ。頬に手を添え上を向かせようとすれば「見、ないでください」と顔を背け拒否される。その度に涙が散っての手や服を濡らした。
「大丈夫だ。別にお前の泣いてる顔を見たって笑いやしねぇよ」
「…でも、すごく不細工だし、鼻水も出てるし」
ティッシュください、と俯いたまま手を伸ばすにいわれるがままティッシュの箱を渡した跡部は代わりにケーキの箱を受け取ってテーブルの上に置いた。
日本についてイルミネーションの渋滞ついでにケーキを買ったがこんなにも喜ばれるとは思ってもいなかった。勿論、泣き止めないほどがケーキを好きなわけではないと知っているが。
けれど疲れた身体を押して睡眠を削ってまっすぐここに来たことは報われたと思った。
これもたまたまだったのだ。渋滞で車が止まって外を見たらが好きなケーキ屋があって。中を覗けば人もそれ程おらずすんなりと箱いっぱいにケーキを買うことが出来た。
話を切り出すネタか場繋ぎ程度になればいい、そう思って買って渡したケーキをは受け取って嬉しそうにお礼をいって。
そしてぼろりと零れ落ちた涙を見て俺はどうしようもなく胸が締め付けられた。
とても綺麗だったのだ。光の粒が零れて頬を伝い落ちていくのが。泣き顔に歪んで俯くまで跡部は息を呑んで動けなかった。
忘れていた。
をどうしても放っておけない理由がこれだった。ここにあったんだ。
そう思ったら湧き上がった衝動を抑えられなくて跡部はをぎゅっと抱きしめた。「っ?!あと、」と慌てふためくを逃がさないように背と頭に手を回し隙間を埋めるようにくっついた。
腕の中のはわたわたと手を動かしたが最後は諦め、跡部のジャケットの裾部分を引っ張った。
「…跡部さん。スーツが汚れちゃいますよ」
「かまわねーよ」
「でも、鼻水が…」
「んなもんクリーニングすれば問題ねぇ」
それくらいで離すかよ、と耳元で囁けばビクッと肩が揺れ耳がほんのり赤くなった。お前、耳弱いのか。
「でも…、」
「俺の胸を貸してやるから好きなだけ泣けばいい」
「…っ」
「気にすんな」
髪を諭すようにゆっくりと撫でてやれば強張っていたの肩が震えくぐもった声が漏れた。ああ、何かしっくりくる。この感触も収まり方も不快じゃないこの声も全部ひっくるめてハマった気がした。
ずっと違和感を感じてた距離感が埋まっていく感覚。腕の中にある安心感。忘れていた。
初めての涙を見た時"俺がこいつを引っ張ってやらねぇと"、て思ったんだ。
それがいつの間にか曲解して、傍らにいることに慣れて、どうせは俺から離れられないのだと驕って、"跡部の家"のせいだと他のせいにして突き放したんだ。そういやあの頃は丁度進学のことで親と揉めてたな、なんて思い出して可笑しくなった。
あの頃の俺は本当にガキだった。視線を下げればの旋毛が見え柔らかい髪の毛が跡部の顎をくすぐってくる。その髪の中に顔を押し付ければほんのりと甘い香がした。
昔からはこうやって泣いて今もこうやって泣くんだな。これじゃ気づきたくても気づけねぇわ。これだけ密着して初めて気づくなんてよ。跡部景吾も大したことねぇな。
そう考えたら俺も大概ちっぽけな1人の人間なんだなって思えての温かさが愛しくて、跡部は儚くて柔らかい愛しい彼女を強く抱きしめた。
おかえり。
2014.06.27
2014.10.04 加筆修正
2015.12.24 加筆修正