□ 青学と一緒・5 □
その後、桃城くん、竜崎監督を含めて話し合ったマネージャーの件も大方まとまって解散となった。時刻は決められた就寝時間に迫っている。
終始楽しそうに話していた皆瀬さんと乾くんに一抹の不安を抱きながらも、はひと部屋ひと部屋回りながら点呼をとっていた。竜崎監督の手伝いである。
「おいコラ仁王くん!君はどこに行く気だ」
むんずと腕を掴み、部屋とは反対方向に歩いていく仁王を確保したは「部屋に戻りなさい」といって手を引っ張ったが仁王は口を尖らせ「え〜」と不満顔で返してくる。
放浪癖がある仁王を放っておいたらどこに行くかわからない。しかもホテルの外は何もないし寒いし探すとなったら一苦労だ。
「ただの散歩じゃ」とか詐欺師がいっているが他の宿泊客もいるから無闇に出歩いたりしないの、と歩きたがらない仁王を引き摺るように引っ張った。
「…母親みたいじゃの」
「仁王くんのお母さんになった覚えはありません」
「俺もお前さんみたいな親は嫌じゃ」
「…さよですか。じゃあお母さんにいいつけられないように部屋に戻りましょうね」
「…いいつけるんか?」
「言うこと聞かないなら柳ママにいうしかないでしょ」
「ぶっ!柳が母さんか」
「なんなら柳生ママか友美ママでもいいけど?」
どれにしても仁王の頭が上がらないメンバーをあげれば詐欺師は盛大な溜め息を吐いて「幸村母じゃないだけまだマシかの」と肩を竦めた。それは同意だ。
「じゃあ真田は……お前さん、聞こえたか?」
「え?何が?」
真田は父親じゃなー、と続けようとした声がピタリと止まり、急に真剣な声を出す仁王に振り返れば、彼はしかめた顔で別のところを見ていて、思わず開けた口を噤んだ。
「今、何か聞こえたんじゃが」
「え、誰かの話声でも聞こえた?」
「女の声じゃった」
「…友美ちゃんじゃなくて?」
もしくは他の宿泊客とか。そう言ってみたがそうじゃない、と仁王が首を振った。しかし耳を澄ましてもにはそれらしい声など聞こえなかった。そのことにサァッと血の気が引く。
「、実はな。さっきここの従業員に聞いたんじゃがな。……出るらしいんじゃ」
「で、出るって…?」
ためらうように喋る仁王にも息を呑む。出ると言ったら、こういうホテルで出ると言ったらまさか…と不安げに仁王を見れば彼は「アレじゃ」とあえてその名前を避けるようなことをいってくる。
「アレって…アレのこと?ゆ」
「ああ皆まで言うな!それをいったら寄ってくるかもしれん」
「寄ってくるの?!」
ぎょっとして仁王を見れば彼は辺りを見回して「シーっ声がでかい」と掴まれた手を引っ張りを壁沿いに立たせた。廊下は人の気配はするものの、人の声は殆ど聞こえない。
隠れるように角まで追いやってくる仁王は両手を壁につけると誰もいないことを確認してからこっちを見てきた。いきなり近くなった距離になんとなく顔を引いて微々たる距離を作ろうとしてしまう。きっと相手がイケメン野郎だからだろう。
「マジで?寄ってくるの?」
「ああ。あんまり話すと興味があるのかと思われて寄って来るって聞かんか?」
聞かなくもないけど、怖いな。恐ろしい、と顔に出せば仁王がニヤリと笑って「それでな」と続けてくる。
「どうやら1階と5階にそのスポットがあるらしくてな、真意を確かめる為に0時を過ぎたら丸井達と肝試しをするつもりなんじゃがも参加せんか?」
「ぅえ?!マジで?」
嫌だよ、と表情で返せば仁王はさも残念そうに「皆瀬は参加するというてたんじゃがな」とを釣ってくる。ああ確かに皆瀬さんはお化け屋敷とか嬉々として参加しそうだよね。
「…それって柳生くんも参加するの?」
「勿論ナリ」
「乾くん達はいるの?」
「……何でそこで青学が出てくるんじゃ」
先程の2人を思いだし、聞いてみれば仁王はムッとした顔で否定したのでホッとした。乾くんには悪いけど皆瀬さんには柳生くんと一緒の方が安心するのだ。
「…。まさか青学まで誘えとかいうのか?」
「そ、そういうんじゃないけど…て、近い、近いって」
「お前さんは桃城や越前と仲がいいからの。これを機会に青学と仲良うするつもりか?」
「べ、別にそういうんじゃ…ただ、一緒に合宿するんだし、ケンカするよりはいいと思うし」
