□ 番外編 ・ 仁王2 □
引き攣る頬を気にしながら廊下を歩いているとすれ違う生徒達が目を見開いてはこっちを凝視してくる。それを無視して教室に入った。
やや乱暴に鞄を机の上に投げ、自分の席に座るとポケットから携帯を出し電源を入れた。受信されたメールと留守録は全て由佳の名前で埋め尽くされていて溜め息を吐く。
面倒じゃ、と下にずらしていけば未読の中に唯一違う名前を見つけた。開ければ画像が添付されていたがその画像に眉をひそめ、携帯を閉じた。
「うわ!仁王。お前その顔どうしたんだよぃ!!」
「おー。おはようさん」
「おはよー…って!ちげーよ!!なんだそれ!また姉貴とケンカでもしたのか?」
「しとらんよ。ガキじゃあるまいし、青タン作る程のケンカなどせんよ」
「へーへースンマセンね。ガキの弟しかいなくてよ」
携帯をポケットに仕舞えば丁度教室に入ってきた丸井に目敏く顔の腫れを見られ指摘された。以前酔っ払った姉に顔を引っかかれたことがあって丸井に大いに笑われたことがあったがケンカらしいケンカはもうしていなかったので否定をすると丸井が不貞腐れるように口を尖らせる。
そのまま、まだ来ていない自分の前の席に座った丸井は「んで、それどうしたんよ?」と顔を近づけてきた。
「殴られた」
「それは見りゃわかるよぃ。つかそれ、お前も殴ったのか?」
「いんや。一発だけ当たってあとは逃げた」
「何で一発当たったんだよぃ」
「相手が彼氏に黙ってたんじゃ」
自分の彼女が男といる上に冗談でもキスしようとしてたのだ。そんな現場を見たら仁王のことを浮気相手だと思って激昂するのは当たり前だろう。「うげ。修羅場かよぃ」と苦い顔をした丸井がバカだな〜と呆れた顔で頬杖を付いた。
仁王の顔は見ただけでわかる程青く腫れ上がっていて一応湿布を貼ったのだが目に染みて取ってしまった。その為注目の的になっているのだが、表立って聞いてくるのは丸井しかおらず、他はチラチラと気にしながらも遠巻きに見ていた。
「まさか不倫とかじゃねーよな?」
「さすがに人妻は許容範囲外じゃ」
「殴られた後どーなったの?」
「まんま逃げた。相手もケンカ中だったらしいから丁度いいんじゃなか?今頃よろしくやっとるじゃろ」
「え、それ、普通別れね?」
「痴話喧嘩は毎度らしいから、男も慣れとるじゃろ」
「え、なにそれ。仁王お前ダシに使われただけ?」
それでいいわけ?と眉を寄せた丸井にいいわけねーよ、と思ったが深い溜め息をついて「知らん」と机に突っ伏した。
ケンカをするといつも寂しそうに絡んでくるから適当に付き合って適度にガス抜きさせて帰してやってたのだがあんな風に彼氏に現場を押さえられたのは初めてだった。
初めて見た彼氏は自分とは真逆の真面目そうな青年だった。多分女と付き合うのは初めての童貞くんだろう。本気で愛してます!という顔に2年前の自分が過ぎって吐き気がした。
「つーかそれ、新島先輩じゃねーの?」
「…さぁの」
勘のいい丸井の言葉に仁王は目を閉じた。あれで彼氏は何人目だろうか。いや、別れたと聞いてないから他にも何人か自分のような"男友達"と"彼氏"がいるのかもしれない。
「お前ってコートの中では詐欺師になれるのにそれ以外は結構不器用だよな」
つーより器用貧乏?と零す丸井に、余計なお世話じゃ。と心の中で返した。
*****
生活指導に捕まり、いつものように説教された仁王は気だるい格好で廊下を歩いていると丁度職員室から出てきた幸村と鉢合わせた。
向かう方向が同じなのもあってなんとなく一緒に歩いていると先に幸村が沈黙を破った。
「また捕まったの?」
「おう。懲りずに髪の色染めろといわれたぜよ」
「卒業式が間近だからか。丸井は?」
「アイツは運良く逃げたぜよ」
チッと舌打ちすれば隣を歩く幸村がクスリと笑った。
「腕の方は調子どうなの?」
「まぁまぁじゃの」
「…ていうか、何その顔」
「……」
笑った顔のままスッと細まる瞳に「なんでもなか」とだけ返した。内心舌打ちをしたが会ってしまったのだから仕方がない。居心地悪そうに肩を竦めれば「火遊びも程々にしとけよ」といわれ、思わず眉を寄せた。