脳裏に手塚くんが過ぎってなんとなく視線が逸れたが仁王が面白くない、という顔をしてるのは見えた。
そして「お前さんはホンにわかっとらんの」とぼそりと呟いた仁王はを潰すようにくっついてきて鼻先にいい香りが掠った。仁王のジャージの匂いだ。
「いい匂いじゃの」
「!そ、そりゃ、お風呂入ったし」
同じことを考えてたことにドキッとして仁王を見上げようとしたが視界には詐欺師の首筋しか見えない。仁王はが使ってるシャンプーの名前を聞きながら髪の匂いを嗅いでるようだった。さっきから頭がくすぐったくてならない。
くすぐったい、と身を捩れば何でか奴はくつくつ笑ってぐりぐりと顔を頭に押し付けてくる。いやいや、じゃれてるつもりないんですよ仁王さん。
「仁王くん猫みたい」
「…なんなら鳴いてみせようか?」
ひんやりしていた壁がの体温を吸って温まり始め、ぶるりと震えた。夏は必要最低限しか接触したがらなかった仁王がこうも触りたがるのはきっと寒いからだ。そう思いが口にすると「にゃーお」と仁王が恥ずかしげもなく鼻先をの頭にこすりつけてくる。本当に動物みたいだ。
「…もう。寒いならさっさと部屋に戻って布団で寝なさいよ」
「じゃあ、一緒に寝ようかの」
「アホか」
誰が寝るか、と半目で言い返せば仁王は益々ひっついてきて「はホンに優しくないのー」と冷たい手をの頬にくっつけてきた。ひんやりした感覚に「ぎゃあ!」と声をあげると仁王は「あったかいぜよ」と飄々とした顔でのたまってくる。
離せ!と手をかけてみたが頬にくっついた手は接着剤を使ってるのかと問いただしたくなるくらいぴったり密着していて剥せそうになかった。クッソ!何、力入れてやがる!!
「に、仁王くんっちょ、やめて!冷たい!」
「あったくて気持ちええのー」
「私は冷たいっての!ひゃあ!ちょ!タンマ!タンマ!ジャージの中に手ぇ突っ込むな!!」
「はー。極楽じゃ」
ジャージの中に入ってきた手はそのままの腰周りを撫でてきてひんやりとした。間にTシャツがあるがを冷やすのには十分なもので、「仁王くん?!」と凄んで腕を掴んだが、こっちもこっちでビクともしなかった。というか、傍目から見たら勘違いされそうな格好にが慌て出す。
耳元で息を吹きかけ遊んでてくる詐欺師のせいで余計に顔の温度があがった。クッソ、これを狙ってイタズラしてるんじゃないだろうな?!
「……何、してるの?」
私は湯たんぽじゃないっての!!と突っぱねようとしたら身も凍るような声が廊下に響き、と仁王の動きが止まった。ギギギ、と壊れた機械のように声がする方を見やれば呆然とこっちを見てくる幸村がいて、の思考回路は真っ白に焼き切れた。
「…声がすると思ったら何してるわけ?」
「何って、ただじゃれてただけじゃが?」
「…は嫌がってたように見えたけど?」
「それもプレイの内ぜよ」
こんな状況にも関わらず淡々と答える仁王になんだか無性に腹が立って(きっと冗談でこんなことしてるってわかったからだ)、拳を奴の腹に食い込ませれば呻き声と一緒に身体が離れた。
「に、2度も不意打ちとは卑怯ナリ…」
「うっさい!喰らうそっちが悪いんでしょ?!」
いつもだったら簡単に逃げるじゃないか!そう責任転嫁をしたは掴んでくる仁王の手を振り払ってその場を離れると階段のところで今度は幸村に捕まった。「何?!」と怒り口調で振り返れば苦笑した幸村と目が合い、途端に顔が赤くなった。とんでもない現場を見られてしまった。
「さっきの、意味ないから…全然、意味はないから!仁王くんがからかっただけだから…!」
「そう。…ということは、と仁王は付き合ってないってこと?」
忘れてください、と顔を逸らせば幸村がさらりと問題発言をいうので慌てて違う!付き合ってない!!と否定した。仁王はイタズラでそうしただけで他意はないし、そんな気持ちなんてこれっぽっちもないはずだ。そんなことになったら私の明日はない。
間違いなく奴のファンに殺される。恐ろしい、と赤くなった顔で眉を寄せれば幸村はわざとらしくホッとした顔になって「それは良かった」と微笑んだ。きっと部活内で恋愛沙汰になったら困るとかどうとかいうのだろう。あれ?そうなると皆瀬さんと柳生くんの関係はどうなんだろう。大丈夫なんだろうか?
「仁王には後でよく言い聞かせておくから。も気にしちゃダメだよ」
「う、うん…」
仁王には幸村直々に制裁があるらしい。ざまあみろ、と内心思っていると幸村の手がの頬にかかり、ビクッと肩が揺れた。
「別に何もしないよ。髪を直したいだけ、いい?」
「う、うん…」
困ったように微笑む幸村に申し訳ないような気持ちになりながら承諾すると、彼は安心した笑みに変えての髪を整える。ゆっくりと梳いていく指先になんだか恥ずかしくなって俯くと髪がはらりと落ちて、幸村の指がその髪をすくって耳にかけた。
「これで、元通りだ」
「う、うん…」
終わったのに宙に浮いたままの手を見つめていると長くて綺麗な指先がまた近づいて来る。それをじっと見つめていれば仁王に触れられた頬にそっと触れてきてやんわりと上に向けられた。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫…」
「……」
「……」
恥ずかしくて仕方ないのにかち合った幸村の瞳から逸らせずにいると彼もまた何か考えるような素振りを見せ、頬を撫でた。
「あのさ、」
「あー部長がマネージャーを襲おうとしてるぜよ」
「……」
「これは真田を呼ばんとならんかのー」
「……仁王、」
距離を詰めてきた幸村には動けないまま見つめているとその空気を壊すような声が響き渡る。幸村の後ろを見たが声の主は見えない。
だがも幸村も犯人はわかっていて、立海の元部長様はいつもの恐ろしい微笑みで詰めていた距離を離した。手も同じように離すと「、」と呼ばれた。
「真田がまだ戻ってきてないんだ。多分外で打ってると思うんだけど」
「え?!でも私お風呂で会ったよ?」
「その後にまた打ちに行ったらしい。そろそろ戻ってくると思うけどからもきつく言ってくれないか?」
どんだけ好きなの、と呆れたは幸村の申し出に大きく頷き外に向かおうとしたが、「コートを持ってきた方がいいよ」という助言にそれもそうか、と思って階段を下った。
*
静かになった廊下で振り返った幸村は来た道を戻ると壁に寄りかかったままの仁王をチラリと見やりポケットに手を突っ込んだ。
「……お遊びだって。随分タチの悪い遊びをするじゃないか。勘違いしたらどうするの?」
「ピヨ。どうもしないぜよ」
勘違いしたら勘違いしたで俺は構わん。とのたまう詐欺師は自信満々にニヤリと笑って壁に預けていた背を離した。
「そっちこそ、勘違いさせるようなことをする気だったじゃろ?」
「…さあ?何のこと?」
覚えがないな、とシラをきる幸村に仁王はくつりと笑って「さあ、何のことじゃろうな」と、また部屋とは反対側の方へと歩いていく。はそれを止めたが幸村は止める気はないらしい。
「というか、襲うって何?」
「…言葉のままじゃが?」
「俺が襲うわけないだろ」
何言ってるの?と背中越しに幸村が視線を寄越してるのを感じながら仁王は、「ふぅん」とだけ返した。内心絶対嘘だな、と思っていた。
「あんな人目がつく場所で襲うとか品も何もないだろ」
「……」
「相手の了解もなくて公共の場で手を出すとか動物以下だよな」
フッと笑う声に仁王は肩を竦めると「プリ」とだけ返して歩き出す。余裕なさ過ぎ、と嘲笑う神の子のセリフに居た堪れなくなった。
「…ま、気持ちはわからなくないけどね」
誰もいなくなった廊下でぽつりと零した幸村は仁王が去っていった方に背を向け自分の部屋へと歩き出す。
真意はなんにしろ、みんな一様に青学がや皆瀬にちょっかいを出してるのが面白くないと思っている。幸村もその1人で妨害するつもりで今回の合宿を申し入れたのだ。
慣れ親しんだ仁王達ならともかく、接触すらなかった青学をさっきみたいに普段通りに妨害するのは難しいかもな、なんて思いながら幸村は溜め息をひとつ零したのだった。
それぞれの思惑。
2013.06.21