「何の話じゃ」
「赤也達も強くなってるから、うかうかしてらんないってことさ」
指導者が俺だしね、と得意げに階段を登る幸村に仁王は噂のことで釘を刺してるな、と理解した。しかし残念なことに遊びは殆どしていないのが現状だ。唯一会っている由佳とも片手くらいしか会っていない。
噂に振り回されとるの、と思いながら幸村を追いかけているとその背中にふとあることを思い出した。
「そういえば、お前さんに確認しときたかったんじゃが、のこと好きなのか?」
「ああ。好きだよ」
軽い感じで聞いたつもりがあっさり返されて面食らった。目を見開き幸村を見れば奴は振り返って「今更?」と笑った。
「…いや、気づいてはおったが…マジでか」
「マジだよ」
「道理でのぅ。部室でわざわざ2人きりになるとか、弁当一緒に食うとか、果ては一緒にバス通学もしとるし。お前さんあのバスの経路じゃと遠回りになるんじゃなか?」
「大したことないよ。体力強化も兼ねて走るようにしてるから距離的にあのバスが丁度いいんだ」
「…制服でか?」
「制服でね」
よくもまあわかりやすい嘘を。と見上げれば幸村は笑って「ていうか覗き見なんて悪趣味じゃない?」と仁王を見下ろしてくる。
その余裕そうな顔に少々カチンときたがニヤリと口元をつり上げ「わざと見せつけてたくせによくいうぜよ」と返してやった。その顔の下は大して自分と変わらないくせに何を言うか。
「別に、仁王を出し抜きたくてあんなことしてたわけじゃないよ」
「ほぅ」
「ただ、が悲しい顔をするから。なんとかしたいって思っただけ」
「……」
「そういう顔させてんの仁王のせいなんだけど」
自覚あるの?と冷たい視線と共に落ちてくる。
「俺は、が幸せなら仁王でもいいって思ってた。でもお前が彼女を傷つけるなら黙っちゃいない」
「……」
「これは宣戦布告だから」
ゾクッとするような視線に睨まれ、冷や汗が伝う。多分テニス以外なら幸村と本気で戦っても確実に勝てるものがいくつもあるだろう。でも今の仁王にはそれですら勝てないかもしれない、という気持ちが滲み出てくる。
言うだけ言って去っていく幸村を追いかけるでもなくその場に固まっていた仁王はハッと吐き捨てるように笑い壁に寄りかかった。
「…なんじゃ。まだ付き合ってもいなかったのか」
ただの強がりにしか聞こえない言葉を並べて笑みを浮かべた。
幸村が隠さずいうからには勝算があるということだ。それだけ自分が相手にならないということだろうか。だからあんな挑発するようなことを言ったのか?考えれば考える程自分が情けなく思えて仁王は手で顔を覆った。
「俺も大概、諦めが悪いの」
さっさと諦めて幸村にくれてやればいいものを、まだ可能性があるのかもとか思ってる自分がいる。胸の内でボっと点る対抗意識に現金だな、と嘲笑った。
ああ、に会いたい。
しかしこんな顔じゃ会えないよな、と自嘲気味に笑った仁王は何事もなかったようにゆっくりと階段を上がった。
****
"彼氏に嫉妬させると、『ああ私、愛されてるんだなー』って思うの"
そう由佳が話してくれたことがあった。自分と付き合ってた時も他の男と歩いたり約束をすっぽかされたりして、本気で頭がどうにかなってしまいそうなくらい由佳のことばかり考えていた時期もあった。
それが別れて再会した時にそう教えてもらったのだが、彼女は自分と付き合っていた頃よりも綺麗になってより一層破綻してるように見えた。
きっと彼女の不安定さは近しい人間しかわからない。そしてそれは蜘蛛の糸のように絡みついて逃げることができなくなる。手を差し伸べたくなる。守りたいと思ってしまう。
実際はそれ程弱いわけじゃないし守ってくれる男が何人もいるのだから自分ぐらい、と思うのだがそれでも会ってしまえば純粋だった頃の気持ちが揺さぶられどうしても断れきれずズルズルと応じてしまっていた。
「…寒、」
からりと晴れてはいるものの屋上は寒いと思った。一応マフラーを巻いてはいるが手が悴んで仕方がない。両手を頭の後ろに組んで給水塔の近くに寝そべっていた仁王は流れる雲をぼんやり見上げながら溜め息を吐いた。
多分このままじゃまずいんだろう。それはわかってる。
最終的に自分も由佳ではなくテニスを選んだのだ。
間違いなく高校も同じ面子で全国を狙うだろう。そして今のメンバーでいれるのも高校までだと踏んでいる。ぼやぼやしてる暇はないのだ。幸村の言うとおり、赤也達は確実に強くなって高校に進学してくる。高校から入ってくる特待生だっているはずだ。
本家本元の手塚が騙し騙しに使って3年持たせたのだ。最終的に左腕が壊れたとしても試す価値はある。
しかし今空いてる時間をテニスにあてれば確実に由佳と会えなくなる。今の彼女を放っておくのは少し抵抗があった。丸井には仲直りしてるだろう、といったがメールと着信の数を見る限りまだ仲直りはしてないんだろう。あともう少しというところだろうがやはり気にはなっていた。
「っ…」
頬が疼き、手を添えた仁王は「思いきり殴りおって」とぼやいた。間違いなくここでしゃしゃり出れば彼氏の不興を買うのは目に見えている。しかし彼女にそんな寂しい思いをさせているのは苛立ちを隠せない。
あいつが頼りなさ過ぎるから自分は由佳から離れられないのだ。
もし、別れるなんてことになれば慰め役を誰かが担うわけで、そうなれば四六時中由佳と一緒にいることになるだろう。テニスが嫌いな由佳がいれば練習もできないし話もできない。傷の深さによっては何をしでかすかわからない彼女を放っておく方が危険なのだ。
以前柳生にそんなことをぼやけば「あなた方はもう友人同士なのですからお互いのことを主張し譲歩し合うべきです」といわれた。それは最もなのだが恋人同士だった頃の癖が抜けきらない自分ではどうしても由佳に主張するということが出来なかった。
「(テニスはしたい。じゃが、由佳のことを考えるとどうしてもテニスが二の次になってしまう…)」
それは自分への言い訳なのか、ただの依存なのかわからない。
ただ漠然とこのままではいけないんだ、という気持ちだけが胸の内にくすぶっていた。
チャイムが鳴り、雲の隙間から太陽が見えて目を細めると視界に変な形の雲が流れてきた。それは何かに似ていたが何か思い出せないでいた。動物だろうか?
なんだったか?と思っているとガチャン、と屋上のドアが開く音がした。その音を聞いて仁王は眉を寄せ息を潜めた。
授業が終わって誰かが息抜きに外へ出てきたんだろうが何でこっちに来るんだと思った。どうせなら寒くない屋上庭園の方に行けばいいものを。
屋上の上にある給水塔からは仁王の姿は死角で見えないだろうが、自分を追いかけてる皆瀬や横田じゃありませんように、と切に願った。
しばらく聞き耳を立てたまま何かに似てる雲を眺めているとカシャというシャッター音が微かに聞こえた。こんなとこで写真なんか撮ってどうするんじゃ?と不思議に思った仁王は少しだけ身体を起こして音がした方を見た。
見てドキリと心臓が跳ねた。
空を見上げる横顔は何も考えてない様子で、携帯を弄りながらこちらに歩いてくる。顔は下を向いていたからこちらに気づくことはないが仁王は咄嗟に隠れ、ドアが閉まるまでじっとしていた。
静かになった屋上で尚も固まったままでいるとポケットの中の携帯が震え仁王はビクッと跳ねた。うっかり電源を入れてしまっていたらしい。由佳か?と恐る恐る開いたが違う名前にまたドキリとした。
「あ、…」
開いたメールは件名も本文もないただの画像だったがその写真に目を見開いた。そこには仁王がぼんやりと見ていた雲の写真があったのだ。
思わず手で口を覆った仁王は「あ、そうか」と零す。何かと思えば兎の尻に似てるのだ。動物園のふれあい広場で何故か兎の後ろ姿について熱く語っていた彼女を思い出し吹き出した。
今思い出しても兎の尻を見てテンションをあげてる彼女は面白い以外何者でもない。というか後にも先にもあいつだけだろ。
「ったく。なんなんじゃ、あいつは…」
全然こちらの事情など知らないくせに、自分のことなど振り向きもせず他の男ばかり気を取られてるくせに。それでも、彼女はただ単に撮った意味のない添付メールでも、なんだか元気づけられた気がして仁王は額に手をあて声に出して笑ったのだった。
51話の裏。
2013.04.16